一・少女
暗闇の中を一匹の馬が男を乗せて歩いている。馬は闇に溶けるような黒で、男は二十五・六歳程の日に焼けた筋肉質であった。その風貌は、どこかの山賊かと思えるほど粗野で無精髭を生やしそして汚れている。所々破れた服を着、そしてその上に汚れた革の鎧を身につけていた。馬には細い剣が吊るされており、荷物は大きいがその布は穴が空いていた。
男はゆっくり歩む馬の上で背中をポリポリと掻いて、暗くなったこの草原を見渡す。そして、小さく溜息を吐き馬から下りた。
「チッ、街に着かなかったな…。仕方ない、ここらで野宿だな…。カスタス、疲れたか?」
彼は馬の顔を撫でて優しく言うと、馬はブルブルっと顔を揺らした。男は馬に積んであった荷物を降ろし、荷物の中から大きな皿を出すと比較的草の少ない場所にそれを置いた。そしてその上に固形の油の様な物を置くと、ポケットから火種が保存して有る小さな筒を取出し、固形油に火を灯した。油は小さな火をおこし、彼らを照らす。男はその前の地に座ると呟いた。
「食料が無くなってからもう三日…。お前はこの草を食べてりゃ良いけど、俺はもう腹ペコだよ。」
彼はそう言って馬を見る。そしてその目が段々と異常な程の目つきになり、息が荒れてよだれを流しはじめていた。
「馬の肉って美味そうだよな…。」
馬が耳を何回も回しビクッとする。どうやら殺気を感じたようだ。
「ヒイヒヒヒン!」
急に暴れて、そして男を置いて走り出した。男は慌てて怒鳴る。
「う、嘘だ、冗談だ!カスタス!冗談だから戻って来い!」
しかし、馬は戻ってこない。それで男は慌てた。馬に見捨てられたら旅が続けられないではないか…。男は馬を追って走り出した。
馬はすぐに止まって男が来るのを待っていた。男はそれを見て安堵の溜息を吐くと、馬に笑いかける。
「なんだ、お前も冗談か。びっくりするじゃないか…。」
男はそのまま馬の手綱を引いて戻ろうとした。
「ヒヒヒヒヒインッ!」
馬はそれを嫌がるように首を振る。それで男は思いきり手綱を引いた。しかし、やはり馬は微動だにせず、逆に男が引張られてそこに倒れた。
「おい、カスタス…。いい加減にしろよ。何なんだよ…。」
男はお尻を叩きながら立ち上がり、そして怒った表情を馬に向けた。しかし、馬はまるで男の事など無視して、その場の地面を見詰めブルブルッと頬を震わす。それで男は額に青筋を立てた。
「おい、お前どういうつもりだ!」
その時、男は馬の足元の暗い草の中に黒い異物を見付けた。それは身動きしない荷袋程の大きさの物体だった。
「何だ…。」
男はそれに顔を近づけてそれを確認すると、顔を顰め無精髭の顎を撫でた。
「おいおい、こんな所に子供の死骸かよ…。嫌だねぇ、口減らしの為に子供を殺す輩がいるから…。と、それより、いくら腹が減っていても、さすがの俺も人間の肉は食わねーよ。この野郎どういうつもりだ?」
男は馬に怒り出した。その時、その子供が微かに動く。
「ウーン…。」
男は一瞬ビクッとしてその子供を見る。そして顔を近づけた。と、穏かな息をしているのが感じられた。
「おい、こいつ生きてるぞ。」
馬は当たり前だと言う風に首を振る。それで男は大きく溜息を吐いて、その子供を抱き上げた。
「この馬鹿馬が…。面倒な物を見付けやがって。こっちだって食い物も無いんだぞ。」
そう怒りながらも彼はその子供を先程の焚火まで担いで行った。そして火の当たる場所にその子供を寝かし、その服装が高貴な者の物だと気付く。黒くサラサラの髪は奇麗に梳かされ、肩の所でカットされている。そして刺繍の多いブラウスとスカートは女子の物だった。
「こ、こいつは…。何処かのお金持ちの娘だな。…迷子か、誘拐されてきたか。どちらにしても、街に連れていってこの子の親を捜せば金になるな…。」
男は急ににやけて立ち上がり、自分の馬を撫でる。
「良くやった、カスタス。これで金になったら当分飯に困らないぞ。」
馬はそのに呼応するように前足を上げ、ヒヒンと鳴いた。男はそれで満足そうな表情をしてその子供の横に座る。
「この服だけでも、数十ディーンになるな。親が見つからなかったらこの子の服を剥いで服だけ売るか…。そしてこの子はそのまま女朗部屋に売りつけて、ヒヒヒッ、金に当分は困らんな。」
男が卑らしく笑う。すると、少女がきその声に気付いた。目を擦り身を起す。そして男の顔を見た。
「…おじちゃん…誰?」
それは可愛らしい声だった。男の怪しい顔を見て泣く事もせず、不思議そうに首を傾げる。男はここで逃げられては元も子も無いので、猫撫で声で少女に笑顔を向けた。
「お、おじさんは怪しい者じゃないよ。嬢ちゃんを街に連れていってあげようと思ってね。」
少女はジッと男を見詰めて、そしてニコリとした。
「ティーナの名前はティーナ。おじちゃんの名前は?」
「おじちゃんはシャリオスナル=ライシュルス=クラシオンてんだ。」
「シャリ…?シャオナ…。」
