1.『戦乙女』エスト(前)
その日、彼女は選手控室で準備を整え、戦いに挑もうとしていた。
ディーマーとして活動し始めてそれなりに長くなるが、未だに試合前の緊張はなくならない。元々人前に出るのが得意ではない彼女は、今なお試合前は口から心臓が飛び出そうなほどの緊張に苛まれていた。
真っ白な控室の中には彼女以外の誰の姿もなく、部屋内には会場で流れている待機中の音楽と実況の声が小さな音量で流れている。
狭い部屋の中には目立ったものはなく、棚の横にウォーターサーバーがあり、中央には簡素な長椅子とローテーブル。正面のフィールドへと続く扉は今は閉ざされ、その上には誰もいないフィールドを映したモニターが掛けられている。
彼女は椅子の中心から少しずれた位置に腰かけ、床を見つめていた。
深く息を吐いて気持ちを落ち着け、水をひと口飲む。大して長くもないはずのこの時間が、無限にさえ感じられる。
彼女はもうひと口水を飲んで大きく息を吐くと、立ち上がって壁に備え付けられたパネルに触れてIDカードをスキャンさせた。
――途端、彼女の肩を隠す程度だった黒髪は、腰に届くほどの煌く白銀色に。簡素で地味なシャツとパンツは、澄み渡る空のような美しい輝きをたたえたライトアーマーに。手にした短い棒は、柄に国章のようなものが刻まれた、細身の剣へと変化した。
そして閉じていた眼を開くと、そこにあるのは特徴のない黒い瞳ではなく、深い海のような揺らめきを宿した碧い瞳。
やがて控室にブザーの音が響き、正面の扉が開かれる。
彼女は剣と同じ国章が刻まれた鎧の胸に手を当て、ゆっくりと息を吐いた。
扉の先を見据える彼女の瞳には先程までとは別人のように意志が宿り、やや浅かった呼吸はすでに落ち着いたものに変わっていた。
扉を抜けて、その向こう側。力強く足を踏み出すごとに、歓声が大きくなる。
通路を抜けるとそこに広がっているのは、ひとりで踏み入るには広大すぎるフィールド。
彼女の登場に、フィールドを取り囲む人々の湧き上がるような歓声がひときわ大きくなった。幾多の視線が彼女に集まり、彼女は顔を上げてフィールドの奥へと視線を向ける。
かつての、緊張と視線に耐え切れず吐きそうになっていた自分とは違う。今ここにいるのは自信が無くて弱気な自分ではない。
今の私は――
『お待たせいたしました! 続いての対戦は、堅実な戦いで着実に人気と実力を伸ばし続けているこの人! ――〝戦乙女〟エストです!』
――私は、エストだ。
××× ×××
「おっ、お疲れさんエスト~」
その場に現れた彼女に気が付いて、椅子に腰かけたひとりの女性が軽く手を上げて声をかける。エストと呼ばれた彼女はその声に応えてそちらへと足を向けた。
「や、来てたんだ、アンナ。アンナも今日試合あるの?」
「いや、ないよ。今日はちょっと場所借りに来ただけ」
場所は、ディーム施設の一角にあるオープンスペース。広い部屋には四角い机がいくつか置かれてカフェのようになっており、壁際にはドリンクサーバー等があり、小腹を満たせるような自販機も設置されている。
その整った空間には、エストとアンナ以外にも大勢の人で賑わっていた。髪色も衣装も街中では決して見られないような奇抜な人ばかりだが、決してコスプレ会場などではない。ここにいるのは皆、エストと同じディーマー。ここはディーマー専用のオープンスペースだった。
かくいう目の前のアンナも、今は炎のように真っ赤な髪が肩の上で揺れている。服装だけは戦闘時のものではなく、今のエスト同様ラフなシャツとパンツになっているが。
「エスト、最近調子いいみたいじゃん。『戦乙女』なんて呼ばれて調子に乗ってんじゃねえの~?」
アンナがからかうように笑みを浮かべると、獣のようなギザギザの歯が剥き出しになる。髪色と同じ真っ赤な鋭い瞳がエストを映し込み、緩んだ笑みを浮かべたエストの白銀の髪がさらりと揺れた。
