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つながり⑤

 二学期がはじまって三週間が経つと、教室内はこれまでの様子に戻った。理由は簡単。秀星が女子をまったく相手にせず、ひとりまたひとりと諦めていった結果、静かになったのだ。どんなに美形でも、まったく相手にしてくれないのに迫り続けられる根性がある女子はいないらしい。もちろん賢太だって、相手がずっとなにも答えてくれないのに一方的に話しかけ続けるなんてことはできない。そもそも誰かに話しかけること自体が苦手だ。

 秀星はいつもひとりでいる。誰かと仲良くなる素振りもない。まるで周囲を拒絶しているかのような姿に、なぜかあの声の主が重なった。大曽根くんもつらいのかな、なんてお節介なことまで考えてしまい、勝手な思い込みに自分で恥ずかしくなった。ただひとりでいるのが好きなだけかもしれない。


 家にあまりいたくないので、なるべくアルバイトのシフトを入れてもらうようにしている。パン工房ほみるは高校と賢太の自宅の中間、どちらからもふた駅のところにある。「ほみる」は「穂」と「ミルク」から取られている。ほんのり甘いミルクパンが看板メニューだ。店長は四十代の男性で、主に店長がパンを焼いているが、アルバイトが手伝いにも入っているので店長ひとりで厨房をまわしているわけではない。賢太は販売スタッフとして店に立っている。赤い屋根がほみるの目印だ。

「いらっしゃいませ」

 近所の人や、わざわざ電車を使って買いに来てくれる人もいる。でも今入ってきた客には素直に驚いた。ドアベルがカランと鳴ったので出入り口を見ると、そこにいたのは大曽根秀星だったのだ。

「……伊川だっけ」

「う、うん」

「ここでバイトしてるのか」

「う、うん」

 名前を覚えてくれていたことに驚いて、同じ答えしか返せなかった。高校から近いとはいってもふた駅あるので、学校の人が来るのは珍しい。制服で同じ学校だとわかるだけの顔も知らない人以外は来たことがなかった。

「お、大曽根くんは、どうして?」

「パンを買いに来た」

 それはそうだ。パンを売っている店にノートを買いに来るわけがない。おかしなことを聞いてしまった、と縮こまる。幸いにも店内には他に客はおらず、賢太のおかしな発言を聞いていた人は秀星以外にいない。

 秀星は並ぶパンを見まわし、小さく首をかしげた。好みのものがなかっただろうか。

「おすすめを教えてくれ」

「え?」

「祖父母から頼まれたんだ。店員のおすすめを買うといつもおいしいから、おすすめを聞いて買ってきてほしいと言われた」

 秀星はトレーとトングを手にし、賢太の言葉を待つ。ここで働くからには賢太もおすすめはあるが、自分なんかがすすめていいのか悩む。

「甘いパンと惣菜パンとどっちが好きかな」

「どちらも好きだ。祖父母はここのパンは全部おいしいと言ってる」

「あ、ありがとう」

 パンを褒められたのに、自分が褒められたようで照れくさくなった。秀星は賢太がすすめるものを買うつもりなのだ、と緊張しながらひとつずつ説明を加えてすすめていく。辛味を抑えた甘めのサルサソースとチーズののったサルサパン、皮のぱりっとしたウインナーを挟んだウインナードッグ、キューブ状の小さいチョコがもっちり生地に練り込まれたもちもちチョコチップ、それからミルクパンの四種類をすすめた。

「ふうん」

 秀星は気のない返事をひとつ漏らしてから、賢太のすすめたパンをふたつずつトレーにのせる。けっこうな量だ。すすめすぎただろうか。

「全部じゃなくてもいいと思うけど」

「いや、せっかくすすめてくれたんだ。買っていったほうが祖父母も喜ぶ」

「大曽根くんは食べないの?」

 祖父母のことばかりで、秀星は自分の好みも言わなかった。不思議に思って聞くと、秀星は表情を曇らせた。

「俺は……なにを食べてもいまいちよくわからないから」

「そうなんだ」

 賢太と同じなのかなと思ったら、無神経なことを聞いてしまったことを申し訳なく感じた。

「ごめんね、言いたくないこと言わせちゃって」

「言いたくないってことはないんだけど……驚かないのか?」

「え? ……あ、そっか」

 たしかに普通はそんな話をされたら驚くのかもしれない。賢太も同じだったから驚くどころか同調していた。どうしようかな、と一瞬頭によぎったが、秀星が教えてくれたのだから賢太が隠すのはおかしい。

