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【完結済】INVISIBLE-インヴィジブル-(EP1)  作者: 高山 理図
第二節  A story that converges beyond the singularity
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第2節 第3話  Eternal casket

 彼女もまた二年半もの間、暗い独房に監禁されていた。


 細く華奢な両手首は、ルシファーが特別にあつらえられた頑強な枷で戒められ、長らく動かせない。

 ルシファーの宣言通り、彼女は毎日十分な栄養を点滴で与えられ

 身の回りの世話をやかれ、植物のように生かされていた。

 ただ一つ彼女にとって救いだった事といえば、全身を癌化させていたルシファーは遺伝子に変異が蓄積し、既に生殖能力を失っていたのだ。

 それでも彼は、既に溶けてしまった脳が本能的にそう強いるのか、アルシエルに病的なまでに執着していた。ルシファーの狂気は日を追うごとに深まり、日々、彼ではない怪物となり果ててゆくのが分かった。長きにわたりアビスに君臨した解階の女皇がその座を追われたばかりでなく、もはや解階の民ですらない怪物に奴隷として飼育される日々は覚めない悪夢のよう……。


 彼女の誇りにかけて何度となく自殺を図れども、皮下に埋め込まれた自殺防止用のチップにより24 時間体制で監視され、それらの試みは一度も成功したことはなく今日に至っている。解階の住民の寿命は気が遠くなるほど長い、狂人に生かされている限り、殺されなくとも死ぬことはないだろう。


“この世界にもし救いと善意があるなら、今こそ命を閉じてほしい”


 アルシエルは、毎夜のようにただ祈ることしかできなかった。

 この独房には、外の景色がフレームに入る大きな窓がある。ルシファーがアルシエルの無力と絶望を増幅させるため。

 あるいは彼女に籠の中の鳥だと認識させるため、敢えて外界と繋がる窓を開けさせた。

 

 冷えた外の気配と夜風を目と鼻の先に感じながら、アルシエルはひとり鎖に繋がれている。

 死を願い、流星に祈りを捧げて幾つの夜を過ごしたか。


「いつまで余をいたぶるのだ……」


 アルシエルの呟きを嘲笑うかのように遠くで、星が瞬いている。

 快晴の夜空が澄み切ってこんなに星が美しく輝く夜には、どこへか祈りが届くような気がした。彼女には祈る者などない。だがそうせずにはいられなかった。


 そのときである。幽き光の屑が落ちてきたように、干からびた彼女の右腕に、ぽつんと小さな明りが宿った。

 解階には生物階でいうところのホタルや夜光虫のように、黄金に発光するVITAビタという小さな蟲がいる。

 彼女は彼女の腕に止まった思いがけない深夜の来訪者に驚き、ほっと口元をほころばせた。


 VITAはアビスの春の到来を告げ、吉兆を運ぶ蟲として知られているのだ。


「こんなところに来たのか。……あいにく相手はできぬが、ゆるり翅を休めてゆけ」


 彼女は彼女の小指の先ほどしかない、小さなVITAに束の間の癒しを与えられたように感じた。

 異変に気づいたのは、VITAと思しき蟲に注目したその時だ。



 その小さな虫は、アルシエルが思っていたVITAではなかった。

 豆粒のような黄金の光の塊がふわりと、アルシエルの右腕に降りている。その光を基点として、つう……と蜘蛛の糸が張られるように、あるいは触手が伸びるようにアルシエルの右腕の、皮膚の下を光の細糸が侵食してゆく。彼女は唖然とするばかり。


 何が起こっているのか見当もつかない。

 この上なく不気味な現象が自分の身に降りかかっているというのに……彼女は不思議と恐怖を感じなかった。

 彼女の中に柔らかく浸透して根を張る、心地よく懐かしい。この温かさは、いつか生物階で感慨深く目にした夕陽のそれに似ていまいか。


 もう何千年も昔の話だ。でも覚えてはいる。

 彼女の皮膚の下を縦横無尽に走る光の輝線から、アルシエルの失われた力が漲ってくる。その光の造形が完成に近づいた時……首は固定されて殆ど動かせないが、それがどんな形をしているかは視界に捉えている。彼女は驚きに目を見開いた。アルシエルの目にはその複雑な紋様が、装飾された黄金の同心円状のリングのように見えたからだ。


