344 第三世界
都内のとある中学校の朝、一人の少年・水沢学が、友人たちに興奮気味に口を開く。
「今日さ、夢の中で叔父さんに会ったんだよ」
学の言葉に、少年たちが顔を見合わせる。
「叔父さんって、植物状態の?」
学の叔父は最近、事故に遭って植物状態に陥り、病院にいるのだ。友人たちは気遣って、あまり口にはしないのに、学のほうからそんなことを振ってきたので、少し戸惑っている。
だが、学は気にも留めない様子で、言葉を続けた。
「そう。こっちじゃ反応もしないのに、夢の中ではピンピンしててさ。もうすぐ目が覚めるっていうんだ」
「夢の話だろ。おまえ、そういうの多すぎ。夢の話に付き合う俺らの身にもなれよ」
「それが違うんだって。さっき病院から電話があって、叔父さんの体に反応があったっていうんだ!」
「ええ? マジかよ!」
「うん。まだ目は覚めてないみたいだけど、顔や手がピクピク動いたらしい」
「すげー!」
盛り上がる少年たちを、横目で見つめる少年がいた。
顔立ちの整ったその少年の名は、氷川世羅。イタリア生まれのハーフだが、最近、この学校へ転校してきている。
「学くん」
放課後の教室。帰り支度をする学に、世羅が話しかけた。
「おお、転校生かよ」
学は世羅とあまり話したことがなく、呼び止められたのを不思議そうに見つめる。
「今日、一緒に帰らない?」
「え、いいけど……俺、部活だぜ? おまえ、まだ部活入ってないんだろ」
「待ってるよ。ちょっと話があるんだ」
「怖いなあ。あんましゃべったことないのに話かよ。今じゃ駄目なの?」
教室にあまり人影はいない。世羅は辺りを見回すと、学の顔を見つめる。
「学くんがいいなら、今でもいいよ」
「そう? じゃあ、部活まで少し時間があるから、今でいいよ。なんだ?」
「今朝話していた、夢のこと……」
「夢? 所詮、夢だぜ?」
学が自分の席に座ると、世羅はその前に座り、学をじっと見つめ続ける。
「まつ毛なげ……」
「学くん。こんなことを言うと変人だって思うかもしれないけど……」
世羅はためらいながらも、静かに口を開いた。
「現実の世界と夢の世界は繋がっているんだ」
やがてそう言った世羅に、学は口を曲げる。
「は? おまえ本当に変人だな。なに言ってんだよ。くだらねえ」
「本当だよ。僕らは眠っている時、夢を見る。その時は、別世界……つまり、夢の世界に意識が飛ぶ。夢の世界で、別人物として生きてるんだ」
「じゃあなんだよ。今あるこの現実は、夢の世界で見ている自分が見ている夢だとでも言うのか?」
「その通りだ」
真顔で答える世羅に、学は立ち上がる。
「……くだらなくて付き合ってられねえ。そんなこと言ってると、クラスでハブられるぞ」
「信じられないならそれでもいい。ただ、僕に協力してくれるなら、僕が叔父さんをこっちの世界に戻してあげられるよう努力する」
聞く耳持たない学は、世羅の言葉に振り向いた。
「なんでおまえにそんなことが出来るんだよ」
「僕はこのことに気付いた一人だから……意識すれば、夢の世界で好きなところに行ける。眠っている他の人の意識にも入り込むことが出来る。そう考えてる」
「おまえの仮説なんだろ。本当にそんなことが出来るなら、やっていただきたいけどな」
「僕だって万能じゃない。でも、少しは鍛えてる。努力なら出来る」
「じゃあ、まずは叔父さんを起こすことだ。出来たら信じてやるよ。じゃあな」
教室から出ていく学の後ろ姿に、世羅は叫んだ。
「夢で会おう!」
「何が夢で会おうだ……馬鹿馬鹿しい」
その夜、寝付いた学は、一瞬のうちに夢見に入った。
そこは夢の世界の学校で、前の席には世羅がいる。
