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1.『戦乙女』エスト(後)

 いつものようにふらりとディームに足を運んだエストは、当日枠で参加申請をしてオープンスペースへ向かうと、コーヒーを淹れて隅の席に腰かけた。


 休日でもないのに、なんだかいつもより人で賑わっている。今日は何かあっただろうかと疑問に感じつつも、必要以上に気にすることなく手元の端末に視線を落とした。

 コーヒーを飲みながら適当に観戦しつつそわそわと待っていることしばらく。エストのスマホがマッチング決定の通知を鳴らし、慌ててそれを確認する。


「‥‥‥‥うーん」


 マッチング相手を見て、エストは微妙な表情を浮かべた。


 表示されたのは、今回初顔合わせとなるディーマー。存在自体は知っているものの、あまり詳しくはない人だ。かなり特殊な戦い方をする人だという認識はあるが、逆に言うとその曖昧な情報以外は持ち合わせていない。


 その人の『ファン』数を確認すると、エストの倍に近い数字を持っていた。

 ディームにおける『ファン』というのは、SNSで言うところのフォローやお気に入りといった機能。登録しておくと試合が決まったり配信が始まる時に通知を受け取ることができ、ファンが多いと自然と試合に人が集まるようになる。


 その数字がそのまま強さを表すワケではないが、それだけ人気を得ているのであればそれに見合った実力を持っているだろうことも確か。ベルとは違って、厳しい試合になるかもしれない。


 だが、幸いというべきか試合までは少し時間がある。その空き時間を使って、その人の過去の配信を見て予習しておくことにした。


 これまでの試合は公式サイトのアーカイブで見返すことが出来る。呑気に全部見ているような時間はさすがに無いので、再生数の多い動画を適当に飛ばしながら大まかに確認していく。


 そうしていると時間はあっという間に過ぎ、それなりにあると思っていた試合までの時間は目前に迫っていた。


 十分と言える時間ではなかったものの、突き詰めればいくら時間があっても足りないのも事実。実際その人の戦い方はかなり特殊で、少し見ただけでも大体の特徴を掴むことが出来たのは大きい。

 エストは残っていたコーヒーを飲み干して息を吐き、動画を閉じると緊張を引き連れて控室へと向かった。


 いつも以上に緊張している自覚はある。連勝記録のかかっている場面で、初めての相手。緊張するなというほうが無理な話だ。


 すでに姿は『戦乙女(ヴァルキリー)』。少しは落ち着きもあり覚悟も出来ているが、もし姿を変える前だったらすでに心臓が口から飛び出て落とし物に届けられていたことだろう。


 だが今は、緊張よりも意地が勝っている。今のこの連勝記録。絶対に途切れさせるワケにはいかない。

 なぜなら先日ベルが言っていたように、これを機に装備を新調したいと思っているからだ。


 ――装備。


 エストの持っている剣とかベルの鎌とか、他にも槍とか斧とか、武器だけでなく鎧などの防具もそう。ディーマーとして登録時に貰える初期装備でなく、多くのディーマーがその後の課金で自分用の装備を整えている。


 そう、課金。参加費を始め、続けていくには少なからず出費の避けられないディーマーだが、さらなる出費が発生する部分がある。


 それが、装備。


 輝く伝説の剣とか、炎に包まれた槍とか、闇の力を秘めた斧とか。

 各々が決して安くないお金を払い、自分の思い描く一番カッコいい武器を選んでいる。


 そういった装備の違いによって、根本的なステータスの違い、いわゆる攻撃力や防御力なんていうものは存在しない。


 要は、装備に金をかけたところで戦績に影響はないということだ。

 では装備を新調すれば何が変わるのかというと、わざわざ言うまでもないだろう。


 ――『見た目』である。


 カッコいいじゃん、新しい装備。使いたいじゃん、カッコいい装備。


 一定の実績や金額で購入出来る定型の装備もあるが、人気ディーマーたちが扱っているのはほとんどが個人に合わせた特注の装備。


 それらは鍛冶屋さんに頼んで鉄を打って鍛造し、頑固な職人が汗を流してひとつひとつこだわりを持って造り上げる――ワケではなく。


 ディームにおける装備は、魔力によって具象化されたイメージのカタチ。ディーマーたちの外見と同じ、ディーム内でのみ形を持つことが出来る表面的なもの。

 そしてそれを再現するためには、魔力を形にするための特別なデータが必要となる。


 課金、とは言ったが、要するに技術者にそのデータ製作を依頼するための費用である。それでも課金なんて呼んでしまうのはオタクの性。


 繰り返すが、ディームの装備は能力を有さない。特に防具に関しては、実際に身を守っているのは体表の魔力シールドなので、極端なことを言うと完全防備でも裸でも同等の防御力なのである。もちろん実際に裸になれば即時退場(BAN)だが。


 ディーマーたちは各々防具という名の衣装を身に纏い、例えばスポーツのウェアを着たり、夏に合わせて水着で戦う者もいれば、完全にネタに走った奇抜な装備の者もいたり、それこそ顔も見えないようなガチガチの全身鎧の者もいたり、衣装のバリエーションはディーマーの数と同じだけあるといっていい。


 装備を新調する理由は、自己満足と士気を高めるためというのはもちろんのこと、ファンの注目を集めるという意味合いも大きい。


 発注自体はお金さえ払えばいつでも出来るのだが、より注目を集めるにはやはり、何かしらのタイミングで発表するほうが印象的だ。


 ここ最近ファン数が伸び悩んでいるエストとしては、ここで10連勝の記録を打ち立ててドドンと注目を集めたいところだった。


 ディーマーの世界は厳しい。考えなければならないこと、やらなければならないことはあまりにも多い。まだ半端な立ち位置のエストは、わずかなチャンスも逃せないのだ。


 椅子に腰かけ自身の剣を見つめて思いを巡らせていると控室にブザーの音が響き、わずかにびくりと身体を震わせて顔を上げる。

 深呼吸をして立ち上がり、地面を踏みしめる足を意識しながらゆっくりとフィールドに踏み込んだ。


『さてさて、まず登場するのは、つい先日は珍獣ベル・シモンと好試合を繰り広げてくれたばかりですが、連勝記録樹立中ということで気合も入っていることでしょう。初顔合わせの相手となると、データ派にはややツラいシチュエーションか。〝戦乙女〟エスト~!』


