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【完結済】INVISIBLE-インヴィジブル-(EP1)  作者: 高山 理図
第一節  The mystery of INVISIBLE and the story of Ground Zero
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第1節 第38話 Positive States member, Rhia Mater

 織図は空山という女をどう料理すれば食えるようになるのかと思案する。

 恒は煮たり焼いたり醤油をつければ食えると判断したのだろうか。

 彼はまだ10歳だというのに運命に翻弄されているように見えながらその実いつも冷静で、チャンスを見逃したりはしない。

 空山は開き直った顔をしている。


「じゃあ、どう協力すればいいか聞かせて。君、小学校行ってるでしょう? 小学生の作文形式で考えてみなよ、いつ、どこで、何が、どうしたから困ってるの? 先生あのねとかで書かなかった?」


 不登校児だった恒は先生あのねや作文など書いた事もない。

 だが恒は、空山の理路整然とした思考回路が気に入った。

 この女は根っからの理系人間だ。

 彼女の言動こそ奇妙に思ったが、多少恒と共通する部分がある。損得勘定は捨てて臨む。


「俺達は朱音が研究対象となっている事を危惧しています。朱音は自分が何者なのかを知りませんし俺たちも教えたくありません。今は普通の友達として接しています」

「そうだと思ったー。あの子自覚がなさそうなんだもんねぇ」


 空山は僅かな間だが朱音の行動を見て、彼女の性格を察知していたようだ。

 おちょくったような言葉に織図がまたカチンときた彼はODFを解除して用水路の石垣の上に腰掛けている。

 長いローブのような黒衣についた黒い真珠を連ねた腰紐の端を、おもむろに空山がいじくりはじめた。

 直径2cm以上の本物の黒真珠が何百個もついているのに目がくらんで、彼女は端から一個ずつ外そうとしている、その手を織図がピシッと叩く。

 一個ぐらいいいじゃないの、ケチと言いながら押し合いへし合いしている。


 畏怖と権威の象徴でしかない死神とこうやってふざけあっているのも、世界中を捜しても空山ぐらいしかいないだろう。

 織図はたじたじ、といった様子だ。


「恒、この女はどうも信用ならん。不用意に話すな」


 織図をまあまあ、となだめて恒は真剣に空山に向き直った。


「あなたに最初にお願いしたいのは、朱音の調査を研究員たちに止めさせる事です。それは秘密を知られたくないという前に、朱音を人間として普通に暮らさせてあげたいからです。朱音の家から全ての盗聴器とカメラを外してください、見返りに俺が研究に協力します。神だと自覚のある俺の方が、研究対象としては価値があるでしょう」


 恒は突然、先ほどとまったく逆の要求を出した。

 これには空山も裏があるのではと疑ってしまう。

 今度は一体何を、企んでいるのかと。

 恒がただで研究に協力をするとは思えない。

 とんでもない代償を押し付けてくるに違いない。


「えー、もう研究対象として見てないってばー」

「それでは困るんです。あなたはよくても、研究者達が朱音を付け回すのでは。あなたはこれまで通り組織の研究者として研究に加わっていて下さい。そして朱音ではなく俺に目を向けさせてください」


 空山は恒の申し出に、目を丸くして驚く。

 空山はIEIIO所長である母親の権限を利用して風岳から早瀬達の研究班を撤退させるつもりだった。

 恒はその作戦に同意しているものだとばかり思っていた。

 恒の意図がわからない。


「どうしてそんな事を? 意味不明なんだけど」

「おい、恒! どっちかってとお前に目がいく方がまずいだろ! ちょっと脅迫すりゃあなあ……」

「俺ならうまく立ち回れます。それと大切な事を思い出しました」

「なんだと?」


 彼女は話を聞きながらも、織図をいじくり回す事に余念がない。

 織図の肩には金色の色素で彫り込まれた御璽、黒百合が輝いている。

 地球上にはない金色の刺青が珍しいらしく、ぐりぐりと指先でいじくりまわしていた。

 時々指を見て、金色の色素が指につかないので、彫り物であると驚いてまた擦っている。

 恒よりは完全な神である織図の方に興味があるようだ。

 ドレッドヘアの上に幽かに見える光環にも手を伸ばして、それを掴もうとしている。

 織図も彼女の行動を見て、ピンと勘付いた。

 こいつは恒よりも、自分に興味があるらしい。まさにそうだ。


「ちょっとー? 神様たちー? それじゃ困るよ。協力するとは言ったけど何か悪だくみをしてるんなら人間代表として見逃せないしさぁ?」

「お前が勝手に人間を代表するな。んで触るな! ペタペタ触りやがって」

「空山さん。俺達は風岳村を守りたいだけなんです。先生あのねの形式で言うと、(いつ)3年後、(どこで)この村で、(何が)何が起こるかわかりません。大爆発が起きるかもしれません。起きないかもしれません、起こった場合には想像もつかないエネルギーが放出されます。それを食い止めたいんです」


