表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

薬術の魔女関連

孤独の魔女

作者: 月乃宮 夜見
掲載日:2026/05/03

 『薬術の魔女』ことアザレア・アウラヴィテは、孤独だった。


 なぜなら、完璧な『人間』じゃなかったから。


 『神表し』と呼ばれる、()()()()()()()()()子供だったから。

 その上に、両親の代わりをしてくれた存在も、人間ではなかった。人間の肉体を持って生まれたアザレアのために、精一杯人間の真似をしてくれた妖精と精霊だ。


 だから、アザレアには正しい人間の価値観が中々根付かなかった。


 そんなアザレアに人間の価値観を与えてくれたのは、友人のアウロラだ。アウロラとその家族は、人の住めないはずの森から来たアザレアを(容姿が可愛かったので)受け入れてくれた。

 もう1人の友人ブレンダも、アザレアの人でない部分を面白がりながら関わってくれる。


 それから、アザレアは人間の通う学園に入った。


 アザレアには友人が居た。アウロラとブレンダだ。他にも友人達に囲まれ、なんの問題もなく学園生活を過ごした。


 だが、アザレアは孤独だった。


×


「(なんで、かな)」


 ころり、と寮の自室のベッドに横たわる。


 思い返せば、実家に居る頃もアザレアは孤独だった。無論、家族達は温かくアザレアを愛しみ育ててくれたが。


「……わたしは、妖精じゃないんだ」


ぽつり、言葉が溢れた。その言葉が、腑に落ちる。

 だから、アザレアは妖精達のようには暮らせなかった。


「だけど、人間でもないんだ」


 人間として、仲間に入れてくれる友達はいっぱいいる。けれど、自分の考えに戸惑われることはよくあるから。


 ずっと、違和感を覚えていた。


 妖精としては、不便な身体を持っていて。

 人間としてだと、考え方が異質で。


「……わたしは、人間()()()なんだ」


なんとなく、心が寒く(寂しく)なった。


「(……他のこと考えよ)」


 思考を切り替える。


 今日は、政府によって選ばれた『相性結婚』の結婚相手との顔合わせだった。


 つまり、今日からアザレアに婚約者(予定)ができた。

 名前はフォラクス・アーウェルサ。9歳年上の宮廷魔術師の男だ。

 2人は魔力の相性だけで、結ばれた。


 フォラクスと名乗った男性は、宮廷魔術師で、すごく背が高くて。


「(顔は好みだったな)」


誤魔化すように、ころりと寝返りを打った。


「『結婚相手』か」


結婚とは、どのようなものなのだろう。


 アザレアの親代わりの妖精と精霊は、結婚して結ばれた訳でない。友人達の両親は結婚しているだろうから、参考になるだろうか。


「(人間の家族……って、どんな感じなんだろう)」


 だが、結婚相手のフォラクスは「虫除け程度にしか制度を利用するつもりはない」と言っていた。


「(……つまり、愛のない結婚?)」


物語ではよく見る。

 別に、アザレア自身も強く『愛してほしい』なんて欲求はないつもりだ。制度では2人ほど子は産まねばならないらしいし、子を産んでみたい好奇心くらいは満たされるだろう。


「(……でも、わたしの生活にいちいちうるさく口出ししてくるのは()だな)」


フォラクスがどんな男性なのか、これから分かるだろう。


×


 それから、フォラクスと婚約(予定)関係になってからだいぶ過ぎた。

 彼に図書館で勉強を教えてもらうようになり、やがて彼の屋敷に通うようになった。……正しくは『相性結婚』の付属品の屋敷なので、アザレアの家でもあるらしいが。


 フォラクスとの生活は、友人や家族との生活とはどこか違うものだった。楽しくはある。だが、少し距離があった。


 彼は、何かを隠していた。


「貴女、本当に薬術以外には興味がありませんね」


 淡々とした声で告げ、フォラクスは目を細める。

 午後の陽光の差し込む部屋で、アザレアはフォラクスに勉強を見てもらっていた。教科書とノートを広げ、隣にフォラクスが座っている。


「うん。だって、わたしは『薬術の魔女』だし」


よく言われる、とアザレアは口を尖らせた。少しつまらない気持ちになったからだ。


()()は関係有りませぬ。本当に、御自身に必要無いと考えていらっしゃる?」


「……え?」


見上げると、彼は至極真剣な表情でアザレアを見下ろしていた。


()()()()()()()、広く浅く。知識を(もっ)て、他者の『常識』を知るべきです」


「マナーや常識と呼ばれるものは、知らねば誰も教えてくれません。()()()()()、覚えておきなさい」そう、フォラクスはアザレアに言い聞かせた。紛れるため、とは。


「なんで、そんなこというの?」


 アザレアは、フォラクスを見つめる。それは、ふと湧いた疑問だった。


「やっぱり、わたしはどこかおかしいのかな」


声は震えてなかっただろうか。やっぱり、アザレア(わたし)は人間になれないのだろうか。別に、人間になりたかった訳じゃない。ただ、仲間に入れて欲しかった。


「……貴女は、常識をよくお忘れです。ただ、それだけ」


静かに、フォラクスは返す。その声は、思いの外に柔らかかった。


「私は宮廷魔術師です。私と結婚するのならば、身分の高い方々との交流が必須。だから、貴族のマナーを覚えなければなりません。貴女が恥を掻かないためにも」


「……うん」


彼の返答は、ごく一般的なものだった。遠回しに「平民っぽい」とは言われたが。

 その返答にどこか安堵して、小さく落胆した。顔を逸らし、ノートに視線を移す。彼の手だけが、視界の端に残った。


「……貴女は、一般的な『神表し』の者よりやや奇異な生い立ちです。だからと言って、嫌われている訳ではないでしょう? 何を恐れていらっしゃる」


 その声色に、何か感情を感じた。


 弾かれるように顔を上げるも、フォラクスの顔はいつも通りに冷ややかだ。


 違和感を覚えるも、彼はその正体を見せないつもりらしい。

 やはり、彼は何か隠している。


×


「……(なにを、隠してるんだろう)」


 寮の自室のベッドに、うつ伏せに倒れ込んで思考する。

 以前、修学旅行の折に行った薬猿(シミウス)で、『お前の婚約者は貴族崩れだ』と、当主候補の男に言われたのは覚えている。元々は貴族だったが、理由があって平民になったと。