 いつもの実況、いつものフィールド。だが実況の言う通り、今はわずかに肩に力が入っていることは否定できない。だが自分は『戦乙女』であるという自信に支えられ、拳を上げてアピールする程度の余裕を生み出すことは出来た。


 そしてフィールドの向かい側から、その対戦相手が姿を現す。


『戦乙女のお相手は、奇抜な戦闘スタイルで着実に実力と人気を伸ばし続ける、今話題の〝白鯨〟と同じく海外からの刺客ゥ! 〝オルトロス〟ティーナっ!』


 ゆったりとした歩みで現れるのは、紫のパーカーに白いハーフパンツとスニーカーというラフな格好をした女の子。濡れ羽色という言葉の似合う艶やかな黒髪をふたつにまとめて肩から垂らし、頭の両端には控えめなお団子。眠たげな黒い垂れ目の上、おでこの位置からは1本の赤い角が生えている。

 にんまりと怪しげに微笑む顔の下、パーカーの胸元には巨大なタコが街を破壊する、B級映画のパッケージのような、ややシュールなイラストが描かれていた。


 先程の紹介の通り、『オルトロス』の二つ名を持つティーナという名のディーマー。共に海外出身ということで、現在爆発的な人気を博している『白鯨』と並べて語られることも多い。


 とてつもない勢いで駆け上がる白鯨にはさすがに及ばないが、飽くまで比較の話でありティーナの実力と人気もかなりのもの。エストがファン数30万を目指している程度なのに対し、ティーナは50万を優に超えている。


 言語の混じり合うコメント欄はやはり、日本語がやや劣勢。複数の言語が飛び交っていることからも、ティーナに対するファンの多さと層の厚さを感じさせる。だが言葉が違うおかげで、自分に向けたコメントを見つけやすいのは幸いと言うべきか。余計なアウェイ感を味わわなくて済みそうだ。


 フィールドの中央に進み出て向かい合うと、ティーナはぺこりと丁寧にお辞儀をしてくれた。釣られるように、エストもお辞儀を返す。


「はじめましテ、ティーナといいマス。ヨロシクおねがいしマス」


 少しだけぎこちなさは感じるものの、それでも流暢な発音だった。


「あっ、えっと、よろしく、お願いします‥‥あっ、はじめまして、エストです‥‥」


 むしろエストの方がぎこちない日本語かもしれない。そんなしっかりした言葉で話しかけられると思っていなかったので、必要以上に挙動不審になってしまった。


 ティーナは何か考えるように黙り、エストは何も言うことが出来ず、沈黙が場を支配する。


 ヤバい、しんどすぎて変な汗出てきた。初めての相手、しかも海外の人と何を話せばいいんだ。そもそもどれくらい言葉が通じるんだろう。などと思っていると、すぐにティーナが沈黙を破って「あー」と声を上げた。


「わたしは、イラスト描くのが好きデ、好きなディーマーのバトル、見ながら描きマス。エストさんは、よく見るディーマー、いますカ?」


 ゆっくり、だけど丁寧に、そしてかなり上手に、話題を提供してくれる。その一度の言葉だけでも誠実さとか優しさとか、あとはこんなにも会話が出来るという勤勉さとか、そういうものが伝わってくる雰囲気だった。


 ていうか、絵師さんなのか。そういう趣味はちょっと親近感が湧くかも。

 大人しそうな雰囲気も相まって少し落ち着きを取り戻しながらそれに答えようとして、普通に喋ってしまって大丈夫なのか少し悩んだ。


「えっと‥‥はい、その、スゴく好きなディーマーがいるので、その人の試合は、見逃さないように、してます」


 なぜか少しカタコトのようになってしまいながら答えると、ティーナは笑顔でひとつ指を立て、「オシ!」と簡潔に表現してくれた。


「わたしも、オシのディーマーたくさんいマス。みんなツヨくて、カワイくて、オレのヨメ」


 冗談を言って控えめに笑う彼女は、落ち着いていて上品に見える。身に染み付いた仕草というよりは、頭で言葉を考えながらリアクションをしているゆえだろうか。しかし発言内容は悪いインターネットに汚染されているようで、色々と心配になる。


 だがこうもスムーズに会話が出来るのを、素直にスゴいなと思った。エストも多少は外国語の心得はあるが、実際に会話出来るかというと色んな意味で自信がない。


 そんな会話能力に感心はするが、今はそんなことよりも戦うことに、勝つことに集中したい。会話を続けながら、足りない情報を少しでも補うためにティーナというディーマーを観察する。


 今のこの会話、ティーナからはエストを探っている雰囲気は感じられない。もしかすると、この時間は彼女にとっての勉強の時間なのかもしれない。確かに教科書とにらめっこしているより、実際に喋って聞いて覚える方が効率はいいだろう。


 真面目だし、頭も良い。だが堅苦しいというワケではなく、冗談も好きでサブカルに興味がある。会話は求めるが積極的に距離を詰めてくる感じではない、控えめな雰囲気。


 イメージ通りだとすれば、力任せの戦い方はしなさそうだ。ただマナー違反はなくとも、戦略的な意味で嫌な戦い方はしてくるかもしれない。

 どれも想像でしかないが、想像から得られる情報があることも確か。必ずしも無駄ではないはずだ。


 しばらく会話を続けていると、そろそろ会話デッキがなくなってきたのか、ティーナは少し困ったように笑いながら「えっとー‥‥」と言葉に詰まってしまった。


「えっと、じゃあ、始めましょうか‥‥」


 情報収集を望んでいても、初対面の人といつまでも顔を付き合わせているのは少々と言わず気を張ってしまう。エストがそう促すと、ティーナも「そうしまショウ」と大げさな仕草でポンと手を叩いた。


 コメントで『すでに疲れてて草』『疲労困憊かよ』『無理すんな』とからかわれつつも、実際少しホッとしながら開始位置につく。


 エストは細身の片手剣を構え――ティーナは大きな円錐形の槍を構えた。

 それを見て、エストは思わず舌打ちをこぼしそうになる。


 独特な戦い方が目を引く彼女だが、試合を前にした彼女のスタイルは、先程仕入れた情報とは異なるものだった。


 ディーマーにとって『魅せる』戦い方というのは非常に重要だ。エストカリバーがエストを象徴する『必殺技』であるためには、ただ適当に使うだけではなくタイミングを考えなければならない。


