351 コーンウェル探偵の依頼ファイル
潮風が吹く石畳の街外れ、雑居ビルの二階に、その事務所はあった。
エリック・コーンウェル。細面ですらりとした体にスーツをまとい、スケジュール帳に目を通す。一人きりの事務所では、助手も一人としていない。
「それでは、マーティン夫人。あまり時間に余裕がありませんので、今すぐお宅にお伺いしてもよろしいでしょうか?」
スケジュール帳を畳みながら、コーンウェルは目の前に座っていた夫人に言った。
夫人は三十代前半くらいの若い女性で、隣町に住む大金持ちのマーティン家の若夫人である。今回、とある事情を持ち合わせ、困り果てた様子で依頼を持ってきた。
「ええ。こちらとしても、出来るだけ早いほうが助かります」
「それでは、すぐに参りましょう。詳しいことは、馬車の中でお聞きしますよ」
コーンウェルは持ち前のせっかちさを見せつけるように立ち上がる。だが、これでも名の売れた探偵で、警察からも一目を置かれる存在である。
「わかりました。では、一緒に参りましょう」
マーティン夫人はそう言って、コーンウェルとともに自宅へと向かっていった。
「それで、マーティン夫人。私に依頼したいというものは、何かの暗号を解けということですね?」
「はい。先日、義父が亡くなりまして、遺言書からいくつか私が直接相続したものがあるのです。義父は私を可愛がってくださっていましたし、私が一族の中で一番献身的に介護したとおっしゃってくださって……でも相続したものの一つは「時を告げる鳥」だと……屋敷にある古い鳩時計のことだと思うのですが、今は壊れていて動かず、その中にいる鳩も、今では見ることが出来ません。そして義父は生前、謎を解けたらそれを相続させるとも言っておりまして――」
「ふむ。その遺言書を見せて頂けますか?」
「はい、こちらに」
そこには、各一族あてに、一つ一つ細かく相続の品が書かれていた。
「ヘラ・マーティン。これがあなたの名前ですね?」
「ええ、そうです」
コンウェルは、ヘラ・マーティン宛の遺言を見つめる。
“ヘラ・マーティンには、法律で定められた金銭の通常相続分に加え、銀食器、書斎にあるすべての書物、競走馬のアトランとヒュース、そして時を告げる鳥を相続させる。”
「ふむ……他の一族にも、すべてが銀食器のように特定の物を指しているのに、なぜこの最後だけ「時を告げる鳥」なんだ?」
生え始めた髭を撫でながら、コーンウェルは首を傾げる。
「義父はいたずら好きな人で、推理小説や謎解きも好きだったんです。それをお相手するのも私の役目でしたから、きっとこれが最後の謎解き……でも「時を告げる鳥」というのは、きっと屋敷にある古時計に違いないんです。あの古時計を私が気に入っていることを、義父は知っていましたから……」
「なるほど。ではやはり、実物を見なければなりませんね」
二人はそのまま、マーティン家へと向かっていった。
屋敷に着くなり目に飛び込んできたのは、玄関ホールに陣取った大きな古時計だった。ところどころに宝石の装飾がなされ、高価な物だと感じさせる。だが、肝心の針は動いていない。
「なるほど立派な古時計ですな」
「はい。これだけでも大変価値のある古時計です。窓からは鳩が飛び出す仕掛けになっていますが、義父が入院された頃から動かなくなってしまって……」
「では、お義父様があなたへの最後のゲームとして、細工を残したのは確かのようですね。そんなに見たければ壊せばいいと思いましたが、それではゲームとして負けでしょうし、これだけ立派な時計を壊すのは忍びないですな」
「はい。下男に言って窓をこじ開けようとはしたのですが、ビクともしませんでした」
「では、少々拝見」
コーンウェルはそう言って、大きな古時計を隅から隅まで見つめる。
「窓を拝見したいので、高い台などをご用意願えますか」
そんな指示に、すぐに下男が脚立を用意した。すかさずコーンウェルは脚立を上り、遥か上にある鳩時計の窓を見つめる。
「ん? これは……」
何かを発見したように、コーンウェルはポケットから自前の拡大鏡を取り出す。
