表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結済】INVISIBLE-インヴィジブル-(EP1)  作者: 高山 理図
第一節  The mystery of INVISIBLE and the story of Ground Zero
48/117

第1節 第47話 Prime Minister's Office of Japan

 ユージーンは右手で背後の皐月を支え、左手でバフォメットを串刺しにしたままのG-CAMを持ち、人気のない山中に着地した。

 バフォメットの頚からG-CAMを抜き、亡骸をそっと夏の花々の咲く場所に横たえ手を合わせる。 

 解階には墓を作る風習がなく、自然葬が礼儀だ。

 遺体を解階に引き渡す必要はなく、この場で弔ってやればそれでいい。

 だが、バフォメット公爵家には彼等の名誉の為にもユージーンが殺したという事を報告しなくてはならない。

 この死体が警察に発見されれば殺人事件として大騒ぎになるだろうが、あいにく彼は生物階には存在しない者だ。

 人間ではないと分からなければ、身元不明の死体として事件は迷宮入りをするだけだろう。

 凶器も消せる、指紋も出さない、DNA鑑定もできないユージーンは完全犯罪を簡単に成立させる。

 皐月は鎮痛な面持ちで手を合わせる彼に倣って手を合わせた。

 バフォメットはもう、ぴくりとも動かない。


「先生は、いつもこんなお仕事を?」

「はい」

「戦争の神様なんですもんね」

「ええ。いつもはここまで激しくないんですが……」

「でも、正当防衛でした。あなたが勝ってくれなければ私、殺されてました」

「ごめんなさい、巻き込んでしまって」


 ユージーンは凶器であるG-CAMを空に放り投げて消した。

 皐月はハンドタオルを取り出し、ユージーンの血まみれの左手を拭う。

 守ってくれた感謝の気持ちといってはなんだが、皐月にはそのぐらいしか彼に返せるものがなかった。

 彼の手は今も昔もこんな風にずっと血まみれだったのだろうかと、皐月は切ない気持ちになる。

 望んでこんな仕事をしてきたわけではないだろう。


 教壇の上で生徒を優しく見下ろしていた彼とこの人物が同一だとは信じがたい。

 それでも怯えてはならないと思った。

 彼は皐月を守ってくれたのだから。

 ユージーンは左手を皐月の厚意に預けながら、右手で携帯を取り出し藤堂家に電話をかけていた。

 彼女は心細さと不安との入り混じった視線で彼を見上げる、彼はそれに気付いて携帯を左手に持ち替えると、皐月を安心させるように右手で彼女を擁いた。

 彼の胸元に皐月の顔がくる。

 彼女は鼓動もしない彼の胸に耳を当て、目を閉ざすと僅かばかり恐怖が薄らぐのを感じる。

 彼がどこに電話をかけているか、皐月にはわかった。

 どうか、無事でいて……藤堂君。


『もしもし。藤堂でございます』

「わたしです。恒君はおられますか」

『神様! 恒は留守にしておりますが夜には戻ると』


 留守……どこに? 

 ユージーンは胸騒ぎがするが、母親に動揺を気取られてはならない。

 家に一人きりの母親に心配をかけさせる、彼女は恒と違ってあまり身体が強くはない。

 だから恒はいつも彼女を庇って彼女を不安にさせるような事を出来るだけ言わないようにしてきた。

 事情を話してはならない。

 おたくの息子さんがピンポイントで、解階の住民達から命を狙われています、気をつけて下さい、などとは。


 志帆梨も避難させた方がよいかもしれない、バフォメットは藤堂 恒というフルネームは知らなかったようだが、知っている解階の住民がいないとも限らない。

 そうなった場合、家に居る志帆梨だって危険だ。

 ユージーンは名指しで恒が狙われているのではなく、神全体が襲われる危険性があると言葉をオブラートに包んで避難を促す。


「志帆梨さん。実は、神々が何者かから狙われています。恒君も神ですから、藤堂家も危険かもしれません。少しの間、社務所に避難しておいて下さい。鍵は社務所の脇にある朝顔の鉢植えの中にあります。恒君はわたしが見つけて保護しますから」