 それをアザレアが知ってしまったことは、すでにフォラクスも知っている。アザレアが隠しきれなかったから。アザレアは相手が貴族だろうと貴族でなかろうとどうでも良いので、話はそれで終わった、はず。


「(そういえば、どうして貴族崩れになったんだろ)」


ころり、と寝返りを打って体の向きを変える。


「(あの人が隠したがってることに関わるのかな……)」


 アザレアには隠したいことなどないので、正直何を恐れているのか分からない。


「(……『恐れている』、か)」


先ほどもフォラクスが言っていた言葉だ。彼は『あなたが変なことは他者には受け入れられているのだから気にするな』と言っていた(過大解釈)。アザレアが恐れているように見えていた、のか。


「(怖がってる、というより……わたしは)」


仲間が欲しい、のだ。自分と同じような、妖精もどきで人間もどきの仲間が。

 心の底から理解し合えるような、安心できる居場所が欲しい。


「(……そっか、似た人に会ってみたいんだ)」


どこか腑に落ちた。神表しで妖精に育てられた自分ような、普通の人とは少し違う人に会ってみたい。


「(いつか会えたらいいな)」


それはそうとして。


「(あの人の方が、『恐れている』……んじゃないかな?)」


何を恐れているのか、隠したがっているのかは知らないが。


「(まあ、どうでもいいけど。わたしの薬作りに影響しないんなら)」


ころり、とアザレアは再び寝返りを打った。


×


 春休みが明け新学期となったが、アザレアは授業に身が入らない。なぜなら、婚約者(予定)であるフォラクスが倒れたと聞き、それが気が気でなかったのだ。

 それを知らせたのは、見知らぬ宛先からの手紙だった。


「……なんで、直接教えてくれなかったんだろう」


 自室で目を通した手紙を畳む。

 手紙を送れないほどに、大変な状況だったのだろうか。


×


「あ、半透明なねこちゃん」


 授業が終わり、寮の自室に戻ったアザレアは目の前に浮遊する精霊(それ)を見るなり呟いた。

 確か、フォラクスが倒れた(むね)を伝える手紙を持ってきたのも、この『半透明なねこちゃん』だったはずだ。

 首に太い紐と鈴を付けた精霊は、アザレアに(くわ)えていた手紙を差し出す。


「お手紙? ありがとう」


 受け取り、開くと


「『急用のため取り急ぎ来られたし。全てこちらで用意するので心配無用。移動魔術式の発動手段は手紙を最後まで読む事』……って、え?」



 読み終わった瞬間に、手紙が勿忘草色(薄い青色)に光った。


×


「えっ、ここどこ」


 目を開き周囲を見回すと、見知らぬ場所にいた。平に(なら)された地面を踏んでおり、黒い瓦の屋根が付いた白い壁が両脇に迫る。そして正面には、同じく黒い瓦の屋根が付いた木製の巨大な門があった。後ろを見ても、黒い瓦の屋根が付いた白い壁に挟まれた道があるだけだ。なんとなく、空気の湿度が高く重たい気がした。


「あ、半透明のねこちゃん」


 どうしよう、と思い周囲を見回すと、自身の斜め前に手紙を持ってきた精霊がいる。

 アザレアを見た精霊は、ふわっと浮かび門の前に進み出た。少しして、ゆっくりと門が開く。すると、精霊はそれをくぐった。

 そっと門の先をのぞき込むと、その先で精霊がこちらを振り返り見て止まっている。


「……『ついてきて』ってことかな?」


 ちら、とアザレアを振り返る精霊の後を、彼女はついて門をくぐった。他にやりようがないし、恐らく、門の先に居るだろう誰かに招かれているはずだからだ。


「わぁー……広い」


 門の先には砂利の敷き詰められた庭と、広い木製と思われる建物があった。見える壁のいくつかは、門の周囲の壁と同じように白く塗られている。

 足元には白い石畳が敷かれており、まっすぐに建物の出入り口らしき箇所や周囲を囲っていた。きっとこの上を歩くのだろうと思い、そのまま精霊に誘われるままに歩き出す。


「あれ、どうしたの」


 建物に入る前に、精霊に止められた。不思議に思う間もなく、精霊はアザレアの足元を見つめる。


「え、ここで靴脱ぐの?」


 その視線に問いかけると、そうだと言わんばかりに精霊は頷いた。手紙だけを届けていたころから全く鳴き声を聞いた記憶がないので、この精霊は鳴かないのかもしれない。

 靴を脱ぎ終えると、一辺に長い紐のついた四角い布が頭に降ってきた。それをアザレアが手に取ると、精霊は布を顔に押し付ける。


「……で、この布を顔に着けるの?」


 精霊は尾をゆるりと揺らした。恐らく肯定だ。

 それを顔が隠れるよう額にかけ、頭の後ろで紐を結ぶ。


「んー……なんか色々と独特」


 呟きながら屋敷に上がった。それから先程と同じように、精霊に案内されるままに板張りの長い廊下を歩いた。

 目隠しをしているが、不思議と案内の精霊の居場所と足元の様子がわかる。


「(……それに。なんか、変なのいっぱいいる)」


 なんとなく走る怖気のような寒気のような気配にそっと腕を(さす)った。

 この場所にはほとんど人の気配は無く、なぜか黒い影のようなものがたくさんいるのだ。その半分くらいが、なんとなく嫌な感じのするものだった。恐らく、目の前を浮遊している精霊の仲間なのだろう。


 板張りの長い廊下は屋敷の部屋を囲うようにあった。庭と部屋を分けているような独特の構造に周囲を見回す。外は砂利が敷き詰められているが、所々に芝生があったり池や川のようなものがあったりと、()()()()()()()()()()()()()()の不思議な風景が広がっていた。


