032 不可解な街
旅人の男は、世界中を旅している。ある時は断崖絶壁、ある時は近代的な街。さまざまな危険をかいくぐって、ちょっとやそっとのことでは驚きはしない。
「じゃあ、だんな。不可解な街には行ったことがあるかい?」
休憩に寄ったとある田舎町で、男はそんな情報に笑った。
「不可解な街? なんだい、それは」
「誰も行ったことのない街さ」
「それじゃあ俺も行けないな」
「どうしても行きたいなら、コブレスの店へ行きな。なにかいいヒントがあるかもしれない。前にも旅人を案内していた」
そう言われ、探究心が疼いたように、男は紹介された店へと向かった。そこは古びた本屋である。
「コブレスの店っていうのはここでいいのかい?」
男がそう尋ねると、中にいた老人がにやりと笑う。
「そうだよ、旅の方。不可解な街にでも行きたいのかい?」
「ああ。さっきそこの店で聞いてね。あんたは何か知ってるのか?」
「そうだな。知っているかもしれないし、知らないかもしれない」
「何か知ってるなら、話してくれ」
老人はまたも、にやりと笑う。
「話すことなど何もない。だが、行きたければ行くがいい」
「誰も行ったことがないんだろう? 行きたくても話を聞かねば行けない」
「私は行ったことがないから話すことなど何もない。だが、行きたければ行くがいい」
「何を言っているのかさっぱりわからんね……面白い話をありがとうよ」
男がそう言って店を出ようとした瞬間、外の様子はすっかり変わっていた。
慌てて振り返ると、出たばかりのドアは遥か遠くにあり、老人も遠くでただ笑っている。
「なんだここは!」
「おまえさん、行きたかったんだろう?」
老人の声とともに、すっかり店らしきところは何もなくなっていた。
「じゃあ、ここが不可解な街!」
男の額から、冷汗が伝う。
あたりは何もなく、人一人いない。
「ここはなんだ。何処なんだ! 誰もいないのか!」
返事もないので、男はただただ歩き始める。
だが、行けども行けども、砂嵐が舞う平原だ。周りは建物の廃墟らしいものもあるが、壊れてしまっていて何もない。死んだ街だ。
「行けども行けども同じ平原……誰か……せめて水でも飲まねば死んでしまう!」
その時、遠くに井戸があることを発見した。男は急いで駆け寄る。
「ありがたい。水だ!」
井戸の水をたらふく飲んで、男はその場に座り込む。砂嵐が行く手を阻み、先も見えない。
「せめてこの砂嵐が止めばな……」
男がそう言った途端、砂嵐が止んだ。
「……どういうことだ?」
不思議に思って、男は立ち上がる。砂嵐は止んだものの、辺りはただの廃墟の平原だ。
「待てよ。水が飲みたいと思えば井戸があり、砂嵐が止んで欲しいと願えば止む……では祈ろう。元の世界に戻りたい!」
男は真っ直ぐな瞳で、目の前を見据えた。
すると、ドアのようなものが遠くに見え、どんどん近付いてくる。やがて開いたドアの向こうに、さっきまで一緒にいた老人の顔が見えた。
「見えた! そのまま消えるなよ!」
必死の形相で、男は老人目掛けて走り始める。老人は、まだ笑っていた。
「おかえり」
滝のような汗を流した男は、気がつくと老人の店で仰向けに倒れていた。
「爺さん……なんだ、この店は。さっきの廃墟は……あれが不可解な街なのか?」
「戻ってきたあんたならわかるだろう? あそこが何処なのか……」
諭したように云う老人に、男もにやりと笑う。
「ああ、知ってる。あそこは俺の心の中だ」
その答えに、老人は大きく頷いた。
「そうだ。ある者は迷いに自分を見失い、ある者は望みばかり膨れ上がり、強欲に負けてその世界から抜け出せなくなった」
「じゃあ、帰ってきた俺は強いってことなのかな」
「それはわからん。だが、己を信じて進むが良い」
老人にそう言われ、男は立ち上がり、老人の店を出ていった。もう、元の街に戻っている。
「ありがとうよ、爺さん。おかげで迷いが吹っ飛んだ。俺はまだまだ世界を回り、世界を見る」
「気をつけろ。世の中には、不可解なものがたくさんある」
「知ってるよ。忠告ありがとう」
晴れ晴れとした顔で去っていく男は、さっきよりも強くなっていた。