プロローグ
少し小さめな競技場程度の、ドーム型のフィールド。青々とした人工芝が敷き詰められたそこをぐるりと取り囲むように並べられた観戦席は、透明なガラスのようなもので隔てられている。
今は誰もいないそのフィールドに向けて、観戦席を埋め尽くす観客たちは興奮を抑えきれない様子で視線を送っていた。
『さあ、お待たせいたしました! 続いての試合は、みなさんお待ちかね、四天王の一角が登場です! 果たして今日はどんな風に魅せてくれるのでしょうか!』
やや芝居がかった大げさな口上で盛り上げる実況の言葉に、観客たちの期待がいっそう膨れ上がる。フィールドとを隔てるガラス状のスクリーンの表面には、内外の観客が打ち込んだ様々なコメントが凄まじい勢いで流れていた。
『まず登場するのは、デビューからまださほど経っていないにもかかわらず、実力と人気は急上昇中! 期待のルーキー――〝白鯨〟です!』
紹介を受けて、ひとりの少女がフィールドに姿を現した。
その小さな体には大きすぎる、膝の下までを覆う白いパーカーに身を包む彼女。そのお尻の辺りからはクジラのような大きな尻尾が、額からは一対のウミウシのような半透明の触手が伸びる。フードの隙間からは真っ白い髪が零れ落ち、その毛先は血に濡れた牙のように赤く染まっている。海の底のような深い青色をした瞳がぐるりと人々を見回し、鋭い牙を剥き出しにして明るい笑みを浮かべ、大げさな仕草でぶんぶんと手を振った。
「ミンナ~! ドウモ、ヨロシク~!」
白鯨が少したどたどしい日本語で挨拶をすると、それに合わせて会場が湧く。小型のドローンが正面から彼女を捉え、満足そうにむふーっと笑う顔がフィールド上部の巨大なモニターに大写しにされた。
白鯨は簡素なサンダルをペタペタと鳴らしながら、フィールドの中央へと進み出る。
『そして〝白鯨〟と相対するのは、安定した強さとトリッキーな戦術で我々を魅了してくれる、四天王がひとり、〝獣人〟です!』
白鯨と呼ばれた少女と反対側のフィールドから登場したのは、短く切り揃えられた黒髪にスーツ姿のひとりの男性。静かに真っすぐ正面を見つめている彼は、獣人と呼ばれるにはあまりにも特徴のない普通の人間の姿をしていた。
男は白鯨とは対照的に、正面を見据えたまま無言でフィールド中央へと進み出た。
『まだ新人と呼んでも差し支えないように思えますが、白鯨の勢いはスゴいですね~』
『ホントですよね。なんだか、以前に織姫が四天王に上り詰めた時を思い出しますね』
『あ~、確かに! あの頃も勢いスゴかったですもんね。懐かしいな~。じゃあもしかして、白鯨が四天王の座を脅かす、なんてこともあるでしょうか』
『ん~、まあ四天王の称号は少し特殊なところもありますから、難しいでしょうね。まあ、今は昔話よりも目の前の試合に集中しましょうか』
『自分から昔話振っておいて急にハシゴ外すの止めてもらっていいですか?』
軽快な実況席のやり取りが笑いを誘いつつ、会場の熱気は開始時間が近付くにつれて刻一刻と高まってゆく。
『さあ、とにかく今日はどんな試合を魅せてくれるのか、期待しましょう。では準備も整ったようなので、早速始めてもらいましょうか。試合開始です!』
そうしてついに試合開始を告げるブザーが会場に響き渡り、弾けるように熱狂のボルテージが跳ね上がった。
男は軽く腰を落とし、気合いを入れるようにネクタイに指をかけ、緩める。
「新人さんに負けるワケには、いきませんから」
――途端、彼の周囲に稲妻の渦が爆ぜ、その体が眩い光に包まれたかと思うと、その内側のシルエットを大きく変貌させながら光が弾け散る。
光の下から現れたのは――先程の男よりもひと回りほど背が高く、犬のような長い顔と頭の上にはふたつの尖った耳、腰からは太い尻尾が垂れる金色の毛並みをした二足歩行の獣の姿。堅苦しいスーツはゆったりとした浅黄色の和装に変わり、その両手には左右一対の黒い刃の日本刀が握られている。
それはまさに、『獣人』と呼ぶに相応しい容貌だった。
相対する白鯨は楽しそうに鋭い歯を見せて笑い、右手を上空へ掲げるとその手を中心に光が左右に伸び、三又の槍を形作った。
白鯨は槍の柄を叩きつけて二度、地面を鳴らす。すると、突如白鯨の背後から黒い箱のようなものが出現した。