ティーナと名乗った少女は男の名が良く分からず困惑の表情を浮かべた。
「まあ、本名で名乗ったのは十年ぶり位だな。今はシャリスって名乗っている。」
「シャリスおじちゃんね?」
ティーナはそれで笑顔を男に、シャリスに向けた。その笑顔は人を疑う事を知らぬ無垢な表情で、シャリスは一瞬その笑顔に引き込まれる。そしてハッとしてブルブルと首を横に振った。
“いかんいかん。子供に魅了されてどうする。俺はこの子供を売る為に拾ったんだぞ。”
「と、所でティーナ?君の住んでいた街は何処か分るかな?」
ティーナは首を振る。
「ティーナ、良く分らない。でも、ママが言うの。ここで待っていなさい、パパが迎えに来てくれるから。って。ママは悲しそうな顔でティーナを見るの。そしてティーナを置いて行っちゃったの。」
ティーナの顔が曇って俯いた。そして先程までの笑顔が全く消えて泣き顔になって大粒の涙がポロポロと零れる。それでシャリスは焦って明るい声を出す。
「ティーナちゃん、この馬はカスタスって言うんだ。どうだ?凄い馬だろう。」
ティーナの顔がハッとして、焚火の火に浮かび上がる馬を見た。そして驚きの表情とそしてまた笑顔を見せた。
「お馬さん…。本物のお馬さん?」
カスタスはティーナの声に反応して彼女に近付いてその顔を彼女の顔に摺り寄せる。
「きゃっ。きゃは…キャハハハハ。」
ティーナは楽しそうに馬の顔を撫で、声をあげて笑った。それでシャリスはホッと胸をなで下ろす。何て言っても子供の鳴き声は耳に付いてやかましいから。
“それにしてもパパが迎えに来る?こんな夜にか?いくらなんでも子供一人で置いてきぼりにするには危険過ぎる場所だぞ…。”
草原は穏かな風と草の支配する場所だが、小型の肉食動物も数多く生息する。人間の子供など簡単に食い殺されてしまうのだ。もちろんその小型の肉小動物などは、シャリスの様な旅行者などにとって貴重な食料である事はいうまでもない。
「ねえティーナ。そのパパはいつ来るって?」
ティーナは馬とじゃれあいながら首を振る。
「分らない。でもママはそこで待ってなさいって…。もしかしておじちゃんがパパ?」
ティーナがパっと明るい顔をしてシャリスを見る。それでシャリスは苦笑いした。
「違うよ。ティーナはパパと会った事が無いのか?」
「ティーナ、ママと二人だったから…、パパを見たことが無いの。おじちゃんはパパじゃないんだ…。ちょっと残念。」
彼女は笑顔でシャリスに言う。シャリスは少し渋い顔をした。
“…パパか。まあそんな奴が来たら、保護した手数料として金をせびるか。”
シャリスはそう呟いて、そして体を横にした。ティーナはそれを見てシャリスに寄ってくると、彼に体を摺り寄せて横になった。
「おいおい。俺はお前のパパじゃないって言ったろう?」
「ティーナ…一人で寝た事無いの…。」
さっきまで一人で寝てたじゃないか、と、シャリスは思ったが、子供の言う事だしあえて突っ込むのはやめた。
「仕方ないな…。それじゃ、あまり暴れるなよ。俺は寝相の悪い奴が嫌いだからな。」
「ティーナ暴れないよ。ティーナ寝相いいもの。」
彼女はそう言うとまるでシャリスを昔から知っている親しい人の様な感じで、彼に引っ付いて眠りについた。
「何なんだ、このガキは…。」
シャリスはその寝顔を見てそう呟いたが、実の所はその行動が良く理解出来た。彼女は恐らく一人ぼっちで何時間もいたのだろう。寂しさと恐怖、そして悲しみに耐えて。それで自分に危害を与えないと思われるシャリスを、必要以上に慕ってしまったのだ。
シャリスは溜息を吐いて、空腹感と戦いながら眠りについた。
「おじちゃん。ティーナ、お腹すいた…。」
馬に跨ったシャリスの前にチョコンと座ったティーナが肩まであるサラサラの黒髪をフワッと回し、後ろを振り返って言う。二人は大きな街に入っていて、その活気と人込みにティーナは少し驚いていたが、建ち並ぶ露店から漂う食べ物の匂いと、酒場や飯屋から漂う料理の匂いに我慢が出来なくなったようだ。
「俺もだ。しかし、金が無いんだよな…。さて、どうすべ。」
シャリスは困ってしまう。何せティーナを売り飛ばして金を作ろうと思っている程だ。しかし、売り飛ばすよりこの子の親元に連れていって、その礼金をもらう方が金になると思っている以上、そう簡単に売り飛ばすわけにはいかない。
「お腹すいた…。」
ティーナが呟く様に言う。子供に忍耐というものは無い。しかし、ティーナはシャリスの言う事が分かったのか、辛そうな顔をしながらもそれ以上のわがままは言わなかった。
馬は二人を乗せて薄気味悪い店の前を通った。そこでシャリスは馬を止め、その店を睨んで考える。
「換金屋か…仕方ねぇ。俺も食ってからじゃないと動けんし…。売っちまおう。」
シャリスはそう言うと馬を下り、ティーナを連れてその薄気味悪い店に入っていった。