「此は……」


  アルシエルはその形に心当たりがある……これは“存在確率の鍵”、ジーザスは確かそう言っていたと思う。

 絶対不及者が背中に宿す聖痕と同じ形状ではなかろうか。


 間違いない。

 アルシエルはまだジーザスが極陽であった頃に、対INVISIBLE対策協議会の席で“存在確率の鍵”と呼ばれるスティグマの模写画を見た。模写画は何万年も前のものなのでボロボロになって絵の具も剥落し、色彩も定かではなかったが、どう見ても酷似している。


 だが、全てそうだとは信じられなかった。存在確率の鍵は、“鍵”と“鍵穴”と呼ばれるシンメトリカルで抽象的な紋様から成っている。それを思い返すとアルシエルの腕に宿ったのは“鍵”の部分だけだということになる。鍵と鍵穴は対を成していて、この二つが揃わないとINVISIBLEは収束せず、通常それが現れるのは背であって腕ではない。

 そして何よりも不自然なのは、絶対不及者の器は男神のみとされているが、アルシエルは神でも何でもないのだ……。そうはいっても、絶対不及者の器となった神は過去にたった二柱しかいない。


 初代は時空神 セト

 いま一柱は智神 セウル。


 たった二柱……少ない先例ではあるのだが――。


 ドクン……、


 アルシエルの疑問を置き去りにしたまま、スティグマが強く脈打つ。創世者INVISIBLEがスティグマをポートとしてアルシエルに力を与えている。

 創世者の天啓は感じられない。

 ただ、形の定まらない根源的な原始の力を授けられる。アルシエルは信じられなかったが、アルシエルの内奥に一個の生物が擁すことの出来る許容量を上回るネルギーが湧きあがり蓄積されつつある、それも無尽蔵に……。


 うまく喩えられないが、無限の溶炉から惜しみなく噴き上がる熱い力……それがこれ。


「INVISIBLEか……?」


 INVISIBLEは、何をして欲しいのだろう。

 アルシエルに天啓は与えられていない。与えられた力で何をするか、漲る暴力をどう使うかはアルシエルが決めてよいのか?


「信じ難い……しかし……」


 INVISIBLEの意図は知れないが、千載一遇のチャンスではある。

 意思なき創世者の、気まぐれ。


 そもそも語りかけなどないのかもしれない。アルシエルは聖痕の力の宿った右腕で、堅く戒められていた枷を難無く引きちぎった。今なら、出来るかもしれない……彼女は確信する。この力を得た今ならツールを用いずとも、ルシファーとメファイストフェレスを滅ぼせるかもしれない。何故ならINVISIBLEは最上格にして最大の創世者であり、所有するエネルギーも質量も情報量も最大だ。

 INVISIBLEの加護を受けた今なら、実体に収束し力を失っている時計職人に遅れをとりはしないだろう。


 アルシエルは外界、現在のアビスがどうなっているのかを知らない。

 メファイストフェレスの君臨する傀儡帝国が如何な為政を行っているのかも。だが……時計職人に自我を奪われ屍となったメファイストの心は泣いていよう。


 アルシエルには叫び声が聞こえるような気がする。アルシエルと血の繋がった彼女の魂を、彼女の手でブラインド・ウォッチメイカーから解放してやらなければ。そしてアビスをブラインド・ウォッチメイカーから解放し自由を取り戻す、それがINVISIBLEの意思に反しようと、INVISIBLEの意思に遵う事になろうと……。

 これが偶然だというのなら、大した偶然だ。INVISIBLEがブラインド・ウォッチメイカーの掃討をアルシエルに託したのだとしか解釈できない。


「恩に、きるぞ……」


 アルシエルは歯を食いしばり、やつれた表情を引き締める。

 独房の鉄格子に触れると、彼女の熱に触れずるりと格子が溶け落ちる。彼女はいとも簡単に牢を破ると、先ずはルシファーの気配を追って一歩ずつ、石造りの螺旋階段を踏みしめながら城の最上階を目指す。