×


 ふわり、と精霊が動きを止める。


「あれ、ここで終わり?」


 長く歩いてようやく立ち止まったのは、恐らく建物の中央に値する広い部屋の前だ。随分と長く歩かされた気がする。


「よく来た。急な事で済まないね」


 部屋の奥から、静かで、それでいて張りのある声がした。そこで部屋の奥に誰かがいるのだとアザレアは気付く。


「……だれ……ですか?」


 誰かが座って待っていた。


「そう急くな。先ずはこちらに来なさい。話はそれからでも遅くはないだろう」


 部屋に入るよう言われ、案内の精霊は鴨居をくぐり部屋に入る。それにならい、アザレアも敷居をまたいで部屋に入った。


 広い部屋は板張りで、奥の方が少し高くなっている。その高くなっている箇所には木枠と布、(すだれ)で囲われた場所があった。正面の簾が半分程度上げられており、その中に一人の男性がいたのだ。


「そこに座りなさい。……椅子を置いてくれないか」


 アザレアに座るよう勧めた後、精霊に指示を出す。途端に、彼女の足元に程よい高さの椅子が現れた。


「礼儀作法は気にしないので、辛くない姿勢で好きに座りなさい」


言われ、これに座るのか、と確認してからアザレアは椅子の上に座る。


「その打ち覆ひ……ではなく布の面は、お前の命を守るためのものだ。不用意に外さぬ様にね」


 顔を見ようと布に手をかけるとそう、止められた。

 ほんの少し見えた男性は、長く癖のない霞色の髪を後ろで一つにまとめている。だが、その顔は今のアザレアと同様に布で隠されていた。


「私は、この場所……呪猫(フェレス)大公爵家の当主をしているカシエルだ」


首を傾げるアザレアに苦笑しながら、目の前の男性は答えた。


呪猫(フェレス)……の、当主」


 思わず、言葉をおうむ返しする。滅多に外に出ないと言われる呪猫の、おまけにその当主に会うとは思いもしなかった。


「然様」


 男性は、驚き目を見開くアザレアにゆったりと頷くと


「そして。お前の婚約者の兄だ」


そう答えた。


「……おにいさん……あの人の?」


 口調から呪猫(フェレス)あたりの人だとは予想していたが、まさかの当主の弟だったらしい。その衝撃にアザレアは眉を寄せた。本当に、とんでもない人と出会ってしまったようだ。


「そうだとも」


 それを聞くとアザレアはきゅっと口を結び、呪猫(フェレス)当主を真っ直ぐ見つめる。


「それなら、婚約者(あの人)に会わせてください。そのために、わたしをここまで連れてきたんですよね?」


「ふむ……怯まないか」


面の奥で、目を細めたような気がした。


「何を見ても、後悔はしないかな」


 呪猫(フェレス)当主は問いかける。なぜそのような事を訊くのかわからなかったが、


「『絶対にしない』……とは、言い切れない」


と、アザレアは答えた。


「……ほう?」


「わたしが、何に後悔するかわからないし」


訝しげな声を上げた呪猫(フェレス)当主を見据えたまま、


「話せないなら、『もっとあの人とおしゃべりしてたらよかった』とか、歩けないなら『いっぱいお出かけしたかった』とか、思うかもしれないから」


続ける。


「…………そうか」


酷く、優しい声で呪猫(フェレス)当主は相槌を打った。


「ただ、あの人のことが『大切』だって事は後悔するつもりはない……です」


「二言は無いな?」


 問いかけた呪猫(フェレス)当主に頷くと、


「では、付いて来なさい」


呪猫(フェレス)当主が立ち上がる。どうやら、当主当人に案内してもらえるようだ。


 高い場所(帳台)をアザレアから見て左手に降り、そのまま静かに歩き出す。


「こちらだ。(はぐ)れぬ様にな」


それを慌てて彼女は付いて行った。

 そのまま外側へ伸びる回廊を通り、一つ部屋を曲がって更にその奥へ。



「……ここだ。この部屋の奥に居る」


 北東側の、奥まった薄暗い場所に案内された。

 段々と暗く寒い方へ連れて行かれるので少し不安になっていたが、そこにフォラクスがいるらしい。

 出入りらしき引き戸には何やら紙の飾りの付いた紐や、紙の札が貼られていた。


 戸を開け、変わり果てた姿の彼を目の当たりにする。


×


 戸を開けた直後、フォラクスからするものと同様の、だが、圧倒的に濃いにおいがした。

 甘く芳しい、香のような匂い。


「魔力が抑えられぬ様でね。()()()()()()()()()少しきついか」


顔をしかめそうになるアザレアに、呪猫(フェレス)当主は問う。


「……大丈夫、です」


口を結び、アザレアは答える。


「(このにおい、魔力の匂いだったんだ)」


 そう思いながら、アザレアは部屋の中を見ようと戸に近付いた。

 暗い部屋の奥からは獣のような低い唸り声と荒い呼吸が聞こえる。それが、アザレアにはとても苦しそうに聞こえ、思わず唇を噛んだ。

 部屋の様子を見ながら、


「……まずいな。悪化している」


彼女の横で、顎に手を充てた呪猫(フェレス)当主が小さく呟く。

 部屋の中には一切の明かりや窓が無く、アザレア達のいる場所から差し込んだ光が唯一の光源だった。

 そっと、アザレアは部屋の中を覗き込む。


 まず目に付いたのは部屋中に広がる長い髪だ。

 フォラクスのものと同様の、黒紫色をしたそれは光が差し込むと(うごめ)き、一束、のそりとアザレア達の方へ伸びた。


「わっ!?」


 しかし、それは部屋の外には出られないらしく、アザレアの目の前で何かに弾かれる。

 すると、部屋の中央にいるそれが低い唸り声を上げ、こちらを睨み上げた。


「……っ!」


 アザレアは息を呑む。

 戸の奥にいるのはフォラクスのはずだが、その髪の隙間から覗いた虹彩の色が、全く別の色だったからだ。

 常盤色の筈のそれが赤黒く濁っており、()()なく黒い涙を流している。

 赤黒く染まった目はまるで、魔獣のようだった。


 そして、アザレアはゆっくりとその視線を彼の身体の方へ向ける。

 暗くて良くは見えないが、髪の隙間から彼の身体の端々が見えた。骨格は人のものに近いが、人とは別の形状をしている。まるで人と獣を無理矢理に混ぜたかのような、獣を人間の形に歪めたかのような、そんな(いや)な形状だった。見ているだけで強制的に嫌悪の感情を抱くような、(おぞ)ましい姿。

