147 あの山の頂上へ
なぜ、山登りをするかって? そこに山があるからさ……誰かが言った言葉だけれど、それは僕たちにとってもそうだった。
もともと山登りが好きだった僕は、大学では迷わずワンダーホーゲル部を選んだ。それは、四年生になった今も変わらない。
一応、就職先は決まったものの、何処か晴れない毎日を送っていた。
「都筑部長! 堀井が……」
そう言われ、僕は振り向いた。後輩の男子が、うずくまっている。
「どうしたんだ」
「さっき、ちょっと捻って……」
「……肩を貸すから、もう少し登れるか? もう少し行けば、休憩所があるはずだ」
夏休みを利用しての、海外での山登り。僕を含めて八名の部員は、みんな疲れ切っていた。
「いや、都筑。そろそろ雨も降りそうだし、ここらでテントを張ったほうがいいかもしれない」
そう言ったのは、副部長であり同じ学年の、谷田である。
僕は空を見上げた。確かに雲行きが怪しい。
「そうだな……少し早いけど、ここでテントを張ろう」
僕たちは斜面に数個のテントを立て、二、三名ずつ入った。出発したのが一昨日なので、こうして休むのは二度目だ。
「明日……僕は堀井と下山する」
全員での食事が終わり、僕は静かにそう言った。
「部長! 俺、大丈夫です。明日になれば痛みも消えると思いますし、邪魔ならここへ置いて行ってください!」
悲鳴に似た声を上げたのは、足を怪我した堀井である。
「置いて行けるわけないだろ。まだ頂上までは何日もかかる。連れて行くにはリスクが高いし、下山した方がいいに決まってる。それに、思った以上に腫れ上がってるのわかるだろ?」
「でも……みんなで頂上登ろうって……部長だってそう言ってたじゃないですか」
「僕は部長だ。無理に連れて行くことなんか出来ない。それに、またこのまま降りたって終わりじゃない。また登ればいいだけのことじゃないか」
「部長……」
内心、ここで断念しなければならないのは残念だったが、堀井の命には代えられない。
「谷田。後は頼むな」
僕の言葉に、谷田は頷く。
「先輩! 僕も降ります。正直、こんなにきつくなるとは思わなかったし……部長だけじゃ、堀井を担いで下山するのも大変なはずです。もう一人いるでしょう」
そう言ったのは、一年生だ。
「僕も降りていいです。やっぱり……みんな一緒に登りたいから」
僕を気遣ってか、次々にそう言う後輩たちに、僕は嬉しさと申し訳なさでいっぱいになる。
「いや、そう言う気持ちはよくわかるけど、ここまで来たんだ。僕と堀井の無念の気持ちを、みんなに叶えて欲しい。もちろん、もうキツイと思っているやつは一緒に降りて構わない。でも、ここまで来たんだ。あの頂上に登った時の感動、もっと知ってほしい」
そう言った僕に、みんなは顔を見合わせる。
結局、最初に下山を立候補した一年生を残して、後のみんなは頂上を目指すこととなった。
僕は怪我をした堀井を、一年生と肩を貸しながら、無念の下山をしたのだった。
部長として願うのは、後は部員たちの無事の帰還だけ。
幸い、堀井の怪我は捻挫で済み、山の下にあるホテルで休んでいる。
「帰って来い……帰って来い」
僕は家が仏教徒のくせにクリスチャンのように指を組み、山を見つめた。
だが、到着予定日になっても、部員たちは帰って来ない。
「谷田……谷田!」
谷田に持たせたトランシーバーも繋がらない。
「まだ離れたところにいるのか……」
僕の脳裏に、最悪の事態が一瞬頭をよぎった。
一日中、麓で待つ日々。
「明日になったら、捜索願を出そう」
そう言ったまさにその時、僕は目を見開いた。
「部長! あれ!」
同時に、一緒にいた一年生も叫ぶ。
僕らの目には、山から降りてくる谷田たちの姿が見えたのだ。しかも笑顔で、手を振っている。
「みんな――!」
僕らは互いに駆け寄り、抱き合った。
「谷田! 心配かけやがって!」
「ごめん。上は吹雪いたりして、思ったより身動きが出来なかったんだ。トランシーバーも壊れちゃって……でも、みんな無事だよ」
「ああ。みんなよかった! 本当によかった!」
「堀井は大丈夫だよな?」
「ああ、大丈夫。ホテルで休んでるよ」
一同、安堵の笑みを浮かべる。
「部長。お土産があるんですよ」
後輩の一人が、そう言ってデジタルカメラを差し出す。
そこには、夢にまで見た頂上からの美しい朝日が映っている。
「ああ……美しいな……」
普段、美しいという言葉を使ったことがあっただろうか。でも、僕は感動して涙を流してしまった。きっと写真だけのせいじゃない。みんなが帰って来てくれたからだ。
「また、来ましょう。そして一緒に登りましょう」
「ああ!」
僕らの夏は、そうして終わった。
僕もいつか、あの山にまた挑戦する日が来るだろう。
山は大切なことを教えてくれる。仲間の大切さも、命の尊さも、本当の美しさというものも――。