第1節 第43話 Positive States member, 藤堂 恒
ユージーンは形而上学的転移という方法で、アルシエルが星の消える場所と示した解階の辺境の宇宙に向かうこととなった。
しかしそれは距離にして何千光年にもなり、いくら荻号の能力の一部を受け継いだユージーンであるとはいえそうそう辿り着けるものではなく、どんなに急いでも数日を要するだろうと思われる。
そこで形而上学的転移という特殊な転移方法が必要だった。
荻号が何千光年もの距離にある宇宙空間を自由に移動できたのは、この転移方法を心得ていたからだ。
それは「見なし転移」とも呼ばれ、視認できる範囲内ならどこでも転移できるというものだ。
何故見なし転移というかというと、恒星を目標として転移をする場合、可視できるその恒星が実際に存在するのかしないのか分からないからだ。
目標とする恒星が例え存在しなくともその場所にその物体が存在すると見なすこの転移方法は非常に形而上学的な性質を帯び、全能の創世者達の特殊能力の真骨頂だった。
ユージーンはアルシエルの見守る中集中して瞳を閉ざし、心の中で彼自身に課した制御装置を外す。
彼のブロンドの毛髪はいっそう鮮やかに色みを増し、唇や口内の粘膜や爪もうっすらと黄金で鍍金をされたようになった。
薄い金色のアイシャドーのメイクをしたような瞼をもたげると、左眼には絶対不及者を証する禁視に近い色彩が宿り、虹彩が異常な色彩を放っている。
創世者の記憶を内に秘めた彼の神体は完全でこそないものの、多少なりとも絶対不及者の性質を帯びてはいる。
絶対不及者の特徴的な容姿を知らないアルシエルは、しかめつらをして首をかしげただけだった。
「何だその地味でささやかな変身は。何か意味があるのか」
「派手さこそありませんが」
ユージーンは空色のままの右眼を閉ざし、ウインクするように夜空の向こうを見上げた。
禁視の宿った黄金の瞳を眇めて懲らすと、まるでワープをしているように視界はぐんぐん星々の間を抜けて宇宙の果てが見えた。
ブラックホールに続いているかのように光を失った場所がある。
「見えないものが見えるようになります」
その先は彼女のいうよう、確かに黒い緞帳が下ろされたように宇宙の断端があった。
ユージーンは正確な座標を見極めると、アルシエルを振り返り頷いて、金色の残像を残して消えてしまった。
「不思議な男だ」
ユージーンの気配を探ったがかなり遠くにまで転移してしまったようで、探知することができなかった。
彼を見送って直後、彼女は傍らに控えていた侍史に毅然とした態度で命じた。
「ただいまより母星、衛星、植民地の別なく全星間連絡ゲートを即時封鎖せよ、感染者は見殺しにしても構わぬ。感染の拡大をこそ防ぐのだ。及び生物階への不法ゲートも摘発し、封鎖せよ。これ以上生物階に感染者を出してはならん。貴族に不服とする者があれば余が受けて立つ」
彼女が一見生物階に配慮を見せたように見えるのは、神々の感情を損なう事が得策ではないという打算があるからだ。
ユージーン、または治癒血を持つ希少な神にしか癒やせない病だと判明した以上、彼女は神々の機嫌をとる必要があると考えた。
アルシエルはしたたかな政治家でもあった。
*
『そうですか、よかった。織図さんもメファイストさんとずっと一緒ですか?』
上島医院の書斎で、メファイストフェレスはソファーで寝息を立てていた。
上島とともに徹夜で彼女を見守っていた織図だが、呼び出しがあって神階に戻らなければならなくなった。
彼女の容態は落ち着いているし、鎮静剤を打ったのでしばらく安静にしているしかないだろう。
だが彼女をこの書斎から出すわけにはいかない。
ユージーンの血液は彼女を癒したが、免疫がついただけで病原性がなくなったというわけではない。
彼女を外に出せば風岳村の村民達に感染してしまいかねない。
念のため、上島医院にいる看護師たちはユージーンの血で予防接種をしておいた。
上島医院の外来はしばらく、二次感染の疑いがある上島は診察を自粛して基子だけで診察を行う事にした。
「いや、俺は一度神階に戻る。陰陽階合同の全体会議が行われるんだ。さすがに出なきゃならないからな。お前も感染するかもしれないから、上島医院に駆けつけるんじゃねえぞ」
恒はいつも留守番だ。
あの後、早瀬達研究員達は朝までに村から引き揚げていった。
