アトリエ花音 ―2―
「今日は、咲ちゃんにチューリップを生けてもらおうかな」
「チューリップ?」
咲はパチパチと目を瞬かせた。
「冬にチューリップって珍しいですね」
「普通の人からしてみればそうかもね」
花音が同意する。
「でも、お花の業界ではチューリップって冬の花になるんだ」
「そうなんですか?」
「うん。季節が一つ前にズレるから。庭先で春に咲くチューリップは今が旬」
チラリと花音がショーケースに視線を向ける。釣られてそちらを見ると、確かに色とりどりのチューリップが並んでいた。
「前に、春の終わり頃にさ、ウェディングブーケでチューリップを使いたいって依頼があったの」
花音は話しながらショーケースへと向かう。
「でも時期じゃないから、困っちゃった」
「そうなんですか?」
「だって、お花って生ものだから。時期じゃないものはどうやったって手に入らないんだよ。冬にスイカ食べたくても売ってないでしょ? それと一緒」
ショーケースに辿り着いた花音が咲を振り返り言う。
「まぁ、あの時は知り合いの庭にたまたま咲いていたから助かったけど」
肩をすくめ、苦笑した。
「それは大変でしたね」
「本当だよね」と花音はショーケースのドアを開ける。
「でも、ウェディングって一生に一度じゃない? だから、出来るだけ要望には答えたかったんだ」
背中を向けたまま花音が言う。その背中は誇らしげで眩しくて。自分の仕事に確固たる信念を持っている者の背中に思えた。
――それなのに私は……
自分と比べて唇を噛む。
「じゃあ、お花を合わせていくね」
花音の声に顔を上げると、優しい瞳と目が合った。
「……お花を、合わせる?」
またしても知らない言葉だ。自分の無知が恥ずかしくなる。もう少し事前に勉強してから来るべきだった、と激しく後悔する。
「咲ちゃんのそういうところ、いいよね」
けれど花音は呆れるどころか感心したように言う。
「え?」
「分からないところをきちんと聞くところ」
「……そう、ですか?」
そうだよ、と花音がショーケースに向き直る。
「知ったかぶりされるよりも、素直に聞いてくれたほうが教えがいがあるからね」
「そうなんですか? 少しでも勉強してからのほうが良かったのでは……」
「どうして?」
花音は咲を振り「僕の仕事を取らないでよ」と笑った。
「そんなことされたら、商売上がったりだよ。咲ちゃんは僕に習いに来てるんでしょ?」
「それはまぁ……」
他人の手を煩わせてはいけないとばかり考えていた咲には新鮮な言葉だった。うん、と満足げに花音がうなずく。
「で、『花合わせ』だけど」
それから話を戻した。
「簡単に言うと、お花の組み合わせを考えるってことなんだ」
「お花の組み合わせを考える……」
「本当は花合わせもアレンジのうちなんだけど。これが初心者には意外と難しいんだよね」
花音はショーケースから花を出しては戻し、出しては戻しを繰り返している。
「まずはどんなイメージのアレンジにするかを決めて、メインの花を決めて、さらにその花に合う花や色合わせを考えて……」
確かに花を選ぶだけでも疲れてしまいそうだ。その点、花音はサクサクと花を選び取っている。
「だから、生徒さんが慣れるまでは僕が花合わせをしてるんだ」
そう言って、花音は片手に花の束を握りしめ、咲に差し出した。
「え?」
咲は意味が分からず花音を見上げる。
「咲ちゃんをイメージして、選んでみました」
「私のイメージ?」
ピンクを基調にチューリップを主役へと据えた、とても可愛らしい花合わせだ。
「そ。咲ちゃん、とても可愛いらしいから。可愛いお花を選んでみました」
花音は女性が喜ぶようなことをさらりと口にする。きっとそういうことに慣れているのだろう。対して、あまり免疫のない咲はどう反応していいかわからない。
「あれ、いまいちだった?」
黙り込んでしまった咲に、花音はしょんぼりと肩を落とす。
「あ、いえ、お花はとても素敵です」
「お花は?」
花音は首を傾げた。明るい茶褐色の瞳が好奇に満ちて、咲を捉える。
「あ、えっと……」
咲は視線を逸らし、俯いた。
「その、花音さんが、可愛いなんて言うから……どう返していいのか、わからなくて」
ゴニョゴニョと口の中でつぶやいた。
「なんだ、そんなこと」
花音は拍子抜けした顔をする。
「急に黙ったから、気に障わることでもしたのかと思ったよ」
「すみません」
恐縮する咲に、いいのいいの、と花音は手を振った。
「でも、そういう時は『ありがとう』でいいんだよ」
笑顔を浮かべ、片目を瞑る。その屈託のない笑顔に、咲の心臓は三度跳ね上がった。
「……あ、ありがとうございます」
「うん、上出来――それじゃあ、お花を生けていこうか」
花音はパンッと手を鳴らした。




