369 記念日
誕生日にもプレゼントをくれない夫が、なにやらそわそわして私を連れ出したのは、海辺のお洒落なレストラン。
結婚してからこんなことは一度もなく、ただこのままお婆さんになるのかと思っていたのに、これは思わぬサプライズ。ただ、聞きたくない重要なことがあるのかと、私は浮かれてもいられずに身構える。
「今日はどうしたのよ?」
私がそう尋ねても、彼は軽く微笑むだけだ。
「べつに?」
「嘘。結婚しても、一度もこういうデートっぽいことしたことないじゃない」
「たまにはいいだろ。このまま一生デートしないなんて言ってない。今までだって、機会がなかっただけだ」
「じゃあ、今日はどういう機会なのかしら?」
からかっているだけなのに、彼は少しむっとした様子で俯く。
やがて顔を上げた彼は、小さな箱を差し出した。
「え、なあに?」
「開けてみて」
まるで付き合い始めのカップルみたいに、私は期待して箱を開けた。
すると中には、金のイルカのネックレス。
「なにこれ……」
「ネックレス。指輪にしようとも思ったけど、結婚指輪してるしさ。たまにはいいだろ。ネックレスも」
「なんか怖い……何かしたんじゃないでしょうね? 浮気? 借金? 何かあるなら言って」
「信用ないなあ。するかよ。でも今まで誕生日だって何もやれてなかったじゃん?」
「あ。じゃあ、これでチャラにしようって言う気ね?」
「はは。当たり」
「もう」
そんな会話でも、やはりこれは嬉しい。
照れ屋の彼が、どこでどんな顔をしてこれを買ったんだろう。そう考えると、なんだか顔が綻んだ。
「でも、なんで今日?」
私は首を傾げる。
「そりゃあ、記念日だから」
「なんの?」
「忘れたのかよ。二人の結婚記念日」
彼の言葉に、私は苦笑した。
「いやね。結婚記念日なら、先月終わったけど……」
「え!」
そんな彼の慌てふためく顔に、私は思わず吹き出す。それが悲しいことだとは思えず、こうしてサプライズ演出までしてくれたのだから、責める気になんか到底なれない。
「馬鹿ね。いつも少し抜けてるんだから……」
「ごめん。てっきり今日だとばかり……」
すっかり意気消沈した様子の彼の腕をつかみ、私は店から連れ出した。
駐車場のテラスから、海が見える。そんなシチュエーションの中で、私は彼の頬にキスをする。
「バ、バカ。こんなところで……」
照れる彼に、私はもう一度キスをした。
「ありがとう。嬉しい。帰ろ」
そう言った私に笑い返して、彼も私の手を繋いできた。
なんでもない今日の日が、私たちの新たな記念日だ。