 同じようにティーナが自身の戦闘スタイルをより印象付けるためには、常にそうであるよりも最適なシチュエーションを計るべきだ。


 要するに、初対面で因縁もなく、特別な地位や称号を持つワケでもないエストとの試合は、彼女にとって本気を出す場ではないということ。ファン数100万などはるかに超えている白鯨の背を追うティーナにとっては、なおさらだろう。


 もやりと、わずかに黒い感情が沸き起こりそうになる。


 だが今はそんなことを気にしている場合ではない。むしろ、連勝を目指すエストにとっては都合がいい。本気を出すつもりはないというなら、遠慮なくその隙を突かせてもらうだけだ。


 試合開始のブザーが鳴り、エストは気を引き締めてティーナを睨みつけるようにしながらその場で構え、相手の出方を窺う。


 ティーナはにんまりとした笑みを浮かべているばかりで、その感情を読み取りづらい。

 やる気がないとかナメているという感じではないが、闘志に満ち溢れている様子でもない。良くも悪くも、フラットだ。感情に乱れはなく、かく乱して隙を突くのは難しいか。


 エストと同じく、ティーナはその場を動かずこちらの動きを窺っている。わずかに腰を落として利き腕を引いて相手を見据える、同じような構えで互いに動かない。


 観戦者的にはかなり地味な絵面と思われるが、コメントでは『緊迫感あるな』『この空気感たまらん』『動いてないのにアツいよ~』と、案外と楽しんでいる様子が見て取れた。


 張り詰めた睨み合いが続いていたその時、不意にティーナが何かに気付いたようにハッとして笑みを深くした。

 何を仕掛けてくるのかと身構えるエストに、ティーナは瞳を細めて怪しげに微笑みを浮かべる。


「――奇しくモ、同じ構えダ」

「‥‥‥‥え?」


 突然の謎めいた台詞に、エストの脳内で「お前は何を言っているんだ?」と誰かが呟いた。


 先程までとは毛色の違う、謎の沈黙がフィールドを支配する。


 やがてティーナははとても悲しそうに、シュンと眉を落として俯いた。


「‥‥すいませン、スキなマンガの、セリフで‥‥ソノ~、同じ構えデ、向き合ってる感ジが、ちょっと似てテ‥‥」

「あっ」


 図らずも、ネタの解説をさせるという苦行を強いてしまった。


 ――気まずい静寂が流れる。


 その微妙な拮抗を崩したのはエスト。気まずさを振り払うため、もあるにはあるが、相手の出方が分からないなら先手を取って優勢を奪うべきだと判断した。


 初手はもちろん、得意技でもある刺突攻撃の『風の剣戟』。使い慣れていて応用が利くだけでなく、スピードには自信がある。


 剣先に風の魔力を纏わせ、地を蹴って一気に距離を詰める。ティーナは困り顔から再び緊張感の欠ける笑みに戻り、冷静にエストを迎え撃つ。


 剣を突き出し間合いに飛び込むやや手前、ティーナは一歩身を引いて直撃のラインからわずかに逸れた。エストはそれに合わせて攻撃の軌道を変えるが、ティーナの持ち上げた槍の腹にぶつかり、互いの武器が大きく弾かれる。ティーナは攻撃の勢いに押されるも、重心のコントロールが安定していて体勢を崩しきれない。


 ――上手い‥‥ッ!


 速度はあれど、点での攻撃である風の剣戟は比較的回避が容易な技だと自覚している。だが今のように、特に初見でこの技に『対応』出来る相手は、強い。これまでの経験から、今の一撃だけで少なくともそれを理解した。


 やはり、簡単に勝てる相手ではない。敗色濃厚というワケではないものの、せっかく積み上げてきた連勝記録がここで途切れてしまう可能性は否めない。


 そうなれば新装備を発表する機会を失い、ファン数の伸び悩みも打破できないまま、今と同じ停滞した状況を続けることになってしまうだろう。


 そうして足踏みしている間に他のディーマーたちはどんどんと成長してエストを置き去りにし、有望な新人にだってあっという間に追い抜かされてしまうかもしれない。


 そんな深みにハマってしまったが最後、停滞から抜け出すのは容易ではない。そのまま失意と共に引退、なんて最悪のパターンに陥ってしまったディーマーだって何人も見てきた。


 ――だから、負けるワケにはいかないんだッ!


 沸き上がる焦りがエストを蝕み、突き動かす。


 攻撃を受けたティーナの体勢は崩れていないが、整ってもいない。今のうちに一撃でも与えるんだと強引に腕を振るが、考えていることは向こうも同じ。ティーナも同じく強引な動きで槍を振り、受け止める。


 腰の入らない互いの攻撃がぶつかり、ふたりの動きが止まる。瞬間、エストの足元から水柱が噴き上がるように出現した。渦巻くそれは槍の形を成し、生き物のようにヌルりと蠢きながらエストに迫る。慌てて目の前で風の魔法を弾けさせ、水の槍をかき消した。


