242 平和の歌を謳うこと
ミュージシャンは歌った。歌詞に叫びを乗せて。
詩人は謳った。高き理想を掲げて。
今日も、ギターを持った男が歌う。
ある時は国会議事堂の前で、ある時は米軍基地の前で、
銃を向けられながらでも、街宣車から抗議を受けながら、雨の日も風の日も、男は歌った。
平和の歌を。闘いの歌を。戦争反対の歌を。
やがて、銃を向けていた兵士も、抗議を浴びさせ続けていた街宣車も、ぴたりと止まった。
男が歌う時間だけは、銃を下ろし、マイクを下ろし、その歌に聞き入っている。
「アメリカだってどこだって、平和のために戦争をするんだよ」
男は哲学のような響きをさせながらそう言って、ギターを片手に私に言った。
私はお茶を差し出して、男を見つめる。
「戦争を仕掛けられた国は、また平和のために戦争をするかもしれない。そうしたらイタチごっこだよね。じゃあ俺たちの平和はどこにあるのか? まずは戦争をしちゃいけないってことだよ。何があってもね」
そして男は、こう続けた。
「もう一度言うよ。アメリカだってどこだって、平和のために戦争をするんだよ。それなのに、平和を歌うことがアカだ左だと言われるのはなんでなんだろうね? 君は、本当に平和を望んでいるか?」
私は、命をかけて歌っている男を前にして、息を呑んだ。