 彼は3年後に予定されたINVISIBLEの収束を、爆発という表現で簡略化した。

 どう説明していいのか分からなかったからだ。

 恒の話を聞いて、織図の顔色が変わる。

 こいつは何の話をおっぱじめやがったんだ、と。

 INVISIBLE収束の件、いやそもそもINVISIBLEの存在は決して生物階に漏れてはならない機密事項だ。

 素性も怪しい信用のおけない女に、口軽く明かしていい事柄ではない。

 創世者の存在。

 そんな事が明かされてしまったら、宗教、科学、哲学の枠組みを超えて生物階を大混乱に陥しめる。

 やはり織図は後ほど空山にマインドコントロールをかけることに決めた。

 INVISIBLEの話は、決して風岳村から持ち出してはならない。


「はぁ? 爆発? 何の?」

「あなたの人脈を駆使してこの村に原子力発電所を作り、住民を立ち退きにしてくれませんか? そして世界中の科学技術力を振り絞り、そのエネルギーの拡散を押さえ込む。それは出来ますか?」


 恒はINVISIBLE収束の話を空山に伝える代わりに、この村から始まる大災厄を物理的に防ぐことができないかと打診する。

 3年後に起こる大災厄の荒唐無稽な話を裏付け、話を真剣に聞いてもらうため、恒が自身が人とは異なる存在である神なのだと明かし、国の中枢を動かし備えさせなければならないと考えたからだ。

 もはやこの大問題は、神々のみで対処できる問題ではない。

 空山の言葉によって恒は気付かされたのだ。

 人が神々に手を貸すというのなら……人間だって無力ではない筈だ。

 人間だって守られるばかりではない、必ず出来る事があると、恒は信じたかった。

 神々の科学技術力に、確かに人のそれは劣るだろう。

 だが技術協力をすれば不可能ではない。


 INVISIBLEのエネルギーを吸収しうるような素材を共同開発だってできるのではないか。

 神々は霊的な存在ではなく同じ宇宙に住む、人とは異なる一つの生物である。

 その証明さえ出来れば。同じ脅威に立ち向かうため手を携えあう事だってできるだろう。


「おい、恒。無茶言うな! それにINVISIBLEの齎す潜在エネルギーを原子力程度に考えるな! それに、元素を創ったのもINVISIBLEだ。どんな素材を開発して封じ込めようとしても、何の意味も成さん。豆腐のように分解されちまうだろう。ちっとはよく考えろ! 勝手な事をすれば生物階不可侵の政策をとる主神の粛正を喰らうぞ」

「でも何も備えないよりましです。父は生物階に対して無責任過ぎます。そんな父に、付き合う必要はないと思います。こっちは命がかかってるんです、粛正でも何でも受けて立ちます」

「インビジブルってどんなもの? 爆発するって爆弾かなんか? そのINVISIBLEって、地震みたいに避けられない天災? 何にしても3年後じゃ間に合わないよ、原発ってそんな簡単に作れるもんじゃないし。まず申請と認可がいるでしょー? あれってたしか文部科学省じゃなくって経済産業省の管轄だし。やっとこさ着工しても完成して運転までは5年はかかるよ? それにこの辺には島根原発があるでしょ? 電力足りてるし認可下りないと思うなー。まあまず住民も反対するだろうし」


 空山は意外に常識的だ。

 確かに恒もニュースを見ていると、原発を抱える地域の住民がいかに原発の存在に神経質になっているかわかる。

 それに島根原発からいくらも離れていないこの村に二基目の原発を作ろうとするなど、住民感情の許すものではない。

 いくら空山が文部科学省に太いパイプを持っていたとしても、認可をさせるのは経済産業省なのだから殆ど実行は不可能だ。


「俺もユージーン先生もこれまでいかに他の人達を巻き込まずにINVISIBLEの脅威に抗するかを考えるべきなんだと思っていました。でもこの大災厄は、よく考えればこの村が被災地となるんです。それに備える段階に入らなければ。何もしなければ犠牲がどれだけ出るか考えると」

