281 シーヤの荒野
なぜ……どれだけ問いかけても、答えは出ない。誰も知らない。教えてはくれない。
昨日はいつもと同じように、布団に入って寝たはずだった。会社から帰り、今日は土曜日で休みだから、少し夜更かしをしたくらい。一人暮らしのマンションでは、誰も夜更かしを止めたりはしないから。
でも、ここはどうだ。目が覚めた瞬間、私は吹き抜ける風に愕然とした。目の前には荒野。日本らしい風景でもなく、私は外の地面にただ横たわっているだけだ。
そして、青や赤といった様々な肌色をした、得体の知れない生き物が、私を取り囲んで見つめている。
「なんだ、この出来そこないのような生き物は」
青い生き物が、私を見て言った。日本語ではないのだが、なぜか言葉がわかる。
「ここはどこ……?」
おそるおそる、私は尋ねた。生き物たちは互いに顔を見合わせ、私を見つめる。そんな人間らしいしぐさから、妙なところで親近感さえ芽生えた。
「ここはシーヤだが、おまえは誰だ。どこから来た?」
「シーヤ……国? 星? 私は日本から……地球にある日本にいたの。目が覚めたらここにいたの!」
半狂乱になって、私は目の前の生き物にすがった。
「おかしなことを言う。シーヤは世界だ。おまえは日本という世界から来たのか」
「私の世界には名前がないわ。それは国の名前……私はエリといいます。元の世界に帰りたい!」
「……とりあえず、家に連れて帰ろう。長に判断を仰ぐしかない。私の名はラハ。ついてきなさい」
ラハと名乗ったのは、最年長と見られる赤い肌色の生き物だ。男女の区別は出来ないけれど、話の通じる相手に、私はほっと胸を撫で下ろした。
それから私は、ラハの家へと連れて行かれた。そこは村のような街のような賑わった場所で、同じような住居と見られる建物が連なっている。
そこで私は長という老人に出会い、すべてを話した。
「話はわかった。この世界以外にも世界があるとは感付いてはいたが、おまえの見た目は我々の出来損ないのような生き物。生きるために虚言癖があるとも限らない」
長の言葉に、私は大きく首を振る。
「なにを! 本当のことを話しただけです!」
「しかし、おまえがどうしてここに来たのかもわからないならば、帰ることも出来まい。もちろん、われわれもその術は知らないし、おまえの言うことをすべて信じられることでもない」
「では……私はどうすればいいのですか?」
「どうせその姿では、長くは生きられまい。この世界に飛ばされたというのならば、おまえが元々持つ何かがそうさせたのかもしれない。よって、解剖してすべての細胞を調べよう」
私は絶望した。
「長く生きられないとはどういうことです? 解剖なんて嫌です!」
「ここは毒の風が吹く。我々の肌が色とりどりで固く覆われているのは、それらに負けない皮膚ということ。おまえの肌では、このシーヤでは生きていかれないのだ。我々の子供でも、たまにそういった出来損ないが生まれる。生後すぐに死んでしまう。おまえが別世界から来たというのなら、死ぬ前の新鮮な時に解剖しなければ」
「ま、待ってください! 一晩……もう一度寝たら、帰れるかもしれない!」
「どのみち今日はもう遅い。牢屋に入れておけ」
長の命令により、私は家の一角にある格子の部屋に入れられた。窓もなく、とても逃げられそうにない。
「これは悪い夢よ……助けて」
私は絶望し、目をつむった。寝て覚めたら元の家にいる。そう信じたい。
でも、物珍しい存在の私を聞きつけて、いろんな人が私を見に来た。まるで見世物のように、私はその目に怯え、結局寝ることが出来なかった。
人が途絶えた朝方、やってきたのは最初に会ったラハだった。
「ひどい人ね! 出してよ」
開口一番、そう言った私の口を、ラハが塞ぐ。
「静かに。出してあげるから」
「え……本当に?」
「本当だ。みんな寝静まったから、今しかない」
ラハはそう言って、本当に私を牢屋から出してくれた。
「でも、このままじゃ捕まって同じことに。とりあえず、エリ……君がいたあの場所に戻ろう」