病原体に関する疫学調査を始めろと研究所本部からの達しがあったのだ。
WHOの下部組織であるIEIIO(国際知的生命研究機関)が、天使の研究に優先して未知の生物によって齎された病原体の感染経路の特定を義務付けられたのは当然だった。
織図にその事を話すと、ざまあ見ろ、ようやく撤収だと言ってけらけらと笑っていた。
恒と早瀬は念のため、いつでも連絡がとれるよう電話番号とメールアドレスを交換した。
『また何か分かったら、聞かせてください』
「なぁ。お前そろそろ入籍しないか? 電撃入籍」
織図は上島が持って来てくれた朝食のサンドイッチを、ひょいと口の中に放り込む。
恒はいつも蚊帳の外だが、誰よりも世界に責任を負う立場なのだ。
結局は恒の力に頼らなければならないのに、神階はいつまでも蚊帳の外にしておいていいものかと織図は考えたようだ。
神籍登録の手続きはそれほど時間がかかるものではない、うまくいけば今日中に神として認められることになるだろう。
『入籍?! 入籍って何ですか』
「神籍に入るんだよ。神として神階に認められる。名前は本名が日本名だしそのまんま藤堂 恒になるだろう」
『入籍したらどうなるんです』
「今日、位神の全体議会が開催される。当然議席には座れないが神籍があれば傍聴席で傍聴できるんだ。ユージーンの弟子だから登録と同時にアカデミーに連行される事もないだろうな。どうだ、入籍するか?」
『します!』
恒は大声で申し出た。
志帆梨が畑仕事をして外にいるので、家の中で大声を出しても会話を聞かれる心配はない。
「弟子は部屋がもらえないから、普通は師匠のユージーンの部屋を借りるもんだ」
『夜は実家に帰ってもいいですか? 母さん一人で心配だし、それって神の生物階降下にあたります?』
「実家に帰る件はノーカウントだし人間の戸籍もあるから帰っても構わんだろ。じゃあ行こうか少年」
『でも師匠いないのに、入籍しちゃってもいいんでしょうか』
「俺は陰階神だからユージーンの部屋には勝手に入っていけない。第一使徒の響 以御がいるだろ。あいつに神階の門まで迎えに来させよう、手続きは以御がやってくれるさ。派手な奴だぜ? そうだなー、存在自体がひとり宝塚だ。オスカルに似てる」
「わかりやすいです」
「あいつの姉弟は全員デカイし派手だ」
織図のおちゃらけは年中無休のようだった。
10分後、用意をして織図の追跡転移をしてこいと言われたので、志帆梨に外出の許可をもらって追跡転移をかけた。
織図は高度3000メートル、日本海上空にいた。
ここには入階管理課の入階衛星があるのだ。
神階に入る時はまず入階衛星を見つけてボタンを押し、進入を申し込む。
すると神階の門(Heaven's Gate)が転送されて開かれる。移動式の神階の門は一つしかなく、それが各入階衛星に転送されて連絡されている。
恒が織図の前に現れた頃、織図は進入コードを既に入力していた。
あとは神階の門が転送されて可視化されるのを待つだけだ。
『陰階神 第8位 DXX 39528A 織図 継嗣。入階許可を請う』
織図は神階の門が転送されてきた合図のランプが点灯したので、暗号とも思われるその言葉を空に向かって叫んだ。
すると急に白い光のグリッドが青空に現れ、それが扉の形を形どって大きくしなって開く。
扉は一キロ四方ほどあるだろうか。
神階の門はとてつもなく大きいのに、それを意に介することもなく傍をジェット機が飛んでいった。
人間には見えていないのだ、恒はそう思った。
人間ならば死ななければ通れない天国の門を恒は肉体を持ったままに通ることが赦された。
聖書にもある神の国、いわゆる天国へ、恒は織図と共に正面玄関から入ることを赦されたのだ。
一般の人間が持っている宗教的感情を改めて思い起こすと、いかに自分が大変な事になっているかが解る。
気持ちを引き締めなくてはならない。
「神階へようこそ」
織図と恒が巨大な門をくぐると、すぐに大きな大門は閉ざされ、周囲の景色が歪み浮遊感がして事象の地平を抜けたのがわかった。
神階の巨大要塞のポートに着いたらしく、ガラスのような床が現れる。
地球を離れ異なる宇宙に入ったというのに、時間にするとあっという間だ。
陰階神は許可なく陽階に立ち入る事は許されていないので案内は出来ないのだ、と予め伝えて大きなホールに恒を残し、すぐに来るだろうからここで以御を待っていろと言って、織図は陰階に帰っていった。
