藤の花の咲く頃に ―3―
「清少納言は『色あひふかく、花房ながく咲きたる藤の花、松にかかりたる』って書いてるの。つまり、『色合いが深くて花房の長い藤の花が松にかかる姿が素晴らしい』ってね。清少納言のほかにも、藤と松の組み合わせを描いた歌や絵は、昔から数多く残されている」
へぇ、と咲と悠太は感心して声を上げる。
「でもね、藤っていうのは蔓性の植物だから、松に限らず何かしらに絡みついて生長していくものなんだ。近くに杉があったら杉に、桧があったら桧に――だけど、平安の昔から残されている文献では、『藤が絡みくのは松』が好まれる」と花音はおどけたように肩をすくめた。
「それじゃあ、贈り主は縁起が良いから、名前を『松』にしたんでしょうか? でも、命日に縁起が良いものっていうのも、なんだか可笑しな話ですよね?」
悠太は首を傾げた。たしかに、と咲も賛同する。
「それに関しては、藤と松のもう一つの関係性からきているんだと思う」
花音は深刻そうな表情を浮かべた。
「もう一つの関係性、ですか?」
悠太が目をパチクリとさせ、首を傾げた。
「……悠太くんは、知りたい?」
どこか物憂げな様子で花音が尋ねる。悠太はそんな花音に違和感を覚えつつも、好奇心には勝てないようで、「はい」とおずおずとうなずいた。
「これは、その……君の両親に関わることなんだけど、大丈夫?」
それに悠太の顔がわずかに引き攣る。しかし、すぐにいつもの人懐っこい笑みが現れる。
「やだな、花音さん。僕、こう見えて、立派な成人男性ですよ。ちょっとやそっとのことでは驚きませんよ」
笑って答えた。
そう、と花音は小さく息をつき、「それなら言わせてもらうけど」と続けた。
「――古来から日本では、藤の花は女性の象徴とされているの」
「女性の象徴、ですか?」
「そう。垂れ下がる藤の花房を、艶やかな女性に見立ててのことらしいけど……」と花音はパーゴラから垂れる藤の花を指先で触れ、一房揺らした。途端に甘い香りが辺りへと広がる。
「対照的に、松は男性の象徴とされた」
「松が男性……」
そう、と花音は大きく頷いた。
「で、その関係性を恋愛関係に例えることがあったの――支えとなる『松』を男性に、寄りそうように絡みつく『藤』を女性に見立ててね」
「恋愛関係……それって」と呟いて、咲は花音を見上げた。花音は咲に目配せをし、そっと目を伏せる。
「――きっと藤の花の贈り主は、悠太くんのお母様に想いを寄せている人なんじゃないかな?」
「想いを寄せている人?」
悠太はキョトンとした顔をする。
「それは、わざわざ手間暇をかけて藤の花を贈ることからもわかるように、お母様が亡くなられてからもずっと続くほど、深い愛情だった」
「……」
「メッセージカードに添えられた短歌はね、『恋しくて形見にしようと庭先に植えた藤の花が、今咲いていますよ』って意味なんだ――君のお母さんのことを想っているんじゃないのかな?」
花音の言葉に、悠太は押し黙り、俯いた。
やがて、「……僕の父親ってことですか?」とポツリと呟く。
「――確か、君の父親の情報は生死を含めて分かっていないんでしょ?」
はい、と悠太は拳を握りしめた。
「だったら、その可能性は高いと思うよ」
それから、と言いかけて花音は口を噤む。続きを話すべきか迷っているようである。
「言ってください」
悠太が真っ直ぐな瞳で花音を見、続きを促す。花音は少し躊躇ってから、話を続けた。
「……君のご両親は、いわゆる道ならぬ関係だったのだと思うよ」
「道ならぬ関係?」
悠太がキョトンとした顔をする。それからしばらく考え込み、「もしかして……不倫、ですか?」と尋ねた。
「たぶん、その可能性が高いだろうね。そうでなければ、そこまで愛した女性の子供を施設に入れるようなことはしないと思う」
そう言って花音は顔を顰めた。咲も同様だった。
父親の身勝手さに嫌気が差した。自分の都合で身寄りのない子供を放っておくなんて。
そうなんですね、と悠太がうなずく。それから、よかった、とポツリとこぼした。
「よかった?」
咲は聞き間違えたのかと思い、悠太に尋ねる。それに、悠太は「はい」と笑顔で応じた。
「だって、父は生きているんですよね」と悠太が晴れ晴れと笑う。
「まぁ、そうなるね」
花音は渋い表情のままうなずいた。
「それなら、そのうち会えるかもしれないですよね、父に」
悠太は瞳を輝かせる。
「楽しみです」と嬉しそうに笑う悠太に、咲は尊敬の念を抱いた。
捨てられた憎しみや哀しみよりも、生きていることを喜ぶ純粋さに。
「あ、花音さん、お昼まだでしたら、一緒に食べませんか?」
悠太はそう言って花音にランチボックスを差し出す。
「まったく」
花音は小さく息をついて、悠太の頭をガシガシと撫でた。