『え!? え、ええ。そうします、恒をお願いします』


 ユージーンは携帯電話を切ると、次に山間から見える被災地を見下ろした。

 バフォメットに襲われた村の人々の救助を手伝いたいが、ユージーンひとりの手ではとても足りない。

 彼は立て続けに電話をかける。

 皐月は邪魔をせずじっと彼の腕の中にいて息を潜めている。


『はい、軍神下統監部です』

「わたしだ。生物階に特命救命部隊を派遣してくれ。場所は……」

『主よ、総務局からのご依頼で?』

「個神の裁量による。これは依頼ではなく命令だ、救える者は一人でも見捨ててはならない」

『御意!』


 命を奪うばかりでなく、守る事も並行して行わなければならない。

 ユージーンは恒を捜すとともに惨殺されゆく神を、人々を守らねばならなくなった。

 アルシエル=ジャンセンはこの事実を知っているのだろうか? 恐らくアルシエルの意思とは無関係に、洗脳された貴族が私的ゲートを使って生物階に流入しているのだ。

 そしてアルシエルの目を逃れて不法に私的ゲートを維持してきた家柄となると相当の大貴族だろう、解階の貴族制度は武術に秀でた家系が高い階級を持つ事から、その腕前は解階屈指とみて間違いない。

 それに対し生物階に入った武型神は32柱。

 そのうち3柱が既に殺されている。

 有機合成を行っている非力な文型神もいる。

 この5柱の文型神のうち比企は文型神といえど元々は武闘派だ。

 充分に戦えると考えられるが、残りの4柱が危ない。

 為すすべもなく殺されてしまう。

 プライドの高いバフォメットが弱き神々には目もくれず、生物階に入っている神々のうち最強の実力を持つユージーンを最初に見つけてきてよかった、と彼は思う。

 バフォメットが他の神々のところに行ってしまえば、被害はもっと甚大なものであったことだろう。


『ご命令は以上でございますか』

「また、ある人物の捜索を命ずる。名は藤堂 恒、日本国、広岡県西伊辺郡風岳村在住、10歳の少年だ」

『本日陽階神として神籍登録なされた、藤堂恒様のことで?』

「?」

『主の御弟子として公認されたとの通達が、第一使徒殿よりございました』


 でかした! とユージーンは誰だか知らないが褒めちぎりたくなった。

 恒は陽階神として神籍登録をし、神階にいる。

 恒を神階へ連れて行く事ができるとすれば織図のした事だろうな、と彼は推測した。

 以御が把握して神籍登録をしたのだとすれば、恐らく執務室の一室を割り当てられてそこに居るのだろう。

 恒を生物階に帰してはならない。


「以御に伝えろ。その少年を、生物階に帰してはならない」


 ユージーンは恒の居所が分かったところで、比企に電話をかけた。

 手が少しでも空いていれば、文型神を救助に行ってほしいと。

 ブラインド・ウォッチメイカーの天啓を受けた解階の貴族達は、最終的には生物階の破壊を目論みながらも、真っ先に生物階の破壊を邪魔立てする神々を滅ぼそうと考えるだろう。

 となると、バフォメットはともかく、一般的な思考回路の持ち主なら弱いものから順に殺してゆくのが効率的だ。

 比企や強き神々の力を借りなければ。

 極位クラスの神々でなければ、解階の貴族達とは互角以上に戦えない。


「ユージーンです」

『何だ? お前はどこに行っておった。この非常時に。少しは陽階枢軸としての自覚を持て』

「お叱りは後でお受けします。解階の貴族達の侵入が始まりました、神々が惨殺されています」

『何と……』


 合計38柱もの神々が生物階降下をしているのだから、アトモスフィアの分布は重なり合って、その気配の一つ一つが誰に帰属するかなど、ユージーンでなければ把握する事ができない。