「お前こそよく考えろ。INVISIBLEは三階の創世者だ。どれだけ頑丈な容器に閉じ込めたって、どうもならんのだよ。生物階を大混乱に落とし入れる方がよほど厄介だ」


 織図の言葉は的を射ていた。

 INVISIBLEのエネルギー放散は人間の科学力でどうにかなる問題ではない。

 生半可に備えても何の意味も成さないのだ。

 人間の科学力でそれがどうこうなるものなら20万年前、現在の神々よりよほど力を持っていた神々の総個体数がわずか1/1000に削り込まれるという大災厄を許しはしなかっただろう。

 極陽はINVISIBLEに対抗するため、恒に何かをさせようとしている。

 極陽が何をさせようとしているのか、それがINVISIBLEに対して決定的な措置となるものなのか。織図には想像もつかない。


「ならどうすればいいですか? 何か妙案でも? 神階が何とかしてくれますか? 確かにその瞬間が3年後ではない可能性だってあります、INVISIBLEが収束するのかどうかだって分かりません。でも3年後に収束するという予知が外れるよう祈ったり、願ったりするだけしかできないなんて、神として恥ずかしいです。空山さん、俺は研究対象にされても構いません。ただ、必ず実現させて欲しいんです」

「気が早いんじゃない? 何か大変な事になるってのはわかるけど……」


 織図は恒の話を黙って聞いて、顎髭をいじくりまわす。

 瞳を閉じて、何か考えているようだった。

 長い沈黙の末、織図は首をふった。 


「無理だな、恒。お前じゃ無理だ」

「でも……! やるしかないじゃないですか!」

「万が一やるとしたら、だ。お前は完全なる神じゃねえだろ。人間の前に神だと名乗り出て徹底的に追及をされるのは俺が引き受けよう。使徒の主であるという証拠は、”使徒を生かす事ができるか”という事が必須となるだろう。アトモスフィアの殆どないお前が成体の使徒を生かし続けるのは不可能だ。お前が神だと誰が信用するものか。それにお前は人間でもある、お前には薬物が効くしな」


 恒は人間であるという足枷が常に付きまとっている。

 それがよい場面も、悪い場面もある。

 手術や病気になった際にはよい場面もあるのだが、恒には麻酔などのあらゆる薬物が効く。

 上島から熱さましや咳止めなどをもらって服用した時も、恒の神体には作用したし、インフルエンザなどの各種予防接種も有効だった。

 だが研究機関に研究対象として身を投げ打つとしたら薬剤耐性を調査される際に大きなリスクでしかない。


「どういう事ですか?」

「たとえ薬漬けにされても俺なら平気だ、薬物など効かんしヤバくなったら転移で逃げる。だがお前にはあらゆる薬物が効いてしまう、薬物実験をされてラリったらひとたまりもねえぞ」

「ちょっとー、そんな事普通するー? いくら研究のためだって、最近ではCTやMRIなんかの画像解析も発達してるしー、一昔前のマッドサイエンティストみたいなイメージで話進めないでくれるー?」


 空山がまた人間を代表して猛抗議する。

 確かに現在の科学技術では貴重な研究対象を傷つけずに内部構造や神体の組成を調べる事はできるだろう。

 解剖をして対象を死に至らしめて調べるような事はあり得ないと、空山は主張するのもわかる。

 それに神の正当性を証明する事よりはるか重要なのは、あるのだとしたら3年後の脅威に備えること。

 神々と技術協力をして、何よりも地球の庇護に全力を注がなければならない。


「いずれにしてもだ、完全なる神を差し出すというなら俺の役目だろう」

「織図さん、でも公務とか……あなたは枢軸ですし」

「俺は特殊任務従事者で、法務局の監査対象外なんだよ。何年もじゃなければ、発覚することもあるまい。だが、正直御免被りたい役回りだな……」


 織図は恒を少しでも危険な目にあわせたくはなかった。

 何故なら、荻号とこんな約束をしたからだ。


”恒は不完全でありながら、完全な存在なんだ。あの子の代わりは、三階にはどこにもいない。あの子は唯一の希望だ。だからどんな事があっても、恒を守ってやってくれ”