「いや~、ようやく知名度上がってきた感じあるし、今の勢いを逃すわけにはいかないって思うと、どうしても気合入っちゃってさ~」
エストは締まらない笑みと共に、手にしたコーヒーをひと口すする。アンナは小馬鹿にしたように瞳を細めて、小さく息を吐いた。
「は、分かりやすいヤツだな。エストはこれから試合?」
「うん、申請から決定まではそこそこ早かったんだけど、開始までは思ったより待たされちゃってさ。ようやく時間近くなってきたところ」
ディームの試合は予約枠と当日枠に分かれている。事前に予約していれば、待ち時間もなくスムーズに試合に参加することが可能だ。
だが、気ままなディーマーたちはその日の気分で参加することも珍しくない。そのため、当日枠が埋まって待たされるのはいつものこと。
対戦相手は、互いの合意で指定することも可能だが、基本的にはランダムマッチ。極端な戦力差が生まれないよう運営による調整は行われているが、誰と当たるかはその時になってみないと分からない仕様だ。
対戦相手が決まると、ディーム施設内にいくつかある競技フィールドのどの場所でいつから行われるかが表示され、当日枠の場合は時間まで各々待機することとなる。
「てかアンナ、今日の私の対戦相手見た?」
「いや、見てねー。誰?」
「ベルさん」
「うそぉ!? あの人ちゃんと生きてたんだ!?」
アンナはギザっ歯を剥き出しにしてゲラゲラと腹を抱えて爆笑し、赤い瞳の端に涙さえ浮かべていた。こちらから振った話題とはいえ、そんなに笑うことか。
「‥‥はぁー、おもろ。こりゃ見逃せないね。今日は来て大正解だ」
アンナは炭酸ジュースを飲みながら机上の端末をイジり、この後の試合予定を確かめてもう一度笑い声を上げた。
「こんなん直接見る以外選択肢ないよな。さすがに席が埋まってることはないだろうけど、早めに行くか」
「楽しみにしすぎでしょ。ちょっとは私にも興味持ちなよ」
「いやエストはもう見飽きたしさあ。今更何に興味持つんだよ」
「いや言葉選び悪いな。せめて見慣れたくらいにしてよ」
ふたりは気の抜けた調子で雑談を交わし、試合が始まるまでの時間を潰す。元々それほど間がなかったこともあり、あっという間に時間がやって来てエストは腰を上げた。
「じゃ、行ってくるね。終わったらまた戻ってくるよ」
「あいよ。んじゃアタシも終わったらまたココにいるワ」
エストは軽く手を振ってアンナと別れ、出場者の控室へと向かった。
控室で待つ時間も、今日はいつもより緊張が薄い。相手がよく知る人であれば少なからず気が楽になるものだ。
エストはラフな服装からいつもの青と白を基調としたライトアーマーへと姿を変え、誇らしき『戦乙女』となりフィールドに歩み出る。
『お待たせしました。続いての対戦は、最近は順調で顔を見る頻度も高いですね~。ちょっとウキウキ気分の戦乙女、エスト~!』
実況の余計な紹介を受け、エストは曖昧な笑みを浮かべながらフィールドの中央へ進み出る。実況がいい加減なのはいつものことだが、やる気が削げるのでやめてほしい。
エストの登場に合わせて小型のドローンが近くまで飛来すると、そのやや呆れた笑みをフィールド上部の大きなモニターに映し出した。エストはドローンに向けて小さく手を振り、会場と配信画面の向こう側で観ているであろう人々に軽く愛想を投げておく。
『そしてそして、戦乙女と相対するのは本日の最注目! 前回姿を現したのは遥か太古。三億年ぶりの登場です! ディーマー界のはぐれメ○ル〝禁書〟ベル・シモン~!』
「ちょっと! 我、倒しても大して経験値入らないから!」
向かい側からツッコミと共に現れたのは、エストよりも頭ふたつ分は背が高い男。裏地の赤い黒マントをタキシードの上に羽織り、血色の悪い肌色に血のような赤い瞳が怪しく光る。口の端からは鋭い牙が覗き、黒ずんだ灰色の髪が垂れるこめかみの辺りからは、一対の捻じれた角が生えた恐ろしい姿。
