つながり⑲
新年度になり、秀星と賢太は三年生になった。秀星とも家族ともいい関係が築けていて、このまますべてがいい方向にいくのかも、とくすぐったい気持ちになった。気がつくと浮かれているくらいに、いつでも心が弾んでいる。隣にはいつでも秀星がいてくれるから、ますます幸せが心に溢れるのだ。
「え?」
耳に入った言葉が信じられず、思わず聞き返してしまった。
「賢太、最近応用問題がよくできるな」
「ありがとう、ってそうじゃなくて、今なんて言ったの?」
「今? 高校を卒業したらひとり暮らしをする、か?」
聞き間違いではなかった。聞き間違いであってほしかったのかもしれない。
「ひとり暮らしするの?」
「ああ。志望校が家から遠いんだ。祖父母の家からも遠いから、ひとり暮らしが一番いいと思ってる」
今日は大曽根家にお邪魔して、秀星に勉強を教えてもらっていた。大曽根家は賢太の家から離れていて、電車で三十分ほどかかった。それでも秀星と一緒に電車に揺られていたらあっという間についた。
「志望校、どこなの?」
「K大」
レベルの高い大学名を言われ、最近浮かれがちだった気持ちがさあっと静まった。K大学は賢太の志望する大学からも離れている。能天気な賢太は、秀星と同じ大学を受験して、一緒に大学生活を送るのだと信じて疑わなかった。それ以外の可能性をいっさい考えていなかったのだ。
「それじゃ、一緒にいられなくなっちゃうの?」
平静を装ったつもりだったが、声が震えた。秀星はノートに落としていた視線をあげ、賢太を見て微笑んだ。安心させようとしているのだろうが、逆に不安になった。
「進路が分かれても一緒にいられるだろ。違う大学に通っても俺は賢太が大切だし、賢太だけだ」
「でも……」
距離が離れたらそのまま心も離れる、なんて思ってはいないつもりだった。それでもそばにいられなくなることを考えるだけで、寂しくて仕方がない。これまでどおりいつも隣にいて、会いたいと思ったら会える距離にいてほしい。
「――ごめん。僕がわがまま言えることじゃないよね」
「賢太の言うことをわがままなんて思ったことはない」
優しい言葉が胸に刺さる。このまますべてがいい方向にいくのかも、なんてどうして思えたのだろう。未来は見えないのだから、なにもかもが望んだとおりになるわけがないのに。
「じゃあまた明日」
「うん。送ってくれてありがとう。気をつけて帰ってね」
「ありがとう」
家まで送ってくれた秀星が背を向ける。その背をぼんやりと見ながら焦燥感が追い立ててくる。なにも焦る必要はないし、悲観する必要もない。それなのに、手の中の幸せが砂のように崩れていきそうな不安が襲ってきた。
「おかえり、賢太」
「ただいま」
ダイニングテーブルにはおいしそうな夕食が並んでいる。母がこれほど料理上手なんて、ずっと知らなかった。
「すぐにご飯にする?」
「うん。手洗ってくるね」
鼻歌まで歌っていて、上機嫌の母を見ながら心が冷えていく。父も母もぎこちなくてもいい関係になってきていて、母は気持ちが安定しているのか物に当たることもない。家族の形ができて、恋人ができて、すべてが幸せへ向かっていると思っていたのに。
食事の片づけを手伝ってから風呂に入り、部屋に戻った。ベッドに寝転がり、掛け布団をかぶる。ぼうっとしながら「K大」と呟いたら胸が引き攣れるように痛んだ。
秀星は不安にならないのだろうか。どうしてそばにいてくれないのか。考えはじめたら止まらなくて、心がどんどん寂しく、不安定になっていく。手で耳を塞いで目をぎゅっとつぶり、これじゃだめだ、と自分に言い聞かせる。
『賢太?』
え……。
『どうした?』
また耳に響く声が聞こえる。琉希の声だ。
『今、俺も兄さんと言い合いになって部屋に閉じこもってたら、賢太の声が聞こえたんだ。なにかあった?』
言い合いって、なにかあったの?
『単に俺が拗ねてるだけ。兄さんが大人だから、俺は勝てないなってこと。わかってても情けなくなるんだ』
相談してみようか。秀星には直接言えないことも、琉希になら話せるかもしれない。
あのね……。
ぽつぽつと状況を伝えると、琉希は丁寧に相槌を打ちながら聞いてくれた。それだけで少し気持ちが整理できた。
『賢太が俺の心とつながった理由がわかった気がする』
どういうこと?
『賢太は俺に本音を言えて、兄さんには言えないんじゃないか?』
うん……。そうなんだ。
琉希の気持ちが弾んでいるのだろうか。ボールが当たるように、ぽんぽんと弾む感覚が耳にある。
『それはどうして?』
どうして……。
『兄さんに嫌われたくないからだろ?』
あ……。
そのとおりだ。琉希に嫌われることもたしかに嫌だけれど、秀星に嫌われることと比べたら平気だ。秀星には絶対に嫌われたくないし、離れていってほしくない。
『それだけ兄さんのことが好きなんだ。今の賢太に俺から言えることは、ただひとつ――』