 エストは即座に剣を振るも、ティーナは落ち着いて的確に防いでみせる。その反動を利用しつつ後ろに跳び、一度落ち着いて態勢を立て直すために距離を取った。


 ひとつ息を吐くと、今度はティーナが腕を引いて突きの体勢を取る。集中力を高めてその動きを観察すると、わずかに甘さが見受けられる。恐らく威力はそこまで高くはない。


 であればこちらが取るべきは受けではなく、攻めの姿勢。エストは同じく腕を引いて、剣先に魔力を集中させた。


 視線が交錯し、ティーナは怪しげな微笑みを崩さない。何を狙っているのか探ろうとするものの、表情が変わらないので思考を読み取るのは困難だ。


 躊躇っていても仕方がない。エストのほうがわずかに早く力を解放し、超速の剣先がティーナに迫る。一拍遅れて、ティーナが地に足を付けたまま力を蓄えた槍を解き放つ。


 勢いも、タイミングも完璧だ。この一撃はもらったと確信するエストの目の前で、ティーナの槍が――バクリと口を開いた。


「‥‥‥‥!?」


 何が起こったのか、理解が一瞬遅れる。エストの刺突は飲み込まれるように槍だったモノに阻まれ、困惑するエストをティーナの攻撃が貫いた。


 混乱はわずか。少ないながらも得ていた情報から、受けた攻撃の意味をすぐに理解した。


 ――槍の切っ先が幾重にも分裂し、まるで軟体動物の触手のようにうねりながらエストを襲ったのだ。


 動揺を隠しきれないエストに、すでに元の形状に戻った槍を手にしたティーナがにんまりとした笑みを浮かべてみせる。


「マダ、やるかい?」


 煽られているのか、とわずかに感情が沸き立ちそうになるが、先程までの流れと彼女の雰囲気から察するに、これも何かの漫画ネタか。


「‥‥‥‥ふーん、やるじゃん」


 ネタにはネタをぶつけんだよ、という半ばヤケクソ混じりの心持ちでエストも台詞を返す。軽口を叩いている余裕などないが、黙っているのはそれはそれで癪だった。先程の台詞との関連はないはずだが、それでもティーナはどこか満足げだ。


 だが今の攻撃、なかなかに厄介だ。ダメージはさほど大きくないが、早く攻略法を見つけなければじわじわとシールドを減らされていくばかりだろう。

 付け入る隙としてはやはり、攻撃としての甘さか。正面突破が正攻法かもしれないが、そうするにしても下手に突っ込むだけではリスクが大きい。


 今の短い攻防から見るに、実力は五分。そして戦闘スタイルは、恐らく彼女もエストと似て戦略を好むタイプ。

 となると安定は、相手のミスを誘う戦い方となるだろうか。考え方が似ているとすれば、相手も同じことを思っているはず。エストも同様に、いつも以上にミスが許されない戦いとなる。


 盤石を欲するエストとしては、かなり面白くない状況だ。ただでさえ募っている焦りが、さらに勢いを増してゆく。


 互いに出方を窺い、再び静かな睨み合いが始まる。

 まず考えるべきは先程の攻撃への対処法だが、現状あまりにも情報が少ない。となれば――


 エストは地を蹴り、正面からティーナへと突っ込んだ。ティーナはその場で腰を据えてエストを迎え撃つ。


 真っすぐに、刺突の体勢で懐に飛び込んでいく。ティーナはやや遅れて同じく刺突の構えで迎撃を試みる、先程と同じ展開。そしてエストが腕を伸ばすと、ティーナの槍が触手のように口を開くのも、同じ。

 それに対しエストは特別な行動を起こすことなく、その攻撃を正面から見据えた。


 四方から迫りくる触手をやはり防ぐことは出来ないまま、エストは風の剣戟を槍の中心、本当にそれが軟体動物であれば口があるべき場所に叩き込む。


 エストの攻撃は槍に阻まれ、ティーナには届かない。だが地味なダメージを喰らいながらも、エストは今の一撃に好感触を得ていた。


 こちらの攻撃が入った瞬間、わずかだが触手の勢いが緩んだ。それは状況を崩すには十分すぎるほどの隙となるはずだ。

 そしてやはり、火力はいまひとつ。文字通り攻撃を分散させているのだから、ひとつひとつの威力が落ちるのは当然と言える。


 ――であれば狙うべきは、文字通りの正面突破だっ!


 エストは再度地を蹴り、ティーナが行動を起こす前に動いた。

 もう一度、正面からの攻撃。だが今度は探りを入れるのではなく、より速く、より強く、渾身の一撃を決めるべく剣を突き出した。


 剣先がティーナに迫る。槍は口を開――かない。対策を見出されたと察したティーナは、柔軟に受け方を変えてきた。


 ――だが、それさえも想定内。


 インパクトの位置を槍に定めていたよりも、さらにもう一歩。踏み込みの余地を残していたエストは、ティーナの反応速度を超えて一気に間合いに踏み込んだ。


 攻撃を放つ。ティーナは反応しきれない。咄嗟に半身を下げて直撃は避けながらも、エストの刺突は力強くティーナの身体を打った。


 手ごたえ十分。視界の端でシールドを確認すると、エストの累積ダメージを超えてティーナのシールドを削ることに成功した。


 単純なダメージだけではない。今の一撃で、この試合において一歩優勢に立ったことを自覚する。


「へへ‥‥やるジャン!」


 だがティーナとて、ファン数50万という数字は伊達ではない。一撃程度で集中を乱すことはなく、にんまりと変わらぬ笑みを浮かべるとその足元から水の槍、いや、水の触手と言うべきモノを生み出した。

 数はそこまで多くない。3本、いや、視界の端にもう1本。


 普段であれば最効率を狙って同等の威力の魔法をぶつけるところだが、今は優勢の維持が最優先。極端に魔力を抑えすぎず、ある程度余裕を持って風の刃を生み出し、水の触手をかき消した。


 ティーナはその向こう側で、槍を持つ手を大きく引いた体勢で腰を落としている。攻撃などさせるものかと、距離を詰めるべく脚に力を込める。


 ――瞬間、不動のままのティーナの背から、ずるりと1本の触手が伸びた。魔力の触手、いや、これは後ろ手に隠していた槍か。


 分裂することが出来るのだ。伸びるくらい、驚くほどのことじゃない。

 ただし、理解出来ることと回避出来ることはイコールではない。想定外の横合いから伸び来る触手は、咄嗟に足を止めたエストの腹を抉るように通り過ぎて行った。


 考える暇など与えられるはずもなく、ティーナは再び水の触手を召喚し、先程よりも数を増したソレがエストを包み込むように襲い来る。


「次から次へと‥‥! これが『オルトロス』ってワケですかっ‥‥!」

「Exactly!! ソノとーりでございマス!」


 その名は本来の神話ではなく、ゲームの敵キャラか何かから来ているようだ。彼女の緩そうな雰囲気も相まって、確かに妙にしっくりくる二つ名かもしれない。


 そしてそれは単なる見た目の珍しさだけでなく、数多くの触手を正確に操る彼女自身の処理能力が何よりの強さであり厄介さだ。


 完全な回避や防御は難しい。だが先程も感じた通り、一撃の威力は大したことはない。そして、それだけの小細工を弄する戦い方――


「魔力の消費も、さぞツラかろうッ!」


 少し突っ込み気味に攻撃の中心に躍り出て、己を中心に風を弾けさせて触手をまとめて薙ぎ払った。


 触手で視界が遮られていた向こう側、そこに現れたティーナは槍を構えてすでに攻撃モーションに入っている。だがそれも予想していたエストは、慌てることなく迎え撃つ。


 大振りで放たれる横薙ぎの斬撃。ディームならではの、槍という特性を無視した攻撃だが、今更その程度では虚を突かれない。正確に受け止めてから腕を引いて剣先に魔力を乗せると、ティーナも腕を引いて刺突の構えを取る。