するとそこには、小さな字でこう書かれていた。
Heaven
Metallic
Silver
「Heaven(天国)、Metallic(金属性の)、Silver(銀)……マーティン夫人! ヒントのようなものが小さく書かれていました。Heaven、Metallic、Silverと聞いて、思い浮かぶことはありますか?」
コーンウェルは、高い場所から下にいるマーティン夫人に向かってそう言った。
「いいえ……Silverと言えば、お義父様から相続した銀食器くらいでしょうか」
「なるほど」
しばらく微動だにせず、コーンウェルは拡大鏡をじっと見つめる。そしてはっとひらめいたように顔を上げた。
「そうか。簡単な暗号だ」
「わかったんですか?」
マーティン夫人が、コーンウェルにそう尋ねる。
「ええ、たぶん。マーティン夫人。お義父様は推理マニアでいらした。でも、あまり捻った答えでは、あなたにわかってもらえないと踏んだのでしょうね。難しく捉えることはなさそうだ。天国、金属、銀など、ヒントとしても揃っていない。私から言わせれば、少々お粗末な暗号です」
「お粗末でも、私には理解出来ませんが……」
「まあ、見ていなさい」
もう完全に見切ったように、マーティンは時計の扉を開け、針に手を伸ばす。
「五時十分二十秒」
最後の秒針を揃えたところで、勢いよく時計の窓が開き、鳩が飛び出した。そして、秒針が進む。
「動いたわ!」
嬉しそうにはしゃぐマーティン夫人に、脚立から下りてきたコーンウェルが、大きな宝石のついた指輪を差し出す。
「これは! 亡くなったお義母様の形見です。マーティン家の女性に代々伝わるものだとか……」
「出てきた鳩の首に付けられていましたよ。これがお義父様からあなたへの、最後の贈り物というわけですね」
「ああ、コーンウェル様。本当にありがとうございます。しかし、Heaven、Metallic、Silverから、どのようにして答えを導き出したというのですか?」
その問いに、コーンウェルは苦笑した。
「なに。簡単な暗号ですよ。頭文字のH、M、Sは大文字で書かれていました。つまり、それに着目しろというヒント。これは時計ですから、Hour(時)、Minute(分)、Second(秒)ということがわかります」
「ああ、なるほど。でも、肝心のその時間というのは?」
「それもこの単語の中にあります。ヒントはこれだけですからね」
「え? どこにヒントがあるのですか?」
「ではご説明しましょう。まずはHeavenですが、一見数字になるようなものは見当たりません。でも、この時計の文字盤もそうですが、ローマ数字として見てみればどうでしょう?」
マーティン夫人は、空で単語を書きながら、思いついたように目を輝かせる。
「Vですね?」
「そう、Vはローマ数字で五です。それと同様に、Metallic、これは通常「I(一)」が正解かとも思われますが、こちらは小文字でしたので、ローマ数字に見られるものは、小文字の「L」。「l」が二つでローマ数字の二、Silverは「l」と「v」が並んでいますので、「Ⅳ(四)」ということになります。先程も申し上げましたように、この時計の文字盤もローマ数字です。ですから、暗号通り五時二分四秒……ではなく、そのまま針を五、二、四、すなわち五時十分二十秒に合わせてやればいい、というわけです」
なるほどしてやられたというように、マーティンはため息を漏らす。
「ああ、コーンウェル様。本当にありがとうございます。おかげですっかり胸のつかえが取れましたし、こうして無事にお義父様からの最後の品も相続することが出来ました」
「なに。お義父様も、天国でしてやったりという顔を見せていることでしょう」
「そうですわね。お義父様から相続した書斎の本を見て、私も簡単な暗号くらいは解けるようになります。またお義父様が残した暗号文が見つかったら厄介ですから」
「ええ。次回は私の助けなど必要ないくらいになってくださることを期待して、私は事務所へ戻りますよ」
目的を遂げると、コーンウェルは颯爽とマーティン家から去っていった。