030 空の少年
人は空に憧れるもの。この少年もまた、空に魅せられた一人である。
「カロル。今日はやめておいたほうがいい。今日はこのまま強風になる」
仲間にそう言われ、少年・カロルは出来上がったばかりの自作飛行機から振り向く。
まだ飛行機というものが主流になっていない時代の話である。
「なに言ってるんだ、ニーチャ。今日はいい風だ」
まるで自然と友達かのように、木々の匂いを嗅いでカロルが言った。
仲間のニーチャは、不安げな顔を浮かべる。
「でも心配だよ。この間の六号機だって、飛びあがった途端、空中分解したじゃないか」
「あれは失敗作だったんだよ。今回は緻密な計算して作っただろ」
「廃材でね……」
空に魅せられたカロル、カロルの手伝いを続けるニーチャ、二人は友達で同志でもある。
「まったく心配症だな、ニーチャ。危険はつきもの。危険なことにチャレンジしなきゃ、文明は開かれないぞ。僕自身もね」
「わかった……でも気をつけて」
「大丈夫。もし空で死ねたら本望だよ」
「カロル!」
ニーチャの心配をよそに、カロルは大きな空を見つめて微笑む。
「見ろよ、ニーチャ。この広い空を。誰もいないんだぜ」
この世になんの未練もないかのように、時々カロルは不敵に微笑む。
ニーチャは、カロルの腕を掴んだ。カロルがどこかへ行ってしまうような気がしてならない。
そんなニーチャに、カロルは微笑む。
「僕には家族がいないから、こんな馬鹿なことが出来るのかもしれないな。ニーチャにはいつも本当に感謝してるよ。僕が変人扱いされてても、変わらず付き合って手伝ってくれた」
「僕はカロルの友達だ。当たり前だろ。君が死んだら悲しむ人はたくさんいる」
「たくさんはいない。でも、もし僕が死んだら、ニーチャが思い出してくれよな」
「カロル!」
「冗談、冗談。さあ、行くか。離れてろよ、ニーチャ。安全を確かめたら乗せてやるから」
高い丘の上から海を見つめ、カロルはエンジンを掛ける。かき集めたパーツは、見た目にも飛びそうにない。
「ぼ、僕はいいよ……でも気をつけて」
「ああ」
爆音が響くエンジン音に耳を塞いで、ニーチャは後ずさりする。
「ニーチャ。グッドラック」
敬礼して、カロルは丘の上から飛行機を走らせる。
すべるように崖へと向かう飛行機。もちろん、カロルに恐怖心がないわけではない。この間の試作品は、ものの見事に空中分解。飛ぶというより先に、壊れて落ちていった。その前の試作品は飛ぶ前に壊れた。
「今度こそ……」
「飛べ!」
そんなニーチャの声が聞こえた次の瞬間、カロルの乗った飛行機は、崖の上から海へ目掛けて飛び立っていた。
「飛んだ……!」
心もとないおもちゃのような操作にも応え、飛行機は旋回する。
「ニーチャ、飛んだよ!」
田舎町の青い空に、初めての物体が輝く。少年の夢が現実になった瞬間だった。
「本当に、飛んでるんだ……」
ニーチャの笑顔が輝いたのも束の間、飛行機は空の上で火を噴き、黒煙を吐き出した。
「カロル!」
カロルは空の上からニーチャを見つめた。悲痛に歪む友達の顔が、カロルの胸を締めつける。
「ああ、ニーチャ……僕は馬鹿だったのかな。君にそんな顔をさせて……飛ぶことよりも大切なことが、僕にもあったのに……」
カロルが後悔にうちひしがれながらも、そのまま飛行機は海へと真っ逆さまに落ちていく。
真っ青になって、ニーチャは崖の側にある階段から、浜へと駆け下りていった。
「カロル! カロル!」
何度も叫ぶ中で、壊れた木造飛行機の破片が浜へと流れつく。
目を凝らして、ニーチャはその破片の間から、カロルの姿を見出そうとした。
「カロル――!」
ニーチャの声にならない声が響く。
「やっぱり……止めておけばよかった。僕が止めてたら、カロルは……」
その時、ニーチャの目に、遥か遠くの沖で手を振るカロルの姿が映った。
「カロル……?」
「ニーチャ!」
「カロル!」
臆病なニーチャが、海の中へと走っていく。
そしてカロルは、無事に戻ってきた。
「やれやれ。また失敗しちゃったな」
「もう嫌だよ、カロル! こんな思いをするのはもう嫌だ。絶対なんてないんだよ。たとえ落ちない飛行機が出来ても、もうやめて!」
ニーチャの悲痛な叫びに、カロルは優しく微笑み、そして頷いた。
「ああ、もうやめるよ、ニーチャ。さっき僕は、空とひとつになれたんだから」
あまりのニーチャの悲しみに、カロルも諭してそう言った。
まだ遠い憧れの空。それを見つめ、カロルは微笑む。
「僕の夢は叶ったよ、ニーチャ。今度はニーチャの夢を叶える番だ。ニーチャがやめろって言うならもうやめる」
「僕の夢は、カロルとずっと友達でいられることだ」
「ああ。もちろんだ」
二人は友情を確かめ合うように、拳骨を合わせる。
「今日は最高の日だよ、ニーチャ。僕の夢が叶った。大切なものにも気付いた」
空に憧れた少年は、その後、ニーチャとともに生きていく。憧れた空よりも大切な友を、失わないために――。