 比企は気付いていなかった。

 どことは知れないが、比企はにぎやかな場所にいるようだ。

 実験室ではない。手が空いて食事でもしているのだろうか。

 ユージーンは受話器の向こう側の喧騒を聞いて、比企に頼もうと思った。


「比企殿、お手すきなら……」

『ああ、無論そのつもりだ。次の合成のステップまで残り14時間ある。その間に戦闘能力のない文型神の保護を最優先とする』


 比企は電話を一方的に切ってしまった。

 ブラインド・ウォッチメイカーがどれほどの数の貴族を洗脳したのかは分からないが、全員だとすると解階の貴族の人口は数百万名規模だ。

 それに対し位神のうちでも武型(AA)神は63柱。文武型(AX)神を入れても92柱だ。

 そのうち、解階の住民と対等以上に渡り合える神となると、わずか20柱にも満たない。

 わずか20対数十万の戦い、総力戦の構えとなるだろう。

 ユージーンが一柱で全ての神々を守り抜くなどどだい無理だから、このままだと……神は滅ぶ。

 神々は勝算のない戦いに際しても最期の勤めを果たし、逃げたりはせず最期まで神として在ろうとするだろう。

 ユージーンは携帯に転送されてきたリストを見る。

 殺されたのは神としての美学を貫いた、陽階神ばかり。

 無駄死にだ、ユージーンは思った。

 闘えない神は武型神でも撤収させなくてはならない。

 いくら美学を貫こうとしても、無駄に玉砕をする事は美しい身の処し方だとはいえない。

 ユージーンはまだ存命中の4柱の文型の神々を保護し、神階に撤収させるべきだと考えた。


「吉川先生、恒君は無事です。本日をもって神となったそうで、神階に居ます」

「藤堂君が、神様に……」


 皐月はふらついて、彼に支えられた。

 教師でありながら今日という日まで、とうとう恒に何ひとつも教えられるものがなかった。

 皐月は恒が手の届かないところに行ってしまったようで悔しい……彼は神々や人々に支えられ、様々な苦難を乗り越え、そして今日、神となったのだ。

 恒もまたユージーンのように何度も危険な目にあいながら、そしてその手を汚しながら、何千年もの時間を生きてゆくのだろうか……。


 自分はか弱い、人の子だ。

 恒にとってもユージーンにとっても、それだけでしかない、彼女はまざまざとそれを思い知らされた。


「私は藤堂君がこれから長い道のりの中で何を得て、何を失うのかを知りません。藤堂君の歩む道を、支えてあげる事ができない。私は藤堂君の行った場所に、付いて行く事ができないから。でも、あなただけは彼の傍で、見守っていてあげてください。……私、被災現場の救助を手伝いに行きます。私はひとりで帰れます、ですからもう、あなたは行って下さい」

「しかし……こんな山中で」

「下の村の街灯の明かりは見えてます、一人で帰れますし携帯もあります、お願いです。あなたの足手まといになりたくない、行ってください。あなたは一秒でも無駄にできない、あなたの助けを待っている人がいる。そうでしょう? 神様」


 ユージーンは皐月の声が遠くに聞こえたような気がする。

 彼女の瞳は澄みきっていて、一心にユージーンを見上げていた。

 何だろう、これは……彼女に対するこの感情は……。


 ユージーンは湧き起こってくる未知の感情を戸惑いのうちに抑えつけながら、軽く首を振り、皐月の足元を見た。

 現場までは100mほど山を下らなければならないが、彼女はよいスニーカーをはいて、丈夫なジーンズを穿いている。

 下まで歩けそうだ。

 ユージーンが皐月を家に送ってゆくのは一瞬だが、彼女は災害現場の救助を手伝いたがっている。

 彼女の気持ちを無碍にはできないと、彼は頷いた。

 彼は皐月をきつく抱きしめ別れを告げると、皐月の唇が彼の頬に触れる。

 彼女はじわりと顔を赤らめてしまったが、彼はそれを見ないまますぐに強く地を蹴り、夜空に溶け込んで消えた。



 未知の感染症の拡大と共に解階の貴族達が侵入し、人々への無差別攻撃が突如として始まり、世界中では無差別テロのような攻撃に見舞われていた。

 世界各国では戒厳令が布かれ、国連も感染者の隔離とテロ攻撃からの住民の保護に乗り出した。

 日本でも広岡県の山村が上空より攻撃されたとの一報があり、広岡県伊辺郡にはマスコミが殺到すると同時に自衛隊も緊急出動、列島に緊張が走った。

 首相官邸には各省庁の大臣、閣僚、各界の有識者達が続々と参集していた。

 国会の承認により、内閣は日本全土に武力攻撃事態による非常事態宣言を発布し、有事法制基本法に基づき国家非常事態特別対策室が設置され、非常事態対処会議が行われていた。

 首相官邸の外には数百人規模のマスコミが詰め掛けている。

 メファイストフェレスはその様子をニュースの中継で上島の書斎のテレビで見ていた。

 ニュースの合間合間に、襲われた西伊辺郡との中継が繋がる。

 被災地の村は風岳村から目と鼻の先だ。上島も肝を冷やしていた。


「遂に非常事態宣言が発令されましたな。しかし我々は、一体何に襲われているんです?」

「この地形の抉れ方……爆発物じゃないわ。神具でなければツール(多機能装置)よ。神は理由なく人を傷つける事ができない、神じゃないわ。ただのテロでもない。どうしたっていうの? 解階で一体何が起こっているの。こうしてはいられない、妾も行かなくては」