 暗くてよく見えないが顔も人間ではなくなっており、()()()()()()()()()、のような印象を抱くだろう。

 衣類は(まと)っているようだが、顔や身体、衣類のほとんどが目から溢れているものと同じ黒い液体で汚れている。


 アザレアはもう一度、彼の顔を見た。そして、横に立つ呪猫(フェレス)当主を見上げる。


「…………ねこちゃんになる()()にかかったの?」


 唸る声や、髪から覗く尖った耳が、猫のようだと思ったからだ。普通の人間ならば嫌悪を抱くその姿を、アザレアはいとも容易(たやす)く直視する。それはきっと、彼女の魂が妖精のものであり()()()()()()()できたことだ。


「……ふ、」


呟いた声に、呪猫(フェレス)当主が吹き出した。


「……そうか。お前はそう言うのか」


 柔らかい声色で呪猫(フェレス)当主は零す。兄である自分ですらまともに見られないその姿を直視し、かつ嫌悪を抱かないなど何とも羨ましいことか。魂が人間である限り、それは(かな)わない節理である。


「あれは魔術や魔法ではなく、どちらかと言えば『呪い』だ」


 彼を、()()()()にしてしまったゆえの弊害。


「『呪い』?」


「他所から取り入れた『穢れ』による魂あるいは魔力の暴走、とも言えるのだが……兎に角、今は彼奴(あやつ)に私達の声は聞こえていない」


首を傾げるアザレアに、呪猫(フェレス)当主は云った。


「少しすれば鎮静剤が投与される。その時に、彼奴と話せるだろうよ」


そして、部屋の戸を閉める。


×


「……あれを、大事にしてやってくれないかな」


 奥の部屋から少し離れ、カシエルはアザレアを見る。


「私は昔、両親に本家に売られた。だから、両親の事はまあどうでも良いとは思っているのだが」


溜息を吐き、続けた。


「……私にとって、彼奴はたった一人の肉親だ。きっと、私の事を恨んで、呪っているだろうけれど」


「だが、仕方なかった」と、零す。


「あれが私の弟として生まれてしまったのが運の尽きだ。弟が生まれた時に、私はその運命を視た」


そう言うと、少し声を落とした。


「……ずっと私と比べ続けられた末に、自身を呪い、私を呪い、呪猫(この家)を呪って滅ぼすのだと」


だから()()をしたのだと、告げる。


「呪猫の家は、4つになると使役のために精霊と契約を交わす。契約を交わした精霊は自身の持ち歩く()()に精霊を宿すのだが」


 アザレアから、カシエルは視線を外した。


「彼奴は、自身の()()に精霊を宿している」


「……身体?」


首を傾げる彼女に構わず、カシエルは続ける。


「宿しているのは私が家の者に捕獲させ育て殺した、飛び切りに呪力の強い猫魈(びょうしょう)だ」


開祖の血に混ざるものと同じものだと、カシエルは云う。


「あれに猫魈……要は開祖の血と同じものを混ぜたのは、()()()()()()()()()


『才能』の言葉に、アザレアは薬猿(シミウス)での当主候補の男との会話を思い出した。確かあの男は『呪猫(フェレス)で必要な才能が無い』と言っていたはず。


「呪いの才能と使役の獣を育てる才能が、有った。きっと、あのままならば本当に家を潰せるほどの怨霊を作り上げられただろうね」


と、小さく笑う。


「……それは、あなたがあの人のことを『脅威』だと思ったってことですか」


 顔をしかめ、アザレアが問いかけると、


「『恐れた』? はは、勿論だ。彼奴は私には届かぬが相当な力を持つ男だからね」


呪猫(フェレス)当主は頷いた。


「私とて、呪猫(フェレス)の当主だ。弟が生まれた時点で既に実権は握っていたし、折角の権力を手放すのは惜しかった」


乾いた笑いを交えながら、呪猫(フェレス)当主は続ける。


「そして、この家を潰すと、やがて国が滅ぶ」


笑いを止め、呪猫(フェレス)当主はアザレアに言葉をかけた。


「ここの役割は知っているだろう。『国の守護』だ。……何も知らぬ者は『(まじな)いだの言う出鱈目(でたらめ)を使う星見台』としか思っていない様だが」


 アザレアは頷く。貴族や歴史について学ぶ時に、『古き貴族』の役割について学習した記憶があった。


「占術で未来を測り、起こり得る災害を回避させてきたのが呪猫(フェレス)だ。それが無ければ、国軍でも災害全てを防ぎ切れるものか」


低く呟き、呪猫(フェレス)当主は溜息を吐く。


「……だが、先に彼奴を潰しておけば……彼奴が呪うのは私と私達の生まれた家だけになる」


 その言葉に、ほとんど感情を感じられなかった。


「だから、彼奴は国のために私の都合によって潰された」


だがアザレアには、後悔をしているように、懺悔しているように聞こえた。


「私は彼奴に赦されない事をしたのだ。だから、私がしてやれない分まで大事にして欲しい」


×


「……薬の投与が終わった様だ」


 少しして、呪猫(フェレス)当主はアザレアに告げる。


「今ならば、彼奴と会話が出来るだろう。何か、会話でもすると良い」


暫く人払いをしておく、と呪猫(フェレス)当主は部屋の扉を開け


「ただの勘だが、お前ならば彼奴の事をどうにか出来るだろう。()()()()()()()()()()()

