188 悪魔の契約
(あいつを殺したい……でも殺せない。人としてクラスメイトとして、自分の人生を棒に振るわけにはいかない)
エイ子は毎日のように殺意を募らせた。相手は元彼の秀樹。
クラスメイトの秀樹からの告白で付き合ったものの、ものの三ヶ月で浮気されて別れた。
以来、エイ子はネットや図書館で彼を殺す手立てを読み漁る。
(毒殺? 刺殺? 殺人依頼? 直接手を下すのは気が引ける)
その時、エイ子は黒魔術の本に釘付けになった。
(馬鹿馬鹿しい……恋のまじないも叶った試しがない。でも、もしこれに書かれているように悪魔を召喚出来たのならば……)
藁にもすがる思いだった。
エイ子はその本を持ち帰ると、庭に魔方陣を書いた。
広い家だが、もはや庭に出る者も少なく、その姿を見られることはないだろう。仮に見られたとしても、また何か変な遊びが流行っていると、両親や祖父母は思うはずだ。
「ソロモン……○×△◇※#□○△◇※#□×○×△◇※#□×……」
とてつもなく長い呪文を唱えるが、うんともすんとも言わない。
「はあ……やっぱ駄目だよね。誰でもいいから出てきて秀樹を殺してよ!」
その時、一瞬、眩い光に包まれたかと思うと、辺りは真っ暗になった。
そして目の前には、美しい男性が立っている。
「ほう……殺しで悪魔を召喚とは、どんな悪人かと思えば、こんなガキの女とはがっかりだぜ」
溜息をつく男性に、エイ子は頬を染めた。
「あなた、あ、あ、悪魔?!」
「自分で呼んだんだ。誰かくらいはわかるだろう。しかし……ガキのくせにまともな魔方陣書きやがってからに……」
「あ、あたしエイ子! 人を一人殺してほしいの」
「……いいよ。契約しても。でも一つ、条件がある。キスして」
「ええっ? そ、そんなこと、本に書かれてなかった……」
エイ子は真っ赤になって、悪魔を見つめる。見れば見るほど美しい男性だ。
「そりゃあそうだ。これは個人的なお願い。こんな美しい悪魔とキス出来るんだ。相手にとって不足はない、だろ?」
「……そうね」
「でも、俺が契約を受ければ、おまえの魂は地獄に落ちる。二度と転生も出来ないし、おまえの魂に平穏は訪れない。無限の苦しみを味わうことになるんだぞ」
「……いいわ。今の苦しみより上があるなら、のぞむところじゃない」
エイ子はそう言って、悪魔の唇にキスをした。
「では、契約成立」
悪魔はニヤリと笑って、エイ子の手を取る。
「では、誰を殺したいって?」
「秀樹。元彼よ」
「女の恨みは怖いな」
「あいつがいけないのよ。自分から告白しといて、浮気して勝手に別れるなんて言ってさ」
「なるほど。じゃあ、エイ子は秀樹の鼻を明かせばいいんじゃないか」
悪魔の言葉に、エイ子は考える。
「まあ……そうね。でも、クラスメイトだから毎日顔合わせるのよ? 浮気相手の子もね。そんな毎日嫌なの」
「まあとりあえず、デートしようか」
「はあ?」
「せっかく召喚されたんだ。人間として街を歩いてみたいという、俺の夢を叶えてくれてもいいんじゃないか?」
乗せられるように、エイ子は悪魔と街へと出かけて行った。
「エイ子。服買って」
「いいけど……あんた、名前は?」
「名乗るほどのもんじゃない」
「なにそれ」
笑いながら、エイ子は悪魔と歩いて行く。
そして悪魔の服を選び、買い与え、デートを続ける。あまりに美しい悪魔に、街の人々は振り返った。
「みんな振り返るね。当たり前か、こんなに綺麗な顔してるんだもの」
「そりゃあ、悪魔だからな」
「え? 悪魔はみんな綺麗なの?」
「天使よりはな。じゃないと、誰も悪魔に魂なんてくれないだろ?」
悲しく笑って、悪魔はエイ子の手を取った。
その時、前から秀樹とその彼女が歩いてきた。
「秀樹……」
「エイ子……」
互いに固まり、秀樹とその彼女は悪魔を見つめる。
「……俺の彼女に気安く話しかけないでくれる? 行こう、エイ子」
悪魔はそう言うと、エイ子の腰に手を回し、家へと帰っていった。
「ハハハ。見た? あいつらの顔。俺に見とれちゃってさ……エイ子も趣味悪いな。あんな男でいいなら、ゴロゴロしてんだろ。あんな男のために魂捨てるなんてもったいないよ」
「……え?」
悪魔はエイ子を抱きしめ、笑った。
「デートに付き合ってくれてありがとう。俺は極悪人しか相手にしないんだ。よって、この契約は破棄させてもらう」
「え?」
「秀樹の鼻を明かすことは出来たみたいだし……エイ子もわかったろ? 秀樹だけが男じゃないってさ。じゃあな。もっといい男見つけろよ」
言葉少なく、悪魔はその場から消えた。
「ちょ、ちょっと! 人の話も聞きなさいよ!」
エイ子は広い庭に一人きり残された。だが、もう秀樹に対する執着心も殺意もない。
「……」
エイ子は真っ暗な空を見上げ、笑った。
「ありがと。そうね、馬鹿みたい。あんな男のためになんか……」
悪魔は消えた。契約もない。だが、エイ子が超美系の男性と歩いていたことは、街中の噂になっていた。
「あの人誰だったの? あたし、あの後、秀樹と別れたよ。私もエイ子みたいに、いい男見つけなくちゃと思って」
秀樹の彼女がそう言ったので、エイ子はにやりと笑った。