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【完結済】INVISIBLE-インヴィジブル-(EP1)  作者: 高山 理図
第一節  The mystery of INVISIBLE and the story of Ground Zero
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第1節 第57話 PSYCHO-LOGICase

 その頃、メファイストフェレスは太平洋沖にあるリゾート地のビーチに足を運んでいた。


 この一帯は海水の透明度が高く、空気も澄み渡ってさんご礁がどこまでも続いている。

 美しい白浜の上にはメファイストフェレスI セルマーの買ったプライベートコテージもあり、セルマーの手配した管理会社によっていつもきれいに管理されている。

 彼女はこんな状況下にありながらも、生物階での日常を楽しむ事を忘れなかった。

 このちょっとしたバカンスに皐月も誘ったのだが、皐月は盆休みを少し遅く取って愛媛県の実家に里帰りをするというので彼女ひとりでやってきた。

 よい香りのするアロマティックフラワーの浮いたスパを堪能しながら、グラスから溢れんばかりにフルーツが盛り付けされ、小さな傘とオーキッドの花が飾られたトロピカルカクテルをいただいている。


「こんな時だからこそ、バカンスを楽しむべきだわ」


 彼女の父親セルマーの無事も解階の状況も知れないが、どんなに心配しようともメファイストフェレスは解階に戻れない。

 風岳村で彼女が出来ることもなかった。

 久々に陸上部の顧問に精を出そうかとも考えたが、外出差し控え令がまだ解除されておらず、学校からは部活動の禁止が通告されていた。

 子供達のいない校庭を整備することにも飽きたし、風岳神社内の社務所にはひっきりなしに村人達がおしかけてきて気が休まらない。


 そういえば、ここのところ村に居つかないユージーンに代わって、風岳村には最近荻号に似た怪しい神が住み着いた。

 風貌は怪しく、信頼がおけるのかどうかも分らないが、どうやら実力だけはあるようだ。

 彼が風岳村にいる限り風岳村の治安は問題ないだろう、彼女はそう判断して誰にことわることもなく、勝手に夏期休暇をとることにしたという次第だ。

 恒もユージーンもいない今、何が風岳村にメファイストフェレスを縛り付けているというわけでもない。


「皐月も来ればよかったのに」


 彼女が久々に優雅で満ち足りた気持ちでグラスに手を伸ばした頃、コテージの外の白浜に赤い雫が降り注いだのが遠目に見えた。

 この一角はメファイストフェレス家がプライベートビーチとして買い上げているので、見渡す限り人影はない。

 メファイストフェレスは強い日差しからの照り返しでよく見えなかった赤い何かに目を凝らして絶句した。


「ちょっと! 何これ!」


 彼女はボディトリートメントでつるつるに磨き上げた肌に薄手のバスタオルを巻くと、赤いサンダルを履いて砂にヒールを取られながらビーチに出た。

 上空から降り注いできたのは花びらでもなんでもない、大量の血液だったのだ。

 そして僅かな風切音と共に更に上空から何かが落下してくる気配を感じたメファイストフェレスが反射的に落下物を受け止めると、たった今切断されたばかりとも考えられる、鮮血の滴る腕だ。

 メファイストフェレスは驚きも慌てもせず、腕を鷲掴みにしたままむくれて口を尖らせた。

 せっかく今しがたエステをしたばかりの肌に血痕が付いてしまったのが気に入らなかった。


「何よ、せっかくリゾートしてるって時に。誰の手が落っこちてきたっての?」


 やや遅れて、ハラハラと羽毛が舞い落ちてきた。

 砂浜一面に、雪が降るように薄紫色の美しい羽毛が散りばめられてゆく。

 こんな快晴の空の下、誰かの手が大きな紫色の羽毛と一緒になって落ちてくるだなんて……不審に思ったメファイストフェレスは生腕に填められていた頑丈な真鍮製の腕輪を見つけた。