 メファイストフェレスにはただの解階の住民ではない、貴族階級の者達が生物階に侵入してきたのだと予測がついていた。

 神々が見境なく人々を殺す事はありえない。

 感染した人々がいれば殺すかもしれないが、日本にはまだ感染者はいない。

 その感染者がここに隔離されているのだから、目的もなく殺害されたと考えるのが妥当だ。

 だとすれば神具ではなくツールが使われたのだろう。

 ツールを持つのは解階の特権階級、それも豊かな財力を頼りに優れたツールを職人に作らせる事のできる上位貴族のみだ。

 上島は慌てて彼女を引きとめようとする、彼女をこの部屋から出さないでくれと織図に頼まれているのだ。


「安静にして下さい。あなたは感染者なんです、外に行かれては他の人間に伝染します」

「ではお願い。猫か犬か、何でもいいわ、ネズミでも鳥でも昆虫でも何でもいいの。何か動物を連れてきて頂戴」


 上島はメファイストフェレスの懇願に負け、仕方なく病院の玄関口で飼っている金魚を一匹コップに入れて連れてきた。

 彼女はその間に病院着を脱いで、そしてタイトな黒いドレスに着替えていた。

 丁寧に仕立てられた高級ドレスを身に纏い、凛として窓の外の夜空を眺める彼女には、外に出たいという気迫がみなぎっている。

 上島は彼女に圧倒されつつ、愛着のあった赤い出目金のグラスをちょいちょいと指先でつつきながら、いとおしむような仕草をした。

 感染してしまえば、この金魚はこの場で殺さなくてはならない。


「許せよ、キン太。医学の進歩と人類の未来のためだ」

「この病は、DNAを持つ生物に感染する。ならばこの金魚が感染すれば、異常行動を起こすべきよね? これまでの情報から、感染成立からわずか数分で異常行動を起こすとわかってる、なら」


 メファイストフェレスの傍に近づけられても、金魚はちゃぽんと水音を立てながらすいすいとコップの中を泳ぎまわるだけだ。

 上島はマウスやラットを使って数限りないほどの動物実験をしてきたが、ペットを動物実験に使ったのは初めてだ。

 上島は鼈甲の老眼鏡を上げ下げしながら、キン太の無事を確認した。


「無事か、キン太!」

「ごらんなさい。妾は、治ってるの」

「!」


 一度感染し、治癒血を摂取した感染者は感染能力を失い完治している。

 上島はすぐに相模原に携帯でメールを打った。

 君に渡した赤い液体のサンプルは感染者を癒した後、感染能力を完全に押さえ込む理想的な薬剤であった、と。


「こうしてはいられない、行くわ」

「どこにです?」

「ここよ!」

「いいっ!?」


 メファイストフェレスが指差したのは、テレビのニュース画面だ。

 そこにはマスコミにぐるりと取り囲まれた内閣府が映っている。

 上島は素っ頓狂な声を上げる。

 この女はマスコミに大注目されている内閣府に堂々と乗り込むつもりなのかと。


「お世話になったわ。上島 肇……また会いましょう。運がよければ」


 メファイストフェレスは窓を開けると、小さな杖を握り締め夜空に飛び出していった。

 上島が書斎の窓から手を振るのが見えた。


 感じる……ユージーンのアトモスフィアが生物階に戻ってきている、でも彼のところには行かない、最強神である彼は解階の住民の侵入に際して誰よりも忙しい筈だから。

 彼女は織図のアトモスフィアが生物階に現れたのをひしと感じていた。

 まっすぐ近づいてくる。

 見舞いにでも来たつもりだったのだろうか。

 織図はただメファイストフェレスを見舞いに来たのではないだろう、彼は実に計算高い神だ。メファイストフェレスがユージーンの血液を受けて回復し、その後感染能力を失ったのかをその目で確認するために来るのだ。