店の中はゴチャゴチャと品物が並べられ、その最奥に黒いローブを来た不気味な老婆が座っていた。
「いらっしゃい…。何をお求めで?」
「換金だ。高く買ってもらいたい。」
老婆はジロリとティーナを見る。それでティーナはシャリスの後ろに隠れる。
「その子供かい?服装からしてよい血筋の様だし女だ。高く買おう。」
老婆はそう言うとヒヒヒッと笑った。それでシャリスもニヤリと笑う。
「ちなみにいくらだ?」
「その身につけている物も含めてなら二百ディーンだそうじゃないか。」
老婆はまたヒヒヒッと笑った。二百ディーンと言えば女朗屋に売り叩くより良い値だ。シャリスは首を傾げた。
「何でだ?いくら女と言ってもまだ子供だしそんなに高くは無いだろう?何か理由があるのか?」
「それは企業秘密ってもんだよ。」
シャリスは顔を顰めた。そしてティーナは心配そうに後ろからシャリスの足に抱き付いている。
「まあ、いいや。でも、今日はこの子を売りに来たんじゃない。」
シャリスは首に掛けていた小さな金のペンダントを外すとそれを老婆に見せる。
「これを売りたいんだ。幾らで買ってくれる?」
「何じゃ、その子供じゃないのか…。どれどれ…。」
老婆はそう呟いてそのペンダントを受け取った。最初は簡単に見ていたが、ハッとしてレンズを取出し詳しく調べはじめる。そしてしばらく見続けてからレンズを目から外し、今度はシャリスをジロジロと見始めた。
「お主の持ち物とは思えんな。これを何処で手に入れた?」
「えーと…戦場で拾ったんだが…。で?幾らだ?」
老婆はシャリスを睨んでいたが、溜息を吐いて金を出した。
「金で売買する物でもないんじゃがな…。まあ品物の価値だけなら、これだけ出そう。」
「八十か…。まあ良いか。サンキュウ。」
シャリスはそう言うとその金を受け取り、店を出た。八十あれば、とりあえず美味いものを食べて何日かは泊まる所にも苦労せずにすむ。
「あれが八十で売れるとはな…。しかし…いやまあ、後で買い戻せば良いか。」
シャリスは嬉しさの中に少し悲しい表情を見せた。簡単に売った様に見えるが、結構大事な物だったらしい。その悲しい表情に何故かティーナも泣きそうな顔をしてシャリスのズボンを引張った。
「おじちゃん…悲しそう…。」
シャリスはハッとして笑顔を作る。
「はは、別に悲しくないよ。さて、飯を食いに行くか。」
シャリスはそう言うとティーナの手を引いて近くの酒場に入っていった。
酒場と言ってもまだ昼前で、そこにいる客は食事を楽しむご婦人方もいた。シャリスは奥のテーブルにティーナを座らせるとその正面に自分は座り、カウンターで二人を見ている太ったおやじに声を掛けた。
「この店の自慢料理をくれ。」
おやじは愛想良く笑って、それに答えると料理を始める。シャリスは正面に座っているティーナに笑顔を向けた。
「好き嫌いは無いだろうな?」
ティーナはコクンと頷いた。彼女は小さすぎて机の上には顔しか出ていない。
「そうか。それはいい事だ。好き嫌いの多い子は立派に育たないからな。所で、ティーナのお母さんの名前は分るかい?」
ティーナはその質問に少し考え込んだ。シャリスはそれで名前も分らないのか、と思ったが、ティーナはいきなり座っていた椅子から下りて、トコトコとシャリスの方へ来るとシャリスの横の椅子に上って座った。そして横のシャリスを見上げて笑顔を見せる。
「ママの名前はアニータ。」
「そ、そうか。お母さんはアニータね…。それより何で俺の横に来たんだ?」
「ティーナ、おじちゃんの横がいいの。…駄目?」
ティーナは少し泣きそうに言う。それでシャリスは焦って首を横に振った。
「いや、大丈夫だよ。」
それでティーナは嬉しそうに笑った。
“何でこんなになついているんだよ…。”
シャリスは少し考え込んでしまった。あくまでもこの子は礼金の為だけに連れているのだから、なつかれても困るのだが…。しかし、そうは言っても相手は子供。それに怖がられて逃げられるより、なつかれていた方が簡単に事は済ませられる。シャリスはそう考えて頷いた。
しばらくすると店のおやじが料理を持ってきた。そしてそれを机に並べると、シャリスに笑顔を向ける。
「旦那、エドワード家の子守り係りかい?こんな所に連れてきたら怒られるだろう。」
「エドワード家?何だいそれ。」
シャリスが聞くとおやじは首を傾げた。
「エドワード家はこの国の貴族の一人で、この街の支配人だが…。違うのかい?その子の服に縫い付けて有るのは、エドワード家の紋章の様だが。」
シャリスはティーナの服を見る。なるほど、上品なブラウスに縫い込まれている刺繍は確かに紋章の様だ。
「なるほどね。で?エドワード家ってのは何処にあるんだい?」
「この先の大きな屋敷がそうだが…。この子はエドワード家の子なのかい?」
「さあな。迷子になっていたのを俺が見付けたんだ。エドワード家ってのがこの子の家なら、連れていって礼金でももらうさ。」