恒は神階の門から出入りを繰り返す使徒たちを見送りながら、少し待った。
大勢の使徒達が往来していたが、それほど周囲を捜さなくとも誰が以御なのかすぐにわかる。
織図のいう通り、以御はベルバラのオスカルのように端正だが派手な使徒だった。
睫毛ってそんなに長い必要があるのかと思うほど長いし、腰もそんなに高い必要があるのかと思う程高い位置にある。いかにも軍人らしく、むきだしの腕は筋肉に覆われ、展戦輪の御璽を黒い刺青で彫り上げている。
神階の認めた軍神の最高位使徒の証だ。御璽の下には登録番号もついている。
膝丈まであるコートを着ていて伊達な男だ。
彼は大股で軍靴をザクザクいわせながら近づいてきた。
「風岳村から来た藤堂 恒か。織図様の命で迎えに上がった。神籍登録の手続きをされるそうだな。ユージーンに代わってご案内する」
「はじめまして。藤堂 恒です。よろしくお願いします」
以御は隣に並んで、豪快に足音を立てながらザクザク歩き始めた。
使徒なら誰もが知る白翼のエリート、響 以御と子供の組み合わせで、自然と注目されたり後ろ指を差されたりする。恒は恥ずかしくて小さくなって俯いた。
「ユージーンと師弟契約を結んだそうだから、執務室の空いた部屋を用意したが」
「でも夜は実家に帰りますし、泊まったりしないのでお構いなく」
恒は陽階の廊下を歩いているというだけでもう感無量である。
天井は見えないほど高く、そして廊下の幅も恒の学校の校庭ほど広い。
恒はまず大浴場に案内され、禊を兼ねて沐浴をするようにと強制された。
白づくめの服を着た使徒に案内され、服を脱ぐと、以御と一緒に巨大な浴場の扉を開く。
中には誰もいなかった。
何もかもが無駄に広い。
ローマ風のだだっぴろく小奇麗な大理石に囲まれた風呂に、獅子の口から湯が注がれていた。
僅かだが、独特なハーブの匂いがする。いつもユージーンの体から香るハーブの匂いだ。
さてはユージーンはここに入っていたのだな、と恒は思う。
「陽階に入るとまず、ここで生物階で被った穢れを流し清める。陽階神は非常に穢れを嫌うからな。生物階にいた者はにおいですぐわかるらしい」
恒は服を脱いで、シャワーで体を流しローマ風呂に飛び込む。
「うわっ!! 水風呂じゃないですか」
後からきた以御が、何事もなく水風呂の中に首まで浸る。以御が満足そうなので、恒は不満をいえなかった。
「どうかしたか?」
「いえ、何でもありません」
なるほど、ユージーンはシャワーを浴びるにも湯を使わない。神々は水で沐浴をするのだ。
恒も冷たいのを我慢して首まで浸る。実家の五右衛門風呂のあの何ともいえない温かさが恋しい。
以御は使徒用の浴槽に入っている。浴室は同じだが、入っていい浴槽が神と使徒によって分けられているのだそうだ。何故かはわからない。
神の浴槽の方がはるかに小さい、生物階に降下するのは神より使徒の方が多いからだ。
「ところで何故下を隠すんだ?」
「え? あなたも隠してるじゃないですか」
以御は突然、そんなことを言い出した。
タオルを持って入って下を隠していたが、以御も同じようにしているのにそんな指摘をする。
浴槽にタオルはつけていないし、何故そんな指摘をされなければならないのだろう。
「俺は”ある”から隠すがね。神には”ない”だろう? 男神も女神も、誰も隠さんぞ。何があるのか逆に気になる」
「俺、アレありますけど……」
「”ある”だと? なるほど、人間の形質が強く出てるな。精通はあったのか?」
恒は真っ赤になってしまった。
神はいないようだが、浴場には先ほど入ってきた使徒が数名いる。
以御は周囲に耳がある中で、どうしてそんな事を口に出すのだろう。
使徒は完全な男性と女性の別があるが、神には性別もなく性器もないものだ。
それで性器を持つ恒を以御は珍しがっているのだろう。
いきなり精通の話になってしまったが、恒はまだ経験していなかった。
「まだありません」
「10歳にしては大きな身体をしているのに、精通はまだなのか。生殖能力はないかもしれないな」
以御はさりげなくそう言ったが、恒はショックだった。
そういえば人間の女の子を好きになった事もない。
不能だから女の子に興味がもてないのだろうか、だが自分が人と結婚をして子供をつくるようなイメージは想像できない。
え、俺一生独身てこと?