 時は深夜、ルシファーの気配は一点に止まり動かない。就寝中のようだ。アルシエルはドアの取っ手に手をかけると、音もなく静かに扉を開く。

 ルシファーは二人の妾を侍らせて熟睡中だ。取り巻きの妾達がアルシエルの侵入に気付き悲鳴を上げかけたところを、アルシエルに口を鷲掴みに押さえられた。


「黙っているのがよいか、それとも」

「永遠に黙るのがよいか」


 彼女が脅すと女達は首を振り、失禁して濡れた下半身も隠さず裸のまま走って逃げ去ってゆく。アルシエルは強く拳を握り、取り残されひとり熟睡するルシファーの頚をそっと掴んで羽根のように柔らかく触れ、爪を立てて握り潰す。


 肉が砕かれ形容しがたい鈍い音がした。


 ルシファーは機械的に覚醒し、アルシエルが全身で乗り掛かっているのを認めるや、無駄だといわんばかりに嘲笑う。

 そう……ルシファーには急所がない、それはアルシエルが二年半前に身をもって知っていた。頚を握り潰したところで、心臓や脳を穿ったところで、癌化した彼の肉体は基本的には死ぬことはない。だが、ルシファーは大きな誤算をした。彼女が掴んだ部分から聖痕が溶鉄となってルシファーの内部に流れ込み、彼の身体を溶かしてゆく……。


 逃れる事は出来なかった。

 ガァッ! ……グキャァ!


 この世のものとは思えない穢らわしい断末魔を残し、それらは次第に機械的な音声となって、ルシファーはINVISIBLEの熱源に触れ破壊され残さず消滅した。

 彼女は虚しくベッドの上にぶちまけられた死灰をザラリと踏み潰す。


「汝はもう、死んでいたのだ」


 燃え上がるベッドを背に、光り輝く聖痕が闇夜の中でぎらぎらと燃えている。彼女は壁に掛けてあった巨大なサーベルで、捕囚となった時から一度も鋏を入れず長く伸び放題だった髪を切り落とし、唇をきつく結んだ。


 そう、次はメファイストフェレスの番だ。



 時間凝結の礫を受け流し、少年神は俊足で球形闘技場を縦横無尽に駆け抜ける。

 神速で印を組み、メタフィジカルキューブのブロックを崩し、4つの円環を一柱の神に掲げる。

 崩されたキューブのブロックで構成された4つの環の測距儀によってギリギリと座標を絞り、夜刈にオートロックオン。


 藤堂 恒が狙いをすませているのは陰階神第7位、時間を司る神、ウーラ=クロニクラ(Uhra Chronicler)、置換名 夜刈よかり つとむ、生来の武型神(AA)だ。

 恒は新主神である比企のお抱えのアカデミー特待生として陰陽階に広く認知される傍ら、こういう試合という名を借りた非公式の手合わせを申し込まれることが多くなった。

 他者と関わることを極度に嫌う比企が気に入って手放さない、鳴り物入りの少年の真価を知りたいのだろう。

 恒はどんな手ごわい相手が申し込んできても、断らないよう比企に教育されていた為に、必然的に恒の実力を見極めようと挑んでくる物好きな位神との手合せも増えた。


 夜刈と恒の間ではかなり実力に開きがあるので、神具の奥義を使用せず致命傷を与える攻撃を与えないという縛りのもとで対戦している。

 こちらから申し込んでおいて恒に怪我をさせようものなら、比企から大目玉をくらう。

 夜刈は手加減して適当に様子を見る……つもりだった。しかし大人げなくも、全く手加減というわけにいかなくなってしまった。


[ The sacrament machinery data no match……searching, searching!]


 夜刈の眼鏡に仕込まれたバトルアナライザーが、緑の蛍光色で神具のデータ不一致を告げている。少年神の扱う神具を、AA神、いわば戦闘のプロである夜刈が特定できない。

 ここ数千年間、他神の手に渡ったり出回っていないレアな神具のようだ。


“The boundaries of the Ptolemaic system break down……!”

(天動界崩落……!)