 そのまま来るか、また口を開くのか。エストも剣を構えて、剣先と視線が交差する。


 繰り出されるティーナの刺突。そしてその槍は、エストの目の前で大きく口を開く。それに合わせてエストも刺突を繰り出した。


 やや迷いが勝ってしまい、勢いは乗っていない。だが恐らくこれでも必要十分。うねりながら伸び迫る触手を幾筋か身に受けながら、先程よりも魔力を乗せた強力な風の剣戟を槍の中心に叩き込む。


「‥‥‥‥ワっ!」


 ティーナはそれを受け止めきれず、攻撃の勢いを失った。思った以上に威力を乗せられなかったが、攻撃を止めるには十分。ティーナは地面を削るように後退しながらも、危なげなく再び槍を構えた。


 ――その動きを見て、しまったと苦々しく歯噛みする。


 威力が足りなかったんじゃない。押しきられる前提で、力を利用されただけだ。わざわざ驚いたような声を上げるあたりも、実に小賢しい。


 不用意に隙を見せてしまったエストに向けて、ティーナが槍を振るう。身体を捻じるように横に跳ぶも、回避には至らない。間髪入れず伸びる槍が追撃を仕掛けて来るが、やや大げさな威力の風の刃で槍を弾き、大きく後退した。


 エストは後ろに転がるようにしながら起き上がり、悪態を吐くのだけはどうにか我慢しつつティーナを視界に収めた。ティーナもそれ以上の追撃を諦め、その場で足を止めた。


 三度(みたび)、睨み合いの時間が始まる。


 互いに、息が上がり始めている。エストも肩を上下させながら、ティーナを視界から外さないままシールドを確認した。


 少し削られてしまったものの、いまだエストのほうがやや優勢。だがまるで気を抜くことが出来ないというのは、今しがた思い知らされたばかりだ。


 やはり、よく似ているなと思う。戦闘スタイルというより、恐らく思考の癖が近しいのだろう。


 そうして改めて感じる。嫌な相手だと。


 ミラーマッチというほど酷似しているワケではないが、絶妙に掠めるような類似性が不快感を増幅させる。

 自分もこんな嫌な戦い方をしているのだろうかと、際どい状況に焦りと共に苛立ちが募っていた。こちらの焦りに対し、ティーナはマイペースに薄い笑みを浮かべているばかりなのも不快感を助長している。


 思いの外、疲労が大きい。気を張っているせいか、いつもより疲れるのが早い気がする。


 睨み合いの静止を解いたのは、今度はティーナ。素早く、鋭い動き。動きの切り替えも早い。頭の回転の早さを感じさせる。エストも負けじと、即座にその動きを読んで対応した。


 戦いはすでに終盤に差し掛かっており、そこからはさらに激しい攻防戦が始まった。


 じわじわと、互いのシールドが削れてゆく。速度はエストの方が上だが、技術はティーナの方が上。エストが一瞬速く動いても、ティーナが一瞬早く予測して手堅く対応される。均衡が崩れることはなく、エストは必死に優勢を奪われまいと剣を振るい続けた。


 剣と槍がぶつかり合い、互いに跳び退って距離を取る。ティーナは笑みを崩さないまま、フウッと大きく息を吐いた。


 当然、ティーナとて疲労が溜まっているのだろう。それにこの戦い方だ。消耗はエストよりも大きいはず。


 ぶつかり合って、距離を取って、ひと呼吸入れてまたぶつかり合う。決着に向けて気合を入れつつも、互いに疲労を隠し切れない。


 ――負けられない。絶対に負けてはいけない。ここで負けたら、今日まで積み上げてきたものが全部無駄になってしまうかもしれないから‥‥!


 エストは歯を食い縛って、必死にティーナの動きを見据えた。

 何度か打ち合っては離れ、ひとつ息を吐いたその瞬間――ティーナの視線が一瞬だけ地面に落ちた。


 ほんのわずかな集中の乱れ。エストはその隙を見逃さなかった。

 即座に間合いを詰めて、一撃。速度も威力も乗っていない、半端な攻撃。ティーナの焦りは一瞬で、簡単に受け止められてしまう。


 だが目的はそこではない。エストはそのままティーナの背後に回り込んで、ティーナの背を蹴る。視界から逃れたわずかな隙に、剣に渦巻く魔力を集中させた。


 きっと、エストのファンからすれば待ち焦がれたその瞬間。コメントが『ざわ‥‥ざわ‥‥』と文字通りざわつき始めた。


「エスト‥‥――!」


 剣を両手で握り締め、頭上高く掲げ持つ。刀身に纏わせた魔力が爆風を起こし白銀の髪が巻き上げられ、フィールドの空気がざわりと揺れる。ティーナもすぐに振り向いてわずかに目を見開くが、もう遅い。


「――カリバアアアアアァァァアーーーッッ!」


 渦巻く剣閃が質量を持って、ティーナに降り注いだ。

 ティーナの眼がカッと見開かれ、感情の薄かった口元に歓喜の色が濃く宿る。口の端から牙か八重歯かを覗かせながら、ティーナはほんの一瞬対応に迷いを見せた。


 先程まで見せていたティーナの動きからすると、やや意外なその逡巡。中途半端な姿勢で回避も防御も疎かとなったティーナは、そのままエストカリバーの直撃を受け――一気にシールドをゼロまで減らすこととなった。