「僕も同じだから」

「え?」

「あんまり味がわからないっていうか……」

 あ、と慌てて肩の位置で手を左右に振って否定する。

「で、でもパンのおすすめは間違いないから。他のお客さまにも好評だし、こんな僕でもおいしいと思うんだ。特にミルクパン」

 正直に言えば味はうっすらとしかわからない。それでもおいしいと感じるものをすすめたのだ。ミルクパンはふわふわ感も楽しんでもらいたい。

「そうか。俺こそ嫌なことを聞いたな。悪かった」

「そんなこと……」

「会計頼む」

「う、うん」

 なんだか学校での雰囲気と少し違う。けっこう話しやすいし、気遣いまでしてくれる。学校ではしゃべっているところも見たことがないから、冷たい印象だった。

「ありがとうございました」

 店を出た秀星は一度パンの入った袋の中を覗き、それから歩き出したのが窓から見えた。びっくりしたけどいい人だった、と思い返していると、ドアベルがまたカランと鳴った。

「いら――あれ?」

「……」

 入ってきたのは今帰っていった秀星だった。なにかあっただろうかと緊張していると、秀星はミルクパンをひとつトレーにのせた。

「俺の分も買っていく」

 パンを受け取った秀星が店を出て、店の前に置かれたベンチに腰かける。袋からミルクパンを出す姿を窓越しに見ながら、どきどきと心臓が跳ねる。おすすめしたからにはおいしいと思ってもらいたい。

 あれ。

 そういえば、なにを食べてもよくわからないようなことを言っていたのに。不思議に思いながら緊張しつつ様子を見る。

 小袋からパンを出した秀星は、おそるおそるといった表情でパンをひと口かじった。咀嚼している様子をじっと見ていたら、整った顔が驚きの表情に変わっていく。

「……?」

 どうしたのだろうと思ったが、新たな来客があり、視線をドアに向けた。よく買いに来てくれる近所の夫婦連れだった。

「いらっしゃいませ」

「こんにちは」

「いつもありがとうございます」

 賢太はぺこりと頭をひとつさげ、レジで姿勢を正す。窓の向こう側では秀星がパンを食べ終えていて、その速さに驚いた。立ちあがった秀星は、今度こそ帰るのかと思ったらまた店に入ってきた。

「伊川」

「は、はい」

 どうしたのかとどきどきしながら受け答えをすると、秀星は花が開くようにふわりと微笑んだ。

「パン、おいしかった。伊川のおすすめ、俺の分も買っていく」

 先ほど祖父母の分を買っていたミルクパン以外の三種類のパンを、秀星はひとつずつトレーにのせてレジに来た。

「ちゃんと味がしたんだ」

「そうなの?」

「ああ。びっくりした」

 はにかむ笑顔が可愛くて、賢太もつられて口もとが緩んだ。パンを受け取った秀星は袋に視線を一度落とし、少し言いにくそうに口を開いたり閉じたりしてから賢太を見た。

「また買いに来る。俺の分も」

 心に風船がついたように、ふわふわと気持ちが浮きあがっていった。賢太がすすめたパンをおいしいと言ってくれたことが嬉しいし、今度は祖父母だけではなく秀星自身の分も買いに来てくれることも嬉しかった。

「ありがとう。お待ちしてます」

「こちらこそありがとう。じゃあ、明日学校でな」

「うん」

 店を出ていった秀星の背がドアで見えなくなって、とくんと心臓が跳ねた。まるで友だちのようなやり取りをしてしまった。少し照れくさくて、うなじがむずがゆくなった。


 帰宅するとまっすぐに部屋に入った。まだ父は帰ってきていなくて母も静かだったけれど、ほみるであった出来事を彼に話したかった。そのまま全部を話すつもりはなかったが、いいことがあった、くらいには報告したい。

「……?」

 心の中で話しかけてみるが、なにも返ってこない。いつもと同じようにしても、まったく反応がないし、声も聞こえてこない。

 なんでだろう。

 今日は調子が悪いのかな、と考えながらベッドに入った。話せないのならば仕方がない。まだ早いけれど寝よう。瞼をおろすとあっという間に眠りに落ちた。

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