108 刺青乱舞
与助は江戸の彫師で、その見事なまでの彫りに定評があった。
「わしは気に入ったやつしか彫らんよ」
訪ねてきた大柄の男に向かい、さも興味なさげに与助が言った。
「ほう。この店は客を選ぶのか」
「一応、芸術性を要する仕事だ。わしは彫りたいものしか彫らん」
やくざ相手にも、与助はまったくひるまない。それどころか、見るからに病的な様子で、来る者を寄せつけない。
「なるほど。だが、この女ではどうだ?」
大柄の男は、戸口の向こうに待たせていた女を差し出した。
与助はじいっと、女を見つめる。
「花魁か」
その顔には見覚えがあった。江戸でも人気のある、吉原トップクラスの花魁だ。
「そうだ。この女の背中に、刺青を入れてほしい」
「……」
与助は少し考えて、女を見つめる。
「いいけどよ、大事な商品に刺青なんか入れていいのかい。しかも背中とあれば、結構目立つぞ」
「なに。刺青を入れてる花魁なんか、最近じゃ珍しかないよ。そんな輩に負けないよう、こいつには特大のを頼みたい。おまえさんの手でな」
「じゃあ、早速始めようか。だが、大きくなるから一日では彫れない」
「わかった。毎日連れてくる。後で迎えに来るから、今日の分を頼むよ」
そう言って、大柄の男は前金を渡して去っていった。
「じゃあ、脱いでもらおうか」
与助の言葉に、女は着物を脱いだ。
吸いつくようにきめ細かい肌を見て、与助は思わず唾を呑み込む。
「……おまえさんは、本当にいいのか? こんな綺麗な肌なのによ」
「旦那の言うことは絶対でありんす。それにあんたが彫るなら、わちきはいい」
女がそう言った。
与助は女をうつ伏せで寝かし、早速背中を見つめて想像を働かせる。
想像力が沸々と湧き出し、与助は女の背中に傷をつけた。
女の入れ墨は、一月を要する大作となった。噂を聞きつけ、早くお披露目を願う人の声が与助にも届いた。
「今日で終わりでありんすね……」
着物を脱ぎながら、女はしみじみとそう言った。
この一月の間に、女は花魁ではなくただの女として、与助に体を預けていた。
もちろん、二人の間に何もなかったが、心だけは通っているような、そんな気さえする。
「一月もよう耐えたな」
「わちき、もっとあんたと一緒に居たかったわ……」
女の言葉に、与助は苦笑する。
「わしは金など持っておらん。だからおまえさんに会いに行くことは出来んよ」
「そう……ね」
女は寂しそうにそう言うと、もう何も言わなかった。
与助は女の背中に、最後の刃物を入れる。女に激痛が走る。与助の汗が滴る。だが、それを耐えてこその、芸術作品であった。
「出来た……」
渾身の与助の作品は、女の背中に大輪の花を咲かせた。
「綺麗や……」
そう言った与助の体に、女はすり寄った。
「ありがとう」
女の顔は、寂しそうに涙を浮かべ、苦しそうに笑っている。
「……わしにどうせえと言うんじゃ。おまえさんを手に入れるのに、どれだけ払えば手に入れられる?」
「ならいっそのこと、わちきを連れて逃げて」
女の言葉に火が付いたように、与助は小さな家の中にある物をかき集める。
「わしと逃げる覚悟があるなら、付いて来い」
与助はそう言うと、江戸の町を出て行った。その後を、女が付いていく。
「おまえさん、本当の名はなんなんだい」
「……ふさ」
「おふさか。わしは何処でもやっていける。遠くに逃げるぞ」
「はい」
二人は江戸の町を抜け、歩き続ける。
だが、二人が逃げたことは、すぐに広まった。
「彫師の与助が、花魁連れて逃げたってよ!」
たちまち江戸じゅうの噂になり、二人は追っ手に追い詰められていく。
二人が逃げ出した翌日、江戸を抜けた小さな町の池に、男女の入水死体が上がる。
追い詰められ、逃げ切れずに自ら選んだ、与助とふさの死体だった。
「見ろよ、池の中に花が咲いてる」
ふさの背中に描かれた大輪の花が、人々の目を釘付けにする。
その花は、もう生きて人々の目に晒されることはない、野の花よりも儚い花となった。