 すると神語で軍神下 第五使徒と銘記されているではないか。

 銘を読んでいると、ややあって二本目の腕もドサッと砂地の上に降ってきた。


 メファイストフェレスはビーチからコテージに戻ると、二本の腕を真水できれいに洗って、赤ワインを除いたアイスクーラーに突き立てる。


 彼女は軽く嘲るように鼻を鳴らすと、天蓋のあるベッドルームの傍らで、はらりとバスタオルを解く。

 彼女はしなやかな肢体と豊かなバストをバスタオルで拭うと、いつもの黒いドレスを身に纏い、赤いビロードの帽子を目深に被った。

 クローゼットからマクシミニマを取り出し、その華奢な手の内に握り締める。


 軍神下第五使徒、紫檀 葡萄をメファイストフェレスは知らないが、軍神下使徒が攻撃されているとなれば、必然的に軍神に何か異変が起こったという事になる。

 ユージーンが狙われているか、ユージーンの身に何かあったか……。


「何と短かったこと。折角の夏休みだったのに」


 休暇を取って充分に鋭気を養った彼女は少し残念そうに、しかし楽しそうににやついた。



 紫檀 葡萄に腹部を蹴り込まれ、神階の門をくぐった比企と恒は門が転送され事象の地平を越え間一髪のところで助かった。

 あと少し紫檀がトロッとしていたら、気配を消して襲撃してきた敵の前に比企はいざしらず、少なくとも恒の命はなかった。


「比企様、し、紫檀さんが」

「戻ってはならん! 彼は我々に活路を与えたのだ、彼の心意気を無にしてはならん」

「誰が襲ってきたか、分かりましたか?」


 突然の会敵で背後に何が現れたのか解らなかった、そればかりではない。

 比企が気付かないくらいだから、敵には全くといっていい程気配がなかったのだ。

 恒は当然、察知出来なかった。

 あの一瞬で何が襲ってきたかなど、紫檀にも見えなかっただろう。


 だが紫檀はその生来の直感力で即座にそれが敵であると判断し、彼の主たるユージーンだとは考えなかった。

 紫檀の咄嗟の判断が、二柱の窮地を救うこととなった。

 彼の身を挺して恒と比企を救ってくれた紫檀に何も報いることができない、感謝すること以外には……。


「紫檀が蹴ったお陰で敵影は見えなんだが、間違いなかろう。ユージーンがお前を殺しに来たのだ……。急ごう、奴は己のように追跡に頼らぬ超空間転移も出来、神階の門からの正当な入階も出来る。神階に侵入してくるやもしれん」


