343 MY HOME
ジャックは十二歳の少年で、人生の大半を海で過ごしてきた。
今日も海賊船の甲板で寝そべっては、小型ナイフでコルク栓に彫刻をしながら暇を潰す。
「おい、ジャック。明日には港に着くぞ。着いたら俺の買い物手伝ってくれ」
そう言ったのは、航海士の青年・エムソンだ。二人は兄弟のように仲がいい。
「いいけど、久々の故郷なんだ。墓参りは行くからね」
「チャックの墓は海だろ」
「母ちゃんのだよ」
ジャックはそう言って、海を見下ろした。
ジャックの父親・チャックもこの海賊船のクルーだったが、いくつかの戦いの後に死んでいる。母親はチャックの故郷で出会った踊り子だったが、ジャックを産み落とす時に命を落とした。海賊船での新婚旅行中の出来事である。
そのため、ジャックはこの海賊船で生まれ、そして子供の頃から親は両方いない。
「……いいやつだったよ。おまえの両親は」
ぼそっと言ったエムソンに、ジャックは口を曲げる。
「エムソンだって、そんなに年変わらないだろ。知ったかぶりな口利くなよ」
「誰に向かって口利いてんだ。俺は今年三十だぞ」
「え、そうなの? 結構年いってるね」
「おまえ、どんだけ俺様を同等扱いしてたんだよ……」
「まあいいや。とにかく俺にも予定あるから、買い物に付き合うとしたらその後だからね」
「わかったよ」
生意気な口調のジャックに苦笑し、エムソンは遠くに見える島を見つめた。
「俺は二人に誓ったんだ。ジャックを立派な船乗りにするってな……」
ぼそっと言った言葉は、ジャックには聞こえない。だが両親の故郷が近付いてくることに、ジャック自身の気持ちは上がっていく。
「母ちゃーん!」
次の日。船が港に着くなり、ジャックは海の見える丘へと走っていった。そこは何度か来ている母親の墓がある場所だ。父親のチャックは海に眠っているが、母親は母親の両親がきちんと埋葬している。
「ジャックね?」
母親の墓の前で手を合わせるジャックに、老婆が声をかけた。
「え……そうだけど」
「ああ、やっぱり! 小さい頃のあの子にそっくりだわ」
「あの子って?」
「あなたの母親よ」
「母ちゃんの?」
目の前にいる老婆は、優しい目をした祖母であった。
「ジャック。危険な海にいないで、これからは私たちと一緒に暮らしましょう。孫まで死なせたくないわ」
「ばあちゃん、俺……無理だよ。俺は父ちゃんみたいな立派な海賊になるって決めてるんだ」
「なにを言ってるの。海賊が立派ですって? 仮に立派だったとしても、あなたはまだ子供よ。大きくなったらなればいいじゃない」
「俺はずっと海で育ってきたんだ」
「じゃあ、たまには陸で……ね?」
離すまいと腕をつかむ祖母に、ジャックは戸惑っていた。ここに残る気はさらさらないが、自分と血の繋がっている老婆である祖母を邪険には出来ないと、子供心に思ったのである。
「ジャック。まだかよ」
その時、船で待っていたエムソンがしびれを切らしてやってきた。
「エムソン!」
まるで助け舟かのように、ジャックはエムソンに駆け寄る。
「ん? 誰だ?」
「ジャックの祖母です」
「ああ……」
エムソンは、ジャックの祖母をじっと見つめる。踊り子だったジャックの母親も綺麗だったので、その面影が少なからずある。
「ジャックを返してください。赤ん坊の頃から連れ回して、私たちが引き取る隙も与えなかった……でも、もう離さないわ。荒くれの海賊たちと一緒より、血の繋がった家族と一緒に暮らすほうがいいんです。まだ十二歳だから、人生やり直せるわ」
祖母の申し出に、エムソンはあからさまに嫌な顔を見せた。
「確かに俺たちは荒くれだけど、人の道を外れたことは一度もない。もちろんジャックに危険な真似をさせたこともない。俺たちに血の繋がりはないが、それ以上のもので繋がれてんだよ。なにより、ジャックの両親に頼まれてるからな。あんたの気持ちはわかるけど、ここへこいつを置いていくわけにはいかないんだ」
「この子の両親に頼まれてるって……それでも、血の繋がりがあるほうが家族だわ」
「じゃあ血の繋がりがあるって言ったら、納得するか? 俺はチャックの弟だ」
エムソンの言葉に驚いたのは、祖母だけではない。ジャックもまた、大きな目をより一層見開く。
「嘘だ! エムソンが俺のおじさん?」
「なんだよ、ジャック。俺がおじさんじゃ嫌か?」
「そんなことないけどさ……」
「そんな取ってつけたような嘘、信じると思いますか?」
祖母は尚も引き下がらない。エムソンはため息をつき、ジャックを見つめる。
「まあ、信じる信じないはこのさいどっちでもいいや。じゃあジャック、おまえが決めろ。確かにこのばあさんは、おまえのばあさんみたいだからな。今、船を下りたからって、二度と船に乗れないわけじゃない。おまえが望むなら、しばらくここで暮らしてみるか?」
「嫌だ!」
エムソンが言い終わらないうちに、ジャックはそう言った。
「ジャック……」
「海の上で生まれた俺には、陸上の生活なんか向かないや。今だって陸酔いしかけてるくらいだからな。でも、ばあちゃんに会えてよかったよ。エムソンがおじさんってことも嬉しいし。船のみんなは家族だと思ってたけど、やっぱり血の繋がりがある人がいるってのもいいもんだ。数年経ってまたこの街に戻ってきたらさ、今度はしばらくいられるように船長に頼んでみるよ。だからそれまで元気でいてよ、ばあちゃん」
ジャックの言葉に、祖母はジャックを抱きしめる。
「納得は出来ないけどわかったわ……思ったよりしっかり成長していたのね。でも、とにかく気を付けて」
「わかってるよ。ばあちゃんもさ、気を付けてな」
満面の笑みで笑うジャックにつられるようにして、祖母とエムソンも微笑み、その場から去っていった。
「しかし、エムソンが俺のおじさんとはなあ」
帰り道、ジャックが笑ってそう言った。
「ああ、あれ。嘘」
エムソンは、悪気もないようにそう答える。
「なに? 嘘だって?」
「っていうのも嘘」
「どっちだよ!」
「どっちでもいいだろ。俺たちは本当に家族なんだからさ」
航海は果てしなく続く。