おやじはまた首を傾げた。
「あそこに小さな子はいなかったと思ったが…。それにしても、育ちは良く無いみたいだな。その食い方は…。」
おやじの言葉にシャリスがハッとして、ティーナを見た。ティーナは椅子に立ち上がって料理を手で掴んで齧り付き、汁をポタポタと服に落としていた。
「ああ!」
シャリスが慌てた。服だけでもかなりの金になると踏んでいたからだ。もう、その上品な服は肉の汁に染まって、売り物にはならない。
「エドワードの女中の娘か何かかな。ま、俺には関係無いけど。」
おやじはそう言って背を向け、カウンターに戻っていった。
「ま、まあ、四・五歳位だし…。食い方が汚いのは仕方ない。しかし…、服は先に脱がしておくべきだった。」
シャリスは後悔していたが、ティーナはそれを無視して満面に笑みを浮かべていた。
「おじちゃん、美味しいよ。」
「ああ。」
シャリスはそう言うと、ティーナに負けぬ様に食べはじめた。
二人は食事を済ますと、馬をその酒場に預けておやじの言っていたエドワード家に向った。その道端でシャリスに手を引かれているティーナが笑顔で見上げた。
「ごはん美味しかったね。おじちゃん。」
「うむ、美味かったな。おじちゃんは三日も食べてなかったから、特に美味しかったよ。」
シャリスも満足そうである。
「お洋服、ベトベト…。」
「あんな食べ方するからだよ。金持ちの娘の割りには、躾が出来てないな。いつもああいう食べ方してたのか?」
「ううん、いつもはママが食べさせてくれてたから…。でも、あんな美味しいのは初めて。」
シャリスはアレッと首を傾げた。何で金持ちの娘があの程度の料理で満足するんだ?
「えっと。ティーナはいつももっと凄い料理を食べていたのかな?庶民の料理が新鮮に感じるほど…。」
「ティーナ、良く分らない。でも、あんなに美味しい料理は初めてよ。」
「フーン…。まあ良いや。所であの建物に何か覚えが無いかい?」
シャリスはもう見えてきた大きな屋敷を指差した。しかし、ティーナは首を横に振る。
「ティーナ分らない。」
「そうか…。ま、中に入れば分るかな。」
シャリスは呟いて、その屋敷を目指した。
屋敷は大きく豪華だ。三階建ての木製で大きな三角屋根。建物自体は年代を感じるが、窓が多く壁は白い。庭が広く一面に短い芝が植えられて、その敷地内を背の高い石の積まれた壁で囲んでいる。これはこの地方の貴族が昔から好んで建てる様式の屋敷だった。
「エドワード家って…。貴族にそんな名前の家があったっけ?」
シャリスは呟いて、その門の前で顎をさすっていたが、門を開き思い切って中に入って行った。すると、すぐに鎧を付けた男達が剣を携えて二人の前に走ってきた。
「貴様、何者だ!」
かなり殺気立っている。それでシャリスは愛想笑いをして手を振った。
「へへへ、私、シャリスっていう、ケチな旅人でして。ただ、ここのお嬢さんが迷子になってやしたもんでおつれしたって次第で…。」
男達はティーナを一瞥すると、すぐにシャリスに剣を向ける。
「ここに子供はおらん。貴様、嘘をついて中に入ろうとするとは…。」
「だ、旦那!こ、この子の服に縫われている紋章を見てください。この紋章はこの家の紋ではないんですか?」
男達はそれでティーナの汚れた服をジッと見る。そして頷く。
「なるほど…。エドワード家の縁の者かもしれん。ちょっと待っておれ。」
そう言うと一人が屋敷の方に走っていった。そしてそこでもう一人に剣を突き付けられたまましばらく待っていると、先程の男が戻ってきてシャリスに言う。
「エリック様が会うと言っておられる。無礼の無いようにな。」
シャリスとティーナはその男達に囲まれて屋敷の中に入っていった。
屋敷は外見と同じく内面も豪華だった。大広間は真っ赤な絨毯が敷かれ、大きな絵が何枚も飾られている。大きな木のレリーフや金の鎧なども飾られていた。
「へー…。金持ちは違うね。貴族かどうかは別にしても、金持ちって事は確かだな。これならたんまり礼金が貰えそうだ。」
シャリスがニンマリと笑った。その手をギュッと握りティーナはキョロキョロとこの内装を見ている。そしてシャリスを見上げて言った。
「おじちゃん…。ティーナ、なんか怖い…。」
「怖い?あれ?ここの家に見覚えは無いかい?」
ティーナは首を横に振って、シャリスの手を両手でギュッと握った。シャリスはティーナがこの家の者だと思っていたから、少し驚いた。しかし、すぐに納得した様に頷く。
「ま、どちらにしてもこの家の関係って事だろうし…。」
シャリスにしてみれば早くこの子を渡し、礼金をもらって去りたいと思っていた。それでティーナの震えている手の感触など全く無視して、その屋敷の当主がいる執務室に案内されるがままに歩いていった。
執務室に入るとそこには豪華で大きな机がデンッとあり、その前で一人の男が何やらペンを走らせていた。
「エリック様、二人を連れてきました。」