「うわっ?!」


アザレアを部屋に押し込んだ。

 振り返るも、戸は閉じられてしまった。


×


 光源のない暗い部屋のはずなのに、なぜか彼の様子が手に取るように理解できた。

 先程までの荒い息や獣の唸るような音は時折聞こえるが、床に這いつくばっていた彼はちゃんと人間らしく座っている。



『…………』


 彼は一瞬、誰が入って来たのかと小さく身動(みじろ)ぎしたのち、()()()()()()()()()()その存在を認めた。

 直後、絶望したかのように目を見開く。


『来て、しまったのですか』


彼は、人とは違う(言葉)を呟いた。不思議と、その音の意味をアザレアは理解できる。


『…………見られたく、なかった』


 掠れたその声が、


『……貴女にだけは、見られたくなかった』


床に突いた両の手が、


『この姿を』


震えていた。


「……」


 改めて、アザレアは目の前の婚約者になる男の姿を見る。

 人間とは違う尖った鼻先に尖った耳、湾曲して尖った鉤爪と大きな手。毛皮に覆われた肌、人間というには歪み過ぎていて、獣というには長い(いびつ)な四肢。

 人間の形をした獣のような、獣の形になった人間のような造形だ。

 彼は膝を突いた姿勢で座っており、何かに酷く怯えた様子だった。近付こうとして足を動かすと、靴下越しに糸の束のような感触がする。

 自身の足元を見ると、彼の頭髪らしき黒紫色のそれをしっかり踏んでいた。しまったな、と思うがかなり広い範囲の床を覆っているので避けて床を踏むのは難しそうだ。


『……これが、(わたくし)の……()()本当の姿だ』


 ややあって、彼は小さく零す。


『儂の、魂の形(在り方)


ゆっくりと、錆びた蝶番(ちょうつがい)のような緩慢な動きでアザレアに顔を向けた。人間のような目をした、肉食獣の顔だ。そこで、人間の姿をした彼の、歯が鋭く尖っていたことを思い出す。本質に近い形状だったから、きっとあまり見られたくなかったのだ。


『醜いだろう、浅ましいだろう、(おぞ)ましいだろう』


その言葉と共に、赤黒く染まった目がアザレアを向く。魔獣のような色の目は、どろりとした濃度の濃い怒りと怨みの色を感じた。それと、恐怖と寂しさに近い感情も。


『拒絶しろ』


 大きく見開いた目や顔から黒い液体を零しながら、彼はアザレアに近付いた。のそりと膝が付きそうな姿勢で立ち上がり、背中を曲げ獣のような四足歩行に近い歩き方だ。


斯様(かよう)な化け物は嫌だと、言え』


ずるずると長い髪を引きずり、


『嫌ってくれ』


蠢いた髪の一部がアザレアの首に巻き付く。


『……受け入れないで、くれ』


「…………なんで、きみが泣きそうなの」


 ゆっくりと首を締め付ける髪を払わず、近付く彼を避けることもなく、アザレアはその異形となった顔を見上げた。熱い息を吐く彼は、本当に苦しそうだ。呪いに蝕まれた身体や、そうなってしまった彼の心の痛みを想像して、アザレアは表情を歪める。すごく痛くて、寂しくて、悲しかった。


「それに、『拒絶しろ』とか『嫌ってくれ』ってお願いは聞けないかな」


そのままそっと、アザレアは自身の手を彼に伸ばす。


「確かに、ちょっとびっくりした」


答えながら、『ようやく彼に触れられた』のだと心の底から安堵した。今まで、彼が決して見せようとしなかった本当の姿。


「……けど、それが『きみ』なんでしょ?」


 両頬に手を伸ばし、その小さな手で彼の顔を包み込む。


「わたし…………きみのことすき、だよ」


彼が驚き硬直するのも構わず、


「きみがどんな姿でも、その気持ちは変わらない……と思う」


そう少し頬を染めて笑った。悍ましい姿を見ても、彼女は『好き』だと言ってくれるらしい。そのことに、彼は衝撃を受けた。


「だから安心してよ。わたしは、どんな姿のきみでもいいよ」


黒く濁った魔力で汚れるのも構わず、そのまま腕を伸ばして頭を抱き寄せる。


「絶対に、見捨てないから」


そして、言い切った。


『……儂は、嫌いだ』


 アザレアに抱きしめられながら、


『嫌い、です。……こんな姿なんて、望んでいなかった。“出来損ない”と言われ続ける生、など』


彼は呟き、涙を零した。


『儂はただ、奴に届かなくとも、(まっと)うな生でなくとも……“人”として生きたかった』


と。


『嗚呼、今でも(はらわた)が煮え繰り返る』


 ぎり、と奥歯を鳴らし低い声で呟く。


『奴を信頼した、儂の迂闊(うかつ)さが』

『儂の信頼を裏切った、()の事が』

『儂を蔑み、蹴り、唾を吐いた連中の事が』

『儂を産んだ癖に(ろく)に育てもしなかった奴等の事が』

『どれ程、恨みを募らせた事か』


そして、ゆっくりとアザレアを抱きしめた。


『……自身の先の事は、知っていました。家を呪い滅ぼす事、それが国を傾ける一因となる事は』


 そっと、壊さないように触れてくれているようで、アザレアは思いの外に優しい力で締め付けられる。


『奴には劣るものの、儂は()()だ。呪猫の中では他よりも秀でている』


よしよしと、あやすように彼の背を撫で、アザレアはその言葉を聞いていた。呪いのように零れる言葉はすさまじい熱量で、きっとそうなった瞬間からずっと抱き続けた、誰にも癒せない感情だ。