ベルはエストの前までやってくると、とても嬉しそうにニッコリと笑みを浮かべた。これ以上なく悪魔然としたビジュアルをしているくせに、その無垢な笑みは人のいいオジサンでしかない。
「いやあ、まさかエストくんと当たるとはね。お手柔らかによろしくね」
「いや、まさかはこっちの台詞なんですけど。名前見た時ビックリしたよ」
ベル・シモンはエストと同期である。しかしこの男、普段はほとんどディームに顔を出すことなく、ひと月かふた月に一度も顔を見られれば十分という程度。
「ベルさんさあ、もうちょっとくらい顔見せたほうがいいんじゃないですか。私も顔忘れちゃうところでしたよ」
「いや顔は出してるよ。コメントいっぱいしてるもん。試合に出てないだけで」
「出なよ。なんなの、実況でも目指してるんですか」
「おー、それもいいかもね」
「確かに適任だけどさあ」
ディーマーであるはずのベルが試合にも出ず何をしているかというと――他のディーマーたちの観戦である。
いったいどれだけの時間を費やしているのか、新人からベテランまで、現在活躍しているディーマーの情報はほとんど把握している。要は、極度のディーマーオタクなのだ。
直接顔を突き合わせて話すのはあまり得意でないエストだが、さすがに気の知れた同期が相手なら緊張もしない。それに今日は機嫌が良いことも相まって、いつもより饒舌だった。
「だけど今日は、エストくんには悪いけど本気で行かせてもらうよ。我、負けられない理由があるからね」
「へえ、そういうのいいですね。で、何があるんですか?」
ベルは不敵な笑みを浮かべると、バサリとマントをはためかせて見えない集中戦を撒き散らしながら、高らかにそう叫んだ。
「――来月の、生活費のために!」
「草」
「あっ、みんなお金ありがとう」
「お金言うな」
観戦席とを隔てる透明のスクリーン上には、観戦者たちの打ち込んだコメントが次々と流れてゆく。現在のそこには大量の草と共に、『ふざけるな美味いモン食え』『は? 健康的に暮らせ』『最低ですねエスト様のファンやめます』等、ベルを強く非難するコメントが溢れていた。
流れてゆく大量のコメントの全てを追うことは難しいが、その中には文字が様々な色で彩られ目立っているものがいくつか見受けられた。
それは『BET』と呼ばれるもので、観戦者が一定のお金を支払うことでコメントを目立たせることが出来るシステムである。そしてその支払われた金額の一部は、指定したディーマーへと還元されるようになっている。
ちなみに『BET』というのは言葉通りの賭け金という意味ではなく、BETをしたからといって選手の勝敗により払い戻しがある、なんてことはない。要するに、推しのディーマーに対する投げ銭だ。ディームにおいて賭博などの行為は一切認められていない。
「まあ、負けられないのは私も同じだから。経験値稼ぎのためにこっちも全力で行かせてもらいますね」
「だよね、エストくん今連勝記録スゴいもんね! 我、応援してる! 頑張ってね!」
「さっき負けられないって言ったばっかじゃん」
そうして再びコメントに大量の草を生やしてから、ようやくふたりは雑談を終えて試合の準備を整えた。
フィールド中央付近の開始位置で向かい合うと、ベルはマントで身体を隠すような仕草で構えを取る。対してエストは細身の片手剣を手にし、重心を落として臨戦態勢を取った。
『準備整った感じですね~。それじゃあ、始めてください~!』
実況の声と共に、フィールドにブザーが鳴り響いた。それが、ディームにおける試合開始の合図。
先に動いたのは、エスト。勢いよく地を蹴り、常人では到達しえない速度でベルに肉薄する。