 恒の不完全性は、議論するまでもなかった。

 神としても人としても半人前。

 だがその可能性は未知数だと荻号は強調していた。

 彼は神と人の性質を持っている。

 事象の壁に隔てられ物理学的に決して交わる事のなかった、そして生物学的にも生殖能力の全くない神と、精子を得なければ生殖能力を持たない人間の女性との間に結ばれた、神階と生物階の架け橋となるべく創られた子なのだと。

 この世界は創世者によって支配されている。

 創世者は神階と生物階を完全に異なる世界として隔てていた。

 だとしたら創世者は神と人が交わることを、予期すらしなかったに違いない。

 それが希望なのだと荻号は熱っぽく言った。


 創世者によって精巧に積み上げられた秩序を乱す存在。

 複雑系理論において予測不能な振る舞いをする初期値。


 たった一つの揺らぎを持つ初期値は、あらゆる結果を覆す。

 北京でたった一羽の蝶々の羽ばたきが、まわりまわってシカゴでハリケーンを呼ぶという現象(バタフライ効果)が、恒によってもたらされるのだという。

 荻号は煙草を紙に巻きながら、こう付け加えた。


”この世界には絶対、などという事はない。創世者に勝てないという結果は、予め提示されているものではない……俺はそう信じたいんだ”