そんな事を悩みながら恒は身体を洗おうとして石鹸を探している。
「石鹸はないんですか」
「身体は洗わなくていい。この聖水に浸るだけで穢れは落ちるし、傷も癒してくれる」
たしかに普通の水とは違うような気もするが、風呂に入ればやはり身体を洗いたくなるものだ。
織図が、陽階神は儀礼に縛られていると言っていたがその通りだと思った。
以御の背中を見て思ったのだが、以御は傷だらけだ。
古傷で背中が覆い尽くされている。
戦争を司り戦地にも赴く軍神下使徒は激務なのだろうな、と恒は少しだけ以御を尊敬した。
以御は風呂から上がる前に、恒だけ最後にここに入ってから出るのだという。
「陽階神指定のハーブだ。この香りのする神は、すべて陽階神だと思っていい」
その浴槽にはハーブのエキスを抽出した液体が入っており、いつもユージーンの身体からかおるよい芳香がした。
当然以御はそれには入らなかった。
沐浴を済ませ身体を拭きながら脱衣所に入ると、いつの間にか恒のロッカーの上に白い服がたたんでバスケットの中に置いてあった。
「それが常用する白衣だ。非位神は白衣の着用が義務付けられている」
いつもユージーンが眠る時やくつろいでいる時に着ている白衣がこれだ。
肩には紋章も何もついていない、そして天衣無縫というべく縫い目のない白い装束だった。
袖を通すと、薄い割には意外と保温性に優れており、沐浴で冷え切った体を温めてくれる。
恒の着付けが間違っていたらしく、以御は律儀に直してくれた。
ロッカーに自分の着ていたものをしまって鍵をかけると、フードをつけて顔の見えない公務員に案内されて法務局に入った。
法務局はひたすらだだっ広く豪華なつくりをしていた。すべて大理石作りなのだと言っているが、とりあえず廊下は先が見えない。
一体どれほどの資源を使ってこの天宮を建設したのだろう、と恒は圧倒されてしまう。
至る所にダイヤで出来た彫刻や金をふんだんに使った置物、壁掛けなどが惜しげもなく飾られていた。
これだけあっさりと高価な調度品が並べられていると、泥棒だって盗る気もうせてくるだろうに。
法務局は3課が特に混雑していて、その課は使徒の人事異動に関わる部署なのだと教えてくれた。
確かに青衣を着た者たちが、手続きを踏む為にところ狭しと並んでいる。
その中には荻号の御璽である真空斑の紋が打ってある鞄を持っている者も不景気な顔をして数名が並んでいた。
4000万名の陰階使徒達がリストラになったそうだから、彼の使徒達も大変なのだろう。
恒が登録を行うのは法務局の7課だったが、この部署はがら空きで、並んでいる者も誰もいなかった。
窓口の係員も、相手がいないのを見越していたのか、3課にまわされて働いていた。
「これは長いぞ」
以御がぶつぶつ文句を言いながら呼び鈴を押すと、10分ほどしてようやくひとり、疲れた顔をしてやってきた。
公務員は疲れきった顔をした若い女であったが、以御の顔を見ると背筋を伸ばし途端に態度が一変した。
以御は名の通った使徒であるらしい。
「はい、何の用件でしょう」
以御はよほど顔を利かせているのか、彼女は明らかに萎縮していた。
「生物階で見つかった少年神を連れてきた。早いところ神籍取得の手続きを始めてくれ」
「生物階で神が? 本当ですか? 神々は神階で誕生するものです、生物階で見つかるとは……それに出生数と死亡数が食い違います」
少年は10歳ほどに見えるが、もしも彼が神だとすると10年前に”神が一柱死んだが、代わりに誰も誕生しなかった”という事実がなければならない。
だがそういったことは一度もなかった。
一柱の神が崩御すると必ず一柱の赤子が見つかった。
そのルールを破って生まれてきた赤子ということになる。不審そうに、彼女は尋ね返した。
気の短い以御は舌打ちをして、カウンターを叩いた。
「実際に見つかったんだ、ゴタゴタ言わず早くしてくれ」
まず恒は130枚にも及ぶ書類を渡され、神語で書かれてある為すべては読めなかったが以御がいちいち内容を読んでくれたので、恒は納得してサインをした。
それだけ終えると写真付きの認定証をもらい、医務室のような場所で何をするかも教えられずに、まず麻酔を打つかどうかだけを尋ねられた。