 恒は仏法印でいうところの智拳印にも似た印を組み、するりと日輪印に転じた。アトモスフィアによって練成された暁色の波動を纏った両手を夜刈に向けて真っすぐに突き出す。ヒイイ、と恒の掌に精錬されたアトモスフィアの純度が高まり純白となって、音を立てて凝縮されてゆく。日本由来の神の証である和装、作務衣のような装束を纏っているせいか、恒はブロックを粘土のように変幻自在に操る陶芸家さながら。


 恒は相手の戦術に応じて距離をとり、接近戦を避けるべき相手には決して近寄らない。つまり、夜刈のことだ。さらに、夜刈から的を絞らせないように瞬間移動を繰り返して一瞬も同じ場所に留まらず、感情を昂ぶらせず移動の際のアトモスフィアを完全に消している。

 誰に似たのだかね……比企と荻号の性質を兼ね備えた挙動だとも評価できる。

 無駄のない身のこなしと柔軟な戦術は、とても12歳の少年神のそれだとは信じがたい。夜刈は少年の見せた予想外のポテンシャルに興奮のあまり、ぞくぞくと鳥肌を立てた。



“Meteor shower of celestial globes!”

 (全天球流星群!)


 恒は更に瞬間移動を繰り返し、夜刈の視界から消えたかと思うと、夜刈の背後から神具発動のコマンドを完成させた。

 紫電の閃光が流星となって全方位から夜刈を襲う。恒の持つ神具には、誰の力を借りたのか無限のアトモスフィアが充填されている。したがって恒の繰り出す攻撃は尽きず、恒のアトモスフィアも尽きない。いかに夜刈といえど、放たれた光の矢は撃ち落せるだけの数ではない。そして驚くべきは、矢に追尾機能が搭載されており、どう逃げても必ず夜刈に当たるように設定されている。

 夜刈は目を見張り、先ほどまでのんきに吸っていた煙草をかなぐり捨て、防御を余儀なくされた。彼は懐中時計型神具ORACLEの5つの針を指先で操って回し、12時と4分に合わせて恒に向ける。


 ギン、と金属音が響きわたり、文字盤が碧く発光する。


“ORACLE XII: Perfect Guardian No,4-The Emperor”

(託宣者XII : 完全なる守護者No,4-皇帝)


 時計型神具、オラクルはそれを基点に青いゼリーのような被膜を創り出し、膜に触れたものの時間を止める。オラクルの文字盤の12時台は、秒針がタロットの大アルカナのカードになぞらえてある。

 皇帝を示すカードは堅固さ・防御を示しているものだと恒は知っていたが、構わずそのまま予定していた攻撃を加えた。恒が腕を振ると満天の星空から降り注ぐ純白の流星群が光の弾幕となって降り注ぐ、しかしそれらはすぐにオラクルの防護壁に吸収されてゆく。

 渾身の攻撃を無効化され、唖然としている……夜刈がそう思った瞬間、少年の口角がきゅっと僅かに上がった。


「な……?! ……」


 空中で応戦していた夜刈が体勢を立て直すために地に足をついた瞬間、舞台に敷かれていた黄金の方陣が可視化されてホウッと浮かび上がり、夜刈の足を亜空間に捕捉する。

 恒は派手な攻撃で目を眩ませ陰にひそませて、見えないように舞台にトラップを打っていたのだ。

 夜刈のすぐ傍で、跳躍して真っ逆さまになった恒の透き通った声が聞こえた。


“The Venom of the Burned Phoenix”

(焼灼された鳳凰の怨淵)

 

「うそだろ……」


 トプン、と舞台から怪音が聞こえた。

 底なし沼に捕われ、夜刈の足がずるずると亜空間に沈んでゆく。恒は夜刈の肩を蹴って踏み台にし、方陣の外に降り立った。舞台の縁で踊るように踏まれた恒のステップによって、方陣の回路を遮断して堰の役割を果たしていたブロックが外され、方陣の直流回路が繋がり完成へと近づいてゆく。夜刈は飛び上がろうとしても、方陣の光が夜刈の足に絡みついて離れない。

