181 星のかけら
都会で育った僕にとって、あの夏のことは忘れない。
あの夏、僕は大人の階段を、一段も二段も上がったと思う。それは何年経っても、色褪せることのない思い出だ――。
中学受験に失敗した僕は、当然のことながら公立の中学校へ通った。別に嫌ではなかった。小学校からの友達も大勢いるし、勉強のレベルも高くない。
耐えられなかったのは、私立中学に入れたかった親、特に母親の目線。そして失敗したというレッテルを貼る親戚のおばさん、近所の人たちの態度は辛かった。
そんな人目を避けるように、その夏、僕は田舎の祖父母の家へ出かけた。親から離れて静かにしたいという僕の願いを、お父さんが聞いてくれたのだ。
「二週間、お世話になります」
僕はそう言って、祖父母の家へ上がった。田舎ということでなかなか来る機会がなく、小学校高学年になってからはまったく来ていなかった。
「よく来たね。ゆっくりしていきなさい」
そう言ったおばあちゃんの言葉に、僕の緊張は解れた。
「こんにちは」
その時、玄関が開いて、家へ上がろうとしていた僕は、とっさに戻って振り向いた。するとそこには、同じ年くらいの女の子がいる。
「あれ? こんにちは……」
女の子は、僕に向かってそうお辞儀をした。
「空ちゃん。どうしたの?」
「これ、実家から送ってきた野菜です。よかったらどうぞ……」
「そうなの。ありがとう」
おばあちゃんが受け取ると、女の子は会釈をして去っていった。
後でおばあちゃんから、近くに住んでいる空という女の子だと聞かされた。僕と同じ年で、病弱なために田舎で母親と静養しているらしいが、出来ることはなんでもやりたいと、進んで外へ出ているそうだ。
少しばかり、淡い恋も期待しながら、僕は一日目を終えた。
次の日、気分転換に外へ出ると、早速、空という女の子に出くわした。照れがあって、自分からは声もかけられない。
「こんにちは……」
そんな僕に反し、彼女はそう言って会釈する。
「……どうも」
「私、空。あなたは?」
「……晋平」
そこから僕らは、なぜか意気投合した。
空は色白で細く、直射日光を避ける生活をしているために病弱なのだと見た目にもわかったが、豪快な笑顔や明るい声が、そんなことを忘れされる女の子だった。
僕らの夏休みは、あっという間に過ぎた。二週間と言わずにもう少しこちらにいるのを延ばそうかと思ったが、電話で母親に反対されたのと、どのみち数週間後には夏休みが終わるため、別れは待っている。
「そう。予定通り、明日帰っちゃうんだね」
空が初めて悲しそうに笑った。僕は、緊張しながらも、そっと空の手を握る。
「……手紙、書くよ。空も実家は東京なんだろ? 静養して元気になったら、帰って来て会えるよな」
その言葉に、空は笑って答えた。
「晋平。今日、夜抜け出せないかな?」
「え?」
「見せたいものがあるの。夜……九時に、ここへ来て」
「僕はいいけど……空は大丈夫なの?」
「うん、平気。約束よ」
そう言って空と分かれ、僕は空との約束通り、家のすぐ近くにある小高い丘へと登っていった。
田舎はすでに真っ暗で、懐中電灯があっても怖くて歩けない。空は大丈夫かと思ったけど、丘の上にはすでに光がある。
「晋平。こっち」
僕の姿を確認すると、空が懐中電灯を消した。
「なんで消すんだよ……」
そう言う僕の目に、蛍の光が飛び込んできた。
「わあ……すごい! 見せたかったものってこれ?」
僕も懐中電灯を切って、思わずそう言った。周りには無数の蛍の光が浮かぶ。
空は僕の手を取り、その手を上へ上げた。
「うん。あとね……上を見て」
僕は圧倒された。ここへ来て何度も星の美しさは見ていたのだが、これほどまでに宇宙と一体となるようなすごさは感じなかった。また、地上には蛍という光があり、この丘の上は一つの小宇宙のように思える。
「わっ!」
僕は我を忘れ、野原の上に倒れ込んだ。
「僕が宇宙になったみたいだ……僕たち、星になってる」
その言葉に喜ぶように、空も僕の隣に寝転ぶ。
「この光景を、晋平に見せたかったの。晋平と一緒に見たかったの……」
僕はもう一度、空と手を繋ぐ。
「ありがとう。この光景を、僕は一生忘れないよ」
「私も……忘れない」
しばらく無言のままでいたが、僕はそっと起き上がる。
「夏とはいえ、田舎の夜は冷えるね。そろそろ帰ろうか。送るよ」
だが、空は返事をしない。
「空?」
それから後のことは、よく覚えていない。でも、空の体はすでに冷たくなっており、慌てて空を抱えて家へ戻ると、空のお母さんが来て騒ぎになっていた。病院へ行っても、もう間に合わなかった――。
僕は実家へ帰るのを結局数日遅らせ、空の近くにいた。空のお母さんは僕を責めながらも、最後に空に好きな人が出来てよかったとも言ってくれた。
空は知っていたそうだ。自分の命が長くないことを。だから、僕が元気になったら会えるねと言っても、笑って答えただけだったのだろう。
あの夏のことを、僕は一生忘れない。
怖いくらい吸いこまれそうなあの光景も、空という少女のことも――。