267 雪の道
僕はその年、中学一年生になっていました。
父は正月から会社の挨拶回りというもので毎年出かけているのを知っていたから、今年は前もって友達の家に遊びに行くと言って、家を出たのです。
数年前から貯めていたお年玉やお小遣いをかき集め、向かった先は電車を何本も乗り継いだ雪国。僕はそこに行くことを、もう何年も前から決意し、お金を貯めてきたのです。
手の平の中にあるメモ用紙は、ずっと握っていたせいでくしゃくしゃに丸まり、ボールペンのインクの文字さえかすれていますが、そのメモの内容を、僕は丸暗記するほど見ているから、本当は握られた手も自由のはずなのに、僕はそのメモ用紙を離すことが出来ません。
このあたりだ……。
頭の中には、とある見知らぬ土地の住所。辺りの住所を見回しながら、僕はその家に辿りつきました。
表札には、見知らぬ人の苗字。でもその横に、見慣れた名前がありました。僕の母の名前です。
母は僕が小学校に入って間もなく、僕を置いて出て行きました。
何度も僕を連れ戻しに来てくれたそうですが、裁判で父に負けたと聞いています。
何を伝えたいということでもなく、何を話したいというわけでもありませんが、ただ僕はもう一度、母に会いたかっただけでした。
でもここへ来て、僕はその家に背を向けました。
表札に書かれている名前には、母と母の横に並ぶ男性の名を一字ずつ取った、新たな名前があったからです。
母に新しい家庭があることは風の噂で聞いていましたが、やはりそれはショックでしたし、母以外には会いたくありません。
僕は父の手帳からやっと知ることができたメモを破り捨て、もう一度その家を目に焼き付けるように見つめると、木枯らし吹く静かな正月の中、元来た道を戻りました。
もうここへ来ることも、母に会うこともないでしょう……。
どこまでも続く雪の道は、歩くたびに僕を大人に変えていくように思いました。