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144 ヤスクニデアヲウ

 太平洋戦争真っ只中、俺は十九歳で特攻隊に志願した。自分のためでも家族のためでもなく、ただお国のために命を掛けることが当然だと思ったのだ。

 そんな俺を誇らしげに、両親は送り出してくれた。俺が去った後、きっと母さんは泣くに違いないが、そんな涙など俺に見せるはずもない。俺もまた、悲しさはあったけれど、自分の誇りを高く掲げた。


「仁科。俺、いよいよ明日だ」

 俺に向かってそう言ったのは、同じ年の江田である。同じ年といっても、江田はすでに所帯を持っているし、元は一流大学にいたエリートだ。

 なんだってそんな人間が特攻に志願したのかと聞いたことがあるが、お国のために命を捧げるのは当たり前のことだと言って笑う。俺たちは同志だと、その時認識した。

「江田……」

「そんな顔をするな。お国のためだ。こんなちっぽけな命、アメリカーにくれてやる。そうだろ?」

 江田は凛々しい顔で笑った。

 特攻隊に入ってから、いろいろな人間を見てきた。みんなお国のためだと笑っていたが、飛びながら泣いているのを知っている。俺もまた、仲間の死に泣いた。

「ああ。俺もすぐに後を追う。靖国で会おう」

「先に待ってるよ」

 次の日、江田は小さな飛行機でアメリカ艦隊に激突した。飛行機には、行きのガソリンと爆弾だけ。最初から帰ってくる予定はない。


 三年後――。俺はまだ生きていた。といっても、いつのたれ死にしてもおかしくない。

 江田が出撃した次の日、俺も出撃した。だが、空中で撃墜され、太平洋の海に投げ出された。流木に掴まり、何日も死線をさまよう中で漂着した俺は、一人生き残ったことを受け入れるまで、かなりの時間を費やした。

 何度も死のうと思ったが死ねなかった。俺はただ弱い人間だ。そして生き恥を晒して、もう両親に会うことも出来ない。それでも、両親が心配で実家の周りを探ったりもした。

「仁科? 仁科じゃないのか?」

 突然、そんな男の声が聞こえ、俺は誰かも確かめずに走り出した。誰に会うわけにもいかない。俺は死んだ人間なのだから……。

「待てよ、仁科! 俺だ、江田だよ!」

 俺の腕を掴みながらそう言った相手は、確かに江田だった。

「江……田……?」

 俺は信じられない思いで、目の前の江田を見つめる。

「ああ。おまえも生きていてくれたのか、仁科……」

 懐かしげな目で俺を見つめる江田に、俺は口を曲げた。

「なに言ってんだ! なにが生きていてくれたって……特攻に失敗して生き恥を晒してるんだぞ? こんな恥晒し、家族にも誰にも顔向けなんか出来るもんか!」

「……戦争はもう終わったんだ。こんな混乱の中、みんな自分のことに精一杯だ。おまえが生き残ったことに陰口叩く人間がどれだけいると思う? それより、ご両親に顔を見せてやれよ」

「……江田。おまえ、変わったな。お国のために出撃したのに、生きてるってのがどういうことなのかわからないのか? 靖国で待ってるみんなにだって、顔向け出来ない」

 俺は悔しさでいっぱいになり、江田に背を向ける。

「俺だって思ったよ。ああ、生き残ってしまったって……でも、生き残ってよかったというのが本音だ。もちろん、国のために死ねなかったこと、特攻に失敗したことは汚点だろう。だけど、戦争は終わったんだ。日本は負けたんだ。隊に戻ったらもう終戦。俺は重い足取りで家へ帰ったよ。でも、家族は泣いて喜んでくれた。妻も……今では子供も出来た。帰ってきたからこそ生まれた命だ」

「腑抜けが! おまえを同志だと思ったことが恥ずかしい。もう会うこともないだろう」

「俺だって散々苦しんだ。でも生き残ったのは事実だ。自殺すれば満足か? 自殺したって靖国には行けないぞ。だったら今、俺を必要としてくれる家族のために、新しい日本を再建していくことが大切なんじゃないのか?」

 江田の言葉を聞きながら、俺は走り去っていった。

 同志が生きていたことに喜びを感じたが、俺とはまったく違う人生を送っている。あいつは現実を受け入れているが、俺はどうだ。家に帰って、家族は俺を受け入れてくれるというのだろうか。その前に、俺は自分自身が許せなかった。

「新しい日本を再建していくことが大切なんじゃないのか?」

 江田の言葉が突き刺さる。この混乱の中で、俺のように死んだ人間に何が出来る。

「死んだ人間に……」

 一度死んだからこそ、生きるべきだと言うのか……?


 その夜、俺は夢を見た。特攻隊にいた仲間たちの夢だ。

「仁科。靖国で会おう」

 俺はハッと目を覚まし、朝日を見つめる。

「ああ、会おう。靖国で会おう……」

 その日、俺は家へと戻った。江田の言う通り、両親は俺の帰りに喜んでくれた。

 俺はその日以来、がむしゃらに働く。江田のように新しい国再建までの力はないかもしれないが、それでも働くことしか出来なかった。

 靖国神社には、毎年参拝している。ここへ来ると、仲間たちに会える気がするのは不思議だ。

 俺は臆病者だが、仲間たちが護ったこの国でこれからも生きていくのだろう。きっとあいつらはいいやつだから、こんな俺の事ですら許して見守ってくれているのかもしれない。

 忘れない。逃げずに戦った仲間たちのことも、新しい国を再建するといった江田も、臆病者の俺自身のことも――。

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