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つながり⑧

「は……む」

 ため息が出そうになって慌てて呑み込む。あれから彼の声が聞こえなくなってしまったのだ。心を塞いでひとりで耐えていても無音で、賢太の声も聞こえていないのか、聞こえていて無視をされているのか、それさえわからない。そんな賢太の状況を知らない両親の怒声はますます激しくなり、最近は近所の人から賢太がちくりと嫌味を言われることもある。

 ――ご両親の声が響くから、窓を開けられないのよねえ。

 近所の人たちも大変だ。嫌味を言いたくても、言い甲斐のない無反応な賢太しかいないのだから。一応頭をひとつさげておくが、賢太だってやめてもらえるのならやめてもらいたい。でも止めて止まるのなら、こんなに毎日続かないだろう。喧嘩するほど仲がいい、なんてもとの仲がいい人たち同士だから言える言葉だ。いや、賢太の両親の応酬は「喧嘩」なんて言葉では済まない気がする。罵詈雑言も、よくもあれほど続くものだと呆れる。

 ほみるでのアルバイトはなるべくシフトを増やしてもらいたいが、店休日にはどうやっても入れないし、毎日入りたくても他にもシフトを入れてほしい人がいると賢太は遠慮してしまう。それでも、と強引には頼めない。

 昨日は店が休みだったから、ようやく今日出勤できた。家にいるのがとにかくつらい。シェルターも失ったかもしれない。

 あなたはどうしてる?

 心の中で問いかけるが、答えがあるはずはない。どんなに声を聞きたくて掛け布団の中で耳を澄ませても、なにも聞こえないのだ。彼がどうしているか気になるし、つらい思いをしていないか心配になる。彼の苛立ちの圧が押し迫ってきたあの日から二週間が経つ。そのあいだ、一度も声は聞こえない。どんなに話しかけても無音なのだ。

「賢太、どうした?」

「あ……、ううん。ごめん」

 声をかけられて顔をあげると、秀星がパンののったトレーをレジ台に置いたところだった。今日も賢太のすすめたパンが三つずつトレーにのっている。

 彼の声が聞こえなくなったのと同時期に、秀星もなぜか塞いでいたときがあった。心配する賢太に無理やり笑って見せた笑顔は痛ましかった。相変わらず両親とはうまくいっていないようで、弟が一番の親に寂しさも感じなくなってきたという。それは決していい兆候ではないけれど、賢太にはどうしようもない。ただ話し相手でいるだけだ。

「なにかあったなら聞こうか?」

「ううん。大丈夫だよ」

 秀星の孤独と傷ついた心、優しさに触れるたびに、もしかしてあの声の主は――と思う。でもはじめのときにあの声の主と互いに名乗らないと約束をしたので、予感はそっと胸の奥にしまっている。

「賢太が元気ないと、俺も寂しくなるな」

「えっと、元気がないわけじゃ……」

「でもなにか悩んでるだろ?」

 少し間を置いてこくんと頷く。

「理由はなんとなく想像はつくけど」

「え?」

「言いたくないよな」

 目をまたたいてから、もう一度こくんと頷く。彼を怒らせてしまったことは、口に出すのもつらいのだ。でも、秀星にはなぜそれがわかるのだろうか。

「親を選べたらよかったのにな」

 秀星の小さな呟きに、はっとする。あの声の彼も似たことを言っていた。

 まさか。

 予感は膨らみ、確信へと姿を変えようとしていた。



 昼休みに購買に行こうとしたら、秀星に止められた。

「なに?」

「パンならある」

 それも最高の、といたずらに笑む。なにかと思ったら、ほみるで賢太の分のパンまで買ってきてくれていた。

「最高って。おおげさじゃない?」

 どれも賢太がすすめたパンだ。もちろんミルクパンも入っている。ほみるのパンがおいしいのはたしかだが、「最高のパン」なんて呼んだらパンたちが照れてしまいそうだ。売っている賢太も気恥ずかしい。

「最高だよ。ほみるのパンは最高においしい。味もするしな」

「うん。そうだね」

 でも最近わかってきた。ほみるのパンではなくても、秀星と食べると購買のパンでもコンビニのパンでもなんでも、味がするのだ。ひと口ひと口を味わいたいと思える。食事でも気持ちが満たされることをはじめて知った。空腹が面倒くさいなんて思っていたのが嘘のように、今では腹が空くことさえ楽しみだ。それは秀星も同じようで、最近は秀星が食べることを楽しみにしたり、おいしいと喜んだりしているのがわかる。

「秀星くん、私たちも一緒していい?」

 女子がさりげなく寄ってきたら、秀星の表情が一気に硬くなった。

「勝手に名前を呼ばないでくれるか」

 低い声に、賢太のほうが怯む。秀星ではないみたいだ。

「だって伊川くんは呼んでるじゃん」

「うちらもいいでしょ?」

 だが女子も引かない。なかなか根性があるなあ、なんて思っていたら、秀星は女子から目を背けた。

「賢太は特別だ」

「……!」

 心臓が高鳴り、頬がわずかに熱を持った。くすぐったくなるような「特別」という言葉が耳に優しい。

「賢太、行こう」

「え、あ……」

 秀星はパンの入った袋を持って立ちあがり、女子を置いて教室を出てしまった。どうしよう、と思いながら賢太も肩をすぼめて追いかける。少しだけ女子のほうを見たら、きつく睨まれていて怖かった。

 十二月になり、廊下は冷える。どこに行くのかな、とついていくと、特別教室の並ぶ校舎のすみまで行って秀星は足を止めた。ちょうど窓から柔らかな陽射しが入っている。

「悪い、賢太」

「なんで?」

「嫌な気分になっただろ」

「全然なってないよ」

 本当は怖かったけれど、それは言わない。へらっと笑って見せると、秀星は痛々しげに眉を寄せた。

「強がらなくていい。俺には本当のことを言え」

「……本当の、こと……」

 (うずたか)く積みあがっていた強がりが、ころんとひとつ崩れた。ひとつ崩れれば次から次へところころと転がり落ちていく。まるで心が裸になるような感覚に、羞恥さえ覚えて頬が火照った。

「そんな……本当のことなんて……」

 我慢をすることや耐えることは慣れているけれど、素直に気持ちを言うことには慣れていない。心の内を覗いてくれる秀星の優しさに、胸が甘く疼いて仕方がない。

「大丈夫だ。俺はどんな賢太も嫌いにならない」

「……」

 そんなことがあるのだろうか。目をまたたくと、ほろりと涙が落ちた。ひと粒落ちたしずくは、頬を伝った。

「……っ」

「頑張ってるな、賢太。いつも頑張ってる」

 ずっとほしかった言葉だったのかもしれない。いつかあの声の彼も同じ言葉を言ってくれたが、そのとき以上に心に沁みる。涙はひと粒以上流れなかったけれど、心の中に積み重なったものが崩れていく。

「ぼ、僕だけじゃなくて……秀星だって……っ」

 秀星だって頑張ってる。それを伝えたいのに言葉がうまく出てこなくて、ただ秀星の手をぎゅっと握った。一瞬強張った手のひらは、すぐにきつく掴むように握り返してくれた。

 頑張ってる。僕、頑張ってるんだ……。

 認めてもらえたことが嬉しくて、胸がいっぱいだった。同時に秀星にも同じ言葉を言いたかった。

 秀星も頑張ってるよ。

 心の中の声が通じたようで、秀星は柔らかく微笑んで頷いてくれた。

 声にしていない言葉が届いたことで確信はたしかなものとなり、あの声の主は秀星だとわかった。賢太の心はずっと秀星とつながっていたのだ。

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