033 思い出の本屋
中学三年生の秋。
「山田?」
不意に自分の名字を呼ばれ、私は驚いて振り向いた。
今は日もすっかり暮れた夜。塾の帰りに寄った本屋で、私はなんの心の準備もしていなかったのだ。
「土井……」
私が応えた。目の前には、同じクラスの男子がいる。
普通にしゃべったことのある程度で、どちらかといえばブ男に近いのだが、学校以外で会ったことに驚き、互いに顔が赤くなった。
「こんなところで何やってんだよ」
「あんたこそ……」
「俺は塾の帰り」
「私も……」
お互いよそよそしく、だが意識をして、また笑った。
「月水金は塾なんだ。そこの教室」
土井の言葉に、私は頷く。
「私は火金日で、向こう側の塾」
「へえ……ま、気をつけて帰れや。じゃあな」
まったく意識していなかった男子。だが、まだ恋人もいたことのない私は、こんな夜に異性と二人きりで話すことも初めてで、少し照れた。
その日から、私たちは約束するでもなく、同じ時間に何度もその本屋へ出向いていた。私たちは塾のない日さえ、まるでその時間を楽しんでいるかのように、本屋へ足を運ぶ。
でも、まだ中学生。なかなか素直になれない。
「またいた」
土井の言葉に、私は顔を赤らめながらも、目を逸らす。
「あんたもね。私は参考書を探してるの」
「俺は漫画買いに来ただけだよ」
そんな会話が何度も続いている。最近、この本屋は私たちのおかげで売り上げが上がっているはずだ。そのくらい、私たちは来ていた。
やがて受験シーズンになり、私たちは本屋に向かう足を遠ざけざるを得なかった。そしてそのあまま、ささやかな本屋デートも幕を閉じたのである。
それから十年後。あれから、私たちは会っていない。違う高校になったし、卒業まで何度か会話したものの、告白などという二文字が出たことはなかった。
「ママ。ご本買って」
私はそう言われ、手を引いていた娘に笑いかけ、思い出の本屋へ向かう。
「山田?」
レジにいたのは、懐かしい瞳を向ける、土井の姿だった。