私はラハに布を被せられ、この世界では珍しい私の肌を隠す。そのまま走って、あの荒野へと連れて行かれた。でも、ここにいても戻れないだろうし、すぐに見つかってしまうだろう。
「やはりここには何もないか。もう少し先に行こう」
ラハの言葉に、私はついて行くしか出来ない。
しばらく進むと、荒野の先に崖が見えた。そこは高く、遥か下にも荒野が広がっている。
「ここを下りるぞ」
「どうして? こんな高い崖、無理よ」
「でも、ここにいても捕まる。逃げるにしても、崖の下へ降り、遥か荒野を進まなきゃならない。それに、この下には無数の洞窟があるんだ。そこは神秘の洞窟と言われている。エリがいた場所の下にも、その洞窟が広がっている。そこに何かあるのかもしれない」
「でも……」
「ここで捕まって殺されるか、逃げるか、どちらか選ぶしかないんだ。私も一緒に行くから」
親切なラハに、私は頷く。今はこの人しか頼れないのだ。
自分の身体にロープを張り、私はラハとともに高い崖の上から下りていく。こんなことはしたことがないが、ラハは慣れているのか、手際よく下りていく。
しばらくして、崖の下についた。同じような荒野が広がる反面、反対側には洞窟の入口がある。入ったら出られなそうな不気味な洞窟だ。
「ここが神秘なの? 怖そうだけど……」
「どちらにしても、人は寄り付かないよ。行こう」
「待って。どうしてそんなに親切にしてくれるの? それとも、あなたも悪人で、私を殺そうとしているんじゃ……」
急に私が言ったので、ラハは悲しそうな顔をした。
「……私には、あなたの話が嘘だとは思えなかった。可哀想だとも思った。私が連れて行ってあんなことに……だから責任を取りたい」
その言葉を信じ、私はラハとともに洞窟の中へと入っていった。
洞窟は縦横無尽に広がり、どれだけ歩いても先が見えない。
「少し休憩しようか」
疲れた私に、ラハは大きな洞窟の隅に座る。
「ありがとうございます。私のために、いろいろしてくださって……」
気遣ってくれるラハに申し訳なくなり、私は座りながら足で地面をさする。その感覚は現実そのもので、これは夢ではないと認識させられた。
「いいんだ。私は私のためにこうしているのだから。もし帰れなくても、一緒にいよう。私もエリを逃がしてしまって、もうあそこには帰れない」
「そんな……ごめんなさい。私のために……」
そう言って、ラハは自分の手首に巻きつけてあった紐のようなものを差し出し、私の手首に巻いた。
「いいんだ。それより、これはお守りのひとつだから、エリにもあげるよ。無事に帰れますように」
「ありがとう。私も何かあげられればいいんだけど……」
私はポケットを探る。寝た時と同じ格好なので、ジャージ姿のままだ。
その時、ズボンのポケットから、指輪が出てきた。そういえば、昨日買ったばかりの指輪で、珍しい石が目を引く。寝る前まで眺めていたものの、失くすといけないからと、無意識にポケットに入れたのだと思う。
「これは、シーヤの石だ!」
ラハの言葉に、私は驚く。
「これは、私の世界で買ったのよ?」
「でも、これはシーヤでも珍しい、魔除けの石だよ。とても高価なんだ」
「オパールの一種かと思ったけど……結構安かったのよ? でも、それでよければあなたにあげるわ。こちらで高価なものなら、恩返し出来るかしら」
「ああ。持ち帰れば、エリを逃がしたことも許されるかも……」
「それはよかった……」
私はラハに指輪をはめてあげた。
「ありがとう。私たちは友達だ」
「うん、友達」
指輪をしたラハの手と、ラハのお守りが巻かれた私の手が、握手をする。
その時、私は気を失うようにして倒れた。
これは不思議な物語。目を開けると私は自分の部屋にいて、夢心地のような、かといって頭痛のようなものを抱え、部屋を見回す。
テレビをつけてみる。これは現実世界だ。
「帰って……きた?」
私の目から、涙が溢れ出る。あれは夢だったと思いたい。そして誰も信じてはくれないだろう。
でも、私の足は汚れており、その手首には物珍しい紐が巻かれていた。