175 真っ赤なリンゴ
宇宙に浮かぶスペースコロニーには、宇宙で人間が生活出来るかという実験のため、宇宙飛行士の夫婦五組が移り住んだ。結果、五組全員に子供が生まれ、その観察も逐一続けられている。
「地球に行きたいな……」
宇宙で最初に生まれた男の子・アダムが、眼下に見える地球を見て言った。
「いつか行けるわ。あなたたちが大人になったら、地球で生活が送れるかという実験もしなければならないから」
「実験……」
「そう。あなたはそのために生まれたんだから」
母親の言うことは、いつも理屈っぽい。
アダムは溜息をつき、庭へと出ていった。
「アダム」
庭にいたのは、一つ年下の女の子・イヴである。
「イヴ。何をしてるの?」
「今日の分の観察日記を書いているの。ほら、この苗、やっと芽が出たのよ」
「本当だ……この苗も、生きてるんだね」
悲しそうに花壇を見つめるアダムに、イヴが首を傾げる。
「どうかしたの? 悩みごと?」
「……イヴ。考えたことない? 僕たちはどうして実験材料なんだろうって」
「どうしてって……そう決まってるんでしょう?」
「いいの? 僕たちはモルモットなんだよ。この花壇と一緒。花が咲けば検査をして、地球にも送る。僕たちもいつか地球に送られて、死ぬ時は切り刻まれるんだ。そんな人生は嫌だ!」
「でも……非人道的な扱いを受けてるわけじゃないし……」
イブの言葉に、アダムはムッとした様子で背を向けた。
「わかった。もういいよ。イブはそうして言いなりになってればいい」
「待ってよ、アダム。いいものあげるから」
「いいもの?」
アダムは怪訝な顔をする。このコロニーで手に入る物で、見たことがないものはない。
だが、イヴは自信満々で手を開いた。
「ハイ」
イヴの手の中には、真っ赤なリンゴがある。
「なんだ、リンゴじゃないか。でもどうしたの? まだ季節じゃないのに」
庭の隅にリンゴの木があるが、まだ実は小さく青い。
「木の下に落ちてたの。たぶん、外側の実で成長が早かったのよ。アダムにあげる」
「でも、検査を通さないと……」
「実験材料は嫌なんでしょう?」
イヴはそう言って、リンゴをかじる。挑発するようなイブに、アダムもカッとなってリンゴをかじった。
途端、アダムに吐き気や頭痛が襲う。
「アダム……?」
様子のおかしいアダムに、イヴは慌てて駆け寄った。
だが、イヴもまた急な不快感に襲われる。
「私たちは……いつまでこんな生活を送るの?」
「そうだ、イブ。何をするにも身体測定。検査。採血。来る日も、来る日も……それで僕たちが地球に行く日はあるのか? 地球に行ったらどうだ。地球環境に耐えられるかの実験? ふざけるな! なんで僕たちが……!」
日頃押し込めていた不満や絶望の部分が剥き出しになったように、二人の中に暗黒の影が広がる。
「うわああああ!」
突然、アダムは発狂し、コロニーの中を駆け回った。
イヴは何かに操られているかのように、静かに機械室へと向かい、ためらうことなくスペースコロニーの動力線を切る。
すぐに重力がなくなり、酸素もなくなっていくのがわかった。
その瞬間、アダムの叫びが聞こえ、庭を覆ったドームが割られた。
「何が起こったんだ!」
住人たちが庭にやってくると、アダムはすでに宇宙空間に身を投げて浮いている。
「なんてことだ。アダム!」
「それより庭に大穴が! もう酸素がもたないぞ!」
パニック状態になったコロニーは、内部から爆発を始めた。動力を断ったイヴが、爆発を引き起こしているのだ。
「救命ボートを……いや、間に合わない!」
人々の声が一つまた一つと消え、やがてすべての声が消え、あたりは静かになった。
宇宙空間に投げ出されたアダムの身体を、真っ赤なリンゴがすり抜けていった。