248 あの場所で待ってる
中学校の屋上は、誰も寄りつかない僕だけの場所だった。
いつもは鍵がかかっているのだが、アマチュア無線部の僕は、部活で手に入れた鍵でこっそり合鍵を作って、たまにさぼる授業をここで潰していた。
「こら!」
その日も、かったるい音楽の授業をさぼって屋上で寝そべっていた僕は、その声にびっくりして飛び上がった。
鍵をかけなかった僕が悪いかもしれないが、この屋上に続く階段ですら、部活以外の人間で上がっていくのを見たことがない。みんな鍵がかかっているのはわかっているし、一年の時に屋上への出入りはうちの部活以外禁止と言われているからだ。
だけど、目の前にいたのは生徒ではない。女性教師だった。
その先生は国語教師の大野先生というのは知っていたが、僕は大野先生に習ったことはなかったので、他人行儀に頭を下げる。
「あら。いいところね」
次の瞬間、思いのほか、大野先生はそう言った。
僕は当然怒られるのだと思っていたから拍子抜けしながらも、次は怒られるんだろうなと身構える。
「ここじゃあ、さぼりたくなる気持ちもわかるけど。次の授業は戻りなさいよ」
「……はい。初めから、そのつもりでしたから」
僕はそう言って、入口の方へと歩き始める。長居は無用だ。
「待ちなさい」
当然と言えば当然だが、大野先生は僕を行かせてはくれない。
「……処分は受けます。会議にでもなんでもかけてください」
早く話を終わらせたくて、僕はそう言った。
「そう? でも、下手したら謹慎処分になるわよ。ここの鍵、どうしたの?」
「……」
僕は俯いた。勝手に合鍵を作ったのだから、そうなっても仕方がないんだろう。少し不安がよぎったが、見つかった時点で僕はもう逃げられないのだ。
「クラスと名前は?」
「……二年三組。青木です」
僕がそう言うと、大野先生は静かに笑みを見せる。
「私は大野です」
「……知ってます。先生だし」
「そう。じゃあ青木君。今から授業に戻れないだろうし、ちょっと付き合ってよ」
大野先生は、そう言って屋上の真ん中へと歩き出し、ポケットから煙草を取り出した。
僕はそれを見て、どうして大野先生がここに来たのかを悟った。学校内は、最近全館禁煙になったから、煙草を吸う先生たちは外で隠れるように吸っているのだ。
「……僕、女で煙草吸う人嫌いだ」
思わず、僕はそう言った。だって大野先生はせっかく綺麗なのに、なんだか煙草が似合わなかったから。
そんな僕に、大野先生は少し驚いたようにして、やがて笑った。
「サボり魔にそんなこと言われるなんて心外だなあ。でも、そう言う男の人もまだいるのよね。男女平等の世の中なんて、まだまだね。中坊のあなたまでそんなこと言うんじゃ」
「べつに、差別とかそういうんじゃ……」
大野先生はくすりと笑って、僕を手招きする。
「じゃあ、煙草はやめにするから、君の話を聞かせて」
「僕の話?」
「学校は嫌い?」
その質問に、僕は目を伏せた。
「べつに嫌いってわけじゃないです。今日だって、ちょっとかったるいからさぼっただけで、べつに授業に出たくないわけじゃ……」
「じゃあ、明日からはここへは来ない?」
「……来れないでしょう。鍵も先生に渡しますよ」
「あら。私はあなたを怒ってるわけじゃないわよ。こっちだって、全館禁煙の校舎内で煙草吸ってるの見られてるんだから。お互い様じゃない」
そう言う大野先生に、僕は目をパチパチさせた。先生の真意がわからない。
「……てっきり怒られるんだと思った」
「まあ、さぼってるのも、勝手に合鍵作ったのも感心はしないけど。一人になりたい時は、中学生にだってあるものね。でも誰にも言わない代わりに、一つ約束してくれないかしら」
「なんですか?」
「もしまたここで会ったら、またお話しましょう。じゃあね」
どういうつもりで言ったんだろう。大野先生は、そのまま屋上から去っていった。
僕のことが気に入ったんだろうか。それとも、僕を心配してくれたんだろうか。きっと後者のほうだろうな……と思いながら、僕は先生の背中を見つめた。
「先生! 僕、もうさぼらないから……でも、話し相手にはなるよ。休み時間でも放課後でも、先生が煙草吸いに来る時を見計らって」
僕の言葉に静かに笑って、返事もせずに先生は去っていく。
あの日から、僕と大野先生は、屋上で二人きりの束の間の時間を過ごしている。
下心がないわけじゃないけど、僕らの間には何もない。でもお互いに他愛もない話をする時間が、一人で過ごした屋上の時間よりも有意義に心を軽くさせる。
今日も待ってる。二人だけの、あの場所で――。