 万物を創り出した創世者に剋つなどと、考えてみたこともなかった。

 神々も含め、所詮自分達は創世者の創作物だ。

 勝てるはずがないように、創られているに違いない。

 だが織図は荒唐無稽ともいえるその勝算を、少しだけ信じてみようかと思った。


 彼らしくもない、一貫性のない考えだった。



 その頃神階では、生後一週間近くを経てジーザス=クライストの死と引き換えに誕生した女神、辻井 芽羽(つじい めう)の、初の神体検査が実施されることとなった。

 薄い金色の産毛が、くるくるとかわいらしくつむじを作っている。

 育児係の使徒たちは、神階に久しぶりに誕生した女神にぞっこんだ。


 色白で朗らかにきゃっきゃっと笑う人気者は、瞳の色は薄いグリーンで、もうぱっちりと開いてくっきり二重だ。

 検査台の上にベルトで固定され、多くの使徒たちに手を振って見送られて、検査装置の中に入っていった。


 総合生体解析装置ホールボディアナライザ、生物階でいうところのMRIのような装置の中に入れられて、30分も待てば全ての生体情報の解析結果が出る。

 アトモスフィアの色、質、血液組成や神体の内部構造検査などなど。

 アトモスフィアの質によっておおかた陰階神に相応しいか、陽階神に相応しいかが決定する。

 解析装置の待合室では、陰階の使徒と陽階の使徒が頭をつき合わせるようにしてにらみ合っている。

 結果が出しだい、各々の階につれて帰るためだ。

 ナーバスになっているのか、小競り合いも起こっている。


「今度こそ、陽階神だと思います!」


 陽階使徒がそう言えば


「陽階神は陰階より多いんだから、今度も陰階神だと思う」


 陰階使徒も譲らない。


「ジーザスさまの代わりに生まれて陽階で発見された御子ですから! 陽階が連れて帰ります!」

「陰階がどれだけ大変だと思っているんですか! 荻号様の失踪で、4000万名の使徒がリストラになったんですよ! 陰階のものです!」


 一触即発の気まずい空気が流れていた。

 陰階は特に荻号の失踪とともに大量のリストラが確定していた。

 陽階神より人員の少ない陰階神に、4000万名ものリストラされた使徒を割り当てる事など無理に近かった。

 神一柱につける使徒の数はもうパンクしてしまうほどにギリギリの定員だ。

 これ以上定員を割り当てると、位神のアトモスフィアが枯渇して公務に影響してしまう。

 この女神がどれほどの使徒を養う事ができるかはわからないが、大切な給料を支払ってくれるであろう未来の女神を、両階の使徒とも一柱でも多く獲得しておきたかった。

 そうこうしている間に、待ちに待った結果を持って技官の使徒がやってきた。


「どっちでしたか?」

「た、大変です……」

「陰階でしたか?!」


 初老の技官使徒は、震える手でデータを提示した。

 両階の使徒たちはそれを奪い合うように見ているが、実際のところ専門的な知識などないので詳細な結果がわからない。

 技官の使徒は口がもつれて、なかなか結果が言い出せない。

 陰階の使徒も陽階の使徒も、技官の背をさすって結果を待った。


「陽階でした。ですがこの女神は、生殖能力を持っています。女性なんです、子宮があって、卵巣があって…完全なる女性なんですよ!」


 陰階使徒も陽階使徒も、結果を受け止めきれず、一同は絶句した。

 神階に有史以来初めて、生殖能力を持つ完全なる女性が生まれたという結果が告げられたのだ。

 彼女は神階に、何を齎すのか……誰にもわからない。


 アルティメイト・オブ・ノーボディはまた予測不可能な初期値を投げ込んできたのだ――。



 空山はそろそろ朱音の見張りのシフト交代の時間になるが、自分は朱音の見張りに戻っていいのかと尋ねた。

 織図は今急いで結論を出すべきではないと言って、空山といつでも連絡が取れるよう携帯の番号を交換した。

 織図は考える時間が欲しかったし、恒はどこからともなくメールを寄越す荻号の意見を聞きたいと言った。


 二柱はメファイストフェレスに会う予定も忘れ、仲良く瞬間移動で藤堂家に戻った。

 藤堂家の玄関にまず恒が瞬間移動をし、すぐ後に追跡転移で織図がやってくる。

 恒は最近できるようになったばかりの瞬間移動がまだそれほど上手ではなくて、玄関に瞬間移動をすると必ずひざを上がり口の段差にぶつけてしまうので青あざがたえない。

 盲目の織図は必ず誰かの後からでなければ追跡転移が使えないので、膝をぶつけて痛がっているところに華麗に転移をしてきて恒の有様を笑うのだ。

 二柱が玄関に入ったなり、固定電話がけたたましく鳴った。

 恒は小学生にしては長い手を伸ばして靴を履いたまま電話台からひょいと受話器を取る。

 織図は律義に靴を脱ぎ揃えて先に家の中にあがっていった。


「もしもし、恒? 妾よ。明日予定って、ないでしょ?」


 空山のおかげですっかりメファイストフェレスの事を忘れていたところに、丁度彼女から電話がかかってきた。

 暇だと決めつけていきなり用件を切り出す単刀直入っぷりは健在だ。

 彼女の断定するよう、確かに明日の予定はないが、腰を据えて考えるべき事はある。

 答えに困っているとメファイストフェレスはじれったそうにもう、と言って話を進めた。


「主が、お前をお呼びなの。明日の昼、広岡市内でランチをしながらお話ししたい事があるそうよ」

「ユージーンさんが降下されるんですか! お会いしたいです」

「ただし、妾とお前だけをお呼びなのよ。そこに誰かいる?」

「織図さんが……織図さんも一緒に行ってはいけませんか」

「織図って死神でしょ? 昼間は通常業務があって忙しいんじゃないの? それに織図は神階でいつでも主とお会いできるからわざわざ時間を取らせて呼びつけるのもどうかと思うけれど……まあ一応メールでお伺いしてみるわ。それまでは話さないでね」


 恒は、ユージーンに会いに行くと答えてから一旦メファイストフェレスの電話を切った。

 戒厳令の布かれている風岳村の村民である恒が、陰陽階神法に行動を束縛されているユージーンと会える機会など、これを逃せば殆どないに等しい。


 ユージーンには二つの用件がある。

 一つは、風岳村や生物階をINVISIBLEの脅威からどう守ればよいと思うか? 

 何か他によい案があるか、恒の考えた案をどう思うか、それらをを訊くことだ。

 いま一つはユージーンに弟子入りを乞う事だ。


 恒はよきアドバイザーを欲していた。

 どうやってか神階最強神となったユージーンを含め、枢軸である織図や全ての鍵を握っているとも思われるノーボディも重要なご意見番だ。

 茶の間に入ると、織図は勝手知ったる我が家のようにくつろいで端末を開いて麦茶を飲んでいた。


「荻号さんからのメール、また届いてるぞ。見てもいいか?」


 別に読まれて困るものはない。

 荻号と織図は何百年交流してきた親友だった、突然の失踪に戸惑っているのは一番近しい関係にあった織図だったのかもしれない。

 織図は戸惑いを決して表に出さずにどっしりと構えて、恒を安心させてくれる。

 見てはならないと言う権利などなかった。


------------------------------------------

送信者: no-body

宛先: wizwalter4@first.negative-states.ddmin.org

件名: 