 これほどまでも早くユージーンが生物階に戻ってきたというのは即ち、突き詰めて考えると荻号の死を意味した。

 あの荻号を簡単に殺してしまうような相手だ、恒を抱えたまま下手に居残って戦わなくて賢明だった、と比企は肝を冷やした。


 たまたまやってきた紫檀が一瞬の隙を作ってくれた、彼の命と引き換えに……。

 比企はヴィブレ=スミスのアトモスフィアを探り当てると、不安そうな恒を抱きかかえるようにして転移に巻き込んだ。

 ヴィブレ=スミスは今日も強い逆光の差し込む天皇の間の玉座にじっと座っていたが、至高の王座の上でただ漫然と胡座をかいている訳ではなかった。

 彼は神階の統治者としてその存在を生物階に明らかにした事により、国連と緊密に連絡を取って対応に追われていた。

 また、比企らの開発した新薬の生産と普及にも尽力していた。

 たった今も書類を用意していたところである。

 ヴィブレ=スミスは突如現れた比企の出現に手を止め、話を聞く態勢をとった。

 礼を重んじる比企が手続きを無視してやってくるのだから、余程の大事が起こったのだろう。比企はこんな非常時でも素早く片膝をつき、敬意を表して頭を垂れた。


「然るべき手順を踏まず、失礼をつかまつる」

「危急の事であろうな」

「ユージーン=マズローの精神が敵の手に落ちた。神階への侵入も時間の問題だ」


 極陽はユージーンが今何をしていてどこにいるのか知らされていなかったので、敵の手に落ちたとはいっても話が見えてくるものではない。

 それに極陽にとっては敵と表現する者が何者なのかすら、曖昧で漠然としている。

 陰階神であった比企にとって敵というとINVISIBLEただ一つである。

 だがINVISIBLEが生物階や神階に直接介入をして、そればかりかユージーンにまで干渉してくるとは考えがたい。

 INVISIBLEはユージーンにスティグマを刻み込んで予約済みであることを主張している。

 これ以上あれこれと執拗に干渉する必要がない。

 ユージーンは彼がどれだけ否定しても足掻いても、元々INVISIBLEの手に落ちている。

 それを敵の手に落ちたと改めて表現するほど、比企は愚鈍ではない。

 ヴィブレ=スミスは目を細めて、比企のいわんとするところのものを酌み取った。


「敵とは、このたびの災禍を引き起こした者か」

「左様」

「して、貴奴の目的は何だ」


 事情を飲み込んだヴィブレ=スミスが玉座から動いた。

 比企は何ものからも彼を庇えるよう、藤堂 恒を卑近ともいえるほど傍らに置いている。

 恒の身に何か危険が及ぶのだろうか、と敏感な主神はにわかに表情を曇らせる。

 不死身の神体を持つユージーンが敵の手に落ち、恒を狙っているのだとしたらもう打つ手がない。

 三階は絶対不及者の降臨を待たずして破滅を迎えることとなる。


「詳細は知れぬが、藤堂を狙っておるのだろう」


 比企が恒の秘密をどこまで知っていているのかあるいは知らないのか、議論する余地もなかった。

 比企はユージーンが絶対不及者となり、恒が創世者に対しての叛逆者ともいえる特殊な役割を与えられていると知っている、それを気取ったヴィブレ=スミスは手元のコントロールパネルを開き、神階のセキュリティシステムに異常がなかったか検索を行った。


 走査結果が1秒間に15箇所の結果を弾いてくる。

 極陽は余すところなく、コマ送りの映画のように流れゆく情報を目に留めながら検索を行ったがセキュリティシステムはオールグリーン、不審者情報すらなかった。

 神階の不審者情報は不審な者が侵入したという報告もだが、不審ではない者が不審な行動をとった場合にも報告が入る。

 ユージーンの姿をした何者かが違法な行動をとったり、誰かを加害した場合にも即座に極陽に情報が集まるシステムになっている。

 更に神階では、入階時に神のアトモスフィアの自動照合が行われている。

 全く異なる組成のアトモスフィアを発し始めた神はやはり不審者として認識される。

 二度確認したが、報告はまだ来ていない。

 そこで彼は二柱を安心させるように断定した。


「神階にはまだ侵入してはおらぬようだ」

「ではまだ紫檀が足止めを? 59番入階衛星の映像が入るか」


 ブラインド・ウォッチメイカーを相手に紫檀がいくらも持ち堪えられるとは思えなかった。

 比企と恒は、もはや紫檀の命はないものと諦めていたので、ブラインド・ウォッチメイカーが神階に侵入していないという方が逆に不自然で不気味だ。

 だとしたら彼女は今、どこにいるというのか? 


 ヴィブレ=スミスは比企の要請で59番の入階衛星の映像を3Dコンソールに繋ぐ。

 天奥の間の暗闇の中に、巨大なホログラムが浮かび上がる。

 映像はノイズが含まれ乱れているが、極陽が映像を拡大しているのでそこに誰がいるのか分かるほどの解像度はある。

 比企と恒は驚愕をもって映像を見守った、そこには比企と恒が最も”そこに居る筈がない”と認識していた者がしっかりと映り込んでいたからだ。


 ヴィブレ=スミスは僅かばかりの期待を込めた感嘆の息を漏らした。


「またしてもこの者か」


 ヴィブレ=スミスは二週間前、超神具フラーレン C60を扱ったこの異端の神を諜報局に調べさせていた。

 荻号に似ているが荻号ではない、だがまるで双子の兄弟のように荻号のような能力を使う不審な神は比企の計らいにより風岳村に借家を借りて人間社会に紛れて住んでいる。

 ヴィブレ=スミスはINVISIBLE以外の創世者の存在や、荻号 要がアルティメイト・オブ・ノーボディであったこと、ブラインド・ウォッチメイカーという宿敵の存在も荻号正鵠の正体も知らないので、かなり混乱をきたしていることだろう。