案内した男が敬礼をして出て行く。そして、二人は残され、ティーナはシャリスの後ろに隠れた。
「あの…。私、シャリスといいます。この子が草原で迷子になっていたので連れてきたのですが、紋章がここのエドワード家の物だったのでこちらに…。」
エリックは銀髪の髪の毛をかきあげて、視線をシャリスに移す。三十前後の優男で、冷たい表情と青い目が特徴的だ。
「それで君の後ろに隠れているのが、私の知り合いだと?」
呟く様な小さな声で彼は言う。それでシャリスは後ろに隠れているティーナを前に押し出した。汚れた服に思わずエリックが顔を顰める。
「この子のブラウスに施されている刺繍が、この家の紋だと聞きまして…。」
「私はこんな汚い子供など知らぬ。その紋は確かに私の家の物だが、恐らく似せて作られた物だろう。いや、お前が作って私に難癖を付けたとも考えられるな。金欲しさに…。」
シャリスは驚きの表情をした。確かに金目当てでここに来たのだが、わざわざ刺繍を作ってまではやらない。何故ならこんな細かい刺繍を施す金があったら、ペンダントなど売らずに飯を食えるからだ。
「わ、分りました。あなたの知り合いでは無いというならこのまま…。」
シャリスは腹立たしさを感じて、そう言いかけた。と、エリックの表情が一瞬ハッとして、シャリスの言葉を止める。
「いや、ちょっと待て…。その子の名前は何という?」
「え?ティーナと言ってますが…。」
そう聞くとエリックはニヤリと笑った。
「なるほど…、あい分かった。その子は確かにうちの者だ。」
エリックはそう言うと机の引き出しから小さな皮袋を出してシャリスに投げた。シャリスはそれを咄嗟に受け取る。
「その金を持って立ち去るが良い。この事は他言無用にな。」
シャリスはその袋の中を開ける。中には大きな金貨が五枚程入っていた。それは千ディーン硬貨で、その価値は一枚で中流階級の人の九十日分の給金に相応する金だった。
「こ、こんなに?」
「我が一族の者を助けてくれたのだ。その位の礼は当然であろう。」
しかし、シャリスは胡散臭く感じた。ティーナはまた自分の後ろに隠れてしまっているし、エリックはそれを冷たい目で見ている。
「し、失礼ですが、この子はあなたの血族で?」
シャリスの言葉でエリックの目に殺気が走った。
「お前が知る必要は無い。さあ、早くその子供を置いて出て行くがいい。」
“どうする…。確かに金は欲しいが、このティーナの怯えようは…。”
シャリスは思わずティーナを見た。ティーナは両手でしっかりとシャリスのズボンを握り、涙目で鼻水も流し震えて見上げている。それでシャリスは決断した。
「いやあ、こんなにお金をもらって…、すみませんね。それじゃ…。」
あっさりとティーナを前に出し、そして扉に向った。それでエリックが鼻で笑う。しかし、シャリスは扉を開けた瞬間、身を反転させて走り出しティーナを抱きかかえて、エリックの机を踏み台にエリックを飛び越え正面の窓を破って外に飛び出した。ガシャーンッと音が響き、シャリスは二階の部屋から下の芝生にティーナを抱えたまま落ちて転がった。その上にガラスが舞って、シャリスはティーナを下にして守る。ガラスの破片は彼の体を所々切り裂くが、皮の鎧が守っているので、大きな傷は負わない。
「し、しまった!追え!二人とも殺すんだ!」
エリックの声が響く。シャリスはその声のする、今飛び降りてきた窓を見ると、そこは数人の武装した兵がシャリスを確認して飛び降りてくる所だった。シャリスはすぐに立ち上がり、ティーナを肩に抱えて走り出す。
「やっぱり口封じの為に俺を殺そうとしていやがった…。しかもティーナも狙っている。」
シャリスは逃げながら呟く。頬がガラスで切れていて血が流れている。
「お、おじちゃん、大丈夫?」
ティーナがシャリスの体から流れる血で驚いて半泣き状態の声をあげた。
「大丈夫だ。それよりティーナは痛い所とか無いかい?」
「…無い。でも、おじちゃんは血が一杯出てる…。」
「かすり傷だよ。それより逃げ切らないと怪我どころじゃないからな…。」
シャリスはそう言って走りながら周りを見渡す。後ろから数人の兵が走ってくるのと、両脇からかなりの数の兵が走ってきていた。そして、正面は高い壁が立ちはだかっていた。
「畜生…、ここまでか…。」
短い芝しか無いこの場所に身を隠す所は無い。シャリスは諦めかけた。そして壁に張り付く。と、幾人もの兵士がシャリスを囲んだ。
「ここまでだ。二人とも死んでもらう。」
兵の中の一人が言う。そして兵達がにじり寄る。シャリスは今まで汗をかき怯えて覚悟していた顔を、いきなりニヤリとさせた。そしてポケットから小さな白い宝石を取出すとそれを投げた。眩い閃光が走る。兵達が一斉に目を伏せた。その瞬間、その兵の一番少ない場所に身を躍らせシャリスは二・三人の兵を蹴り倒し走りさった。
「せ、閃光石か!」
兵が怒鳴った時には、もうシャリスの姿はそこに無かった。