内容: 三年後が楽しみだ

------------------------------------------ 


 織図は枢環を中指にはめた片手で、ゆっくりと口元を覆った。

 文面を見て何かを感じ取ったようだ。

 先に織図がメールを読んだのだが、異変を察した恒も横から追って読む。


 内容はたった一言だけだ。


 荻号らしい茶目っ気のある言葉も、必ずつけていた件名もない。

 うっかり慌てて送信してしまったのだろうか。

 それとも織図がいるので、様子が違うと思ったのだろうか。


「なあ、恒……違うぞ。こりゃ、荻号さんからのメールじゃねぇぞ」

「……!」

「三年後って何だ!」

「嘘……じゃあ、このメールは何ですか! ってまさか……」


 INVISIBLEから送られたメールなのか……? 

 恒は無意識に触れた織図の黒衣を握り締めた。

 送信時刻はほんの10分前だ。……何という事だ! 

 No-bodyがどこででも見ていると言ったように、INVISIBLEがまさに今、この端末に干渉してきている! 

 荻号がそう言ったように、後ろを振り向いて、何も見えなかったらそれがINVISIBLEなのだろうか……目には見えないが、いる! 

 この狭い部屋の中に、何かがいる! 恒は後ろを振り向こうとして、織図に怒鳴られた。


「見るな!!」


 織図は感覚を研ぎ澄まし、アトモスフィアをレーダーのように縦横に展開させた。

 何もない。

 背後には何もいない筈だ……だが見られている。

 確かに、どこかから見られている! 織図は恒を前面に庇うように抱きかかえたまま、先に届いたメールを立て続けに全て開いた。

 内容を見ただけでは判断できなかった。

 どこからが荻号のメールで、どこからがINVISIBLEの送ってきたメールなのか? 

 身構えたまま数分が過ぎたが何も起こらず、メールもそれ以上は届かなかった。

 何も仕掛けてはこないのだろうか。

 INVISIBLEはただ観察しているだけだ。

 織図は警戒を解き、腕の中で震える事しかできない恒の頭を、優しく撫でて安心させる。


「恒。これは奴からの警告だ。全てを見ているのだと。俺達の手のうちは余さず見ているのだと、……単なる警告だ。何もしてはこないから安心しろ。向こうにその気があれば、とっくにやっているだろう。いずれにしろ今後荻号さんとの連絡は封じられたな。このルートは信用ならん。例え本物がメールを送ってきても、どうやって証明する。悪質なオレオレ詐欺の一種だな」


 織図は怖くないのだろうか。

 たった今、こんなにもあっけなく創世者との邂逅を果たしたというのに……。

 創世者の衣擦れの音を、すぐ背後に聞いた筈なのに……。

 オレオレ詐欺で冗談めかして片付けてしまう……これが常にINVISIBLEの襲来を想定して己を鍛え上げ、備えてきた陰階枢軸神の不動心だった。

 織図の鋼のような精神力を、恒の無力を見せ付けられた思いだ。

 一方の恒は情けないまでに体が硬直して何もできなかった。

 恐怖のあまり頭は真っ白になって思考停止していた!

 自分は何もできない口先だけの子供なのだと思い知らされる。

 恒は己を深く恥じた。


「何も恥じ入ることはない」


 織図は恒の不安を取り除くように父親のように抱きしめ、まだ震えの止まらない少年を慰める。

 織図は極限の緊張が続いた数分間、怯むことなく身を挺して守り続けていた。


「ごめんなさい。あなたの仰るとおりです、俺は……」

「誰だって怖いさ。俺だってそうだ」

「でも……INVISIBLEって、こんな事もしてくるんですか? INVISIBLEって物理学的エネルギーの集塊じゃなかったんですか? これではまるで、人格でもあるかのようです。本当に、INVISIBLEなんですか?」

「さあな……」


 敵はどこに、どれだけいるのか? 

 恒にはもうわからない。

 敵は一つではなかったのだろうか? 名前を付けて他と区別する事すらできない敵があとどれだけいるのだろうか? 

