水仙の誘惑 ―2―
喫茶店で待ち合わせをしていた文乃の友人は、どことなく陰を感じさせる女性であった。
年齢は三〇代半ば。顎のラインで切られたショートヘアが、普段は活発な女性であることを思わせる。
女性は花音の姿を認め、「華村さん」と息を呑んだ。どうやら文乃だけでなく、花音とも顔見知りのようである。
「こんにちは、菜摘さん」
花音は軽く会釈する。
「……こんにちは」
菜摘と呼ばれた女性の目には、戸惑いの色が浮かんでいた。その目が咲を捉え、今度は訝しげに細められる。
状況が呑み込めていないのは、咲からもよく分かる。
――かくいう私も、今の状況、呑み込めていないのですが……
引きつった笑顔を浮かべ、咲はお辞儀をした。
「とりあえず、座りませんか?」
花音が椅子を指し示す。それで菜摘の隣に文乃が、その向かいに花音と咲が並んで座った。
すぐに店員がやって来て、注文を受け、立ち去っていく。その背中を見届けた花音は、さてと口を開いた。
「突然、お呼び立てしてしまい、申し訳ありません」
菜摘を見据え、軽く頭を下げる。
いいえ、と菜摘は首を振った。
「それより、お二人は知り合いだったのですね」
花音と文乃を交互に見た。
「ええ。文乃さんは、以前、うちのビルに住んでいましたから」
そうなんですか、とうなずいた菜摘の視線が、今度は咲に行き当たった。
「ああ。彼女は私のアシスタントです。田邊咲さんです」
それに気づいた花音が、咲を紹介する。
「このあと生け込みの仕事がありまして。申し訳ありませんが、同席させていただきます」
涼しい顔でもっともらしい嘘を述べた。
「わかりました」と菜摘は視線を花音に戻し、「それで、今日は?」と尋ねた。
「そうですね……」
花音は首を傾げる。
「少し待ちませんか? 飲み物がくるまで」
ニコリと笑う。
ほどなくして注文の品を運んできた店員がテーブルにそれぞれの品を置き、去っていく。
花音は目の前に置かれた紅茶を一口啜り、ゆっくりと口を開いた。
「本日、菜摘さんをお呼びしたのは、文乃さんに贈られたニラについて、少し確認したいことがあったからです」
「……ニラについて?」
菜摘はピクリと眉を動かした。
はい、と花音はうなずき、文乃に「先ほどの包みを出してもらえませんか?」と声をかけた。
文乃はトートバックの中から新聞紙の包みを取り出し、テーブルの上へと置く。
「こちらのニラですが……」
花音は新聞紙を広げながら言った。
「菜摘さんがお育てになったそうですね」
鋭い視線を菜摘に向ける。ええ、と菜摘は躊躇いがちに応じた。
「なるほど――それでは、どうしてニラを育てようと思われたのでしょう?」
「え?」
菜摘の動きが一瞬止まる。
「どうして、というのは?」
聞き返した彼女の目には、明らかに警戒の色が浮かんでいた。
「いえ、家庭菜園でニラを育てるのは珍しいな、と思いまして」
花音の疑問に、「それは」と菜摘が息を呑んだ。
「……テレビの番組で、妊婦にはニラがいいと言っていましたので」
どこか探るように言葉を紡いだ。
「なるほど。テレビでご覧になられたのですね」
花音はニコリと笑う。
それから「ところで、こちらのニラは少し匂いが少ないように感じるのですが、どうしてでしょう?」と問う。
「それは……品種改良された匂いの少ないニラだからです」
菜摘は目を伏せ、答えた。
「品種改良ですか」
花音は新聞紙の上の葉に手を伸ばす。
無造作にそのうちの一つを摘むと、鼻へと近づけ、クンクンと匂いを嗅いだ。
「――ですが、この葉からはニラ特有の匂いである『硫化アリル臭』が全く感じられないのです」
ユルユルと首を振った。
「……りゅうかありる?」
聞き慣れない言葉に菜摘が眉をひそめた。
「硫化アリルは、ニンニクなどにも含まれる匂いの成分です――ニンニクのあの匂いのしつこさといったら。翌日になっても匂いが残っているくらいです」
花音は手にしていたそれを新聞紙へとそっと戻し、菜摘を見据えた。
「それだけ匂いの強い成分がニラにも含まれています。なのに、いくら品種改良がされているとはいえ、あまりにも匂わなさすぎるんです」
菜摘はますます視線を落とし、キュッと唇を結んだ。
「もう一つ疑問なのは」
花音は人差し指を伸ばし、顔の前に突き出す。
「妊娠初期の頃というのは、つわりがあり、匂いに非常に敏感な時期だと聞きます」
その指を頬に当て、下唇に中指を添わした。
「なのに、なぜその時期の妊婦である文乃さんに、ニラを差し上げたのでしょう?」と首を傾げる。
「いくら品種改良されているとはいえ、匂いの強いイメージのあるものは、通常は避けるものではないでしょうか?」
花音の疑問に、菜摘は押し黙り、テーブルの上を凝視した。
「……それは妊婦にはニラがいいって聞いたからって」
黙り込んでしまった菜摘に代わり、文乃が言葉を発する。
それなんですが、と花音はますます首を傾げた。
「菜摘さんはその情報をテレビで見たから、ニラを育てようと思ったのですよね?」
花音の問いに、菜摘はゆっくりと首を縦に動かした。
「――しかし、そうだとすると、時期が合わないのです」
花音は眉間に皺を寄せ、首を横に振った。
「時期が合わないって、どういうことなの?」
文乃が少し苛立った声を上げる。
文乃にはその葉が水仙の葉だということは告げてあるし、その危険性も伝えてある。それを理解したからこそ、文乃は菜摘とのアポイントを取ってくれたはずなのだが――
友人が責め立てられている状況を前にして、彼女の味方についたのだろう。
菜摘を庇うように肩を抱く文乃に、花音は苦笑いを浮かべた。
まずは文乃を納得させなければ、話を進めることはできない。