「何をするんですか?」
教えてくれそうになかったので、以御にたずねる。
「肩にIDを刻むんだ。それを麻酔なしで彫るか、麻酔をかけるかを決めろといってる」
「え、いきなり御璽とか彫るんですか? 刺青は母さんに怒られます……」
「これは識別のための標識で、御璽ではない透明なインクで彫られるから母親にはばれんさ」
「そうですか」
恒がぐずついていたので、麻酔もなく彫られることとなってしまった。
何と、IDをラベルする薬品がとんでもなく染みるのだ。痛いのはどちらかというと彫られる時ではなく、注入された薬品が身体になじむまでが痛いのだった。
左肩がじんじんと熱を持ち、腫れてくるが、担当の若い医者はそれでも構わずにラベルを続けた。
「何しろ数千年も消えてはならないので、厳重にラベルが施されるんですよ。あと5回同じところを彫りますね」
しまった、痛みに引き裂かれるようだ。
ようやく標識が終わり恒は大理石のベンチに以御と腰掛けて片目を涙に目を潤ませながら次の呼び出しを待っていた。あれほど苦労して彫ったのに、透明なので何となく彫りでがない。
以御がID用のブラックライトを貸してくれると、恒の肩には紫色のインクで、P32183HP05と彫られているのが見えた。
次の呼び出しで行われたのは初の神体検査だ。
見た目は少し大型のMRIのような装置に入れられて、トンネルの中で30分間測定をされる。
トンネル内部は静かで、恒は測定をされている間にうとうとと寝てしまっていた。
30分後、藤堂 恒の神体状況が初めて明らかとなった。
本名/置換名 藤堂 恒
経年: 10
マインドギャップ(MGP): 7層
フィジカルギャップ(PGP): 2層
標準偏差(STD): 48
Physical Level: 139
体組成(CMP): 異常(人体に酷似する)
血液組成(BCP): 異常(人血A型RH-に酷似する)
アトモスフィア放散量(ATR): 9mg/sec
アトモスフィア組成(ATC): Positive
「……これでは神というより人に近いです」
技官が正直な感想を漏らした。
血液検査や体組成が引っかかった。
半分は人間なのだから神として異常だと言われるのは仕方がないことだ。
「だって、DNAがあるんですよ? 性別もありますし」
「だがこの子は確かに神だ。人間がアトモスフィアを持っているか? マインドギャップにしてもそうだ」
人間でマインドギャップを7層も持っている10歳の少年は存在しない。
人間の形質も神の形質もどちらも強く出ている。
最近神階で発見されたレイア=メーテールは女性の女神で一風変わっていたが、技官はこれほどまでに変わった神を見たことがない。
だが慢性的に神が不足している神階の現状では、使徒を養うためにも今は一柱でも神が増えるとありがたかったので、結局神籍登録をすることとなった。
「そうですね。では、神籍登録しておきます。陰階神となるでしょう」
「え? 陰階神ですか?」
恒は思わず目をまるくした。
織図も荻号もユージーンも、恒は将来陽階神になるだろうと言っていたので、陽階神となるとばかり思っていたからだ。
しかし技官はデータを見ながら事務的で客観的な言葉をかけてくる。
「そうですよ。陽階神となるには厳しい条件があります。外見上や性格、アトモスフィアは陽階神として相応しいようですが人間の血をひく神を陽階神として認定するわけにはまいりません。ただちにアカデミーに入学してください」
「何故だ? アトモスフィアの組成にポジティブ(陽階神)と出ているだろ」
「ですが、陽階神として登録するわけにはまいりません」
それは困る。
恒は正直言って陰階神でも陽階神でもどちらでもいい。
だが、ユージーンは陽階神で、ユージーンの弟子にしてもらわなければ困るのだ。
陰階神として登録してしまうと、ユージーンとの師弟契約は無効となり、アカデミーに即刻入学しなければならない。
「しかし、この子はもうユージーンと師弟契約を結んでいるんだ」
「師弟契約を?」
技官は仕方なく書類の陽階神の欄に○をつけた。
ユージーンはいまや神階を動かす存在となっている。