エストが攻撃を仕掛けるよりも早く、ベルが大げさにマントをはためかせながらバサリと開くと、その中から数本の魔力の鎌が放物線を描くように飛翔しエストを狙った。
エストは勢いのまま一度ベルの横を通り過ぎて攻撃を回避し、振り向きざまに剣を振るう。エストを追尾していた魔力の鎌は、斬撃を受けて霧のようにかき消された。
ベルが手を横に突き出すとそこにはいつの間にか、照明を反射して怪しく光る大きな鎌が握られていた。脚を止めたエストに向けてベルは大鎌を横薙ぎに振るい、湾曲した刃が空気を斬り裂いてエストを襲う。エストが身を屈めて躱したところに、すかさず雷の槍が放たれた。
エストは低い姿勢のまま後ろに跳び、正面に突風を巻き起こして雷の槍を薙ぎ払う。風に流されるように大きくベルとの距離が開くも、着地と同時に地を蹴り再度ベルに肉薄する。
エストの刺突をベルは鎌で受け止め、そのまま激しい斬撃の応酬が始まった。
手数の多いエストの片手剣に対し、鎌の特殊な形状を上手く利用しながら刃と柄を器用に使って捌いてゆくベル。
鎌の柄で剣を受け止め、流れる動きで掬い上げるように刃を振るうベルの攻撃を避けながら、エストはもう一度ベルから距離を取る。互いに一度動きを止めて、ふぅと小さく息を吐いた。
とてつもない速度と勢いで人間離れした戦闘を繰り広げているふたりだが、どちらもさほど息が上がっている様子は見られない。
ディームフィールド内では体内の魔力を活性化させ、自身の身体能力を大幅に強化させることが可能となっている。運動がそれほど得意とは言い難いエストが、世界レベルのアスリートでさえ優に凌駕してしまえる程度に。
無論、魔力というのは無尽蔵に湧き続けるものではなく、使えば使うほどに肉体とは別の、精神的な疲労が訪れる。一見華々しいばかりのディーマーの戦闘は、魔力の制御をはじめ目に見えない苦労も少なくないのだ。
「ホントもう、ひと月以上ブランクがあるとは思えないですね。『禁書』なんて二つ名はただの飾りじゃないってことですか」
――エストの『戦乙女』やベルの『禁書』という呼び名。これらは各々がディーマーとして登録する際に自分で決めるユーザーネームとは別の、『二つ名』と呼ばれる称号である。
それは何か正式な手順を経て名付けられるものではなく、その選手の特徴を反映してファンたちが自然に呼ぶようになったあだ名のようなもの。明確に誰がいつから呼び始めるというものではなく、いつの間にか定着しているという、ひどく曖昧な基準によるものだ。
だがそれは、そのディーマーがそれだけ注目されているという証でもある。『二つ名』という概念が定着してきた近年では比較的得られやすくなったとはいえ、そう簡単に誰にでも与えられるものではない。
『禁書』の名を持つベルの強みは、その情報量。ディーマーに関する知識量は並大抵ではなく、日々大量の試合を見ている影響でその戦術の幅はとても広い。癖と呼べるほどの分かりやすい特徴もないので攻略法を見つけづらく、強引に攻めようとすればあっという間に裏をかかれてしまう。
ディーマーの知識が深いというのは、こちらがどう動いたらどう仕掛けてくるかも全て把握されているということ。まるで動きを予知されているような反応速度は、厄介なことこのうえない。
警戒を解かないままのエストの軽口に、ベルはニッと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そりゃあもちろん、エストくんの試合はほぼ全部見て脳内予行演習バッチリだからね! 最近は頻度も高めだから、我ウキウキ! それに、それなりに頑張ってないとお金貰えないし」
「生々しいこと言わないでよ。ていうか、それなりじゃなくてもっとしっかり頑張らなくちゃ。お互い新人の頃はもっと頑張ってたじゃないですか」
「いや~、おじさんももう歳だからさ~。若い頃みたいに無理は出来ないんだよね~」
