109 サバンナの小鹿
ハア、ハア、ハア……。
獣の足音と、漏れる息づかいが聞こえた。
途端、小鹿の姿が見える。追っているのはライオンか。
ハア、ハア、ハア……。
やがて、ライオンの牙が小鹿を貫く。
小鹿は、その場に倒れ込んだ。
目の前には、草原が広がっている。
ふと、遠くに野兎が見えた。
小鹿は、目を瞑る。
「大好物の草の匂いがする。
私が生きていたならば、それを食らい、あの野兎を捕えるでしょう。
ならば私は、私を傷つけたこのライオンに、身を任せましょう。
このライオンもまた、生きるために私を殺すのだから。
そのために、私は食われましょう」
小鹿がそう思った時、銃声が聞こえ、小鹿は思わず立ち上がった。
目の前には、今まさに自分を食らおうとしていたライオンが倒れている。
ふと、遠くから人間が近付いて来るのが見え、小鹿は急いで逃げて行った。
安全な場所に辿り着いた小鹿の目に、人間に捕えられたライオンが映る。
「あのライオンは、あの人間という生き物に食われるのではないという。
私は生き永らえたが、この傷ではすぐに他の動物が、血の匂いに集まって来るだろう。
あのライオンは、食われるのではないのなら、なぜ殺されたのだろう。
そして私は、あのライオンに差し出した身体を引きずって、
また狩られる恐怖を味あわねばならないのか」
それから数日間、小鹿は生き続けた。
だが、もはや動物を殺すことはせず、ただ自分が死ぬのを待つ。
この傷で一人きりでは、どんなに希望を持っても生きられない。
やがて、小鹿にハイエナが群がった。
小鹿は抵抗一つせず、その体を差し出し、目を閉じる。
抵抗しない小鹿にハイエナたちは驚いたが、小鹿はただ身を任せている。
「抵抗などしない。私はどうせ死ぬのだから。
でも、どうか食べてほしい。余すことなく、むさぼってほしい。
あの私を狩ったライオンのように、無意味に殺されたくはない。
あの私を狩ったライオンのためにも、どうか私を食べてほしい」
薄れていく意識の中で、小鹿は涙を流した。
その涙は、無意味に殺された動物たちへの供養。
そして小鹿は願う。人間に邪魔されない、自然のままの故郷を――。