『だが儂は、誰にも望まれぬ(のろ)いの才を持っていた。ずっと、奴と比べ続けられる運命にあった。……霊を育てる才は、精霊を混ぜられた時に失ったようです』


ぎゅう、とアザレアを抱き締める力が強まる。悔しさや様々な感情を堪えようとしているのだと、アザレアには感じられた。


『何故、貴女は受け入れられるのだ……儂は、いまだに受け入れられていないというのに』


 低く、すすり泣くような声で彼は呟く。ぼたりぼたりと、彼の方から雫が落とされていた。


『儂は、生涯ずっとこのまま(化け物)だ』


その言葉に、アザレアは顔を上げた。


「一生、ねこちゃんなの?」


 その、やや斜め上の感想に、見えないのだが彼は顔ごとアザレアに視線を向けた。不思議と落ち着いてきており、彼女のその言葉に嫌な感情が湧かない。


『ええ、そうですね。死ぬまで、ずっとです』


見下ろした彼女は、きっと彼自身の出した黒い液体ですっかり真っ黒に汚れている。


「……それは、しょうがないね……?」


『嫌でしたか』


 彼が拭おうとも、それは彼自身の魔力だったので綺麗になど出来るわけがなかった。


「んー、嫌って訳じゃないよ。わたしは、きみがきみならそれでいいの」


汚れるのも構わず、アザレアは彼の顔に頬を寄せる。それから腕を彼の背や胴体に回した。体格差のおかげで脇腹程度にしか届かなかったけれど。


「きみが理性を失って、()()()魔獣化しちゃうなら話は別だけどさ」


頬の、熱く、柔らかい感触が伝わった。


「あーでも。できれば形は、人の方がいいかも」


 『人の形が良い』との発言に彼は硬直する。だがそれに構わず、呑気にアザレアは言葉を続けた。


「だってほら、お出かけしたらびっくりしちゃう人とかいるかもだし。それでせっかくのお出かけを邪魔されちゃうのは、ちょっと嫌かな?」


 薬草採りなら気兼ねなく一緒にいけるかな、と首を傾げる。どうやら、周囲の人間のため、あるいは2()()()()()()()()()()()()()に、その方が良いと言ったらしい。


「でも。さっきいった通りどんな姿でも、きみのことがすきだよ。だって、器の形が違うだけでしょ?」


 『どんな姿でも一緒にいるつもりだ』と、アザレアはまっすぐに彼に告げた。


×


『やっと、仲間を見つけられた』


 そう、アザレアは思ったのだ。


 人間になろうとして、人間になりきれない『異物』。


「(……自分と、同じ)」


 そう思った時、えも言われぬ嬉しさが湧き上がった。ようやく現れた仲間が、結婚相手だったのだ。


 嬉しさと同時に、押さえ込んでいた愛おしさが溢れる。

 いつも一歩線を引いて、傷付かないようにと周りと距離を取っていた。だが、彼なら深く傷付くことも平気になれそうだ。


 彼の隠していた正体が()()なら、もう大丈夫だと思ったのだ。


×


『……貴女は、』


 フォラクスはアザレアが居るであろう場所に目を向ける。そして、やはり視界が見えないのは不便だと思った。


「なに?」


見上げ、アザレアは首を傾げる。


『矢張り、特殊な趣味をしていらっしゃるようで』


「え、酷くない?」


突然の言葉に、アザレアは眉を寄せた。すると、彼は小さく笑う。


斯様(かよう)な出来損ないの化け物が好きとは』


その言葉には、嬉しそうな楽しんでいるような色が含まれていた気がした。


「本当に、すきだもん」


頬を少し膨らまして、アザレアは抗議する。


『然様ですか。貴女がそう(おっしゃ)るのならば、強く否定は致しませぬ』


大分落ち着いた様子で、フォラクスは告げた。


「……でも、『その目』は嫌」


 アザレアは身体を離しながら、彼の背中周辺に回していた手をその顔に再び持っていく。そして、彼の目を見つめた。


『“目”ですか』


「ん。今のきみ、おめめが黒っぽい赤の色してるの」


 訊き返す彼にアザレアは頷く。

 今の赤黒い色も、なんとなく色味がお揃いのような気にはなるのだが、アザレアはあの深い緑色の目の方が好きだった。よく見ると、彼の虹彩は濁った色をしている。そこで、もしかすると魔力が詰まっているのかも、と思い至った。


『……それならば、貴女と似たような色味だと思いますが』


彼の言葉に、同じことを考えていたのだとなんとなくで嬉しくなる。だが、


「よくわかんないけど、なんか嫌」


その色を見ると、もやっとするのだ。眉をひそめ、アザレアは口を尖らせる。


『…………然様ですか』


 両頬を彼女に触れられた感触はあるのだが、フォラクスにはその顔が見えない。酷く、惜しいものを見逃したような気がした。

 彼も、そっとアザレアの頭部があるであろう場所に、獣の前脚のような手を持っていく。頬や側頭部の辺りに手の平を当てたが、彼の手は非常に大きく指先が後頭部にまで届いた。


「おっきいね、きみの手」


 その手にアザレアは小さな手を重ね、くすぐったそうに小さく笑う。


『……』


 どんな顔で笑っているのだろうと、気になってしまった。


「わ?!」

『……失礼』


 突如、アザレアの頬に、生温く湿ったものが触れた。それはべろ、と彼女の頬を舐め上げて魔力で黒く染まった彼女の顔を拭う。


「ん、なにしてるの?」


 唐突に顔を舐められ、アザレアは戸惑いの声をあげた。人間のものよりも大分ざらついたその感触に、「(やっぱり、ねこちゃんだ)」と思う。


『見えませんので。貴女の表情が知りたかったのです』


意外と素直に、フォラクスは答えた。


「触ったらいいのに」


『力加減を間違えて、傷付けてしまいそうで』


 不満気にアザレアが言葉を零す。すると、彼は申し訳なさそうな様子で、彼女の頬に触れる手を少し動かす。その指先には鋭い鉤爪が付いており、確かに下手すれば怪我をしてしまうかもしれなかった。


「やっぱり、見えないんだ?」


『……ええ。諸事情がありまして』


「ふーん……」


 ふと、アザレアは目の前の婚約者と、まともに会話できているのを不思議に思った。鎮静剤を投与されているにしても、思った以上にまともに会話ができていたからだ。部屋の外や先程の姿、聞いていた話を加味すると、もう少し会話が難しいものだと思っていた。


