121 緑の手を持つ少年
あなたは「超能力」、という言葉を信じるだろうか。
時に人の傷を癒したり、心の声を聞いたり、触れずに傷つけることさえ出来る。
そんな説明のし難い、ある意味危険な能力を、この少年もまた持っていた。
少年の名は、帳。
トバリは十歳だが孤独な少年で、同じ年頃の子どもと遊んだことがない。
それは、トバリが幼稚園の頃、人を殺しているからだ。
「あ……」
まだボーイソプラノの声で、トバリは空を見上げた。その目には、暗い影を落としている。
幼稚園の頃は、まだ超能力というものを親が確信してはいなかった。だが、些細な怒りで物が壊れ、遂には人を傷つけてしまったトバリは、両親とも引き離され、この超能力研究施設でとりあえずの生活を送っている。
今では、過去の過ちを理解出来るまでになっているが、その罪深さがトバリを苦しめ、今では親でさえ、トバリを抱きしめようとはしない。
トバリの腕に、鳩がとまった。やがて、園内の犬やウサギなどの小動物が、トバリに集まってくる。
ここは施設の中だが、トバリに対するアニマルセラピーの一環で、放し飼いにされている。トバリの友達である。
「僕は何もしてあげられないのに、君たちは僕を癒してくれるんだね」
動物たちといる時、トバリは幸せを感じた。だが動物たちでさえ、トバリの罪を洗い流してはくれない。
「駄目だよ。僕に近付いたら、僕は何をするかわからないんだ。僕は僕が怖い……施設の人は、僕の力を調べようとするけど、僕はもう、こんな力を使いたくないよ……」
トバリは、本音でそう言いながら、膝を抱えた。
動物たちは、それを癒すようにトバリの体に触れる。その光景は、まるでおとぎ話でも見ているかのような美しさで、遠くから見ていた研究員はため息を漏らす。
その時、施設の中から悲鳴が聞こえ、トバリは立ち上がった。とっさに、いつも面倒を見てくれている研究員が倒れている映像が脳裏に浮かび、施設内に走ってゆく。
「トバリ君! 誰か呼んでくれ」
廊下には一人の女性が倒れており、その近くにいた男性が、トバリに向かってそう言った。
だが、トバリは女性に駆け寄る。
「大丈夫。声を聞いて、みんな来てるのがわかるから。それより、担架を持ってきて」
トバリはそう言って、女性に手を触れた。
一瞬、女性が触れられるのを怖がり、顔を強張らせた。それは普通の人間が取る行動で、トバリも慣れている。誰も、トバリに心を覗かれたり傷付けられるかもしれない恐怖に怯えているのだ。
だが、トバリは真剣な眼差しで女性のおなかに触れた。女性は妊婦である。
「赤ちゃんが死にかかってる!」
トバリの言葉に、研究員たちが集まってきた。
「担架を持ってきた。運ぼう」
「ちょっと待って……」
研究員に向かって、トバリがそう止める。
「でも、トバリ君」
「待って。もう少しで、助けられそうなんだ……」
トバリの脳裏には、女性研究員のおなかにいる赤ん坊の姿が、克明に浮かんでいた。
やがて、大汗をかきながら、トバリは女性から離れる。
「もう大丈夫……このままお医者さんに見せてあげて」
この一件で、研究員たちのトバリに対する見方が変わったのは言うまでもない。
だが、トバリは相変わらず、心を閉ざしている。
それから数週間後、トバリを訪ねて来たのは、赤ん坊を抱いた女性研究員であった。
「もう大丈夫なの?」
トバリはやっと子どもの笑顔を見せて、女性に駆け寄る。
「ありがとう、トバリ君。トバリ君のおかげで、この子は助かったのよ」
もう、女性はトバリを怖がろうとはせず、赤ちゃんを差し出す。
「い、いいの?」
トバリは、そっと赤ちゃんを抱き抱えた。そんなトバリを、女性が抱き寄せる。
「ごめんね、トバリ君。トバリ君を怖がったりして……」
女性の思考が、トバリに伝わる。それはとても暖かく、正直に伝わった。
「ううん……いいんだ。僕、わかってるから。自分の力が危険だってこと、僕が一番わかってるから」
「うん。だから、あなたは強くて優しいのよね。だからあなたは、私と赤ちゃんを救ってくれたのよね」
「救った? 僕が?」
「そうよ。この子の名前は、ヒバリ。トバリ君の名前から取らせてもらったの。女の子よ」
「ヒバリちゃんか」
自分を怖がらない初めての存在に、トバリは嬉しさに抱きしめる。
「あなたはなんでも出来るのよ。あなたがもう、誰も傷つけたくないって思えば、きっともっといろんな人と接することが出来る。失うものなんてないわ。あなたは、すべてを癒す力があるんだから」
「癒す、力……」
トバリの中に、初めて希望という名が生まれた。
この忌まわしい力が、人の役に立つことがあるというのか。だが事実、この赤ちゃんは自分が助けることが出来た。
トバリは、そっと泣いた。
「大丈夫。僕はもう、誰も傷つけたりしないよ。これからも、ヒバリちゃんを守らせてよ。そしたらきっと、僕の生き甲斐になるから」
女性も、それを見守っていた研究員も、そしてトバリに抱かれる赤ちゃんも、みんなが優しく笑っていた。