「そんなこと言って、ベルさん強いのにもったいない」
「我、基本見る専だからさ。家でビール飲みながら新人眺めてる時間が世界一幸せ」
「あまりにも草」
「でも、エストくんだって十分すぎるほど強いじゃない。我、エストくんの試合見るの超楽しみだよ。的確に状況を見極めて効率を求めるスマートな戦い方は安定してるから見てて安心感があるよね。我、エストくんは実家だと思ってるから。それにスマートなだけじゃなくて緩急つけて見せ場も作ってくれるのがまた最高だよねまるでサビで一気に盛り上がる曲のイントロ聴いてる時みたいなワクワク感っていうか静かに構えて睨み合ってるだけでも絵になるっていうかウオオオンたまらねえ~!みたいな「早口オタクやめてもらっていいですか」
褒められるのは悪い気はしないが、この勢いで語られるとさすがに呆れが勝る。
フィールドを囲うスクリーンには今も大量のコメントが流れており、その大半は『草』とか『かわいい』とかそんなものばかり。スクリーンの奥には観戦席があるが、こちら側からだとコメント越しで少し見えづらい。
そんな流れるコメントのさらに上部。そこにはまるで格闘ゲームのように、互いの名前と一本のゲージが表示されていた。
それはそれぞれの体表に張られた魔力シールドの耐久値を一部数値化したものであり、言うなればディームにおける『HP』だ。
フィールド内における全ての衝撃を完全に吸収してくれるそのシールドは、ディーマー個人の体力や魔力量に左右されない、恒常的に付与される公式のシールド。現在はベルのシールドが三分の一程度減っており、エストのダメージはその半分といったところ。
現状だけ見ればエストの優勢に見えるが、決して楽な戦いとは言い難い。隙を見せればあっさりと逆転されてしまうだろうし、ずっと余裕ぶったニヤニヤ笑いを崩さないのも気になる。どんな奥の手を隠し持っているか分からないのがベルの不気味なところだ。
笑みを浮かべたまま、ベルが動いた。マントを閉じて手元を見せないよう、滑るような動きで近付いてくる。そしてエストの間合いのわずかに外、掬い上げるような鎌の斬撃がマントの下から繰り出された。
ベルの戦い方は厄介ではあるが、やや速度に欠ける。集中していれば防ぐのはそれほど難しくない。左手の甲で鎌の刃を横から叩いて、微量のダメージを受け入れて攻撃を逸らす。
そのまま、エストはがら空きになったベルの懐に一歩踏み込んだ。
腕を後ろに引きながら剣先に魔力を纏わせると、魔力は風の渦となって刀身を包み込む。裂帛の気合いと共に腕を伸ばし、剣の切っ先をベルの身体の中心へ。強烈な刺突を打ち込んだ。
エストの得意とする刺突攻撃、『風の剣戟』。剣先に魔力を集中させ、最小限の魔力で最大限の効果を発揮する。魔力の調整次第で牽制にも決め技にも使えて勝手が良く、デビュー初期から使い続けているお気に入りの技だ。
ベルはギリギリ鎌の柄でそれを受けるが、防御としては甘すぎる。押し込まれ、エストよりも屈強なその身体が弾き飛ばされた。
ベルのシールドが大きく削れたが、安心するのはまだ早い。攻撃を受けたベルはさらに笑みを深くし、再び手元を隠しながらゆらりとエストに迫る。
斬撃、牽制の魔法、斬撃、回避、大振りの斬撃、退避。劣勢を強いられながらもベルの動きに焦りはなく、的確な行動を繰り返す。
勝利そのものへの渇望が薄いベルは、いつだって冷静だ。
そしてだからこそ、強い。
逆に、今のエストは勝利への渇望に満ち溢れている。わずかな勝利の隙も見逃すまいと、目ン玉をひん剥いてベルの動きを注視した。
一見バランスが取れて隙のないように見えるベルにも、当然弱点はある。相手の性質をよく知っているというのは、この試合においては互いに同じ。
虎視眈々と決めるべき時を見計らって、反撃の隙を与えず――
――ここだッ!