 勝負が決したことを確信し、エストは剣を振り下ろしたまま何度か大きく肩を上下させて息を整え、試合終了のブザーを受けて顔を上げると剣を高々と突き上げた。

 ドローンが素早くエストの正面に回り込み、勝者の顔をモニターに大きく映し出す。


 ――そこにある己の表情の鋭さに思わず驚き、下手くそな笑みでどうにか取り繕ってみせた。


 歓声に包まれながら改めてシールドを確認すると、エストのシールドもかなり際どいラインまで減らされていた。本当に、危ない試合だった。


 勝利の感覚が全身に行き渡ると、心の奥底から湧き上がっていた黒い感情が霧散していくのを自覚する。


 少し八つ当たり気味な思考になっていたかもしれないな、と内心で軽く頭を抱えた。マイナス感情が伝わっていて、嫌なヤツだと思われていなければいいけれど。


 だがとにかく、勝ちは勝ち。これでついに9連勝。そう思うと、途端に心が軽くなる。我ながら現金なものだ。


 そうこうしている間に起き上がったティーナは、てってこと軽い足取りでこちらに歩み寄ると、やけに嬉しそうにエストを見据えてそう言った。


「――問おう。アナタがバトルのWinnerか」


 その台詞はよく知っている。知ってる、けどコレ、なんて返せばいいんだろう。


「‥‥‥‥然り」


 多分正解ではないけど、適当にそれっぽい答えを返した。それでもティーナは満足そうに、ふふんと鼻を鳴らしていた。


 どうやら結果に反して、エストカリバーという技にずいぶんと満足してくれているようだ。ベルほど極端ではないにしろ、同じような反応に困惑を隠しきれない。


「いや~、ザンネンでした。エストさん、ツヨいですね。スゴかったです。えー、イッパイ、戦略があっテ、カッコいい」

「えっ、あっ、ありがとうございます。へへっ‥‥」


 急にストレートな誉め言葉を貰い、エストは思わず中途半端なニヤけ面を浮かべてしまう。コメントが「てぇてぇ」と「かわいい」で埋まり始めてうるさいなあと思っていると、それに加えて「TEETEE」と「kawaii」まで増え始め、海外ニキが深刻な精神汚染を受けていることに不安を覚えてしまった。


「でも、ティーナさんもすごく強くて、私も、かなり危なかったです」

「へへ、ありがとうゴザイマス。戦闘の、スタイル。ちょっと似てて、えっと~‥‥ベンキョーに、なりましタ」


 やはり、ティーナも同じことを感じていたようだ。この人はきっとこの試合を糧にもっと強くなるんだろうなという、確信に近いイメージがあった。


 ティーナは自分の赤い角を撫でながら、言葉を探すように一度黙り込む。

 黒髪であることも含め、どことなくジャパンみを感じさせる彼女のビジュアルからして、コンセプトは鬼なのだろうか。戦い方はタコだけど。


 などと、自分から会話を提供できるはずもないエストがどうでもいい思考を巡らせていると、ティーナが「あー」と口を開いた。


「エストさんは‥‥カツ、勝って、え~と‥‥勝利の、数。たくさん欲しいデスか?」


 ――心臓の裏側を刺されるような痛みを感じたような気がした。


 その質問の意図は分からなかったが、それほどに自分が勝利を欲していたという事実を指摘されて、自分でも意外なほどに動揺してしまった。


 だが実際、今は言われた通り勝ち星が欲しい。少し迷いながらも、エストは素直に頷いた。


「‥‥‥‥はい。えっと、今は、連勝が続いてるので、絶対に‥‥勝ちたいです」


 だがそんなエストの狼狽に気付いた様子もなく、ティーナは「レンショー! スゴイ!」と素直な称賛を口にした。


「イマ、何回デスか?」

「今日のこの試合で、9勝です」


 ティーナは目を丸くして口を開き、「キュー!」とややわざとらしく驚いてみせた。


「スゴい! あと1回で、ジュー! わたしは‥‥えっと~、タブン、5回?のレンショーが、ベストです」


 言って、ティーナはパチパチと拍手をしてくれる。こういう大げさなリアクションは海外みを感じさせる。


「ただ、今日はチョット、悔しかったデス‥‥」


 そこでようやくと言うべきか、ティーナは顔を俯けてゆっくりと首を振った。


「エストさんの、最後の、ヒッサツ技‥‥ナニを言うべきカ、セリフがすぐに、出てキませんでしタ‥‥」

「いや、悔しいのソコなんですか‥‥」


 思わずツッコんでしまうが、ティーナは何やら難しそうに考え込んでいるばかり。


 ――負けたくせに、呑気なものだ。


 再び、先程までの黒い感情が顔を見せる。

 けれどそれを露にすることなんて出来るワケもなく、その感情をどうにか押さえつけて、取り繕った表面上だけの態度で対応した。


「あー、ツギ、タタカう時は、きっと負けナイと思いマス。リベンジ、デキるといいですネ」


 それからいくつか言葉を交わし、最後にティーナがそう締めて試合は終了を迎えた。


 肉体的なものだけでなく疲労を滲ませながらフィールドを後にし、観戦者たちの視線の外に出たところで、エストは廊下の壁にもたれかかって大きく息を吐いた。


 誰かと話すと疲れてしまうのはいつものこと。けれど今日のこれは、いつもとは少し違うような気がする。

 ティーナと話しているとひどく落ち着かなくて、敢えて言うなら――苛立ちに近い感情が募っていた。


 何に対する感情なのか分からなくて、だけど彼女が穏やかで誠実な人物であることは伝わってきたから、相反する感情に挟まれて平気な顔をしているのが必要以上にしんどかった。


 ゴン、と壁に頭を叩きつけると、フィールドの外に出ているせいでわずかな痛みが内側に響いてくる。

 額を壁に貼り付けたまま大きく息を吐き、苛立ちの矛先をその痛みに向け、エストはその場を後にした。






 シャワーを浴びて着替えを済ませ、手癖のようにココアを1杯カップに注ぐ。少し気を紛らわそうと配信室へ向かうと、誰もいない個室に腰を下ろして乱れていた気持ちを一度落ち着けた。


 プニッターを開いて『ココア飲み終わったら感想配信やります』と投稿すると、『配信しながら飲め』『ASMRどこ?』『たすからない』とだいぶ気持ち悪いリプライを頂戴しながらゆっくりとココアをすすり、可能な限り気持ちを整えてから配信を開始した。