シャリスはやっとの事で逃げてくると、換金屋に潜り込んでいた。店の外ではエドワード家の兵がウロウロとシャリス達を探している。
「お主、災いを持ってきたのかの?」
黒のローブを来た老婆がヒヒヒッと笑いながら聞く。
「いや、さっき預けたペンダントを買い戻そうと思ってな。幾らで売ってくれる?」
「百六十ディーンだの。だが、お主に払えるのか?」
「…一気に倍かよ。ごうつく婆が…。まあ、良い。ここに千ディーン硬貨がある。これでそのペンダントと後携帯用の食料、水、そしてこの子の服を至急集めてくれ。」
シャリスは千ディーン硬貨を手渡した。老婆はそれをレンズでジッと見詰めるとニヤッと笑う。
「本物だの。良いじゃろう。至急集めたる。」
老婆はそう言って、まずシャリスのペンダントを引き出しから取出し放ってよこした。そして奥へ行くと汚いが丈夫そうな布地の子供服を持ってきた。
「後は水と食料じゃな。ま、千ディーン程は集められんが、お釣は渡さんぞ。」
「ああ。だが、俺達の情報は外に漏らすなよ。夜に旅立つからそれまでここで匿ってもらう。それでチャラだ。」
「良いじゃろう。それではここで自由にしておれ。わしは食料を集めてくる。」
老婆はそう言うと裏口から出ていった。
「おじちゃん。これに着替えるの?」
ティーナが老婆から渡された服を抱きかかえて聞いた。それでシャリスは頷く。
「今来ている服は目立つし、汚れちまったからな。その服は汚れているように見えても洗ってあるし奇麗なもんだ。」
ティーナは頷くとなれない手つきでブラウスのボタンを外し始めた。しかし、あまりにも遅いのでシャリスは見てられなくなり手を貸す。と、ティーナは自分で服を着替えるのを止め、シャリスに全面的に任せた。
「ティーナ、まだお着替えが出来ないの…。」
「はいはい。俺に任せればいいよ。」
シャリスはティーナの服を全部引っ剥がすと、厚い茶色の布地のワンピース状の服を彼女に着せようとした。
「あれ?」
シャリスはティーナの背中にある痣の様な物に気付いた。それは痣というより刺青に近い。何故ならその痣は明確に紋章の形を作っていた。
「これは…、何処かで見た事が…。」
シャリスは脱がしたブラウスの紋章を見る。しかしそれとは全く違う紋で、シャリスは首を傾げた。
「何処かで…。まあいいか。今はそれどころじゃないし…。」
シャリスはそう呟くと、両手を上げて待っているティーナに頭から服を被せて着せた。
「フー…。おじちゃん、この服動きやすい。」
ティーナがピョンピョンと跳ねて見せた。
「そりゃそうだよ。冒険者の為に作れた服を縮小して子供用に作った物なのだから。耐久性も有るし、軽くて鎧ほどじゃないけど身も守ってくれるんだ。分る?」
「分らない…。」
ティーナが首を傾げた。
「そりゃそうだな。ま、見かけは悪いが結構良い物って事だよ。」
ティーナはシャリスの言葉を嬉しそうに聞いて何度も頷いた。シャリスはそれを見て思わず笑顔を浮かべ、ティーナの頭を撫でた。
「お前は可愛い奴だな。当分おじちゃんと旅をする事になるが、大丈夫か?」
ティーナはコクンと頷いた。
“それにしてもこんな子供まで殺そうとするとは…。根が深そうだな。”
シャリスはそう考えると、外にうろちょろしているエドワード家の兵士達から隠れるようにカウンターの中にティーナを入れて自分もそこに身を隠した。
夜になると、老婆が帰ってきた。シャリスの馬を預けてあった酒場から連れて来て、それに当分の食料と水をすでに積んであった。
「よくも裏切らずに働いてくれたな。」
シャリスが言うと、老婆はイヒヒヒッと笑った。
「わしら旅人や冒険者が相手の者は裏切りだけは出来んのじゃよ。そんな事をすればこの界隈で仕事が出来なくなるからの。まあ、千ディーン分は働いたかの。」
シャリスは老婆と握手を交してから、ティーナを抱きかかえて馬に跨る。そしてもう静かになった街を走りだした。
ティーナはもう眠っていて、起きる気配を見せない。シャリスを完全に信じきってしまっている様だ。シャリスは光の無い街の裏道に馬を走らせる。表通りは未だエドワード家の兵がシャリス達を探していて、シャリスはそれを避けるようにして街を出ていこうとしているのだ。しかし、街の外に出るには街を囲む外壁の門を抜けなければならない。勿論そこにはエドワード家の兵達が逃げられないようにつめているはずである。しかし、シャリスはそれはあまり考えてなかった。
「カスタス、頼むぞ。」
シャリスは全速で走る馬の首筋を撫でる。すると馬はそれに呼応する様にさらにスピードを上げた。そして門が見えてくるとシャリスは全くスピードを緩めずに兵士達に一直線に向かう。闇の中に蹄の音と微かに見える黒い馬の肌が流れる様に門に近付く。