その瞬間を見極めて、エストは大きく飛び退って間合いの外から剣を構えた。
剣を両手で握り、天を突くように高く掲げる。エストの動きに反応して、これから起こることを察したコメントが途端に流れる速度を増してざわめき始めた。
渦巻く魔力が掲げた剣の刀身を覆い尽くし、膨大な魔力は一柱の竜巻となる。魔力の余波に風が吹き荒れ、白銀の髪を激しく揺らした。
「エスト‥‥――!」
エストの声に呼応するように、同じ言葉を刻んだコメントが爆速で流れてゆく。
眩い輝きを放つ剣を握る手に力を込め、地を断つように思い切り剣を振り下ろしながら、エストはその言葉を叫ぶ――
「――カリバアアアアァァァァァーーーーーッッ!」
振り下ろす刃を取り巻く魔力は爆風となり、一筋の光が天災のような巨大な剣閃となって空間を抉り取るように突き進む。
ベルはクワッと目を見開いて口元には深い笑みを浮かべ――――そのまま直撃を受けて吹き飛ばされ、フィールドの壁へと叩きつけられた。
自動車の衝突実験みたいな勢いで壁にぶち当たるベルの姿はインパクト抜群だ。ディームを初めて見る者であれば、心臓が縮みかねない衝撃映像である。
残り四分の一程度まで削られていたベルのシールド耐久値は、今の一撃で完全にゼロとなっていた。
実況によるエストの勝利宣言と、試合終了を告げるブザーが鳴る。湧き上がる歓声が勝者を包み込み、エストの勝利を祝すものとベルを労うコメントが勢いよく流れていった。
魔力消費の大きい技を放ったことで、大きな荷を背負わされたように一気に身体が重くなる。エストは剣を振り抜いた姿勢のまましばらく余韻と共に息を整え、額に汗を煌めかせながら顔を上げて歓声に応えるように拳を突き上げた。
上部のモニターに勝者を大写しにしているドローンに向けて手を振ると、『かわいい』『つよい』『さすエス』と雑な賞賛コメントが流れていった。それを横目で確認してから、ギャグ漫画みたいに両手両足を伸ばして地面に転がっていたベルの下へと歩み寄る。
かなりの勢いで壁に衝突したはずのベルだったが、怪我も衣装の乱れも一切なくケロリとした様子で起き上がると、やたら満足そうに手を叩いてエストを祝した。
「いや~、おめでとう。やっぱりエストくんは強いね。これでも我、かなり頑張ったんだけど」
「いやまあ、けっこう余裕なかったですけどね」
「エストくん対策の戦い方、色々と考えてたつもりだったんだけど。う~ん、やっぱり若い子は成長が早いね~」
「いや、敗因は普通に実戦経験の少なさだと思いますよ」
「そっか、じゃあどうしようもないね、ワハハ」
「どうしようもあるでしょ」
ふたりはフィールドの中央に戻り、互いに身体を休めつつ感想を語り合う。
ベルは確かに強いが、魔力量はあまり高くない。ゆえに小細工なしで真正面から高火力の攻撃を叩きこんでやれば、攻略はそう難しくないのだ。
魔力量の低い主な原因はサボりすぎであり、自業自得の弱点なのだが。
「しかし、ゴメンねエストくんファンのみんな。得意技の『風の剣戟』だけじゃなく、必殺技の『エストカリバー』まで特等席で見ちゃって。我、感無量」
「え、もしかしてずっとニヤニヤしてたのそういう理由?」
「他に何があるの?」
「最低じゃん」
エストが若干引き気味に笑っていると、コメントでも『いつもの』『知ってた』『お前もう船降りろ』『ベルおじそこ変われ』などと誹謗中傷の嵐である。
「エストくん、これでまた連勝記録を伸ばせたね。こうなってくると、そろそろ『新装備』とか考えてるんじゃないの?」
「え~~~、今それ聞いちゃう~~~?」
「えっ、なになにやっぱり予定あるんだ。我、めっちゃ楽しみ。お披露目戦、絶対見るンゴ」
隠し切れないエストのにやけ顔に、ベルは顔に似合わない無邪気な笑顔でウキウキと肩を揺らし、コメントも途端に勢いを増した。
「あー、えっと、ごめん。確かにそうなれば良いなとは思ってるんだけど、具体的にはまだなんにも決まってないし、このまま連勝出来るかも分かんないから、もうちょっと待ってもらえるかな。期待させといて申し訳ないんだけど」