「――いや~、今回はけっこう大変だったかも。ティーナさん、私と戦い方というか戦術的な部分で似てるところが多くて、ちょっとやりづらかったんだよね」


 やることはいつもと同じ。試合のアーカイブを見返しながらの反省と、ファンとの交流。画面に試合動画とコメントを並べて配置し、視聴と同時に適当にコメントを拾っていく。


「かなり変則的な戦い方だったよね。‥‥あー、なんか、もっと変わった戦いもするんだっけ。予習はしてたけど、逆にそのせいで戸惑ったよ。‥‥うん、日本語も上手いよね。へー、絵も描くって言ってたけど、そんな上手いんだ。スゴいね、多才な人なんだ」


 ファンが多いということは、エストと同時に推しているファンも少なくないということ。やはりというべきか、今日のコメントはティーナに触れてくる人が多い。


 仕方ないとはいえ、自分のコメント欄で他人の話ばかりされるのは愉快なものではない。

 コメントから視線を逸らし気味にしながら、先程の試合に目を向けた。


 改めて客観的に自分を見ると、思いの外必死になってしまっていたようだ。なんだか、ずいぶんと表情が強張っている。

 もうちょっと余裕持たないと、とは思う。でも――


「キツかったけど、これでついに9連勝だよ。へへ、さすがにけっこう、テンション上がってるかも」


 途端にコメントが『スゴい』『つよい』『さすエス』で溢れてゆく。こんなことで気分を上げるのは正直どうかと思うが、連勝記録なんて達成しようと思って出来るものではない。少しくらい、調子に乗ってしまったって構わないはずだ。


 コメントは一気にエストの話題が増え、『新装備リーチか!?』『うおおお楽しみすぎる!』『早く見たいです!』『頼む次も勝ってくれ!』『どういう系の予定?』と盛り上がりを見せ始めた。


 ――そんな中、不意にいくつかのコメントが視界に入り込んだ。


『なんか地味で面白くなくね?』『さすがに必死すぎやろ』『連勝にこだわりすぎ』『どんだけ勝ちたいんだよ』『最近のエストつまらん』


 多くの好意に紛れ込む、わずかな悪意。きっとそれは全体で見れば数%にも満たないような些細なもののはずなのに、今はその小さな悪意がエストの心を激しくかき乱した。


 ――それでも、勝ったのは私だろッ!


 そんな反論が頭の中で叫び声をあげて、だけど実際には何を言うこともなく、気付かなかった振りをする。


 ディーマーに対する悪態や中傷なんていつものことだ。それが良いことだとは思わないが、いちいち反応していたらキリがないことも事実。

 すっかり慣れたつもりだったけれど、少なからず自覚のあることを指摘されるのは思った以上に面白くない。


 何気なさを装いつつ続けていた配信を適当なタイミングで切り上げると、静寂を取り戻した配信室でひとり、深く息を吐いた。

 気分転換のつもりの配信だったのに、気持ちを乱してしまっていては本末転倒だ。


 重い足取りでオープンスペースに戻ってもう1杯飲み物を注いでいると、不意に聞き慣れた笑い声が耳に届いてきた。


 視線を向けると、そこには見慣れた赤い髪を揺らしてゲラゲラと笑うアンナの姿。向かいの席には別のディーマーが腰かけて一緒に笑っている。見たことくらいはあるかもしれないが、あまり知らない人だった。


 声をかけられず、どうしようかと立ち尽くしてしまう。と、折よくその人が立ち上がって去っていった。良かった、とひっそり胸を撫で下ろす。

 少しだけ間を空けてから、エストはアンナの向かいの席に腰を下ろした。


「や、お疲れ様、アンナ」

「お、エストおつ~。ちょうどさっきまで‥‥いや、お前アイツが帰るの待ってたろ。ま、仕方ないよな~、知らない人と話すのコワイもんな~、あっははは」

「うっっっざ」


 ウザいのはいつものことだが、いつもながらウザい。言いつつも、エストはそのまま腰を落ち着けてカップを傾けた。


「あれ、なんだよ、試合終わりはいつもココアのくせに、今日はコーヒーか?」

「‥‥別にいいじゃん。そういう気分の日もあるよ」


 どうでもいいことに目ざとく気付くアンナから視線を逃がしつつ、すっかり飲みなれた深煎りのコーヒーをすすった。


「それよりさっきの人、友達? あんまり見覚え無い気がしたんだけど」

「そ、トモダチ~。今日初めて喋ったけど」

「ええ‥‥」


 相変わらずコミュ力が高すぎる。というか、今日会ったばかりの人を友達と呼んでいいものなのか。仲の良さと知り合ってからの期間が必ずしも比例するとは限らないけれど、一度楽しく話せたからといって友達と呼んでしまうのはさすがに軽薄じゃないだろうか。


「エストお前、まためんどくせぇこと考えてるだろ。言っとくけど、確かにアタシは知らん人と仲良くなるのは得意だけど、逆にお前は知らん人と話せなさすぎだからな」

「いや別に‥‥」


 違う、と言い切れない。ムカつく。

 結局何も言い返すことは出来ず、コーヒーに口を付けて誤魔化した。


「‥‥ていうか、なんで知らない人と急に話してんの。適当に声かけてるとか?」

「いやいや、ナンパじゃねえんだから。普通にさっきの対戦相手だよ」

「え、今日アンナも出てたんだ」

「なんだよ、気付いてなかったのかよ。視野狭まりすぎだろ」

「機嫌よさそうじゃん。勝ったの?」

「負けたよ」

「ええ‥‥」


 あっけらかんと言ってのけるアンナに、エストは再び呆れと困惑を滲ませる。

 しかしアンナはそんなエストの反応を軽く笑い飛ばした。


「勝敗なんか関係ねーって。そんなくだらねーこと気にしてんの、エストくらいのもんだろ」

「いやさすがにそれはないと思うけど」

「あー、そっか。そういやエスト今、連勝中だっけか。今日でいくつ?」

「9連勝」


 途端、エストは威勢を取り戻し、胸を張ってふふんと鼻を鳴らす。


「はっ、気分がサガったりアガったり忙しいヤツだな。試合中はシケた面してたくせに。で、10連勝達成記念に新装備か? この前ベルおじにバラされてた」

「まあ、あれは想定外だったけど、今は良い感じに盛り上がってくれてるし、結果オーライかな」

「あの、恐ろしくダサい新装備な」

「んなっ‥‥! あ、あれは結局修正したでしょ‥‥!」


 少し前のことになるが、新装備案を悩んでいる時、煮詰まってアンナに相談したら「ダサすぎ」と爆笑されて修正するという経緯があった。


 後日、少し落ち着いてから改めてボツ案を見ると、確かにどうしようもなく看過しがたいほどにダサかったので、結果としては良かったのだが。


「お前は慎重だし頭も良いくせに、悩みだしたら絶対ワケ分からん方向に迷走しだすからな。大抵直感で決めた時のがセンス良いんだから、下手に頭使うの止めちまえよ。アタシみたいにさ。あっはは」