 彼女の頭上の遥か上空に、黒い影が見えた。


「織図ー!!」


 彼は呼び声に気付いたらしく、急降下をしてきて彼女の前で止まった。


「いけねぇお嬢様だなあ、勝手にベッドを抜け出してきちゃ」


 メファイストフェレスは健在を主張するかのように、丁寧に赤いマニキュアを塗った長い爪を織図の鳩尾のあたりに突きつける。

 いつもの勝気でお転婆なお嬢様に戻ってやがるな、と織図は思った。


「妾が何の確信もなく、勝手にベッドを抜け出すと思って?」

「いや。お前は利口な女だ」


 彼女はそこまで言って高飛車な態度を一転し、織図に礼を述べた。

 織図は感染者達を見境なく殺してしまった中で彼女だけを殺さなかった。

 織図は織図で彼女を無理やり連れて行って感染させてしまったという自責の念があったからなのだが、メファイストフェレスは素直に彼に礼が言いたくなったのだ。


「感謝しなくてはね。他の感染者達は躊躇なく殺してしまったのに……」

「なんだ? しおらしいじゃねえの。死神ってのは生者を不平等に扱う事は禁じられていてな、世の為人のため、ちょっと実験台になってもらっただけだ」


 感謝されることに慣れていない織図は照れくさいのか頭をかきながら、そんな言い訳を思いついたらしかった。

 織図はどうも憎まれ口を叩きたがる。

 死神が感謝されるような事をしてはならないなんて法律は、ないだろうに。


「お前は理屈っぽいわ。織図、素直に妾を殺したくなかったって言えばいいのに」

「色々とのっぴきならん事情があったんだよ」

「妾は日本国内閣府に行く。解階の住民がいかな者たちかを説明してくる、そして備えろと言いたいの。何が起こっているのか分からないけど、無差別攻撃は激化するわ。お前も来てくれる?」

「お嬢様一人じゃ、マスコミに目だって仕方がないぞ」


 メファイストフェレスが内閣府に乗り込んだところで、マスコミや警察に見つかり不審者として捕まってそれまでだ。

 一方、織図の持つ光学迷彩と、ODFを使えば誰にも見つからずに政府の中枢に忍び込める。

 織図をはじめ死神の姿は有史以来一般の人間には巧妙に隠されてきて目撃された事がない、彼の助けが必要だった。

 その時、空山 葉子から織図の携帯にメールの着信が入る。

 今日も奇妙な着信音を夜空に響き渡らせながら、彼は携帯を開く。

 藤堂 恒が、空山を通じて日本政府に感染者の映像を報道する事を控えるように要請していると。


 IEIIO(国際知的生命研究機関)日本支部所長にして空山の母親、澄田 咲江と早瀬 雄大は、このたびの異常事態に有識者として内閣府に召喚されているのだそうだ。

 澄田と早瀬を通じて日本国政府に要請したいことは、それだけかと空山は訊いている。

 渡りに船だ。

 メファイストフェレスと織図は頷いた。

 恒は空山や早瀬をいいように利用し国政に関与しようとしている。

 織図はメファイストフェレスの腕を掴み、低い声でこういった。


「心を解放し、東京上空を思い浮かべろ」


 織図は東京の街並みを肉眼で見たことがない。

 だが彼女は何度も訪れた事がある。織図は彼女の脳裏に鮮明にイメージされた光景を読み取り、彼女を巻き込んで東京上空に転移をかける。

 あっという間の見事な連携だった。

 バタバタとマスコミのヘリコプターの音が夜空に響き渡っている、いつもより格段にその台数は多い。

 眠らない大都市の街、東京を見下ろしながら黒衣を着た魔女と死神は静かに内閣府の敷地内に降り立った。


 織図は着地と同時にODFを展開し、蟻のように群がるマスコミを尻目に、誰にも姿を見られないままメファイストフェレスと共に首相官邸に押し入り、勝手知ったる我が家のように中を進んでゆく。

