236 生贄
これは、都会の真ん中で起こった物語。
探偵になって一年にも満たないサキは、二十歳の男。今日もスーツを身にまとい、車の中からマンションの一室を見つめる。
その時、電話がかかってきた。社長からである。小さな探偵事務所のため、社長自らが仕事をすることも多い。
『サキ。そっちはどうだ?』
「動きなしっス」
社長の低い声に反して、まだ若々しい声のサキが、軽い口調でそう返す。
『こっちの仕事終わったから、今からそっちへ行く。Aが動いたらすぐに知らせろよ』
「了解」
サキは電話を切って、溜息をついた。
テレビドラマのように格好の良い職業に就きたいと思い、この仕事を選んだが、事件を追うよりも浮気調査や身辺調査が大半を占めていることを、嫌というほど思い知らされている。
今回の仕事も、夫から依頼された妻の浮気調査である。
その時、見張っていた依頼人の部屋に、一人の男が入っていくのが見えた。
「動いた!」
思わずサキはそう言って、気付かれないようにカメラを構える。
「証拠を押さえなきゃ……」
サキは車を降りると、依頼人の部屋が見える、目の前のビルへと向かおうとした。
だがその時、依頼人の部屋から、さっき入っていった男が出てくるのが見えた。
「さっき入ったばかりなのに……こりゃあ事は済んでないな……」
ない頭を捻るように、サキは空を見上げて考え込む。
すると、男が階段で降りて来るのが見えた。
「なんだって十階から階段で下りてくるんだ……?」
ぶつぶつと独り言を言いながら、サキは階段を降りている男をカメラに収め、エレベーターへと乗り込む。あのまま下にいては、男とはち合わせてしまうためだ。
念のため、依頼者宅のある十階へ降りてみたが、特に変わった様子はない。
だが依頼者宅の前まで行って、サキは眉を顰めた。依頼者宅の玄関ドアが、十センチほど開いているのである。
「ずいぶんと不用心だな……」
ふとサキがドアの中を覗き込むと、部屋の中に人の足が横たわっているのが見えた。
「あ!」
サキは後先何も考えず、部屋へと乗り込んでいく。
すると中には、この一週間追い続けていた、依頼者の妻が腹から血を流して倒れている。
「あ……あ……!」
揺すっても何をしても、妻は目を覚まさない。脈はすでになく、完全な殺人事件である。
その時、ドアが閉まる音が聞こえ、サキは玄関へと走っていった。だが、鍵は掛かっていないのに、まったく開く気配がない。
「と、閉じ込められた?!」
パニック状態になりながら、サキはポケットを探る。
「そ、そうだ。社長……」
しかし、こんな時に限って電池切れ。部屋にあった固定電話も、電話線でも切られたようにまるで繋がらない。挙句、隣の部屋は空き部屋で、角部屋のため逆の隣もいない。依頼人である夫は海外出張中である。
「なんてこった……!」
顔面蒼白になりながら、サキは死体の転がる部屋で、途方に暮れていた。
「落ち着け。社長がこっちに向かっているはずだ。車を置いて俺がいなくなれば、きっと探しにきてくれるはず……」
そう思ってベランダに出ると、サキが乗っていた車がレッカーされるところだった。
「おーい! 俺の車だ! 誰か助けてくれー!」
そう叫んでみたが、騒がしい都会の真ん中。しかも近くは道路工事やビルの建設で、昼夜を問わず騒がしい。
「クソッ。落ち込んでいる暇はないぞ。これは大事件だ」
サキは辺りを見回す。小ざっぱりとした室内に、ロープや梯子はおろか工具すらないが、ふと目の前にあるファックスが気になった。
中を開けると、ロール状のファックス用紙がある。
「よし、これで……」
長いファックス用紙に、SOSと部屋番号を何度も書き、サキはベランダからそれを落とした。
「誰か! 助けてくれー!」
力一杯に叫び、風に舞う長い紙。やがて風に煽られ飛んで行ったが、確実に何人かの目はこちらに注がれている。
「うおー! 助けてくれー!」
泣きながら叫び続けるサキ。
それから数時間後、玄関のドアが開き、サキは驚いて振り返った。
するとそこには、数人の警官がいる。
「お、おまわりさん!」
サキが駆け寄ると、警官たちは死体を見て驚いている。
「お、おまえがやったのか!」
警官たちの第一声が、まったく思わぬ言葉だったので、サキは呆気に取られ、何度も首を振った。
「ち、違います!」
「じゃあ、この状況はなんなんだ」
「僕がここへ来た時は、すでに……そ、そうだ! 僕、犯人の写真撮ってます!」
パニック状態でいながらも、自らの潔白を証明させるため、サキは先程撮った犯人がこの部屋に入っていく写真を、カメラの液晶に写して見せた。
「……確保!」
しばらくして、警官たちの言葉に、サキは捕えられた。
「な、なんで!」
「この顔に見覚えはないというのかね?」
警官たちに見せられたカメラの液晶画面を見て、サキは驚いた。そこに映っているのは、紛れもなく自分の顔なのである。
「わ、罠だ! これは……何かのトリックだ!」
撮影中は遠くて顔もわからなかったが、そこに映し出されているのは、どこから見てもサキ本人。だが、なぜそこに自分がいるのかが説明出来ない。
警官たちは、サキを重要参考人として確保。サキは捕えられた。まるで生贄のように――。