228 爪痕
青い空、白い雲、優しい人々。この沖縄では、今日も観光客が押し寄せている。
「ハル! 早く、早く」
ビーチに着くなり、藍子は海へ飛び込む。恋人のハルは、そんな光景を笑顔で見つめながら、白い砂浜に腰を下ろす。
「ハル! 来ないの?」
「ちょっと休ませてよ」
元気な藍子に苦笑しながら、ハルは遠く見える崖を見つめた。
かつて、あの崖から数えきれない人が飛び降りたと聞いた。
乗り込んできた敵はアメリカ軍だけではない。玉砕という名のもとに、民間人を殺したのは味方であるはずの日本軍だった。という話を、ハルはおばあから聞かされていた。おばあはこの島の生き残りで、やがて母を産み、ハルが生まれた。
「もう、ハルってば。せっかくの沖縄なのに」
「ごめん。でも、藍子もあんまりはしゃぐと、おなかの子に障るよ」
藍子のおなかには、ハルの子供がいる。あの血なまぐさい恐怖から逃れたおばあ、それより遥か前から繋いできた生命が、またハルを伝って繋がれてゆく。
「そうね。大事にしないと……」
藍子は静かにハルの隣へ座り、遠く見える崖を見つめる。
「あの崖の下には、たくさんの人が眠ってるんだね……」
ぼそっと言った藍子もまた、ハルのおばあの話を知っている。
都会に住む藍子には、途方もないくらい現実離れした話だったが、胸がえぐられるような衝撃を今でも覚えている。自分の祖父母もまた、少なからず体験した話のはずだ。だが、それを語ろうとはしないのは、過去を忘れたいからなのだろう。それでも語ってくれたハルのおばあを、藍子もまた尊敬していた。
「あの崖の下に……」
崖だけではない。この島には、今もたくさんの命が横たわっている。
「いや、今もまだ闘っているのかもしれない……」
ハルは一瞬、険しい顔を見せ、藍子のおなかに触れた。
「ちゃんと生きような、藍子。おなかの子供が平和で幸せに暮らせるように」
「うん」
二人の手が、藍子のおなかに重なる。温かな空気が、それを包んだ。
ひめゆりで学徒が死んだ。摩文仁で村人が死んだ。ガマで子供が死んだ。森の奥で、土の上で、海の中で、人々は死んでいった。
そして今もなお、戦闘機がわがもの顔で空を飛ぶ。戦いは、今も続いている――。