 途中何人かの警備員、議員や官僚らとすれ違ったが、彼らは隣をふたりが通り過ぎた事すら気づいていないようだった。

 織図は一人ずつの顔を見て歩いていた。

 彼の頭脳の中には全ての死者と生者の情報が入っている。顔を見ればその人間の名、年齢、経歴、そして残り推定寿命が見える。


 澄田 咲江と早瀬 雄大はどこだ……。


 非常事態対策会議が催されているだろうから、そこに乗り込めばいい。

 織図は厳重に警備されている、ある会議室の入り口を見つけた。

 国家非常事態対策会議室との張り紙が張ってある。

 ここしかあり得んな、織図が振り返ると、手の早いメファイストフェレスは既に入り口の警備員を気絶させた後だった。

 織図はゆっくりと扉を開き、即時に視覚郭清フィールド(Optical Dissection Field:ODF)を拡大する。

 会議室にいた全員が織図の創り出した不可視領域に閉じ込められ、外部との連絡を遮断されてしまった。

 後から誰かが気付いて駆けつけて来てこの扉を開いても、中の光景は見えないし声も聞こえない。

 首相をはじめ閣僚達、有識者達がずらりと対策会議室の机を囲んで議論を白熱させていたが、織図とメファイストフェレスの姿を見るなり、あっけに取られた顔をした。

 織図は黒いローブを着ていたし、メファイストフェレスは黒いゴシック調のロングドレスだ。スーツに身を固めたお堅い議員達の中で、余りにも場にそぐわない二人組だ。


「な、何だね君達は……!」

「誰か! 不審者だ!」


 不審者の侵入に取り乱した議員や大臣達が慌てて出口に駆け出して行こうとしたが、ドアを見失い途方に暮れてしまった。

 ODFは真っ暗闇の視覚郭清フィールドであり、外部環境と完全に遮断されている。

 いくら叫んでも、声すら外には届かない。

 織図は助けを呼びながら真っ先に逃げ出そうとした男達をちらりと振り返り、間延びした声で忠告した。


「呼んでも、誰も来ねえぞ」


 織図は机の上にどかりと腰掛け、喉が渇いていたのか、老大臣のために置かれていたペットボトル入りの茶を取り上げて飲み干した。

 メファイストフェレスも黒いドレスをたくり上げて机を飛び越え、テーブルの真ん中のスペースにピンヒールをコツンと鳴らして着地する。

 メファイストフェレスはマクシミニマを抜いて閣僚達に向けた、黒い小さな杖を見て、爆発物なのではないかと勘違いをした彼らは、怯えた眼差しを向けている。

 織図は丸腰のまま、机の上に腰掛けて脚をぶらぶらとしているだけだ。

 あんた、肝臓に気をつけろよ、あと5年で死ぬ事になってるぜと老大臣に健康指南をして聞かせている。


「携帯を出して電源を切り、机の上に置いて。手荒な真似はしないわ」


 いくらODFで視聴覚を隔絶しているとはいえ、携帯電話で助けを呼ばれてはたまらない。

 穏便に事を済ませるつもりが、落ち着いて話も出来なくなってしまう。

 閣僚達は爆発物を持っていると思しき女の指示に従って、携帯電話を出して机の上に置いた。

 メファイストフェレスはマクシミニマを一人ずつ向けて、発信されている携帯の微弱電波を探る。

 官房長官の前で彼女は足を止め、優しく微笑みかけた。

 賢い演算髑髏は、発信されている微弱電波を見逃さない。


「もう一台も」


 官房副長官が忌々しそうに机の上にあと二台の携帯を置いた。

 自宅用と、不倫相手用だ。

 メファイストフェレスと織図には、全員丸腰だという事は分かっていた。

 日本は平和で結構だ、銃刀法バンザイと織図は思う。

 これが欧米なら銃を持っている議員が一人ぐらいいてハングアップを命じられるか発砲されてもおかしくないのだが……。


「さて、俺らは別にあんたらに危害を加えに来た訳でも要求を突きつけに来た訳でもない。話を聞いてもらおうか。逃げようなんて考えない方がいいぜ、逃げようったって出口はないんだからな。あんたらは無駄な事が嫌いだ、俺らも無駄は省略したい。分かったら、利口にしてろ」

「妾達は一連の非常事態に対して、提言をしに来ただけ。参考にしてもらえればそれでいいわ、強要もしないしすぐに帰るから」

「き、君達は誰なんだ?! こんな事をしてすむと……!」


 メファイストフェレスは語調を和らげながらも、触れれば切れてしまいそうな冷酷さを孕んでいたが、若手の議員が勇気を振り絞り、声をひっくり返しながら問いただした。

 普通の状況の会議室で、ただ爆発物を持っているのか持っていないのか分からない二人組に脅されているのとは違う、この空間は外部と隔絶されていると認識できた。

 その証拠に、部屋は暗闇に閉ざされており、先ほどまであった窓すらもなくなってしまっている。

 外のマスコミの騒音も聞こえない。


「そうだな、議員先生方に聊か不躾だったか? 自己紹介が必要なら名乗るがね。俺は織図 継嗣、ただの好青年だ」

「妾はメファイストフェレス、警戒しなくていいわ」


 末席に有識者として座っていた澄田と早瀬は、顔を見合わせて頷いた。

 彼らとは面識がないが、空山の言っていた藤堂恒の仲間なのだろう。

 すると彼らは十中八九、神だ。

 まさか国政のど真ん中に、大胆不敵にも直接乗り込んで来るとは思わなかったが、直接乗り込んで来てくれたのだから、彼らの指示に従うべきだ。

 そして彼ら、神々の現在の動向も探りたいところだった。


「ご丁寧に、どうも。しかしご所属はお聞かせいただけないようだ」


 肝っ玉の据わった外務相が強がって皮肉る。

 名前を名乗るだけでは、何も名乗っていないのと同じだ。

 今に始まった事ではないが、織図は陰階神なので神と名乗る事ができない。

 織図はさらりと挑発を流すと、涼しい顔をして厚生労働大臣に配布されていた資料を手にとってぺらぺらとめくっていた。

 彼らの作成していた有事対策の資料はてんで的外れの内容だ、外出を禁止するだけでは解階の住民の攻撃に対して何の意味もない。

 家ごと破壊されているのが、分からないのだろうか。

 安全な場所に避難させなくてはならない、それも公民館や学校ではダメだ。

 解階の住民達からはこれ幸いと、まるごと標的となり袋の鼠となるだけだ。敵が見えていないのだから対応が的外れになるのも仕方がないが、これではどれだけの国民が犠牲となる事か……。地震や火事対策とは訳が違うんだぞ、と織図は目を覆いたくなる。


