219 ヒロシマ
数十年前の今日――八月六日。
あの日、落ちたピカは、すべてを焼き尽くした。
思い出すのも恐ろしい。
皮膚が焼けただれた人々が、喉の渇きを訴えて、そして死んだ。
私のお母さんは、姿形さえ消え去って、家の塀に影を残した。
私はといえば、家の中で学校へ行く支度をしていて、ピカからは免れたものの、
少なからずの火傷はしたし、その後からくる差別や偏見の眼差しに、怒りや悲しみを感じた。
「あんたは火傷をおっとらんけん。黙っとき」
そう言った姉はケロイドがひどく、重度の原爆症に苦しんでいた。
同じ家の中にいたのに、少し場所が違うだけで、火傷の程度も違った。
引っ越し先の学校では、「ピカがうつる」と、広島から来たというだけで差別の嵐だったし、
後に結婚を約束した相手の親からも、私との結婚は反対された。
ピカを浴びた身体が、後の子供にどう影響するか、詳しいことはわかっていないからだ。
私が大人になる頃、姉は死んだ。
「お姉ちゃん。私、ずっとピカのこと隠してきたけど、もう隠さない」
姉の亡骸にそう誓って、就職先でも近所でも頑なに出身地を言わなかった私は、
人が変わったように、自分の生い立ちを話し始めた。
私から去って行った人もいたし、職場も退職しなければならなくもなった。
でも私は、あの日のことを忘れない。
姉の苦しみ、母の影、私自身の悲しみを伝え続けると誓ったのです。
どうか一人でも、あの日に思いを馳せてみてほしい。
そして、二度と繰り返さないでほしい。
この当たり前のような平和の中に、あの日があったということを。