198 傷ついた天使たち
心を閉ざしてしまった人を、どうしたら振り向かせられる?
「ひよりちゃん。ちょっと手伝ってくれるかな」
「あ、はーい」
呼ばれて、私は部屋から出ていく。でも、最後まで目を逸らせない。気になる、あの子――。
私は育児放棄のお母さんから引き離され、五歳の時から八年間、この児童施設にいる。周りは同じ境遇の子たちばかりで、仲間意識もあれば、不安定なこともある。でも、職員の皆さんはあったかくて、私はここが好きだ。
「太陽君。ちゃんと食べて。昼間もほとんど食べないで、体に悪いでしょう」
食事時、そう言われているのは、一ヶ月前にここへ来た、同じ年の男の子・太陽。名前とは裏腹に、表情を失くし、誰ともしゃべらない。まだ学校にも行ける状態ではない。
私はそんな太陽君から目が逸らせず、かまってしまうけど、まだ何のアクションも返してもらっていない。
「太陽君。これ、一緒に食べない?」
夕食が終わって、自由時間に私はそう言って縁側に座る彼の隣に座り、クッキーを差し出した。
「これ、先生に頼んで作らせてもらったんだ。私が作ったんだよ」
でも、彼は首を振ることもなく、ただ俯く。
「……じゃあ、何なら食べる? 先生もみんなも心配してるよ。ちゃんと食べなきゃ、大きくなれないよ」
そう言って肩に触れると、彼は頑なに拒んで立ち上がった。
「太陽君!」
私も半ばムキになり、彼の腕を掴む。
だが、彼は歯を食いしばり、唸るような声を上げた。
「うう……あ、う……」
「……もしかして、しゃべらないんじゃなくて、しゃべれないの……?」
私は力を失くし、彼を見つめる。彼の境遇は聞かされていないが、仲良くしてあげてとだけ言われていた。
彼は私の手を振り払い、庭へと出ていった。私も慌てて追いかける。
「待って、太陽君! ごめん、あやまるから……」
庭の真ん中で、彼は静かにうずくまる。
「太陽君?」
「……」
「……私ね、ここが好きだよ。私のお母さんは育児放棄しちゃって私を放り投げたけど、ここは先生たちも優しいし、お姉さんだって頼ってもくれるし、同じような境遇の子と逞しく生きていけるから……だから太陽君のことが心配だし、みんなとも先生とも仲良くしてほしいの」
そう言うと、彼は落ちていた石で、地面に文字を書き始める。
“おれはひとごろし”
それを見て、私は目を見開いた。
彼はそれだけを書くと、静かに立ち上がる。そんな彼が闇に引きずり込まれるような錯覚を覚え、私は彼を抱きしめていた。
「太陽君の事情は知らない! でも、自分をそんなふうに言っちゃ駄目だよ。ここにいるんだから、太陽君はここで守られるべき存在なんだよ!」
必死でしがみつく私。無反応なまでの彼に、私はそっと彼を見上げる。
彼の頬は、涙で濡れていた。
「あ……り、がと……ひより」
失われていた彼の言葉が、ここへ来て以来、初めて放たれた瞬間だった。
後に、彼もだんだんと私に心を開いてくれ、彼の事情を知った。
お父さんが暴力癖のある人で、妹が殺されたこと。それを守ろうと揉み合いになり、その拍子に父親が転んで死んでしまったこと。母親は早くに出て行き、頼れる人は誰もいないこと。
彼の心の闇は、たぶん一生消えない。でも彼は、彼の人生を輝かせることが出来るはずだ。そのために私も、一緒に生きていきたい。たくましい、あの家の子供たちのように……。