『どうされましたか』


 彼の頬を撫で、アザレアはそのまま目元に手を持っていく。


「きみの中に入ってる()()。少しだけ取ってあげる。……全部は、深すぎて取れないけど」


そう言うと、彼女は手袋を静かに外した。それから彼の頭を抱き寄せる。そして、フォラクスにアザレア自身の魔力を染み込ませた。


『……う、』


 顔をしかめ、彼は低く唸る。アザレアの柔らかく小さな手の感触が、心地よかったのだ。

 このタイミングで、とフォラクスは強く目を閉じたのだが、それよりも、アザレアの方が酷い状態だった。


「…………ん」


強い感覚に、小さく(うめ)く。


「(……そうだった、黒い液体(これ)、この人の()()なんだっけ)」


彼の魔力がどこからともなく溢れて、彼の顔に触れるアザレアの手に直接かかった。

 触れた側から、以前の放出器官同士を触れ合わせた時と桁違いの感覚が襲う。それには心地良さなどなく、むしろ火傷しそうな熱さとひりひりとした痛みがあるだけだった。

 自覚すると、手だけでなく黒い液体がたっぷりかかっていた顔にも熱く、ひりひりとした感覚を覚える。


「(やっぱり、なにか変なのが混ざってる……)」


 以前に触れた時と違い、フォラクスの魔力には何か濁った感覚がある。魔力に直接触れたお陰で、それがよくわかった。

 ゆっくり、じわりと魔力を染み込ませ、彼の目に留まっていた『何か変なの』を抽出する。


「っ、」


 彼の頭を()(かか)え、魔力を染み込ませた時。強い違和感が体を襲った。物凄い異物感、というものだろうか。彼の魔力の中に潜む、『何か変なの』がすごく嫌な感じがするのだ。


「(すっごく、『嫌なもの』だ)」


すさまじく強い、悪意の感覚がある。


「……どう? とれた……かな」


 アザレアの魔力と共に抽出された『何か変なの』をそこら辺にてきとうに放置して、彼女は問う。


『…………嗚呼、』


薄く開いたフォラクスの目の色が、元の常盤色に戻っていた。


『見えます。貴女の顔が、良く』


嬉しそうに目を細め、彼は自身の出した液体(魔力)で汚れたアザレアの頬を拭うように触れる。


「よかったー」


 その言葉に、心底安心した様子でアザレアは息を吐いた。


『貴女は、(わたくし)の言葉が分かるのですか』


「え、言葉?」


フォラクスが零した疑問に、アザレアも首を傾げる。


『家の者は、ほとんどが理解出来ていなかったというのに』


「んー。なんとなく、おばあちゃんが教えてくれた言葉に似てるからわかるよ」


 歌とかいっぱい教えてくれるんだよ、とアザレアはフォラクスに話した。


×


 それから少しして、呪猫(フェレス)当主が『そろそろ薬が切れる頃だから戻りなさい』と、戸の向こうから声をかけた。


「……お薬切れるんだって。だいじょうぶ?」


心配しながらアザレアはフォラクスに問う。


『……』


フォラクスは戸の方を睨み付け、アザレアを抱きしめたまま動かない。


「あのー」

『…………』


気不味そうに見上げると、彼は低く唸りながらも渋々と手を離した。


×


「ふむ」


 部屋から出ると、出迎えた呪猫(フェレス)当主が面白そうに声を上げた。


後朝(きぬぎぬ)の様な顔をしているな。()()()()()


心底愉快そうに呪猫(フェレス)当主が言った直後、


ダァンッ!


 と、強く戸を叩き付ける音が響き、アザレアは飛び上がる。


「ぴっ?!」


すさまじい強さで、今にも戸や壁が破られそうな音だった。


「ははは、何か言いたければそこから出るのだな」


 呪猫(フェレス)当主は軽く笑い、


「さて。急なところ悪いが暫しの間、この家に泊まってくれまいか」


とアザレアに問いかける。


「なんで? ……ですか?」


「1週間程だ。苦ではないだろう。それに、手紙にも『こちらが全て用意する』と記していただろう?」


 詳細は教えてくれなかったが、帰るための道順も知らないし持ち物も何も持っていなかったので、そのまま泊まることになった。


 泊まっていた1週間の間も様々なことがあったが、フォラクスはどうにか人間の形を取り戻し回復したようだった。


 アザレアには学園があるので、彼を残したままだが学園に戻る。


×


 それから少しして、卒業式の日にフォラクスが帰ってきた。

 卒業式の日、同時に成人の儀が行われアザレアはラファエラと言う新しい名前を得る。過去の名前は神の力で皆から忘れられるのだという。


「外に出られるようになったんだ、よかった!」


 安心しながらラファエラはフォラクスの元に小走りで近付いた。彼は立ち止まったまま、彼女が来るのを待ってくれている。

 外はすっかり夕方になっており、紫色に空は染まっていた。

 青々と茂る夏の草木の景色の中、少し強く風が吹く。


「大変、御迷惑をお掛け致しました」


 ラファエラがフォラクスの下にたどり着くと、軽く頭を下げ彼は謝罪をした。さらりと揺れる黒紫色の髪に、今日は結んでないんだなとなんとなく思考が過る。かくいうラファエラも、もう魔術アカデミーの制服はもう纏っていない。


「そんな、びっくりしただけでわたしは迷惑だなんて思ってないよ」


微笑み、ラファエラは軽く頭を振った。逆光になって見えにくいが、彼の困ったように笑う声が聞こえる。それに不思議と嬉しくなった。


 傍まで付くと、逆光でもフォラクスの様子がよく見えた。特に体も倒れる前と変わらず、怪我も衰弱もしていないようだ。


「きみが元気そうでよかった」


 安心してラファエラが微笑む。


「……貴女は」


呟き、フォラクスはラファエラの蜜柑色の髪に触れた。


「なに?」


「髪が、伸びましたね。それと、背丈も」


なんとなく、嬉しそうで懐かしそうな声だ。言われてみれば、初めて顔合わせをした時よりも身長差が減ったように思える。


「でも。きみは背が高いから、あんまりそんな気はしないなぁ」


 首を傾げると彼は名残惜しそうに髪から手を離した。


「どうしたの?」


「貴女にお渡しするものが在りまして」


 視線を向けると、フォラクスは虚空から小さな花束を出し、そっとラファエラに差し出す。


「御卒業と成人、誠におめでとうございます」


「うん、ありがとう……あ、この花ね、痛み止めに使えるんだよ」


受け取った花束が製薬に使える事に気付き、彼女はフォラクスを見上げた。


「それはもう貴女に差し上げた物なので、ご自由にお使い下さいまし」


彼はそう微笑む。


「わかった。……あ、そうだ。もう、わたしは寮には戻れないから、これから一緒に住むことになるけど……大丈夫?」


彼の言葉に頷いた後、ラファエラはこれからの生活について問いかけた。


「ええ。冬季や春季での休業と同様のものが()()()()()()()()でしょう」


「……なーんか、その言い方やだ」


「そうですか。まあ、兎に角」


 眉間にしわを寄せるも、彼は軽く流し左手を差し出す。


「帰りますよ、()()()()