 だが比企も恒も、荻号のプロフィールをヴィブレ=スミスに打ち明ける時間も余裕もなかった。

 恒はそんな事より、解階に消えた筈の荻号が何故生物階で応戦しているかという事の方が疑問だった。

 比企の顔を見ると、心当たりがあるのか、渋い顔をして頷いた。

 比企は荻号が解階に行ったのを確かに察知したので、荻号が荻号のまま生還したとはどうしても考える事が出来なかった。

 ブラインド・ウォッチメイカーが利用価値のない荻号を生かしておく理由がない、そう思ったからだ。


「共存在(co-existance)を使ったのやもしれぬ」

「共存在?」

「存在確率を操り、現象を二重に発生させるものだ。いにしえの神には、神具に頼らず確率を操作するものがいた」


 比企は何千回となく何万回となく荻号 要に挑みかかったが、比企の攻撃がまともに荻号に届いたことは稀だった。

 というのは、荻号は比企の攻撃を受け流すために分身のようなものを瞬間的に創り出すからだ。

 それは共存在という存在確率歪曲技術で、荻号の分身は独立に思考し、本体と同じ能力を持って行動することができた。

 比企は60年余りも荻号に師事しながら、喉から手が出るほど欲しかった共存在を習得することができなかった。


 共存在は修行によって習得するものではないらしく、ある程度生まれながらに持った素養が必要なのだという。

 いにしえの神ならいざ知らず、スペックの落ちた現代神には不可能だから習得は諦めろ、と荻号要はそんな無責任な事を言っていた。

 その言葉を裏返せば、いにしえの神である荻号 正鵠はこの共存在を習得していたのだろう。

 ヴィブレ=スミスは主神としての教養の範疇から、共存在という能力を熟知していた。

 荻号 要の一連の失踪事件からこの謎の神の出現に至るまでの奇妙ないきさつは、全てこの共存在という能力を駆使した結果だったのだなと合点がいった。

 荻号 要の共存在がこの男だ、というヴィブレ=スミスの認識は当たらずとも遠からずといったところだ。


「成る程な……では比企よ、私はこの者に加勢をする。この場は任せたぞ。形勢が如何ともしがたいものとなったら梶と極陰を応援に呼べ。そしてくれぐれも、藤堂から目を離してはならぬぞ」

「承知した。武運を祈っている」


 ヴィブレ=スミスは玉座を離れるためアトモスフィア吸収環を比企に託した。

 比企は極位ではないが、極位獲りを目論んでいるぐらいだから代理は充分に務まる。

 神階の混乱を避けるため、極陽は極秘裏に玉座を離れる。

 アトモスフィア吸収環に拘束され極陽の代わりに玉座に座した比企にはもう次期極位たる貫禄があった。


 恒は共存在、共存在と頭の中で繰り返していて、ある事を思い出した。

 荻号自身は確かに共存在を使えた、だがそれだけではなく、共存在を可能たらしめるものがこの現代においてもう一つだけある。


「極陽!」


 それまで黙って二柱の遣り取りを聞いていた恒が、瞬間移動をかけようとしていた実の父親を呼び止めた。

 極陽としての立場を崩すことの出来ない彼は、極位に口をきいた少年神を咎めるように冷たく見下ろす。


「何だ、藤堂」

「お気をつけて。風岳村にある私の実家に、荻号様より拝領したFC2-メタフィジカル・キューブがあります。それを……お役立ていただければ」

「心配はいらぬよ、藤堂。モニターをよく見るがいい。かの者がすでに、汝の神具を拝借しているようだ」


 恒がモニターに目を凝らすと、ヴィブレ=スミスは映像を部分拡大する。

 荻号はマジシャンのように、小さな立方体を左手の掌に潜ませ隠し持っている。

 荻号 正鵠はきっと、恒と同じアイデアを閃いてFC2-メタフィジカル・キューブを手にしたことだろう。

 そうでなくて超神具フラーレンを持つ荻号がわざわざ一般の神具に興味を示すとは思えない。 

 荻号は風岳村に住んでいるので、拾得物として藤堂家の神具を手にしたのだろう。


 何にしろ、雨ざらしになって悪くすれば壊れてしまっていたかもしれない神具を彼が拾ってくれていて幸いだったし、今の状態で恒が持っていたとしても宝の持ち腐れでしかなかった。