門の前では兵士達が蹄の音に気付き剣を構える。そしてかがり火に照らされた漆黒の馬が、闇の中から急に現れたかと思うと、その馬は兵士達を軽々と飛び越して、自由の草原へと走りさってしまった。兵士達はあまりの事に一瞬茫然としてしまったが、すぐに我に返ると慌てて自分達の馬に跨りそれを追おうとするが、黒い馬の姿はもう闇と草原に紛れて見えなくなってしまっていた。
「な…、何て馬だ…。」
兵達は驚いたが、そこで立ち止まっているわけにも行かず、エドワード家に戻ってエリックの指示を待つ事にした。
エリックはその報告を聞いて激怒した。冷たくいつでも冷静に見えた彼の眉が釣り上がり、怒りの為持っていた銀のグラスを報告してきた兵に投げつけた。
「何て事だ。すぐに討伐兵を編成して奴を追うぞ。いや、あんな男はどうでも良い。あの娘は必ず殺さねばならん。」
「しかし、あの馬は神馬の如く凄まじいスピードで…。」
「…何も馬を追う必要は無い。近くの村や町をしらみつぶしにしろ。この辺境の近くの土地で、何日も草原に野宿する訳にもいかないだろう。何せ子供がいるのだからな…。」
エリックの指示は的確だった。何せ、この土地の周りは、辺境と呼ばれる未開拓地に面していて、蛮族や大型の獣類が沢山この領地に入り込んでくるのだ。それの警戒をしながら何日も野宿をしていたら、精神的に参ってしまう。
「二・三日のうちに必ず村か町に入るだろう。決して逃がしてはならぬぞ。」
エリックは兵にそう命じて、兵はエリックの部屋を出ていった。
シャリスにしてみれば、草原の旅は慣れた物だった。しかし、子供連れの旅は初めてで、多少それに戸惑ってはいた。今まで黙って風景を眺め食料を捕らえ、そして寝ていた旅が、子供の質問に一々答えなければならない。子供は好奇心で一杯なのだ。
「ねえ、おじちゃん。あの鳥は?」
「…あれは、セルシナ鳥。カザフ大陸から渡ってくる、渡り鳥だ。この時期は草原に巣を作り子を宿す。」
「でも、さっき見た獣は鳥を食べるんでしょう?」
「セルシナ鳥は特別。何せその獣を餌にしている肉食の鳥だからな。下手に怒らすと人でさえ襲われて、殺され食べられてしまう。」
「こ、怖い…。」
「でも、上手く捕まえられれば、結構な夕食になるんだぜ。骨が少なく肉が多い。」
「か、かわいそう…。」
「ははは、そうだな。でも、人も食べなきゃ死んでしまうしな。」
ティーナは悲しげに頷いた。それでシャリスは少し笑った。このティーナは頭の良い子だ。この世の道理を理解している。この世の悪が全ての悪でなく、この世の正義が全ての正義で無いと感じる事が出来る子だ。
「ねえ、おじちゃん。あの獣は?」
ティーナはすぐにまた笑顔に戻って馬の歩む先を指差した。そこには一匹の大型の肉食獣がこちらを警戒しながら見ていた。
「ゲッ…。辺境から入り込んだな…。」
シャリスは剣を抜いた。
「こ、殺すの?」
ティーナが心配そうに聞く。
「ああ…、向こうが襲ってきたらな。しかし、殺るも殺られるも五分五分だ。」
シャリスは馬を操ってなるべく相手を刺激しないようにそれに近付かないように迂回した。大きな口から牙を出して威嚇しているその獣は、黄色と緑の斑模様の毛皮を逆立てていて、大きさは今乗っている馬ほどある。シャリスはそれを睨んだまま、剣を握り締めていた。が、やがてその獣からかなり離れて、シャリスは大きく息を吐いた。
「フーッ…。腹は減ってなかったようだな。まあ、カスタスが慌ててなかったので、相手が襲ってくる可能性は少なかったが。」
シャリスは呟き剣をしまった。
「お馬さんが慌てると襲ってくるの?」
ティーナが首を傾げた。今の様な危機でも、ティーナはあまり怖がっていない。シャリスが必ず助けてくれるとでも思っているのか。
「いや、違うよ。カスタスは凄い軍馬でね、敵を感じる直感が強いんだ。だから、あの獣が襲ってくると感じたら、俺が警戒する前にこのカスタスが警戒心を高めて戦闘態勢を作るんだ。」
ティーナが首を傾げる。
「えっと、だから…。あの獣が襲って来る気だったら、このカスタスが先に慌ててしまうんだね。分る?」
シャリスが苦笑いをしてそう言うと、ティーナは頷いた。
「分かった。このお馬さんは逃げるのが上手いのね?」
「ち、違うんだが…。でもまあ、そんな所だよ。」
「凄いなぁ。お馬さん。」
ティーナはそう言うとカスタスの首を撫で、それでカスタスはブルッと首を震わせた。
「ははは、この馬は特別なんだよ。ま、世界に数匹しかいない名馬中の名馬だな。」
「フーン…。良く分らない。」
ティーナは首を傾げた。それでシャリスはまた苦笑いをした。もう街を出て二日が経っていた。
広大なセシマ大陸に統一王国が一つ。それはカチア神聖王国という。十三に分けられた広大な領地を所有し、その内十二の領地を王に任命された貴族が支配していた。残りの一つである首都カチアは王が自ら統治する地で、今は第三十二代神聖国王、ダ・クレスト・レイファ・カチアが全ての権力を握っている。しかし、レイファ国王はすでに六十四歳。最近は病気が進み、ベットから出る事もあまり無いという。それでその息子、ケンゼンがその代理を行っていた。