 そして、とある名を呼んだ。


「うん……ん?」


 その手を取ろうとした手を止め、ラファエラはフォラクスを見上げた。


「今、なんて?」


「『帰りますよ』と言いましたが」


 目を瞬かせる彼女に、彼は不思議そうに首を傾げる。


「そっちじゃない」


「何を戸惑って居られるのです、()()()()


次は意味あり気に、もう一度その名を呼んだ。そして、少し口元を歪ませて笑った。


「な、なん……で」


名前を、()()()()()


 驚き、ラファエラは距離を取ろうと身を引く。


「っ、」


だが、いつの間にか腰元に回されていたフォラクスの腕や手にそれが阻まれた。


「……ああ、(わたくし)が貴女の幼名を呼べる事に驚いていらっしゃるのですね」


目を細め、彼は心底面白そうに微笑んだ。


「なんで」


 なんだか今までと少し違う愉悦を含む微笑みに、彼女は驚きと小さな警戒で身を(すく)める。


「それは、私には幼名が在りませぬゆえに『癒しの神』の影響を受けないため……やもしれませんね」


安心させるためか、いつものような微笑に変わった。


「え、わたし癒しの神には会ってないよ」


 少し眉を寄せ、ラファエラは答える。洗礼の時に聞こえた声は間違いなく知っている声だった。だから確信は持てている。


「洗礼の際にその神の御声を聴くと聞きますが……洗礼を、受けなかったのですか」


「洗礼は受けたけど」


「では、癒しの神にはお会いしているのでは?」


やや柳眉をひそめ、彼は問うた。『癒しの神』以外が洗礼を施す事など、通常ならばあり得ない話だ。そもそも、そんな話を聞いたことがなかった。


「洗礼は、()()()()()()()してもらったの」


 彼女は、はっきりと答える。


「は?」


 ふざけているのかと彼女を見下ろすも、まっすぐなその眼差しは真剣そのものだった。


「わたしのおばあちゃん。よくわかんないけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()よ」


「……道理で、占わずとも貴女の名が直ぐ視えた訳か」


低く、彼は呟く。


「何か言った?」


「いいえ。ある意味でおそろいのようだと思うた次第ですとも」


真偽はともかく、『癒しの神』から洗礼を受けていないならば同じであると。そう、フォラクスはラファエラに言った。


「おそろい? そっか」


嬉しそうに彼女は頷く。


「でも、逆になんできみは洗礼を受けてないの?」


 そう聞かれると思った、と言いたげにフォラクスは目を細めた。


呪猫(フェレス)の家では能力の高い者は付けられた名を変える事なく、要は幼い頃に付けられた名のままで一生を終えます」


 付けられた名は幼名でも洗礼名でもない。だから、成人の儀でも洗礼は受けていないのだと彼は言った。


「へぇー」


 そういうこともあるんだなと、ラファエラは頷く。

 そして()()()()()()、ということはやっぱり彼はただの『出来損ない』じゃないじゃん、と彼女は内心で呟いた。


「それはともかく」


「はい」


 ラファエラは、新ためてフォラクスを見上げた。腰に回した手はまだ離してくれない。


「わたしは成人したんだから、その呼び方(幼名呼び)はどうかと思う」


 はっきりと目を見て告げる。だが


「何故?」


彼は彼女を覗き込み、逆に問い返した。


「え」

「呼んでも良いと、貴女は(おっしゃ)ったでしょう?」


 そう言い、腰に回していた手でラファエラを撫でる。

 それは、確かにそうだ。

 幼名だった頃に、『名を呼んでいいか』と聞かれそれを是と答えた。


「でっ、でも!」


 フォラクスの胸板を両手で押し、無理矢理に距離を取る。ようやく彼から離れられた。


「その時は幼名(それ)が名前だった、から!」


必死に叫ぶ。


「そ、そんな、あ、あ、赤ちゃんみたいに呼ぶ、なんて」


ラファエラは顔どころではなく首や耳まで真っ赤にさせて、言い返した。

 

 幼名で呼ぶ。

 それは自分と教えた特別な相手だけが知る、幼き日の秘密の名前で呼ばれるということ。

 つまりは『とても愛おしい人』と呼んでいるに等しく、随分と甘い呼ばれ方であるということだ。


 きゅ、と彼はラファエラの手を取る。


「ねぇ、アザレア」


そして、幼名で呼んだ。


「なん、うわやっぱり恥ずかしい!」


 顔に上がった熱が、どうも(おさま)らない。きっと、彼に恥ずかしい呼ばれ方をされているからだ。


「帰りましょうか。暗くなりますし」


 にこやかな笑みで、とんでもなく恥ずかしい呼び方をされる。


「……これから幼名(それ)で呼ぶつもり?」


「ええ。これも、貴女の名前でしょう?」


不安気に問うと、フォラクスは肯定した。どうやら覆す気はないらしい。


「んー……」


 羞恥で体がそわそわする。

 でも覚えてくれていたことが、ラファエラは嬉しく思えた。


「御手を。暗くなりますゆえ」


「……うん」


 逸れないように、と差し出された左手に、ラファエラはそっと右手を乗せる。


 そうして、二人は家路に就く。


×


 『薬術の魔女』の中に巣食っていた孤独は、いつのまにか居なくなっていた。

 フォラクスと一緒なら、もう寂しくならなそうだと感じたからだ。

本編『薬術の魔女の結婚事情』(https://ncode.syosetu.com/n0055he/)(恋愛モノ)


本編2『薬術の魔女の宮廷医生活』(https://ncode.syosetu.com/n2390jk/)(推理モノ)


この話と同じ世界観ですが、今回は名前開示版です。(※上記2作品は名前非開示)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