 恒は準備を整えると、大きく跳躍して闘技場の天頂を蹴り、上空からメタフィジカルキューブを鷲掴みにしたまま身動きの取れない夜刈の上に降りかかってくる。鉄壁の守護壁ガーディアンを持つ夜刈だが、恒に擁くこの得体の知れない感覚は何だろう……夜刈が枢軸となってより長い間忘れていたこれは、戦慄だ。


“Destruction of seals! Area 223pir, Count down 3, 2, 1……”

(封印破棄、領域223pir、カウント3、2、1)


 恒は硬質の粉砕音とともに右手を捻って更にキューブを崩し、3mm角にまでキューブの解像度を上げる。バラバラとブロックが恒の指の隙間から零れおち、砂時計の砂となって夜刈を封じた領域を被覆してゆく。

 恒は身をひるがえして闘技場の壁を蹴り渡り、右手で3、2、1と指でカウントを取りながら夜刈の動きを封じ、左手でブロックを流砂のようにサラサラと弄び、更なるコマンドを命ずる。


“The Death of Physics”

(物理学の永逝)


  キイン、と方陣をかたどる様に円柱の閃光が噴き上がる。それと共に夜刈のパーフェクトガーディアン(守護壁)が無効化され、青いゼリー状の絶対防護壁が恒の結界に焼き尽くされ、砂となって蒸発してゆく。物理学が相対性に基づく限り、形而上学は物理学に勝る。

 夜刈はこの少年から、そんな事を教えられているような気がした。それは夜刈が荻号に勝てない理由として、常々荻号に指摘されていたこと。


 彼は荻号の影を備え、比企のように冷静沈着に次々と戦術を編み出す。藤堂 恒の実力はあらかた分かった、これ以上続けてしまえば、夜刈は本気を出してしまいかねない。


 夜刈は困惑したように両手を挙げ、降参の意図を示した。

 神々の試合にはルールがあり、どちらか一方が神具から手を放して手を挙げた場合は降参とみなし、試合は即座に打ち切らなければならない。


「降参だ。ここまでにしよう」

「まだ、時間となっておりませんが」


 恒は夜刈が実力で負かされたのではなく、もとより恒の様子見が目的だったと分かっている。もう少し付き合ってくれてもいいだろうに……と、恒は不満だ。


 夜刈にはまだ充分に余力があると分かりきっている。恒に危害を加える攻撃を控え、明らかに生ぬるい攻撃ばかりだった。夜刈は相当に手加減をしてくれていた。夜刈がもう少し戦闘を続けてくれたら、胸を借りるつもりで存分に連携業を打ち込んでゆけたのに。そしてその連携も既に考えていた。


 本来は位神でも陰階枢軸のAA神など、なかなか相手にしてもらえるものではない。

 恒は少し残念そうな顔を隠しながら試合終了を受けて手印を組んで業を解除すると、枢軸に敬意を表して深々と礼をした。


「比企……いや、極陽が君を手元に置きたがる理由がよく分かった。こんなに変幻自在の攻撃を受けた試合は久しぶりだよ」

「おそれいります」


 時間を操る賢神、夜刈は聡明で物静かな陰階神だ。茶色の短髪に、個性的なデザインの革のジャンパーを羽織り、アクセサリーをじゃらじゃら、大きなグラスをかけているので最初は取っ付きにくかったが、見た目に反して穏やかな好青年で言葉遣いも陰階神にしてはそれほど崩れていないので、恒は親しみやすい。

 恒に興味を持って何度か面会に来たが、対戦したのは初めてだ。


 彼はヘビースモーカーらしくライターを放り投げ、さっそく一服はじめる。全階禁煙の陽階とは異なり、禁煙を強いられない陰階神には概してヘビースモーカーが多い。夜刈しかり、織図しかり、医神である紺上もしかりだ。神々は喫煙をしても病気などしないが、人間でもある恒は煙がやはり苦手だ。とはいえ、煙たい顔をすることも出来ない。


「ところで何故、無茶な試合の申し出を受け続けるんだ? 何のために若いうちから武者修行をしている。怪我のリスクもあるぞ。見たところ傷だらけだ。怪我をすると容姿を損ねる、位神となるなら不利だろうに」


