017 生命の灯火
「お母さんなんて知らない!」
些細な喧嘩だったけど、私は怒りに震えて自分の部屋へと戻っていった。
思春期や反抗期だけでは片付けられない苛立たしい思いが、毎日自分の中を走っている。
目を閉じると、私は真っ白な世界にいた。きっと夢である。
辺り一面には、ろうそくの絨毯。でも天井も床も白いから、最初はろうそくだってわからなかった。
「君、どうしてこんなところに……」
中学生の私よりも、五歳くらい若いと見られる一人の子供が、私に気付いて駆け寄った。
駆け寄ったというより、飛んできた。その子の背中には、小さな羽根があったのだ。
「あなた、天使?」
私はあるだけの知識から、そう判断して尋ねる。
「そうだよ。君は人間だろう?」
「どうしてわかるの?」
「羽根がないもの」
「ああ、そうか」
納得した途端、私は天使に手を引っ張られた。
「とにかく帰ろう。早くここから出なくちゃ」
「どうして?」
「君が住む世界とは違う。長居してたら、こっちの住人になってしまうよ」
「別にいいわ。お母さんと喧嘩したの。もう帰りたくない」
私の言葉に、天使は少し悲しそうな、怒ったような、そんな複雑な顔をする。
「とにかく、君のろうそくを探して」
「ろうそく? この中にあるの?」
「そうだよ。これは人間たちの、命の灯火。長さが違うのは、その人たちの命の長さだよ」
それを聞いて、私は息を呑んだ。
そして、何かに導かれるように、私はろうそくのじゅうたんを歩く。
「あった……」
ろうそくの炎の中に、私の顔が見えた。私のろくそくだ。
だが、極端に短く、もうすぐ消えそうだ。
「短い……」
「死期が迫っているんだよ。早く君の世界に帰さなくちゃ」
自分のろうそくを持って、私は天使に促されるまま、立ち上がる。
だがその時、私は一つのろうそくに釘付けになった。
ろうそくの炎の中には、お母さんの顔が浮かんでいる。
「お母さん!」
お母さんのろうそくもまた、短くなっている。
「どうして? お母さんは、こっちの世界にはいないのに!」
天使にすがるように、私は涙目で叫ぶ。
「……早く戻るんだ! 君だって、こんなところにいたくないだろう?」
「うん。私、帰りたい。お母さんに、謝ってもいないもの!」
気がつけば、私は自分の寝室で目を覚ました。
だが、目の前にはお母さんがおり、その手は私の首を絞めている。
「お、母さん……ごめん、なさい……」
苦しさにもがきながらも、私はそう口にした。
お母さんは涙を流しながら、私を抱きしめる。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
今度はお母さんが、私にそう謝った。
「うちは貧乏で、あんたも反抗期、私も育児ノイローゼ気味で、どうしたらいいのか……いっそ二人で死ねたらと思ったけど、ごめんね……ごめんね……」
「思いつめさせてごめんなさい、お母さん! 私も、ごめんなさい……!」
和解した私たち親子の間に、ろうそくの蝋の匂いがかすかに匂った。
その日から、私はいつ終わるかわからないろうそくの炎を心に映して、出来るだけ親孝行を心がけている。
あれから五十年経った今でも、私たち親子は元気に生きている――。