 彼はただではやられないだろう、恒は根拠もないのに荻号ならば必ず何とかしてくれると信じ切っている自分がいることに、つくづく嫌気がさす。

 いつもそうだ、自分は誰かに守られてばかりだ。


 恒は比企に気付かれないよう、そっと拳を握り締めた。



 ブラインド・ウォッチメイカーと対峙する荻号は、ユージーンを相手に手加減など気にする必要はなかった。

 ここは上空4000m、下は海上だ。


 相手にとって不足なし、不死身の神体を持つユージーンに対して遠慮など無用。

 逆に言うと不死身の彼とやりあう事は永遠に倒せない相手と戦うという事になるのだが、それでも荻号が5分と言い切ったのは、紫檀の容態を気にしてというのもあるが、ハッタリでも何でもない。

 紫檀は荻号の与えた痛み止めが効いて気絶して、荻号にとっては戦闘に集中できて逆に都合がよかった。

 荻号は本気でユージーンの神体を破壊し粉砕するつもりでいたし、それは不可能ではないとすら思っていた。


 彼は死なないが回復が常神と比べて極端に遅れるという性質を逆手に取れば、いかに不死身の敵が相手とはいえ攻略法はある。

 ユージーンの神体を破壊し回復までの時間を稼ぐ事が出来れば、アルティメイト・オブ・ノーボディの支配する生物階においてブラインド・ウォッチメイカーの居場所はなくなる。

 もっとも、そうやってブラインド・ウォッチメイカーを駆逐しようとも、ユージーンを支配しているのはそのほんの一部分でしかないのだろうが……。

 荻号は無表情を貫くブラインド・ウォッチメイカーに皮肉を込めてこう語りかけた。


「しかしお前がユージーンを選んだのは幸いだった」


 創世者が何を考えてこの生物階に侵入してきたのか、あるいはユージーンの裡に潜むものがブラインド・ウォッチメイカーですらないのか、荻号には想像もつかない。


 ユージーンに憑依した者は表情というものを持たず語りかけもせず、表に出てくるものが何一つとしてないからだ。

ユージーンの裡がどのような構成になっているのか、マインドギャップによる隔たりによって読めないのではない。

抜けるような快晴の空のごとく青かった彼の瞳は、銀色を帯びた残酷な輝きを持って、彼の裡には虚無が支配している。

分かるのはそこまでだ。何を考えているのかは知れないが、今後の生物階における懸念材料をなくしておくためどうしてもここで荻号を殺しておくべきだと、ユージーンの中の者がそう考えてくれると荻号にとっては都合がよい。

 荻号にとって一番迷惑なのはブラインド・ウォッチメイカーが荻号を歯牙にもかけず、ユージーンの神体を持ち逃げすることだ。


「他の奴と違って、思いきりぶちのめせる」


 荻号はそう言って挑発すると、フラーレンを繰って空中にぶちまけた。

 呪苻状神具は荻号の意思に従って晴天の空に規則正しくクラスターを作り出す。彼は恒の期待してやまないあるものを取り出していた。


″そう、フラーレンは一日に四発しか撃てん。だがな――″


 荻号は左手に隠し持っていたFC2-メタフィジカルキューブを今ぞとばかりに抜き放ち、リミッターを解除した。

 彼はこの二週間の間、園芸や家事に現を抜かしていた訳ではなかったのだ。

 散歩がてら藤堂家の付近を通り掛かった時、強いアトモスフィアが一箇所に凝縮しているのを発見した。

 気配を辿ってゆくと天井に大きな穴の空いた廃屋の中に神具が無造作に投げ捨てられているではないか、彼は当然拾った。

 近くには持ち主らしき神もいなかったからだ。

それを持ち帰っていじくり回しているうち、共存在に似た機能に気付いた。


 荻号自身の持つ共存在能力と、神具の持つ共存在の機能の何が同じで、何が異なっているのか。

 荻号は荻号自身にしか共存在を適用できない。

 神具の共存在は物質にも生体にも適用できる。その相違に気付いた時、このわずかな違いをどのように利用すべきか、荻号はいとも簡単に閃いてしまった。


 彼はつい先ほど彼の分身が相転星をそうしたように、FC2-メタフィジカル・キューブを超速で組み替えはじめた。

 色とりどりのブロックをキューブの枠組みの中から解放し、ちょうど積み木遊びをするように、三次元的にブロックをくみ上げてゆく。

 見方によってはただブロックで遊んでいるように見えないこともない、だがその裏ではブラインド・ウォッチメイカーとの壮絶な力の駆け引きが行われている。

 荻号は二つの神具を同時に起動してFC2-メタフィジカル・キューブの発動までの時間を稼いでいるが、それと同時にフラーレンでユージーンの神体を締め付ける事も忘れていない。

