302 キタナイ
無垢な赤ん坊が、私に手を伸ばしてくる。
でも私は、その手を振り払い、外へと飛び出した。
「汚い……」
一瞬触れられた涎まみれの赤ん坊の手を思い出し、私は目を瞑った。
いつからだろう。イキモノがキタナイと思い始めたのは……。
汚いと思うのは、なにも赤ん坊だからではない。私はいつからか極端に人に触れられるのを拒んできた。
「ゆーうこ!」
その時、私は突然肩を叩かれ、驚いて振り向いた。するとそこには、クラスメイトの智美がいる。
「智美……」
知っている顔にほっとしたものの、私は叩かれたばかりの肩を気にして、智美が一瞬見ていない隙に、肩をはらった。
「こんなところでどうしたの?」
智美の言葉に、私は苦笑する。
「あ、ううん。ちょっと買い物に……」
「なにも持たずに?」
「うん……智美は?」
「私は塾。もう嫌になっちゃうよね。受験一色でさあ。じゃあ私、家そこだから。また明日ね」
「うん。おやすみ」
一人になった夜の街を、私は行くあてもなく歩き続ける。
十五歳、いつ補導されてもおかしくないけど、それでもやっぱり家にいたくなかった。
ふと立ち寄ったコンビニに、大人の雑誌を立ち読みしている学生が見えた。
(気持ち悪い……)
そう思ったところで、子供の頃に見てしまった両親の行為について思い出してしまった。仲はよかったと思うのだが、その後、両親は離婚。新しい父親が出来たが、私はその人に暴力を受けていた。
そんなことが幾重にも重なり、私は人間が汚く思えるようになったのだが、この異常なまでの潔癖を治すことは出来ていない。
その時、携帯電話が鳴った。出たくなかったが、切れる気配がないので、コンビニを出て電話に出る。
『どこにいるの? 帰ってきなさい』
母である。
「コンビニ……すぐ帰る……」
それだけ返事をして、私は電話を切った。
新しい父親の異常な行動を、最初母は信じようとしなかった。でも発覚し、母は新しい父と別れた。それでも今、更に新しい父親が出来たということは、母は一人では生きていけない人なんだと思い知らされる。妹まで出来て、私の居場所は更になくなっていることに、母は気付かないのか。
「キタナイ……」
赤ん坊に触られた手が、友達に触られた肩が、未だに熱を帯びている。それよりも、私の母親が、私に暴力をした新しい父親が、私を捨てた本当の父親が、世間が……何もかもが醜く汚い。
……いいや、私が一番わかっているのだ。私自身が、一番汚いってことに。