「やあ、また会えたね」
不敵に微笑む世羅に、学は冷めた瞳で見つめる。
「夢の中じゃ、今日あった出来事をもう一度見て、ストレスを軽減させるって聞いたことがあるけどな」
「でも君と会えた。君は無意識に、僕と会おうとしてくれたってことだよ」
「わかったよ。じゃあ、叔父さんを本当に目覚めさせてみせろよ」
「それは僕より、君のほうが出来るよ」
その言葉に、学はため息をついた。
「話が違うだろ。さっきはおまえが出来るって……」
「努力するって言ったんだ。でも初日から君に会えたから、君には十分素質があるってこと。本当に叔父さんを目覚めさせたいなら、叔父さんに会うんだ。会って説得するんだ。こっちが夢の世界で、現実では目覚めないということを教えてあげればいい」
「俺が?」
「顔見知りの君がやるほうが、効果があるはずだ。そろそろ消える……続きは叔父さんが目覚めてからでいい。いいね。まだ初日だから、このことは忘れるかもしれない。でも忘れたとしても、叔父さんを目覚めさせることを忘れないで。また夢で会おう」
そう言うと世羅は消え、辺りはとある街角になった。学は一瞬にして今あることを忘れ、街の中を歩いている。
「なんだろう。学校にいたような気がするけど……ああ、明日も朝練だから早く寝なくちゃ……いや、何か忘れてる気がする。叔父さん……そうだ、叔父さんに会わなくちゃ……」
すると、一つのビルが見えてきた。
「あそこは叔父さんの勤めていた会社だ。ちょっと覗いてみるかな」
学はそう言いながら、会社の中を覗いてみる。とある部署には、学の叔父が日常のように働いている。
「叔父さん。そうだ、叔父さんと話さなくちゃ。何をだっけ……そうだ、説得。何を説得するんだっけ……」
次の日、学校に着くなり、学は世羅を見つめた。世羅は学に気付かないふりをして、いつものように本を読んでいる。
「おはよう、学。世羅がどうかしたのか?」
友人たちの問いかけに、学は我に返って首を振る。
「なんでもない。ただなんか……親近感みたいなの、急に湧いてさ」
「あいつにか? ハーフだからって女にモテまくりで気に食わねえ」
「ひがみ根性、見苦しいぞ」
「なんだと」
その日も次の日も、またその次の日も、学は夢の中で世羅と会った。
「やっぱり忘れちゃったみたいだね。でもまあ、最初はこんなものだよ。今日のことも忘れちゃうとは思うけど、根気よくいかなきゃ。叔父さんを呼び戻したいんだろ?」
世羅の言葉に、学は頷く。
「もちろんだ」
「じゃあ、今日は僕も叔父さんのところに一緒に行くよ」
しばらくして、世羅がそう言った。
「おまえが一緒に?」
「うん。知らない僕が行くのはよくないと思ったけど、もうこうして君とはたくさん夢の中で会ってるし、少しは心を許してくれたみたいだから」
そう言うと、二人の目の前に、学の叔父さんが現れた。
「叔父さん! えっと……なんだっけ」
学の言葉に、世羅は苦笑する。
「学くんの叔父さん。僕は氷川世羅といいます。ここは夢の中なんです」
「そうだ! みんな叔父さんを心配してるよ。目を覚まして! 叔父さん、この間俺に言ったじゃないか。もうすぐ戻るって。叔父さん、ここが夢の中だってわかる時があるんだろ? あれから少し体が反応したりしてる。その調子で諦めずに頑張って。夢に満足しないで、目を覚まして、叔父さん!」
次の日の早朝、学は涙をためた母親に起こされた。
「母さん……?」
「学、今すぐ病院に行くわよ。叔父さんが目を覚ましたの!」
「え!」
喜びと同時に、学はふと世羅のことを思い出した。
「世羅……俺、今度は覚えてるぞ」
その日の放課後、学は世羅を呼び出す。