いずれ至極位として即位する可能性もあることから、下手なことをしてユージーンの反感をかいたくないというのが正直なところだ。
恒は最初の最初から神として異常だとされ、検査に引っかかったことを懸念した。
この先もしも陽階神として認められなくなって陰階神に登録を切り替えられてしまったらユージーンの弟子にしてもらえず、アカデミーで100年の刑だ。
「これは仮登録みたいなものだからな。晴れて陽階神となった気分はどうだ」
心配そうに俯く恒を、以御は明るく元気付けた。
一柱の神と使徒は軍神の執務室に戻る。
「正直、あまり実感ないです。生物階は大変な事になっています、今は神としてどうこう考えられません。生物階を何とかしないと。だから神階がどう動いているのか、直接神々のお話を聞きたいと思ってここに来たんです。今日の全体会議、傍聴席で聴いていいですか」
以御はユージーンから、恒の話を聞いていた。
子供ながらに彼は世界のことを考えているのだと。
極陽の息子として創られた薄幸の少年は三年後、抗-絶対不及者抗体としての役目を背負っている。
以御は謙虚で慎ましい恒を、好ましく思った。
「若いのにしっかりして感心だ。俺が受付係に事情を説明してやるから、傍聴は構わんだろう。直接会議場に行こう。あと30分で始まる」
*
以御は議場の入り口に恒を案内すると、恒の首にネックレス状のプレートを与えた。
子供の神が神階内部をうろつくことはないので、恒の姿はとにかく目立つ。
ユージーンの正式に認めた弟子で、アカデミーから脱走してきた少年神ではないと証明できるものが必要なのだそうだ。
プレートは金属のゲストカードのような形状だったが、Positive 7 APPDと神語で刻印されていた。
その下には小さなフォントで、ずらずらと神語の刻印がされていた。
ユージーンが弟子として認めた者であると記述されているのだそうだ。
以御はユージーンと恒が師弟契約を結んだと聞き、認証プレートを発行し持ってきた。
陰陽階位神臨時議会、全200柱の位神が一同に会する臨時議会が開催された。
欠員の出た闇神と倫理神の後任は決まっていないので正確には198柱が参会しなければならなかった。
議場は陽階にある巨大なホールで、議席は同心円上に二重螺旋構造を取って空中に配置され、太極図を模したデザインだ。
陽階神はまっ暗闇の議場に入ると、空中に浮かぶ席に飛翔して跳び上がり、各々の議席に青いランプを点し、陰階神は緑のランプを点すことで緑と青の相補的二重螺旋が形成されてゆく。
螺旋が途切れる場所が欠席というわけだ。
天井の電光掲示板に続々と神々の出席状況と生物階のニュースが赤い文字で表示されている。
自然とユージーンの席に注目が集まるが定時になっても、Positive‐7の議席にランプがつく事はなかった。
傍聴席に案内された恒は第二種公務員である他の神々に物珍しそうに見られながら、行儀よく座っていた。
座っていると、神階では珍しい少年神の傍聴者にマインドブレイクをかけてくる神もいたが、7層もある恒のマインドギャップを不審に思ったのか恐れたのか、話しかけてこようとはしなかった。
すれ違う神々のうちほとんどが、マインドブレイクをかけてこようとした。
神々は言葉ではなくマインドブレイクによって腹の探り合いをするとは本当だった。
恒は何事にも先駆けてマインドギャップを作る訓練をしておいてよかったと、荻号と織図に感謝した。
恒は極陽がようやく議場に入ったのを目ざとく見つけた。
やがて定時になったので、議長である極陽が開会の宣言をする。
恒ははばかりもなく、開会を宣言する主神の姿を真っ直ぐに見上げた。
彼は青い光の輪にアトモスフィアを吸収され続けて神階を維持しているのだそうだ。
主神の御璽の刻印された白衣を纏い、議長席を照らすライトに浮かび上がる圧倒的な姿は、まさに神階の長に相応しい堂々たるものだった。
時代が時代なら、人々の信仰の対象となるべき者だ。恒は心を落ち着かせ、ゆっくりと深呼吸をした。
極陽は遥か足元の暗い傍聴席を、振り返るそぶりもない。だが恒は遥か下から、心の中で実の父親に呼びかけた。
心の声は届かないと、知ってはいても。
俺はここにいる、ここまで来たんだ――。