334 キスからはじまる物語
(あたしの人生に、こんな衝撃的なことが起こるなんて……!)
千佳は心の中でそう叫んでいた。
目の前には、クラスメイトの男子・早川がおり、自分の唇をキスで塞いでいる。
「ちょ、ちょっとやめて!」
そう言って、千佳は早川を押しのけた。だが、お互いに言葉が出ない。
沈黙のまま、早川を置いて、千佳はそのまま走り去っていった。
(なんで目なんかつぶっちゃったんだろう……)
千佳は走りながら、自分がした行動に後悔した。だが、心は躍るように揺れ、さっきの出来事が何度も脳裏に蘇ってくる。
(そもそもあいつ、なんでキスなんか……)
早川はただのクラスメイトで、取り立てて仲がいいわけでもない。千佳自身も目立つタイプの女子ではなく、今日も普通に学校へきて、友達とはしゃぎ、女子バレーボール部の部活で体育倉庫を片付けていただけだった。
そこにやってきた早川は、同じく体育館を使っていた男子バレーボール部で、ボールを片付けにきたところを、いきなり千佳にキスをしたのだ
「ああ、もう! わけわかんないよ!」
その時、千佳は突然、手を掴まれた。後ろには、全速力で追いかけてきた早川がいる。
「離して!」
急に冷静になり、千佳は早川を睨んだ。
「……ごめん」
か細い声で、早川が言う。でもその顔は険しく、その目は悲しく千佳を見つめている。
そんな表情をする早川に、千佳はさっきの出来事を思い出し、真っ赤になった。
「な、なんなの? なんであんなことすんのよ!」
「そりゃあ……あんたのこと、好きだったから……」
突然、早川がそう言った。
「ずっと好きだったんだ。いきなりあんなことしたのは悪いと思ってる。でも……しょうがないだろ。好きだったんだから」
そこにいる早川は、いつも教室で馬鹿笑いしているクラスメイトの早川ではない。見たこともないくらい真剣な、一人の少年であった。
千佳は真っ赤な顔を隠すように、その場に座り込む。
「千佳……」
「恥ずかしい……早川」
「……俺のが……」
「ファーストキスだったのに……」
「……ごめん。でも俺も初めてだけど……」
「初めては、芸能人とするのが夢だったのに」
急に現実離れなことを言い出した千佳に、早川は笑って千佳の肩に手を触れる。
「芸能人にはなれないかもしれないけど、有名人にはなれるようにするよ。高校も、バレーの強いところへ入れそうだし、今度の試合だって活躍してみせるよ。だから……俺と付き合って」
顔を上げた千佳の目に、握手を求めるような形で微笑みかける早川がいる。
もう早川だけが特別かのように、夕日が早川を美しく照らし出していた。
千佳は無言のまま、その手を取る。
「帰ろう」
長い二人の影が、学校から消えていった。