「細かいことは聞きっこなしだ」

「では、現在世界で何が起こっているのか、ご存知の上でしょう?」

「そんなの知らないわ。買いかぶらないでいただける?」


 メファイストフェレスはそっけない。

 彼女が聞きたいぐらいだ、解階で何が起こっていてどんな経緯で貴族階級の者達が攻め入って来る事になったのか。

 ひょっとするとメファイストフェレスの知り合いや親友だって、侵略に関わっているかもしれない。

 ユージーンとアルシエルの交渉は失敗したのか、更には父親であるメファイストフェレスIの安否はどうなったのか、誰かが答えてくれるのなら問いただしたい事ばかりだ。

 だが誰も疑問には答えてくれない、彼女は手持ち無沙汰も手伝って、彼女に出来ることをしなければと考えただけだ。

 創世者間の抗争に、生物階をいたずらに巻き込んではならない。


「では君らは、失礼だが我々に何を提供しに来たのかね、ただの冷やかしならお帰りいただきたい、こちらは国民の生命に関わる大切な審議を行っているんだ」

「冷やかし? 前言を撤回して欲しいわね。残念ながらこの席にはお招きいただけなかったようだけど、妾も有識者の一人よ。妾は先日まで感染者だったの。でももう感染能力はないわ、これがどういう事かわかって?」


 場内からはにわかに悲鳴が上がった。

 感染者が生還して正気を保っているどころか、感染能力を失っているとは信じがたいが、もしも治ったという彼女の話が偽りであれば、ここにいる全員が半日後には感染者となってしまうという事だ。


「つまり、この感染症は治るのですか?」


 女性財務相が、口元を押さえながら尋ねる。

 少しでも同じ空気を吸わないように努めて、感染しないように考えた末の態度なのだろうとメファイストフェレスは思うが、そんな程度では感染は防げない。

 やはり国家の頭脳である政治家達の認識は、根本的に間違っている。


「そういう事よ。助かりたくば、今朝の新聞で発表された化合物を合成なさい、24種の」

「いや、13種でいい。それから、予防策として報道統制も布いておけ。感染者の映像を見ただけで感染をするんだそうだ」


 織図は老大臣に資料として配布されていた新聞の切り抜きに、×をつけて化合物の種類を減らしてやった。

 レイアとユージーンの治癒血を比較する事によって絞り込んだ13種の化合物だ。

 生まれたばかりの赤子に針を突き立て、泣きじゃくる中を毎日300ccもの献血を強いて得た貴重な情報だ、同情してやってほしいもんだよ、と織図は思う。


「それは妙なお話だ。もう既製の薬剤があるのだろう? 貴方はどのようにして治癒したんだ」


 事態の把握に困惑して黙っていた引っ込み思案な総理が突然、もっともな事を指摘した。あまりに存在感がなくて、メファイストフェレスはつい最近就任したばかりの総理の名前を忘れていた。

 祇園寺総理ののたまう事は核心をついている。

 完成品があるからこそ、彼女は治癒する事ができた。

 何故それを使わない? 既製品の買い上げを法外な値段でふっかけてくるつもりなのか? それが目的なのだとしたら、彼らはとんだ外道だ。どうせ、そんな事を考えているのだろうな、とメファイストフェレスは閉口する。

 むくれたお嬢様の代わりに、織図がこの質問に答えた。


「特効薬はある。だが全感染者に行き渡るだけの量はないんだよ。でだ、こっからは政治の話だが、まもなく生物階……、いや地球は大規模な無差別攻撃に見舞われるだろう。感じているはずだ、何かがおかしいと」