思ったよりも盛り上がってしまったコメントに若干気後れするエストに、『楽しみにしてます』『エスト様なら行ける!』『ずっと待ってる!』『たすかる』とたくさんの温かい言葉が流れて――
「‥‥えっ、ていうか、は? ベルさん何してんの?」
コメントを見ていると、ファンに紛れてベルの『たすかる』というBETコメントが流れていった。しかもかなり高額である。
「たすかる」
「バカなの?」
「いいもの見せてもらったし」
「バカじゃん」
ベルはニコニコと満足そうに、専用の端末が取り付けられている腕を下ろした。
「でもまあ、エストくんは強いし最近はいい感じだろうけど、あんまり気を抜いてちゃダメだよ。最近は強い新人も増えてきてるしさ。そうそう新人といえば最近推しの歪宮ちゃんって子が毎日のように耐久戦してて戦闘力的には決して強くはないんだけどその胆力とか精神力みたいなのがスゴいし可愛い見た目してるのにやたら攻めが強いっていうか脳筋っていうか容赦ない勢いがホントとんでもなくて体力無尽蔵かよってくらい最初から最後まで全力で戦ってる姿が壮観で華があるから戦績自体はいまいちだけどファンも少しずつ増えててこのまま頑張ってくれれば我も古参面で後方腕組み出来そうな――」
「聞いてないし長くなるからいらないよその情報」
唐突に最近の新人ディーマー事情を早口に語り始めたベルを制し、その後もしばらく他愛のない雑談を交わしてから、その日の試合はエストの勝利で幕を閉じた。
フィールドを後にし、エストはディーマー専用のスペースでシャワーを浴びて服を着替え、ひとつ息を吐いた。
いくら身体能力が強化されていようと、あれだけの戦闘を行えば疲労もするし汗もかく。激しく動けば動くほど疲れるのは、魔法なんて超常的な力が使えたとて避けられないこと。
汗を流してラフなシャツとパンツに着替えを終えたエストは、オープンスペースから少し離れた個室に向かい備え付けられたPCの前に腰を下ろした。
電源を入れてカチカチと操作し、手元のスマホからメインのSNSであるプニッターを開いて『今から感想配信!』と送信して少しだけ待ってから、カチりとマウスをクリック。
「‥‥どうも~、みんな、聞こえてる? 音量大丈夫ですか~」
画面に向かって呼びかけて、コメント欄に『聞こえてます!』『音量バッチリ!』『お疲れさま~』などが並んでいることを確認してから、エストは小さく手を振った。
「みんな今日も見てくれてありがと~。いやぁ、今日はまさかのベルさん戦だったね。マッチング見た瞬間変な声出たよ」
ディーマーは戦闘だけではなく、このようにライブ配信を通じて情報発信や戦闘中には出来ないファンとの交流をしたりもしている。配信にもBETを投げることは可能で、戦闘よりも配信をメインに活動を行っているディーマーもいないワケではない。
ディーマーという存在が現れてしばらくが経ち、今ではディーマーは単なる競技者でなく、様々な手段で活動の幅を広げていっている。
エストも例にもれず、必ずしも毎回ではないがこうして試合後に少し時間を取って配信を行っているのであった。
配信の内容は、エストの場合は戦闘後の感想配信がほとんど。主な目的はファンとの交流であり、さらに言うなれば自分により注目してもらうためだ。
もはや国内だけに留まらず、世界にまで人気の広がり続けているディーム。その頂点に君臨する四天王と呼ばれるトップディーマーに憧れ、その厳しさに挫折していった者も少なくない。
エストも今でこそずいぶんと注目を集められるようになったとはいえ、ようやく中堅と呼べるようになったという程度。四天王のような人たちと比べれば、まだまだ足元にも及ばない。
だからこうして出来ることは可能な限りやって、ディーマーとしての立場に必死に喰らい付いているのである。
