170 冬の華
早朝の湖に、氷が削られる音が響く。
雪国の湖は整備され、スケートリンクとして人気を博している。だが、早朝となれば誰もいない。
荘太は買ったばかりのスケート靴を持って、この湖にやってきた。最近スケートを始めたため、まだ滑るのがやっとである。だが、いつもつるんでいる仲間に置いて行かれないよう、荘太は誰もいないはずの早朝を狙って、ここへ来たのである。
シャーっと、軽快なまでの音が聞こえ、空中に美しい華が咲く。スケートリンクの真ん中には、華麗にジャンプする少女の姿があった。
「あっ……」
少女は荘太に気付くと、恥ずかしそうに身を縮め、どうぞと言わんばかりに手を広げる。
荘太も少し恥ずかしげに、靴を履いてリンクへと滑り出す。だが、途端に転んでしまい、真っ赤になった。
「大丈夫ですか?」
素早く荘太に手を伸ばしたのは、さきほどの少女である。
広いスケートリンクに、二人だけの時間が出来た。
「だ、大丈夫、です……」
荘太は恥ずかしさに手で顔を覆うと、その手に血がついた。鼻血である。
「大変。とにかく外へ……」
少女は荘太の手を引いて、スケートリンクから出ていくと、置いておいたバッグからティッシュを取り出し、荘太に差し出した。
荘太はティッシュで鼻を押さえながら、空を見上げる。
「ああ、カッコ悪い……」
思わずそう呟いた荘太に、少女は笑みを零す。
「大丈夫です。まだ私しかいないし」
「……それも恥ずかしいんだけど」
それを聞いて、少女も赤くなった。自分を意識してくれていることを認識したのだ。
「あの……よかったら、スケート教えましょうか?」
「え、本当?」
少女の言葉に、荘太は少女を見つめる。
「教えるって言っても、滑り方の基本くらいですけど……」
「いや、それでもいい。なかなか思うように滑れなくて……」
鼻血が止まるのを待って、荘太は少女とともにスケートリンクへと入っていった。
すでに数人、人がやって来ているが、滑る場所は広いものだ。
「待って。まだ離さないで」
少女の手をグッと掴みながら、壮太が言う。少女は笑って頷いた。
「大丈夫。ゆっくりバランスを取って」
その時、スイーっと、壮太は初めて自分の足で滑った気がした。
「おお、出来た」
「そう、その調子」
「ありがとう。さすがフィギュアスケートやってるだけのことはある。教え方がうまいや」
「そんな……」
少女は途端に暗い顔をした。
「……俺、なんか悪いこと言った?」
壮太が察してそう言うと、少女は悲しく笑って首を振る。
「ううん。でも私、うまく滑れなくて……スランプなの」
「え! あれで?」
壮太の驚きように、少女はまたも笑った。
「うん……どうしても転んじゃって、恥ずかしいからあんな早朝からやってて……」
「はあ……俺の悩みとは全然違うや。俺は滑るのもままならないっていうのに」
「あら。滑ってるじゃない」
そう言う少女の傍らで、壮太はもうなんの支えもなしに滑っていた。
「ほ、本当だ」
「もう大丈夫だね」
「じゃあ、今度は俺が応援するよ。大丈夫。さっきだって、転ばずに飛んでたじゃないか」
前向きな壮太の言葉に、少女も頷く。
「そうだね……練習あるのみ。ありがとう、壮太」
「……君の名前は?」
「華」
ハナと名乗った少女は、勢い良く走り出すと、誰もいないリンクの真ん中で、大きなジャンプをした。
雪が囲んだ冬の湖、空中に華が咲く。