「ハイ! イキマスヨ~!」
白鯨の掛け声を受けて、黒い箱が激しく空気を振動させた。
それは彼女の背よりも大きい、巨大なスピーカー。軽快でポップな音楽が爆音で流れ始め、曲に合わせて白鯨がウキウキと体を揺らす。
流れる曲がイントロを越えて盛り上がりを見せた途端、白鯨が地を蹴って獣人へと飛びかかった。
勢いに乗って槍を突き出し、超速の刺突を獣人めがけて放つ。獣人は冷静に反応し、2本の刀をクロスさせてそれを受け止めた。しかしその勢いを殺し切ることは出来ず、獣人は地面を削りながら押し込まれる。
周囲を囲む透明のスクリーン、観戦者たちのコメントが流れるその上部に表示された獣人の名前、その下にある棒状のゲージが攻撃を受けてわずかに減少した。
渾身の一撃を受け止められ、しかし白鯨はその口端を吊り上げて「アハ♪」と笑みを漏らす。白鯨は勢いのままに、音楽に合わせて斬撃を繰り出した。その様子はまるでリズムゲームにでも興じているかのようだ。
白鯨の怒涛の攻撃に獣人は防戦一方となり、表示されたゲージも徐々にではあるが減少を続けている。
白鯨の攻撃のタイミングは絶妙で反撃の隙がないが、獣人の防御も的確で危なげがない。白鯨がリズムを口ずさみながら攻撃を繰り出すのを、獣人は両手の刀で確実に弾いてゆく。
曲がサビに入ってさらに盛り上がりを増し、白鯨がよりいっそう激しい連撃を繰り出した瞬間、獣人がついに攻撃の態勢を取った。
連撃の途中の一撃を思い切り蹴り上げ、白鯨のリズムを崩す。白鯨は目を見開いて「わおー」と気の抜ける声を上げた。その隙を突いて、獣人の放つ逆袈裟切りが見事に白鯨の小さな身体を斬り裂いた。
――刀の刃は確かに白鯨の身体を裂いたが、彼女は怪我どころか、衣服に傷ひとつさえもつけられてはいない。
外傷はないものの攻撃を受けて白鯨は仰け反り、ゲージを大きく削られる。そしてそのまま、べしゃあと背中で地面を滑りながら情けない格好で転がった。
一気に劣勢に陥った白鯨だが、なおも勝ち気な笑みを崩すことなく起き上がり、ちょうど終わりを迎えた曲に続いて新たに音楽を流し始めた。
だが白鯨が音楽に合わせて動き始めるよりも早く、先制を取ったのは獣人。気付けば一刀に切り替わっていた獣人が地を蹴り、凄まじい速度で刀の切っ先が白鯨に迫る。
白鯨がパッと両手を広げると、何もなかったはずの空間に突如として大きな水泡が現れ、ゴムボールのように柔らかなそれが獣人を包み込む。しかしそれもほんの一瞬のこと。水泡は即座に突き破られて破裂し、獣人の勢いを止めることはかなわなかった。
白鯨は槍を構え、大きく後退を余儀なくされながらもどうにか獣人の刺突を受け止める。バランスを崩した白鯨に数発の追撃が叩き込まれるが、不安定ながらもどうにか持ちこたえてみせた。
獣人が一度身を引いて再び二刀に戻ると、素早く体勢を立て直した白鯨の足元から水流が立ち昇った。それはくるくると渦巻きながら形を成して、水の槍となる。生み出された3本の槍は時間差で獣人に襲い掛かり、それに追随して白鯨が駆ける。
獣人は上に跳んで1本目の槍を回避。残りの2本が軌道を変えて空中の獣人に迫る。
逃げ場を失った獣人に槍が命中するかと思われた瞬間――獣人は何もない空中を蹴って真横に跳躍し、2本目の槍を回避する。もう一度空中を蹴って軌道を変え、迫る最後の1本も斬り払った。
全ての槍を迎撃すると、続いて今度は白鯨自身が空中の獣人に迫る。飛び上がる勢いのままに槍を突き出し、獣人は空いていた右手の刀で迎え撃った。
互いの正確無比な一撃。槍の切っ先と刀の切っ先がぶつかり合い、凄まじい衝撃がフィールドを激しく揺らした。
空中で無防備となっているはずの獣人は、しかしそこに壁でもあるかのように空中で踏みとどまり、白鯨の槍を受け止めている。
競り合いは一瞬。獣人は力を緩めて拮抗状態を崩すと、両の刃が弧を描いた。白鯨はそれを受け止めきれず、空中でバランスを崩して地面に転がされてしまった。
間髪いれず追撃を仕掛ける獣人に、再び地面から湧き上がる水の槍が飛来する。しかし獣人は空中を跳ねるように移動してその全てを回避し、斬り払う。
白鯨は転がりながら起き上がり、なおも流れ続ける音楽のリズムに身を任せて獣人の猛攻に抗った。