ケンゼンはレイファ国王と違い学問こそ優れていたが、武才が無く実戦経験がまるでない男だ。しかし、その執政能力は優れていて、時期国王との噂が高かった。問題は彼の后にある。彼の后はカリディアナと言って平民出でありながら、その美しさで城に上がり、ケンゼンの目に止まるとそのまま后になった。そしてケンゼンとの間に二人の子供を生み、その頃から彼女の権力は増大していった。城の重鎮達は彼女に媚び諂い、神官達は彼女の言動に耳を傾けた。勿論彼女はあくまでもケンゼンを立てての振る舞いをし、それがますます彼女の評判を良くする。容貌の美しさとその謙虚さが彼女の人気を持ち上げ、現在では彼女の人気は夫のケンゼンと張る物だった。しかし、彼女は実の所それを全部計算していた。彼女の野望は王妃になる事でもあったが、最終的に太后になる事だった。つまり自分の息子を夫の次の王にする事。それが彼女の人生の全てで、その為になら自分の本当の性格など隠し通すのである。
そのカリディアナの元に手紙が届いた。日付は五日前で、差し出し人はエリック・エドワードとなっていた。彼女はその名を見るとすぐに侍女達を下がらせ、自室に誰もいない事を確めてそれを開く。
“前略、あなたから命じられてました、少女の事…。”
そう始ったその文を読みだすと、彼女の美しい顔が見る見る険しくなり、怒りに震えているのか柔らかくウェーブした長い金髪がユラユラと揺れる。そして最後まで読むと、それをグシャッと握り潰し、鬼の形相の様に眉をつり上げた。
「使えん奴…。いや、ガキの運が良いのか…。」
彼女はおおよそ高貴な者とは思えない口調で呟く。平民出だからか、それともそれが地なのか。しかし、彼女はすぐに大きく深呼吸をして冷静さを取り戻し、先程までの美しい顔に戻した。そして大きな部屋の端に置いて在る小さな机に向うと手紙を書き始め、それが終ると侍女を呼びそれを渡し至急届ける様に言う。
「エリック様の所までには五日程かかりますが?」
「ええ、分かっているわ。でもなるべく早く届けてね。」
カリディアナは優しげな笑顔でそう言うと、侍女は頷いて足早に部屋から出ていった。
五日後、それはエリックに届いた。彼は自分の部屋でそれを受け取るとすぐに開ける。
“エリック…。あなたに託した事、お早くお願いします。あなたの人生に幸がある事を…。吉報をお待ちします。”
彼女の文面は穏かで優しげだが、エリックは顔を顰めた。彼にはこれが脅しとしか受け取れなかったからだ。これを彼の訳で読むとこうなる。
“エリック…。早く頼んだ事をやりなさい。そうでないとあなたの人生に先は無いわよ。成功の報以外は許さない。心してやり遂げなさい。”
「やばいな…。」
エリックの氷るような冷たい表情が崩れて、情けない顔になっている。それを見た彼の兵が首を傾げた。
「どうしましたか?それはカリディアナ様からの手紙ですよね。」
彼の言葉にエリックがいつもの表情を取り戻し、彼を冷たく睨んだ。
「つまらぬ詮索はするな。貴様らは命令に従っていればよい。」
それで兵は蒼ざめて頭を下げた。
「それで追跡はどうなっている。奴の行方は分かったのか?」
「いえ…。近辺の街には全て兵を差し向けたのですが、いずれにも現れていないそうです。もうあれから十日も経っていますし、もしかしたらもう他に…。」
「そんな訳があるか。街道ならともかく奴は草原を行ったのだ。あの危険地帯を街や村によらず、旅など続けられるものか。もっと兵を増やして探せ。必ず街に現れるはずだ。」
「しかし、あまり大掛かりにやるとクェイスト男爵が動き出しますよ。」
エリックはそれを聞いて渋い顔をした。
「男爵か…。辺境の蛮族に奴の兵は向けられているはずだが、いざこざがあればこちらに兵を動かしてくるな…。あくまでもここは奴の領地で私は奴の領地に間借りしている身分。立場は弱い。兵力もな…。さてどうするか…。」
エリックは少し考え込んだ。そしてハッとする。まさかあの二人は男爵の館に入り込んだのでは…。そう考えて、しかしすぐに首を振る。
「そんな訳は無いか…。あのロベルト=クェイスト男爵は身分差別の激しい男だ。下賎の男と会うわけは無いな…。」
「な、何か?」
兵がエリックの呟きに耳を傾けようとする。しかし、エリックは首を振った。
「いや、何でも無い。とりあえず今の人数で目立たぬように、しかし厳重に奴らを探せ。奴等を逃がしたら俺の未来は無いし、そうするとお前達もまた仕事を無くす事になるぞ。」
「は、はい。分かりました。」
兵はそう言うと気合の入った顔で部屋から出ていった。それを見送ってからエリックは窓辺に歩き、外を見る。
「しかし、あの男の身のこなしはただの旅行者には見えなかったが…。」
エリックは腕を組んで顔を顰めた。