 人々の信仰の対象となる陽階神はスタイルとともに、容姿を美しく維持する事も仕事の一部だった。

 そんな事は恒も知っている。が、恒の腕には反省の色もなく生傷がたえない。恒はあと半年後を無事にやり過ごした後に待っているであろう、陽階神としての未来など考えられない。

 恒は傷だらけの拳を握りしめた。


「……まず、これを修行だとは思っていません。もっと強くなりたいのです」


 恒が戦闘の中で貪欲に身につけなければならないものは、実際には強さではない。

 身の危険が迫った時に繰り出す瞬間の閃きであり、アイデアの蓄積だ。引き出しにアイデアを入れる。

 千手を読み、対処方法を瞬時に組み立てるセンスは戦闘の中でこそ培われるもの。

 バトルマスターになる事が目的ではない。したがって、恒は一度も腕力で戦った事はなかった。


「向上心があるんだな。昨今の陽階神の中では好感が持てる。ところで君の持つその神具は何だ?」

「FC2-Metaphysical Cubeです」


 バトルマニアである夜刈はひと一倍、神具に興味がある。

 恒の持つ神具は原型が崩されていて判別がつかなかった。無論恒が神具の性能を悟らせないため意図的にそうしていた。情報を相手に与えない、それが些細な情報であったとしても……これは戦術の基本だ。


「なるほど、あれか。見るのは初めてだが、先代極陽のお持ちだった神具のプロトタイプか改造型ということかな」


 夜刈は手帳を見ながら、合点がいったと頷いた。


「プロトタイプです。数年前に、荻号様から拝領しました」


 夜刈はそれを聞き、ひどく驚いたようだった。よりにもよって荻号 要が誰かに、何かを与える事があるとは。まして、少年神には扱いの難しい神具を与えるなど前例がない。アカデミーに所属するトップエリートの少年、少女神でも神具は持たせてもらえない。位神のみが持つからこそ、神具を所持する事はステータスシンボルとなる。

 だが、非位神が神具を持ってはならないという法律はない。

 ただ、それらがあまりに貴重であるが故に位神から非位神への譲渡がなされないだけだ。相転星を持っていた荻号に他の神具が必要とも思えないが、徒に子供に持たせてはいけない。


 やはり比企のみならず荻号から見ても、藤堂 恒には何か光るものがあったのだろう……。


「藤堂」


 夜刈が恒に呼びかけようとした時、幕が落ちるように恒と夜刈のいた闘技場が消え失せ、エコーがかった声で何者かが恒を呼んだ。

 闘技場として使用していた亜空間の構成プログラムを解除されたので外部の声が聞こえるのだ。

 抑揚のない、平坦で落ち着いた声が恒を呼んでいる。聞きなれた声。


 視覚解除された現実空間に姿を現したのは和装の聖衣を纏い、二本の蒼いアトモスフィア吸収環に戒められた青年神……彼こそが極陽(主神)、創造神 比企 寛三郎である。

 三柱の神々が同じ場所に集うと、場を最も強大な比企のアトモスフィアで均される。

 恒は初めて見る主神としての彼の荘厳な姿に息を止める。

 隆々と筋肉の添えられた腕には三つの職を経験した証拠である三つの御璽がある。

 位神がその職を廃し職を変える場合、以前の御璽に廃印を穿ち、新たな御璽をその下に記す。

 御璽が一本の腕に収まらなければもう一本の腕に移る。

 今、比企の腕にあるのは薬神の御璽、薬師反やくしたん、立法神の御璽、籐玉璽とうのぎょくじ、最も新しいものが創造神の白金色の御璽、至宙儀しちゅうぎだ。


 比企の腕は黄金の刺青、特にひときわ明るいプラチナ色の至宙儀によって輝いて見える。また、比企は極陽となって白を基調とした装飾性の高い聖衣を纏うようになったが、その装束は天照大神の形見を仕立て直したものだ。

