359 クリスマスの奇跡
最後の食事が終わった。
ジェニファーは貧しい家に住む少女。七人兄弟の三番目だが、兄は出稼ぎでおらず、姉は貧しい生活に耐え切れずに家を出て行った。父親を事故で亡くし、母親は過労で倒れた今、ジェニファーは兄弟たちのために一家を支える人間となっていた。
「姉ちゃん、食べないの?」
兄弟たちの言葉に、ジェニファーは微笑む。
「私はお屋敷で食べたからいいのよ」
裕福な家で働くジェニファーだが、食事は賄ってもらえない。だが、嘘をついてでも兄弟たちに心配はかけたくなかった。
しかも、今日はクリスマスイブ。食事抜きが当たり前になってしまっているこの家で、今日だけは食べさせてあげたかった。
「サンタさん、今年は来るかなあ」
「来ないよ。来たことないもん」
兄弟たちの言葉に、ジェニファーは苦笑する。父親が生きていた頃は、ジェニファーもクリスマスプレゼントをもらっていたが、この子たちはそれすら知らない。
「じゃあお姉ちゃん、そろそろ仕事に行くから。いい子にするのよ」
そう言って、ジェニファーは夜の街を出ていく。
裕福な家で働いているのは本当だが、家主に会ったことはない。家主が寝静まった頃に、屋敷中の掃除をする。それがジェニファーの仕事だった。
夜中から朝方までかかる大仕事だが、その努力は誰の目に触れることもない。それでも、ジェニファーは必死に働いていた。
屋敷に向かう途中、ジェニファーは馬の嘶きで振り向いた。石畳の街を全速力で走る馬車に、慌てて身を避ける。この街では日常茶飯事のことだが、それでもやはり怖い。
だが、気を取り直して立ち上がると、ジェニファーは馬車が落としたと見られる袋を見つけた。中を見ると、数えきれないほどの金貨が入っている。
「すごい……」
ふと、ジェニファーの中に暗い影が落ちた。
このほんの一握りでも金があれば、病に倒れた母親を病院に入れることが出来る。兄弟たちに腹いっぱいの食事の上に、クリスマスプレゼントまで買ってやれるかもしれない。人を引き殺すところだった馬車の主だ。そのくらいは許されるのではないか。
そう思ったところで、ジェニファーは空しく息を吐いた。
誰にも見られていないとはいえ、急に裕福になったらどこからでも足がつく。第一、自分にそんな大それたことは出来るはずがないと思い、そのまま交番へと出向いた。
「あの……」
交番に行くと、すでに来ていた若い男が振り向いた。
「それは僕のものだ!」
間髪入れずに、男はジェニファーの袋を奪い取る。
「拾ったんです! 馬車から落ちたようです」
犯人と疑われる前に、ジェニファーはきっぱりとそう言った。
すると、男は何度も頷く。
「無礼なことをした……ありがとう。よく届けてくれました。今月の売上金がすべて入っていたんだ」
「あなたのものだという証拠は?」
男が素直にジェニファーに礼を言った直後、警官が疑いの目でそう尋ねる。
「ここに僕の名が刺繍されているのがわかりますか。ロベル・レガート。僕の名前です」
その名前を聞いて、ジェニファーは目を見開いた。ジェニファーの働く家主と同じ名前だったのである。
「レガート様。この先のお屋敷のレガート様ですか?」
「……そうだけど?」
「ああ、それでは私のご主人様でしたか。私は夜間清掃のお仕事をさせていただいている者です。お届け出来てよかった……」
「じゃあ、君はうちの従業員だったのか。ではお礼をさせてくれ」
レガートの申し出に、ジェニファーは何度も断ったが、その熱意に押され、母親の薬代と兄弟たちへクリスマスケーキのプレゼントを願った。それはあの大金の中にある、金貨一枚分で十分に足りる。
朝起きた兄弟たちの喜びようは、半端ではなかった。それは、レガートの心意気で、兄弟全員分のクリスマスプレゼントが用意されたからである。
「これは君に……本当に助かった。あの金がなくなれば、大きな契約がご破算になるところだったんだ」
感謝の言葉とともにレガートがジェニファーに差し出したものは、ひとつの鍵であった。
「うちの離れにある鍵だ。家族全員、そこへ来てはどうだろうか。そして君を、夜間清掃の従業員ではなく、きちんと屋敷で雇いたい。ゆくゆくは兄弟たちもね」
就職難の世の中、家族ごと面倒を見てくれるという。それは願ってもない申し出だった。
それから毎年、ジェニファー家族はレガートとともにクリスマスを祝っている。そして数年後には、二人は本物の家族になった。クリスマスの奇跡――。