「うるさいなあ‥‥」


 そんなこと言われて悩むのを止められるなら誰も苦労しない。唇を尖らせるエストに、アンナは楽しそうな笑みを向けるだけだった。


「まあでも、目標達成はもう来月以降か? とりあえず最近は気ぃ張りすぎだし、休むのにちょうどいい機会だな」

「え、なんで? またすぐ出るつもりだけど?」

「なんだよ、もう枠取ってんの?」

「は?」

「は?」


 ――謎の沈黙が落ちる。


 互いに困惑を隠せない様子で見つめ合い、やがてアンナが呆れ半分に眉根を寄せて、訝し気な視線を寄越した。


「‥‥おいおい、まさかとは思うけど、ディームのお知らせ見てねえの?」

「えっ、何かあったっけ。あっ、そういえば大きめのアプデがあるんだったっけ」


 ディームは見た目こそただっ広いだけの競技場だが、実際はそんな単純な施設ではない。

 人間に秘められた『魔力』を引き出すだけでなく、安全を確保するシールドの展開を始めとして、複雑な要素が絡み合うダメージの計算など、様々な環境を維持するためのシステムが常時動き続けている。


 過去には唐突にシールドが消失するという重大な事故が発生したこともあったが、今ではシステムの開発も進みそういった事故はなくなっている。


 それらの事故の再発防止も兼ねて、定期的にアップデートやメンテナンスが必要になるのだが、今回はその規模がかなり大きなものとなるらしい。


「そういえば、そうだったね。いや、知ってたけど、忘れてた」

「マジかよ、ここ最近ずっと話題になってただろ。インターネットの住人のお前が把握してないとか、よっぽどだな」


 ニヤニヤと嫌味っぽい笑みを浮かべるアンナに、エストは何も言わず視線を逸らした。


「ま、そうは言ってもアタシも詳しくは知らないんだけど」

「えっなにそれ。バカにされた私の立場よ」

「いやいや、今回は今まで以上に曖昧な告知なんだよ実際」


 なんだそれ、と思いながら改めてディーム公式の告知を確認してみると、書かれているのは『未だかつてない体験を』といった煽り文句だけで、確かに内容については具体的に触れられていない。色々とウワサはされているが、確証がないのでどれも推測の域を出なかった。


「ふーん、なんかスゴそうだね。で、コレがどうしたの?」

「だから、よく見ろって。アプデのためのメンテが3日あって、終わったら一週間ほどイベントで一般ユーザーは全面使用不可。んでイベントが終わったらもっかいメンテ。その影響で明日からは全部予約枠になってるけど、どうせ見てないんだろ?」

「は!? えっ、ウソ!?」


 慌てて予定を確認すると、確かに明日以降は全て予約枠に変わっており、普段よりも予約開始が早まっていることもあってその全てがすでに埋まってしまっていた。

 なんだか今日は人が多いなとは思っていたが、まさかそんな理由だったとは。


「えー、じゃあもう今月ムリってこと‥‥? えー、ホントに‥‥? えー、どうしよ‥‥」


 ひどく狼狽するエストに、アンナは呆れた息を吐きだした。


「なぁにをそんな焦ってんだよ。別にいいじゃねえか。急ぐことでもないだろ。むしろファンの期待は引っ張ったほうが効果は高まる~、みたいなこと言ってなかったっけ?」

「それは、まあ、そうなんだけど‥‥でも、今の勢いを止めたくないっていうか、今は流れが良いっていうか、このまま行きたいっていうか‥‥」


 アンナの言うことは間違ってはいない。だが同様に、そう簡単に割り切れるようなものではないというのも間違ってはいないのだ。


 諦め悪くもごもごと言葉を濁すエストに、アンナは呆れた様子を隠す気もなくさらに大きなため息を吐いた。


「んじゃ、どうしても出たいならアウェイの『箱』にでも行ってみれば? よその箱なら当日枠もあるっぽいし、それなりに埋まってるだろうけど行けるっしょ。多分」

「うーん、確かに‥‥」


 ディームという施設は、ココにひとつしかないワケではない。一番大きいのは今いるこの場所ではあるが、ディーム自体は他にも存在している。


 ちなみに『箱』というのは、そのディームの建物を指す俗称だ。

 ココの箱が少しずつ拡張されてゆき、試験的に別の場所に小さな箱が建てられ、少し前に新しくもう一基建てられた。そちらの新しい箱は、確か行こうと思えば行ける場所にあったはずなのだが。


 エストはスマホでマップを開いて検索をかける。近いと言えば近いが、それでもそこそこ距離があることに眉を寄せ、深くため息を吐いて椅子に深く背を預け、天井を見上げた。


「だからさあ、ンな焦ることじゃねえだろ。急いだってなんも変わらんて」

「いや別に焦ってないけど」

「いーや、焦ってるね。おれにはわかるんだ」


 嫌味な笑みを浮かべて心中を見透かしたように瞳を細めるアンナに、エストはわずかにムッとする。


 ムカつく。いつも人の心を見透かしたようなこと言ってきて。それでけっこうホントに見透かしているからムカつく。


 アンナがウザいのはいつものことだが、なんだか今日はいつも以上に感情が乱れる。

 いよいよ耐えかねてガタリと音を立てて席を立つと、アンナは呑気な顔で視線を上げた。


「あ、帰んの? アタシももう帰るし、メシでも行こうぜ~」

「行かない」

「え~、マジかよ。クーポンあるぞクーポン。お得だぞ」

「行かない」

「ちぇ~、なんだよ。しゃーねえ、なんか作るか~。あ、ウチ来る?」

「行かないってば」


 飽くまで茶化してこようとするアンナに背を向け、エストはひとりディームを後にしたのだった。


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