 ユージーンに本来の仕事をさせず、発動までの時間を稼ぐ。


 荻号は一度にいくつもの事をこなしながら存在確率を捻じ曲げ、全ての面を漆黒の色に変えた。

 3つの三角錐を作りだし、それを三次元的に統合する。

 ようやくその本領を発揮し始めたFC2-メタフィジカル・キューブがヒイィ……と悲鳴のような共鳴音を出し始め大気を振動させた。

 空間歪曲の為の熱量を爆発的に生じているのだ。


「ゆくぜ」


 荻号はすっと腕を伸ばし天空に向けてFC2-メタフィジカルキューブを一回転させた。

 神具にフラーレンの全座標を記憶させたのだ。

 準備を整え、彼は渾身の力を込めて最後のコマンドを与える。


”Fundamental Contorl Double Metaphysical cube……Co-existance”

(根元事象二重制御―形而立方体―共存在)


”Fundamental Contorl Double Mind cube.Co-existance at square value.”

(根元事象二重制御―心層立方体―自乗共存在)


 荻号が共存在を発動しようとした時、同じコマンドを繰り出す更なる声が重なった。


 気をとられて上空を見上げると、巨大な白い直線のグリッドが宙を迸って転送されてきた神階の門が開き、荻号のFC2-メタフィジカル・キューブに向けて両手をかざした主神が参戦したのが窺えた。彼は神階の門から生物階降下をしたのと同時に、紫檀を門の内側に放り込んで門を閉ざす。

 門は紫檀を飲み込むと、すぐに跡形もなく消えてしまった。

 荻号は紫檀を庇いながら戦う必要がなくなってせいせいした。

 隙あらばブラインド・ウォッチメイカーの盾にされるしかない紫檀を抱えながら戦うという状況は、荻号にとって大きな負担となっていたからだ。


 ヴィブレ=スミスの有するFC2-マインドキューブは生体神具で、彼自身が神具を持って戦闘に臨むわけではない。

 今、ヴィブレ=スミスの手の内には立体映像化されたキューブが縦横無尽に組み替えられ、ヴィブレ=スミスは指一本すら動かしていない。

 延髄に埋め込まれた生体神具は駆動者の意思を直接スキャンして、彼の意に沿うように立体映像化し自動的に組み替えを起こす。


 その組み替えの速さは、実物のキューブを組み替えるスピードの比ではない。

 勿論超速組み替えを可能とする荻号の組み替えスピードをも遥かに凌駕している。

 彼は瞬間的に完成形のキューブを獲得し、そして次の瞬間には発動することが出来た。


 荻号にとって大抵の助太刀は大して役に立たないものであったが、ヴィブレ=スミスの助太刀は、戦況を劇的に有利にした。

 空間がメキメキと音を立てて歪み、荻号の放った60枚のフラーレンは荻号がFC2-メタフィジカル・キューブで発動した共存在によってまるで細胞が分裂するように分裂して120枚となった。

 更にヴィブレ=スミスが自乗共存在を発動したので、120枚の自乗で14400枚になったのだ。

 嬉しい誤算となった筈の荻号はあまりの呪符の多さに多少面食らった顔をしたが、すぐに気を取り直して14400枚のフラーレンを繰って配座しはじめた。

 荻号が膨大な枚数のフラーレンをどう操るのか、ヴィブレ=スミスに高見の見物をしている余裕などない。


 ヴィブレ=スミスは主神の面目を保つかのように荻号に彼が望んでいた以上の絶好の勝機を与えると、PSYCHO-LOGICase合成の準備に入った。

 比企が主神を戦地に送り込んだ真意は、暗にPSYCHO-LOGICaseの発動を要請するものであったことだろう。

 比企は戦わずして背を見せるような神ではない。

 実戦において比企が持ちえずヴィブレ=スミスのみが持つ強みがあるとすれば、それ以外に考えられなかった。


 ヴィブレ=スミスは、1cm四方のスケールでコントロールしていたホログラムのFC2-マインドキューブを崩し、1mmスケールにまで分解して解像度を上げた。

 色とりどりの蛍光色の光跡が虹色をした魚のようにビチビチと掌の下で暴れ狂っている。

 ヴィブレ=スミスがこれから何をしようとしているのか、後の時代に開発された生体神具という概念を持たない荻号が想像を巡らせる事は困難だったが、何か決め技のようなものを発動させようとしているとは勘付いていた。


