277 ギャップな男子
葵は席替えのクジを見つめて茫然としていた。隣の席には不良と呼ばれて恐れられている、荒川が座っている。
そんな荒川が、隣に座った葵を見て睨みつけた。
「隣はおまえか。よろしくな」
思いのほか友好的な言葉が返ってきたが、目は鋭く、高校生とは思えないほどの睨みをきかせている。
「よ、よろしく……」
ビビリながらも、葵はそこに座った。
その夜、葵は母親とともに、出かける支度をしていた。
「お母さん。エプロン持った?」
「ちゃんと入れたわよ。早くしなさい」
「はーい」
葵はそう言って、母親とともに出かけていく。今日から母親が通う料理教室に、葵も習うことになっているのだ。前からせがんでいたこともあり、今日が来るのが楽しみだった。
だがその楽しみは、料理教室の扉を開けた瞬間、奈落の底に突き落とされるような感覚になる。
「あ、あ、荒川君!」
そこにいたのは、隣の席になった不良の荒川である。主婦たちに交じり、ボールを片手になにやら下ごしらえをしている。
「吉田……」
荒川も、驚いた目をしており、二人は固まった。
「ど、どうして荒川くんがここに……」
「料理するからに決まってんだろ。おまえこそなんだよ」
エプロン姿がなんだか可愛らしく、荒川は学校の時とはまるで違って赤くなっている。
「私は今日から……」
「あら、浩司。吉田さんの娘さんと同級生だった?」
そう言ったのは、この料理教室の先生である。
「今日からよろしくね、葵ちゃん。この子、学校で悪さしてない?」
「余計なこと言わなくていいよ、母ちゃん」
恥ずかしそうにしている荒川に、葵は思わず笑ってしまった。
その日、特に荒川と話すこともなかったが、荒川は真面目に料理に取り組んでいたのだった。
次の日。
「吉田。てめえ、昨日のこと誰かに言ったらぶん殴るからな」
席に着くなり、荒川が言う。
「なんで? べつにいいじゃない」
「嫌に決まってんだろ。俺にもいろいろあんだよ」
「べつにいいけど……いやいや手伝ってるようには見えなかったけど」
「嫌じゃねえし……」
荒川は、昨日のように照れた様子で机に伏せた。
もはや不良という印象はなくなり、怖いという雰囲気もない。
「いいなあ。私、お料理好きだけど、全然うまくならなくて、お母さんと一緒に通うことにしたんだ」
「ふーん。まああの腕じゃ、先が思いやられるけどな」
葵の指には、すでに昨日やってしまった傷に絆創膏が貼られている。
「しょうがないでしょ。でも、これからうまくなるもん。荒川君は、将来、お母さんの後を継いで料理教室やるの?」
「やらねえよ。俺、教えるの下手だし。でも……パティシエになりたいんだ」
平然と夢を語る荒川に、葵は憧れさえ覚えた。
「すごい……すごいね!」
「はあ? すごかねえよ。ただ単になりたいってだけで……」
「すごいよ。だって私、まだ夢とかないもん。頑張ってね」
「……変なやつ」
「変でもいいもん。パティシエかあ。ケーキ食べたいな」
唐突過ぎる葵の言葉に、荒川は吹き出すように笑う。
「誕生日いつ? 作ってやるよ……」
「本当!?」
次第に距離が縮まっていく二人を、クラスメイトたちは不思議そうに見つめていた。