317 近くて遠い人
マコトなんて、男の子みたいな自分の名前が嫌だった。
馬鹿な頭も、がっちりした肩も、太い足も、みんなコンプレックス。こんなにコンプレックスの塊になったのは、きっといつもあいつがいたから――。
「あれ、マコ。今帰り?」
家に入ろうとしたら、隣の家から出てきた、あいつ――高明は、隣に住む男の子で、ずっと一緒だった。
高明のほうが一つ年上だから、中学に入ると先輩後輩の壁が高くなって、あんまり話すこともなくなったけれど、会えばこうして変わらず話しかけてくるのが、余計につらい。
「うん……」
言葉少なく、私はそう言って家へと入っていった。
部屋の姿見で自分を見つめながら、高明にどう映っていたかをチェックする。
「やっぱ髪伸ばしたいけど、部活が……せめてスカートの丈とか気にしておけばよかった……」
小さい頃から漠然と好きだった高明への思いは、高明が中学に入って離れ離れになった時から、確実な恋心へと変わっていた。
でも、高明は頭もいいしスポーツも得意だし、小さい頃からモテていたから、中学に入るとすぐに彼女も出来ていたし、私の手の届かないところに行ってしまった。
それでも、声をかけてくれる優しい人だし、毎日のように顔を合わせられる距離というのは、嬉しくもあり辛くもある。
「マコ。おーい、マコ。聞こえてんだろ?」
そんな時、ふとそんな声が聞こえて、私はカーテンを開けた。
窓の外には、高明の部屋のバルコニーがある。小さい頃はよくここから行き来していたものだけど、今は私のほうからカーテンすら開けないようにしている。
「高明……」
「まったく、おまえに会いに行こうとしたのに、話もろくに聞かずに行くなんてひどいやつだな」「私に……? 高明が私になんの用?」
怪訝な顔をしながらも、少し頬を赤く染め、私はそう尋ねた。でも、意識しすぎてまともに顔を見られない。
「……おまえ、俺のこと避けてるだろ。なんで?」
突然の高明の言葉に、私は口をつぐむ。
「……」
「俺、何かした? したなら謝るよ」
「……優しくしないで。私は、ただの隣に住むだけの人間だし、女にも見られないようなオトコオンナだし、高明に優しくしてもらう資格なんてない!」
そう言って、私はカーテンを閉め、耳を塞いだ。
途端、高明が窓から入ってきた。中学になってから、初めてのことである。
「資格ってなんだよ」
少し怒ったような口調で、高明がそう言った。
私はそんな高明に背を向け、ベッドにしがみついている。
「……言わないとわかんないの?」
「わかんない」
「私……自分が嫌いなの。こうして高明が心配してくれたり、話しかけてくれること、嬉しいのに素直に喜べない。欠陥人間なの。高明につり合う人間になりたいのに、それは無理だから避けるしかないじゃない」
少し沈黙を置いたあと、高明は静かに口を開いた。
「……言ってることわかんないな。おまえが欠陥人間だから、俺を避けるって? そんなの、俺だって欠陥人間だし」
「違うよ。高明はなんだって出来るじゃない。勉強もスポーツもなんだって……高明、知ってる? 高明が学校で私に話しかけるたびに、みんなが言うの。なんであいつが高明先輩にひいきされてるんだって。私じゃ駄目なんだよ。高明のこと……好きなのに……」
私はベッドに向かってそう言いながら、真っ赤な顔で涙を流した。
すると、高明が私の肩に手を触れる。
「や、見ないで」
「おまえの泣き顔なんて、散々見慣れてるから気にすんな」
そう言って、無理やり私を高明のほうに向かせると、高明は私を抱きしめた。
一瞬、何が起こったのかわからないけど、なんだかお互い妙にぎこちなく、でも私は高明の腕の中にいる。
「俺はおまえの中じゃ、完璧な人間なの?」
そう言った高明に、私は頷く。
「うん……」
「じゃあ仮に俺が完璧な人間だったとして、それでも欠陥人間じゃないなんて言えると思う? 欠陥なんて、ないやついないよ。完璧だとしたら、それが欠陥だろ。他人がいらなくなるんだから」
「……」
「でも、おまえが言いたいのはそうじゃないだろ? ごめんな……俺がそばにいるせいで、おまえはずっと比べられてきたんだろうし、そういう嫌な部分も俺より耳にしてきたんだよな。でも俺だって、おまえが好きだよ。じゃなきゃ、学校で話しかけたりもしない。こうして気にしたりもしない」
高明はそう言いながら、ポケットからラッピングされた小さな箱を差し出した。
「え……?」
「誕生日おめでとう」
「なんで急に……中学に入ってからは、お互いあげてなかったのに」
「これを買おうと思って。開けてみて」
促されて、私は小さな箱を開けた。すると中には、指輪が入っている。
「ゆ、指輪?」
「前にあげるって約束したろ。この日のためにずっと貯めてきたんだからな」
それは、小さな頃の約束。欲しがる私に、大きくなったら買ってあげると約束してくれた。
「覚えてたの……? でも、大きくなったらって」
「もう十分大きいだろ。それに俺、来年受験だし。このままどんどん溝が生まれるのも嫌だった」
「……高明の好きと、私の好きは違うよ……」
「じゃあマコは、俺のこと嫌いになった? だったら突っ返してくれよ。俺も諦めるから」
私の馬鹿な頭では、考えられなくなっていた。どうして高明が私なんかを……今まで避けていた分、知り尽くしていた高明のことがわからなくなる。
「でも、高明……彼女いるじゃない」
やっと出てきた私の言葉に、高明は首を傾げる。
「いないけど?」
「嘘。何度か噂が立ってたの、下級生だって知ってるよ」
「おまえは俺の言葉より、そんな根も葉もない噂のほうを信じるんだ?」
意地悪だけど少し悲しそうな高明に、今度は私のほうから抱きついた。
「なんか変だよ。夢みたい……どうして? ずっと避けてたのに、どうして……」
「避けてたのはおまえだろ。俺だって焦ってんだよ。おまえ、自分じゃわかってないかもしれないけど、結構モテてるんだぜ? このまま避けられたら、高校と中学で別になって、ますます会わなくなるだろ。そしたら俺たち、本当に駄目になる。俺はおまえのことが、ずっと好きだった。わかってくれよ」
いつもと違う必死な形相の高明に、私もまた涙を拭って頷いた。
「ごめんね。私、高明のこと、わかっているようで何もわかってなかったんだね……私のほうが好きだとばっかり思ってた……なんだか今も、信じられないの」
「……俺のこと、好き?」
「好きじゃないよ。大好きなの!」
ようやく笑顔が零れ、私の指にはきらめく指輪がはめられた。まだ中学生には早いと思うくらい、本物の指輪だった。