 14400枚のフラーレンを若干持て余しながら、荻号はユージーンを完全包囲するように犇めきあいながら超高分子化合物を組み上げてゆく。

 紅い呪符は毒々しく発光しながら、蝶の大群のように一分の隙もなくユージーンを密封するように包み込んでゆく。

 内部から切り崩す以外には、逃れる手立てはないだろう。


 フラーレン C14400は発動の瞬間ユージーンの神体を粉砕する、しかしその前にヴィブレ=スミスが何かすることがあるのならば、そちらを優先した方がいい、荻号はそう思った。


 この間、ブラインド・ウォッチメイカーも手をこまねいて荻号とヴィブレ=スミスの企みを成功させようとしている訳ではなかった。

 彼女は分身として息絶えた荻号から奪った相転星を手にしていたのである。

 ブラインド・ウォッチメイカーはフラーレンによって荻号とヴィブレ=スミスから視界が遮られたのをいいことに、ユージーンの知識を盗み見て相転星を密かに起動している。

 超神具フラーレンと、創世者の操る超神具 相間転移星相装置(SCM-STAR)の対決の勝敗の行方は知れない。


 五分と五分、あるいは少々ブラインド・ウォッチメイカーにとって不利な戦いとなる。


 創世者たるブラインド・ウォッチメイカーが、アルティメイト・オブ・ノーボディの能力を模した劣化コピーである相転星など扱う必要はそもそもないのだ。

 だが彼女は戯れに、神々を更なる絶望の淵に追い落とす為、あるいは弄ぶ為に敢えて相転星を選んで扱っている。

 創世者との戦いに際しても神具の力を頼むしかない神々の無力を、彼女はわざわざ暴こうとしているように思われた。

 紅い繭が溶け出したようにフラーレンが何百枚か弾け飛び、ヴィブレ=スミスの奥義より一瞬早く相転星が発動した。


 時空間歪曲の波動を含んだ凄まじい熱量が荻号とヴィブレ=スミスに襲い掛かる。


「ちいっ!」


 荻号は一瞬早くシザーケースの中から一束のフラーレンを放り投げ、無防備でPSYCHO-LOGICaseの合成を行うヴィブレ=スミスを庇うように障壁を作った。

 防御の遅れた荻号の脇腹を切り刻んだ相転星の波動はヴィブレ=スミスに到達する前に無効化され、ヴィブレ=スミスは事なきを得て最後のコマンドを入力した。


"Synthesize six precursor subunits and conformational changes"

(6前駆体サブユニット合成とコンフォメーション変化)


 PSYCHO-LOGICaseを構成する6つの前駆体のサブユニットにコンフォメーション変化を起こし、活性中心を形成する。

 マクロレベルで正確にデザインされ成熟した酵素に素早く縮小をかけ、大量合成を指令すると、ただのグラフィックに過ぎなかったPSYCO-LOGICaseは攻撃対象の精神系を完全分解するいかなる回避も不可能なナノマシンへと変貌する。

 これまでヴィブレ=スミスは冤罪を疑う余地のない死刑囚を相手に修練を重ねてはきたが、一度たりともこの奥義を実戦で発動したことはない。


 そう、ただの一度もだ。


”PSYCO-LOGICase overexpression!"

(精神分解酵素過剰発現)


 ヴィブレ=スミスはかつての部下に向け、躊躇なく禁忌の奥義を発動した。

 この冷徹さと容赦のない決断力が、そして有無を言わせぬ実力がヴィブレ=スミスが10世紀以上もの間極位たらしめてきた。

 ユージーンの精神系がどうなってしまうのかなどの配慮など、欠片もない。


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