つながり⑪
勇気を出そう。
アルバイトを終えて帰宅しながら手を握り込む。電車に乗っていたら、窓からクリスマスの飾りつけがされた家がたくさん見えた。あと一週間でクリスマスだ。
ふた駅で電車を降り、慣れた道を歩いた。緊張でおかしくなりそうだけれど、よくわからないままにしておくのも嫌だ。
家の前で深呼吸をするあいだも、照明のついたリビングからは激しいやり取りが漏れ聞こえてくる。暖房がついていて室外機の稼働音で少しごまかされてはいるが、たしかに怒声だ。
今日もやってるんだ……。
いっそ家を出ることを考えようか。でもいつかRにも言ったとおり、家を飛び出したところで行く当てがないのだ。助けてくれる友だちも――そう考えて秀星の顔が頭に浮かんだが、すぐに頭を振って打ち消した。秀星はただでさえ親との関係がうまくいかず、祖父母が気にしているのだ。そこに家出した賢太が転がり込むなんて絶対にできない。
そうっと玄関のドアを開閉し、急いで二階にあがる。
「私なんか死んだほうがいいって思ってるくせに! はっきり言いなさいよ!」
「そうやって俺に全責任を負わせるつもりだろう!」
どうも最近、母は自分で自分を追い込んでいる節がある。それで癇癪を起して父に当たる。父も父で苛立ちを丸ごと母にぶつけるから、衝突以外の結果が起こらないのだ。
部屋に飛び込み、スクールバッグを放り投げてベッドに直行した。掛け布団の中で身体を丸めて手で耳を塞ぐ。
「あーあーあー」
聞こえない聞きたくない聞こえない聞きたくない。自分の声で親の怒鳴り合いをかき消す。耳にぼうっと響く自分の声は、虚しさをもたらした。
『K?』
……情けないよね。いつも逃げるばっかりで。
『そんなことない。きみはたくさん頑張ってる』
「――」
秀星だけではなく、Rまで賢太を認めてくれている。胸がいっぱいになって涙が込みあげる。
僕、あなたに聞きたいことがあったんだけど、なんか疲れちゃって勇気もどこかに行っちゃった。
父と母の衝突に巻き込まれ、力を奪われる。賢太がもっと強くなれたら、いろいろなことが変わるのだろうか。もしかしたら父と母の仲裁に入ることもできるかもしれない。すべては賢太の弱さが悪いような気もしてくる。
僕はどうして弱いんだろう……。
秀星にもRにも、泣き言ばかり零してしまう。情けないけれど抑えられない。優しい人に頼って縋って、いずれ圧し潰すのではないかと心配になる。
『大丈夫、なんでも話してくれていい』
ありがとう。
『俺に聞きたことってなに?』
聞いていいかわからないし、本当に勇気がどこかに行ってしまったのだ。心が迷い、言葉を探す。そんな賢太の心情が伝わったかのように、Rは柔らかな声を響かせた。
『ゆっくりでいい。焦らなくていいんだ』
うん……。
『大丈夫、きみが話せるまで俺は待つから』
優しいRに触れるたびに、秀星の優しさも思い出す。不意に秀星の綺麗な笑顔が頭に浮かび、かあっと顔に集まった熱が頬を火照らせた。
じゃ、じゃあ聞くね。Rの名前を教えてほしいんだ。
『名前?』
うん。僕も名乗るから。
『どうして?』
どうして――聞かれて賢太自身も疑問に思った。どうしてそんなにRのことを知りたいのだろう。秀星と別人なら、別人としてそれぞれと接したらいい。それなのに、なぞなぞの答えが知りたくてたまらない子どものように、Rの正体が知りたくて仕方がない。知ってどうするかもわからない。
あなたに似た人がいるんだ。優しくて、僕を支えてくれる。
『俺に似た人?』
うん。その人のことを知るたびに、Rのことももっと知りたくなるんだ。
『どうして?』
また「どうして」が返ってきて、賢太も悩む。自分の中で答えが見つからない。ただ知りたいというのは失礼かもしれない。でもお礼なんてなにもできないし、かわりに賢太のことを話しても嬉しくないに決まっている。
うーん……。どうしてだろう。
『ごめん。なんか悩ませちゃってるな』
ううん。僕の問題だから。
どうしてか。もう一度考える。ぐるぐると巡る思考を整理しながら、答えを探す。賢太自身のことだから、自分の中に答えはある。
……たぶん、僕を支えてくれるその人とあなたが別人だって、信じられないんだ。
『信じられない? そもそもどうして別人だってわかったんだ?』
イニシャルが違うんだ。その人のイニシャルは「S」なんだよ。
『S……』
ぼやんとした声だった。「S」と繰り返したRの声はひどくぼやけて聞こえて、不思議に思う。
僕は、賢太。
一方的に名乗るのもどうかと思ったが、こちらが名乗らなければ信用してもらえない気がした。しばし沈黙が流れ、耳がまたぼうっとする。この、耳に直接伝わってくる感覚は、もしかしたらRの感情なのかもしれない。Rが苛立っていたときには圧迫されるようだったし、思案しているようなときは迷いの空気を感じた。
『賢太……』
うん。高二なんだ。
『俺より年上だ』
そうなの?
Rはしっかりしているから、同い年か年上だとずっと感じていた。Rとはたくさん話したけれど、相手のことをなにも知らないのだ。
『俺は高一だよ。名前は琉希』
琉希、くん……。
『琉希でいいよ』
……本当に秀星じゃないんだ。
わかってはいたけれど、心のどこかでまだ同一人物説を捨てきれていなかった。でも名前を聞いてはっきりとした。本当に別人なのだ。
『秀星?』
あ、うん。僕を支えてくれる人の名前で――。
『もしかしてその人、大曽根って苗字だったりする?』
うん。そうだけど……どうしてわかるの?
また沈黙が流れ、今度はぼやあっとした感覚が徐々に圧迫感と痛みに変わっていく。圧迫感は苛立ちだ。痛みはなんだろう。首をかしげると、小さくなにかが聞こえた。
なに?
『…………だ』
え? ごめん、聞き取れない。
『大曽根秀星は、俺の兄だ』