 頭の先からつま先まで全身純白の装束である為か、以前にも増して恒は彼に威厳を感じる。


「これはこれは、極陽」


 比企より年上の夜刈といえど、極位には礼を尽くさなければならなかった。

 夜刈は玉座を離れた極位神を見慣れないものだが、したたかな比企はヴィブレ=スミスが極陽であった頃から、極位となっても玉座に拘束されないよう法制を変えていた。

 有職故実は神々の権威を守るため必要だと考えているようだが、意味のない慣習は徹底的に崩す、それが保守的であり急進的とも言われる比企の考え方だ。

 先代の代に、極位神の玉座離れを議会に諮って可決させたのは比企だった。よって、比企が主神の玉座に在るのは午前中だけで、午後からは玉座を離れてもよい。

 比企は執務室に戻るついでに、枢軸神と試合った恒を心配して迎えに来たのだった。


「藤堂君はよい腕を持っている。あなたが直々にお鍛えに?」

「いや、己は一度も鍛えた事はない。帰るぞ、藤堂」

「は、はい。では、夜刈様、有難うございました」


 比企は、夜刈には全く興味がないといった様子で、ずんずん踵を返して去っていった。

 夜刈は比企がまだ陰階神だった頃から、比企の才能を認め比企に注目していた。

 というのは、夜刈も何度も荻号に弟子入りを申し込んだが、荻号は夜刈の申し出を断り続けた。その荻号が唯一、直弟子として認めた若き天才……それが比企だ。

 荻号と比企が師弟関係を結んで以来、比企が師弟関係を一方的に破棄しても尚、夜刈は比企に対して、鬱々とした嫉妬心のようなものを擁き続けている。

 何故比企だけが、特別だったのかと――。

 二度目の位申戦にして難なく極位を勝ち取った比企に元々才能があったのか、それとも荻号の教育を受けてこその結果なのか。

 夜刈は後者であった場合の可能性に執着している。

 荻号の教育さえ受けていればあるいは、極位となるべきは夜刈だったのではないかと。

 しかし荻号のみならず比企も、夜刈に見向きもしないようだ。

 恒だけは比企の無愛想な態度と真逆で礼儀正しく、手合わせの礼を述べて低く頭を下げて去った。

 比企の息がかかっている少年神ながら、夜刈は好感が持てた。


「藤堂を責任を持って育ててやれよ、……比企、このクソ野郎が」



「怪我をせなんだかの」


 比企が気にするのはその一点だ。

 申し込まれた手合わせを断るなと命じるからには、比企は恒の負傷を責任もって癒してきた。それでも恒の生傷が絶えないのは、恒の身体に人間の性質が色濃く出ているからだ。

 恒は他の神々と比べ、治癒血を持つ神ほど遅くはないが、回復力に乏しい。

 今日は枢軸神との試合だったので負傷もしていようと心配し、比企は迎えに来た。

 だが恒は比企の予想に反して、ぴんしゃんしていた。


「今日は大丈夫です」


 比企はツカツカと歩いて執務室に戻りながら、ふと夜刈を気遣った。


「では夜刈は?」


 比企が戦闘後、恒ではなく相手の負傷の程度を尋ねたのは初めてだ。

 以前は他神のダメージを気遣っている余裕などないほど、恒が大ダメージを被っていたし戦果はいつもきまっていたから。


「……俺の真空刃で太腿と腰部に負傷をされました。裂傷です」


 夜刈には専属の御殿医の使徒がいる。

 怪我は気にするなと、恒には言ってくれたが……。

 比企はそれを耳に入れ、悩ましげに眉間の間を指で押さえた。


「あまり激しく撃ち合うな。お前は手加減なしで他神と手合わせをしてよいレベルではなくなった」


 恒があまり手加減なくやり合うと、相手の本気に火をつけてしまう。

 そうなっては恒に命の危険が及ぶと、比企は懸念していた。

 たとえば、今日は穏やかな夜刈だったからまだよい。

 その相手が喧嘩っ早い梶だったら、逆上が得意な極陰だったら?