白鯨の動きは鋭く無駄がないが、獣人はそれを上回る速度と勢いで畳みかけ、じわじわと白鯨のゲージは削られてゆく。
白鯨は幾度も逆転の機を探り幾度も攻勢に出ようとしたものの、獣人はそれを許すことなく着実に白鯨を追い詰め、やがて――白鯨のゲージが、ついにゼロとなった。
『――――試合終了~! 勝者、〝獣人〟です!』
実況の宣言とともにブザーの音が鳴り響き、2本の刀を激しく振るっていた獣人はピタリと動きを止め、白鯨はぷへぇと息を吐いて、ぽてっと背中から地面に倒れ込んだ。
観客の歓声を受けながら獣人が鞘の無い腰元に納刀するような動きをすると、手にした武器は溶けるようにその形を失った。
モニターに獣人が大きく映し出され、フィールドを取り囲むスクリーンには獣人を祝福するコメントや白鯨を労うコメントが大量に流れ、場を賑やかし彩っていた。
『いや~、さすが四天王と呼ばれるだけありますね。安定感が違いました。盤石の勝利、といったところでしょうか』
『そうですね、無駄がなく熟練の技を感じます。しかし白鯨も四天王を相手にかなり善戦してたんじゃないですか』
『全くもって仰るとおりです、すごく良かったです。何が良かったって、まず、顔が良い』
『分かる』
『あと、ぶかぶかのパーカーっていうチョイスが良い。天才』
『分かる』
そんな実況のやり取りをよそに、倒れ込んで天井を見上げたまましばらく寝転がっていた白鯨は、やがてぴょこりと起き上がり獣人と向かい合う。瞳を細めて不満を露わにする白鯨に、獣人は居心地悪そうに視線を泳がせていた。
しかし白鯨は大きく肩を落としながら息を吐くと、コロリと表情を切り替えてニッと歯を見せて笑顔を浮かべた。
「ドウモ、アリガト~。あー‥‥たのしかっタ、デス!」
「あっ、はい、こちらこそ、その、いい勝負が出来ました」
悔しさはあれど必要以上に負の感情を露わにすることなく、楽しげに笑う白鯨と落ち着かない様子の獣人は握手を交わし、フィールドを後にした。
観戦者たちは戦闘の余韻をも祝福するように、熱い歓声をいつまでもフィールドに向けて送り続けていたのだった。
――人類に『魔力』と呼ばれる力が眠っていることが広く知られるようになったのは、ここ十年にも満たないごく最近のことだった。
一定の条件下において、人は炎や氷を生み出したり物質を生成したり、まさに『魔法』と呼ぶべき超常現象を引き起こせることが研究によって発見された。
ただし、その条件というのが自然環境下で発生することがあり得ず、人工的に生成しなければ再現できない。そして、それは広大でオープンな環境、つまり屋外では、少なくとも現在の技術では再現が不可能であった。
そうして様々な研究が進められた結果、生み出されたのがこの――『ディーム』と呼ばれる競技であり、競技場だった。
『Dream Enchanted Magic Field』という正式な名称があり、DEeMと表記されることもあるが、広く世に浸透している呼び方は、『ディーム』。
そのディームと呼ばれる競技場内においてのみ、選手として認められた者達は魔法を行使することが出来、競技としての戦闘を繰り広げる。
ディームの競技フィールド上では全身が強力な魔力シールドに覆われ、そのシールドは魔力や物理の衝撃を完全に吸収し、選手たちがフィールド内で怪我などをすることがないよう守ってくれている。
試合ではそのシールドの一部を数値化して体力に見立て、先にシールド値を削り切ったほうが勝利という単純なルールで行われる。
ルールは単純だが、発見されて間もない『魔法』という力を用いて繰り広げられる競技はどこまでも新鮮で、選手として参加する者達は戦闘を通して観る者を熱狂させた。
ディームは爆発的な盛り上がりを見せ国境すらも越えて話題となり、今最もアツいコンテンツと呼ばれるほどに成長を遂げていた。
そうする中で『魅せる』戦いをしてくれる選手たちは人々の注目をより集め、目まぐるしく変化を続け、日々増え続ける選手たちと共に研鑽を続けていたのである。
そうしてディーム内で選手として活躍する者たちのことを――『ディーマー』と呼び、多くの人々を惹きつけてやまない存在となっていた。