「てかベルさんレアキャラのくせに、いつ見ても強いよね。間近でディーマーが見たいから、なんて最低の理由掲げてるくせに‥‥あはは、確かに欲求には素直だけど‥‥そうそう、毎回戦いかた変わるからワケ分かんないよ‥‥うん、新装備は多分、近い内に何か言えると思う。まだ準備出来てないから、実装自体は早くても来月とかもっと先か、全然分かってないけど。そもそも連勝が途切れたら無かったことになるかもしれないから、応援よろしくお願いしま~す」
流れるコメントを適当に拾って受け答えしつつ、先程の試合のアーカイブを見返しながら良かったところや悪かったところを反省し、30分ほど話してその日の配信を終えた。
個室を出てオープンスペースに戻るとドリンクバーでココアを注いで、試合前とは違う席に座っているアンナの前に再び腰かけた。
「いや~、勝った勝った~。イケるとは思ったけど、ベルさん何してくるか分かんないから勝てて安心したよ」
席に着くなり、ココアに口をつけてフヘェとおどけた笑いを浮かべるエスト。オレンジジュースを飲んでいたアンナは、白い歯を覗かせながら軽く手を上げた。
「おう、お疲れさん。ちゃんと見てたぜ~。最前列で見てたし、コメントもいっぱいした。もったいないからBETはしてないけどな、あはは」
「めちゃくちゃ満喫してるじゃん」
「そりゃ、滅多に見られない激レアイベントだからな」
アンナは満足そうに肩を揺らして笑う。
「席も思った以上に埋まってたし、もはや珍獣扱いだろ。てかそういえばさ、ベルおじが連勝がどうこう言ってたけど、エスト今そんな調子いいの?」
「うん、今連勝記録更新中で‥‥って、知らなかったの?」
「知らんよ。お前の戦績とか興味ないし」
あっけらかんと言い放つアンナ。嫌味を言っている、というワケではないだろう。アンナはこういうヤツだ。多分、自分の戦績すらあまり興味がない。
エストは小さく呆れた息を吐いて、すぐにフフンと胸を反らせた。
「今までは5連勝が最高だったんだけど、実は今日でなんと、8連勝目なんだよね。このままなんとしても10連勝まで伸ばしたくてさ」
「ふーん、なんか最近浮かれ気味だと思ったら、そういうこと。スゲーじゃん」
やはりさほど興味なさそうに、雑な賞賛をくれるアンナ。
「アンナは最高記録どれくらい?」
「知らんって。数えたことねえし。あ、でもベルおじなら知ってるんじゃね」
「まあ、知ってるだろうけどさあ」
予想通りのアンナの反応に呆れつつも、容易く想像出来てしまうそれにふたりで笑いを交わす。
「それよりアンナ、今日試合出てないんでしょ? せっかく来てるんだから、出ればいいのに」
「今からぁ? もういいよ、その気じゃなかったし。それに、さすがにもう空き無いだろ」
周囲に視線を向けると、ふたりと同じように待機や休憩をしているディーマーはいつもより少し多いように見受けられる。確かに、今から参加は難しいかもしれない。
「今日はダラダラしてジュース飲みにきただけだからな。それにベルおじの試合見れたから、実質勝ちだろ。あ、この前もおもろい試合見れたから、アタシも今日で2連勝だワ」
ニッと笑ってピースなのか2なのか、指を2本立てて見せてくるアンナ。バカっぽいけど、その単純さが羨ましい。
「まあ十分満足したし、もう帰るかな。エストも帰るだろ? メシでも食って帰ろうぜ~」
おもむろに立ち上がるアンナに、エストも慌てて残りのココアを飲み干して腰を上げる。
「今日はベルおじのおかげでけっこうBET投げられてたし、エストの奢りでいいよな」
「私のBET収入なんて大したことないの知ってるくせに、よく言うよ。アンナの給料のほうが普通に高いでしょ」
「あはは、バレたか。じゃ、ワリカンでいいよ」
「ヤだよ。アンナのほうが食べる量明らかに多いじゃん。自分のぶんは自分で出してよ」
「あーあー細けぇなあ。そんなんだからモテないんだよ。おっと、モテるとかの前に知らない人とおしゃべりするほうが先だったかな~」
「うっざ」
記録の更新を維持出来たことに満足感と安堵を抱きながら、エストはアンナと肩を並べて軽い足取りでディームを後にしたのだった。