 一度奥義を受けただけで木端微塵だ。


「……はい」


 恒は厳命され、しゅんとして頷く。

 比企は恒に対して決して怒鳴ったり感情を露にしないが、物静かに語る言葉は厳しい。


「手合わせからは戦術を学ぶだけでよい。どうしても本気が出したいならば己が相手となる。他神を相手に本気を出すな」


 恒はその言葉を聞いて耳を疑った。


「主神は、戦ってはいけないのでは」

「神法のどこに、それと規定する項目がある?……父親の仇も討ちたかろうて」


 比企は心なしか後ろめたそうに、視線を伏せたように覗えた。


「そんな、仇だなんて……。あなたは父を生かそうとして下さいました。あの結末は、父が決めたことです」

「だが、己が位申せねばヴィブレ=スミスが自害する事はなかった」


 恒は何も言い返せなかった。

 比企はきっと、ヴィブレ=スミスを死に追いつめた事実を正面から受け止めたいと思っている。

 恒は比企に憎しみを擁いた事はない。

 比企は全力で恒を、そしてレイアを創世者から守り続けた。


 恒を連れて創造神の執務室に戻った比企に、寧々が待っていたかのように梅こぶ茶を出す。

 寧々は恒の分も煎れたので、恒もありがたくいただいた。

 比企と恒、使徒たちは創造神の執務室に引っ越しをしたばかりだ。

 寧々はもうすっかりきれいに部屋を片づけ、立法神だった時と同じ間取りにして違和感を軽減している。

 観葉植物や鑑賞魚をセンスよく配置して、いつも清掃は行き届いている、快適な部屋だ。


「健闘の後だというのに、浮かない顔をしておるの」

「レイアのスティグマが、彼女に語りかけをはじめたそうなんです」


 恒はレイアの状態を比企に隠していようと決めていたが、思い切って打ち明ける。

 比企はふむ、と重い溜息をつき、額を指で押さえた。


「さようか……。森羅万象、一事が万事、物事には兆しはある。因があって果が成るように、前兆なくしてINVISIBLE収束は成らぬ」

「……!」


極戒厳綬縛きょくかいげんじゅばく、“久遠柩くおんきゅう”を発動し、INVISIBLEのレイアへの干渉を遮断する」


 比企はかつて絶対不及者を封じた極戒厳綬縛を発動すると言っているのだ。

 極戒厳綬縛は、強いアトモスフィアを持つ12柱の神々によって執り行われる神階の秘奥義……恒もその項目についてADAMで調べた事があるが、口伝によって伝えられるものらしく、ADAMの書籍には記載されていなかった。

 神階の技術力の粋を集めて発案され、絶対不及者を一年間にわたり拘束せしめた。

 ……それを不死身とはいえただの女神の子供と変わらないレイアに施そうとしている。

 創世者の力を諫める為だけに開発された術であり、もとより被術者の負担など考えられてもいない。

 ましてや、その苦痛や副作用など想定されてもいない。


 彼女の身はどうなるのだろう?


「そんな……彼女はまだ絶対不及者ではありません。それは」

「前兆を封ずれば、彼女を助く事ができるやもしれん」


 比企は苦々しく呟く。

 絶対不及者を一時的に拘束する術はある、それを収束前のレイアに対してかけてしまう。発想としては同意できるが、生身の少女神に対して施術するとなると同意できない。


「“久遠柩”の準備には暫くかかる。月が一度満ち欠けする間、レイアに自由を与えよう」


 比企はテーブル越しに、小さな鍵を放り投げた。

 彼女を戒めている足枷の鍵だ。彼女を真空の箱から自由にする……比企が彼女に一度も許さなかった自由を与える……! 

 彼女にとってはまたとない朗報だ。

 彼女が極戒厳綬縛に封じられるという未来さえ訪れなければ。

 恒は鍵を受取りながらも、話を飲み込めないでいる。


「自由に、とは?」

「どこへでも連れて行くが良かろう。“久遠柩”は絶対不及者の器となる者に極限の苦しみを強いる、苦痛に耐えうる精神力は修行によってのみ身につくものではない。彼女に思い出を作ってやるがいい。幸福な、よい思い出をな」


 極戒厳綬縛を発動する前に、無愛想な比企が彼女に少しでもよい思い出を残してやりたいと配慮しなければならないほどの……それほどの苦痛が、彼女を待っているのだろうか。

 恒は鍵を握りしめながら、やりきれなくなった。

 彼女の自由は、ほんの束の間のものでしかないのだろうか。


「必ずレイアを連れて戻って来い。戻って来なくても同じだ、連れ戻す」


 比企はレイアを逃すつもりはなさそうだった。


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