 閣僚、官僚、議員や専門家達は顔を見合わせた。

 やはりそうなのかという確信と、一体何が? という疑問が交錯する。

 再びしんと静まり返った場内で自然と総理に注目が集まる。

 視線に耐えかねて、またしても総理がメファイストフェレスに尋ねた。


「我々は何に襲われている? それが一向に見えて来ない、見えない敵と戦えと仰るのか」

「見えない敵か、まさにその通りだな」


 織図は言い得て妙だ、と自嘲気味に嗤った。

 ブラインド・ウォッチメイカー……その存在を人類に明かすのは、時期尚早だし受け入れられもしないだろう。

 だが彼らが知らなくてはならない事もある、それは解階の住民の侵入という、現在まさに起こっている恐るべき事態だ。

 事が明るみに出て、隠し切れなくなってしまった以上、もう人々を蚊帳の外にしておくわけにはいかなかった。

 援護をしてくれとは言わないが、せめて自衛をしてもらわなければ。

 その能力があるなしに拘わらず……。


「敵が見えないなら差し当たり、見える者に立ち向かうしかないわ。人類と遜色ない姿をした、でも人類より何十億年も進化を重ねた者達にね。軍隊を出動して戦いたいなら戦えばいい、核を使って全てを焼き尽くすつもりなら、勝敗は分からないわ。でも武器を取ることができない者もいるでしょう。そんな人々の生命と財産を守るために、国は何ができる?」

「つまり何かね、人間に酷似した、人外の者に攻撃されているだと?」

「馬鹿な! 信じられん」


 場内は騒然として、暫くどよめきは収まらなかった。

 現実と虚構の間に、いとも簡単に国の中枢を担う政治家達を監禁している二人組を前に、そんな事がある筈がないと一笑に付してしまうことができなかったのだ。


「信じる、信じないも現に襲われているのよ、妾達にでさえこのざまなのに……」

「俺らは有史以来幾度となく人類の危機を救ってきたが、今回ばかりは手に余る。護りきれん、現に護りきれてないだろ? 被害は世界規模で増加の一途を辿っている。国民を地下か頑強な施設かどっかに避難させるも、自衛隊を動かすも、とにかく何か対処をしてくれ。指を咥えてオロオロと傍観されては困る。俺らは忠告してやったぜ? 人類の、善き隣人(good neighbor)として……さ、立ち上がれよ。兄弟」


 織図とメファイストフェレスはそう言い残すと、黒い霧を残して消えた。


 会議室の外に倒れていたSP達を見つけて、場内の異変を察し警察が駆けつけてきたからだ。議員達は突然消えてしまった彼らを現実のものとは認識できず、白昼夢を見ていたのだと各々が考えた。

 彼等は体裁が悪そうにそれぞれ取り繕って審議に集中しようとしたが、誰もが狐につままれたような顔をしていた。

 場内は水を打ったように静まり返っていたが、沈黙に耐えかねて消化しきれない疑問をうっかり口にした者がいた。


「おや、おかしいな。あの黒衣の連中は?」

「先生もですか? てっきり夢かと」

「私も、見ました。先生も?」

「私もです」


 彼らは一人がそう言ったのを契機に、それぞれ夢ではなかったのだと確認しあった。

 老大臣は眼鏡をかけなおし、ペットボトル入りお茶が飲み干されているのを発見した。

 新聞の切り抜きには合成する必要のなくなった化合物に×印がつけられている。

 居たのだ、彼らはもうどこへともなく消えてしまって見えないが、確かに彼らはここに居て全員が目撃していた。


「彼らは、何だったのだろう?」


 澄田と早瀬は今こそと席を立ち、途方に暮れる彼らの前に進み出て断言した。


「我々IEIIO(国際知的生命研究機関)は、彼らが古来より神と呼ばれてきた地球外知的生命体である事を確認しています。神々の連絡先と居場所を把握しており、いつでも連絡を取る準備があります」

「な……神だと?」


 不思議な事に、妄言だという野次や嘲笑は聞こえてこなかった。

 彼等は何も言い返すことができなくなった、神? その真の意味を各々の心の内で掴み損ねている。

 澄田と早瀬は追い討ちをかけるように、彼等の理解を促す。


「あくまでも、一個の生物としての生物種名かと思われます」

「そんなものの存在を、認めろというのか――」


 認める、認めないに拘わらず逼迫した現実がそこにあって、国民の安全を第一に保障しなくてはならないという責任がある。

 彼らはただ人類の親しき隣人として、警告をしに来ただけだ。

 遂に神の降臨か……。

 祇園寺首相は絶句し、頭を抱え込んだ。

 挙党一致の体制で、いや野党も国民も含め、協議を尽くさなければならない、しかし審議を尽くしている時間はない。

 内閣支持率など気にしている場合ではないのかもしれない、全ての国民の権利を停止してでも、国民の生命と財産を守らなければならないのかもしれなかった。

 これは有史以来の有事だ、彼は再認識した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