 それらは独立の存在なのか、元を正せば一つの存在なのか、彼らと同等の能力を持つ荻号は敵なのか味方なのか。

 そもそも先ほどのメールは本当に荻号のものだったのか、そんな事を考えるうちに錯乱してしまいそうだ。


 名も姿もないもの、それらは何にだって成りすます事ができる。

 例えばこうして話している織図がそれであったとしても、何の不思議もないのだ。

 全てを疑ううち何も信じられなくなる。

 たった一通のメールだけで恒の精神を崩壊させることも簡単だ。

 恒はとてもではないが戦えそうにない。


「一体何が、敵なんですか?! 何が真実なんですか!」


 何と戦うべきなのかすら見失ってしまいそうだった。

 固定電話が思い出したように鳴っている。

 それは誰かなのか……そうではない何者かからなのか。

 コールはどこに繋がっている? 電話に出るのは誰なのか? 

 何かが、自分を見ている……見られている。


 恒はおぞましさに耐えられず、遂に意識を失った。



 比企と別れ執務室でメファイストフェレスと連絡を取り合っていたユージーンは、メールの返事を待つ間にGL-Networkに接続しニュースを読んでいた。

 ジーザスの死と引き換えに生まれた女神の赤子の神体検査の結果が出た……彼女は完全なる生殖能力を持つ女性だと知る。

 神階は大混乱に陥っていた。

 なにしろ有史以来、神には見かけ上の性別はあれど、生殖能力を持ったものなどいなかったのだから……。

 ユージーンもこのニュースには驚いた。

 ユージーンは荻号と意識を共有していたとはいえ、荻号の脳の中で覚醒し続けていたわけではなかった。

 ノーボディが彼女を創りだした場面で、ユージーンの意識は眠らされていたのだろう。

 偶然にではなく故意にだ。

 女神の赤子。

 辻井 芽羽は最初の神体検査の結果を考慮して仮に陽階神として神籍が置かれ、レイア=メーテール(Rhia Mater)と名づけられた。


「レイアってのはギリシャ神話に登場する地母神だろ? で、メーテールというのは母ということだ。神々の母とは、またえらく格式の高い名前がついたものだ」

「……よい名前だな」


 ユージーンは趣のある名を気にいった。


「そうか? 古めかしいぞ?」


 通常業務の書類を持って執務室に入ってきた以御もニュースを読んだらしく。

 彼女の名前は、神階に所属する者なら誰が聞いても一風変わっていると思われたことだろう。

 現代の神には現代の神に相応しく現代の言語での通名がつくものだ。

 わざわざ古代ギリシャの神々になぞらえて名づけたというのだから、いかに神階にとってかの赤子が異端であり、また敬意を以って迎えられたことか。

 レイア=メーテールが神階最後の神の赤子となることを、彼等は知らないのだ。


 ユージーンは彼女の出生の秘蹟を知らないし、立ち会わせてもらえなかった。

 だがノーボディに教わった情報も少しはある。

 彼女はユージーンと同じくプライマリーコピーから誕生した女神だと。

 今となってはもう過去の話だが、ノーボディは彼(彼女)の胎内に神化全能性幹細胞(G-ES細胞)という細胞のようなものを擁いていた。

 それが全ての神々のルーツだ。

 それら大切な細胞を分裂、増殖させて神を創り出していた。

 生物階でいうと、つい去年開発されたばかりの再生医療におけるiPS技術の高度な応用というと分かりやすい。

 G-ES細胞は継代用(サブカルチャー)と、保管用(プライマリー)があるらしい。

 神々を誕生させる際には、継代用の細胞を使う。

 神が一柱死ぬごとに継代用の細胞を2のn乗で分裂させ、分裂させた片方から神を創る。

 それらは何百回、何千回と分裂を繰り返しコピーされた劣化コピーとなっている。

 継代用の細胞はただ、神という種を維持するためだけの用途に用いられている。

 継代を重ねエネルギーを分割してゆくことは、現代の神々の力が古の神々の力と比して著しく衰えてきた主な理由だ。

 だが保管用の細胞は、一度も分裂させずそのまま擁いている。

 この保管用のG-ES細胞には数に限りがあって、ノーボディの能力を分け与えた特別な細胞なのだそうだ。


 そしてG-ES細胞から誕生したプライマリーコピー(第一代コピー)の神には、あたかも名工が自らの手がけた名作に銘を穿つように、他と紛れる事のないよう目印をつけている。

 プライマリーのG-ES細胞から分化させ創出した神は全て、金色の毛髪を持つのだそうだ。

 あまりにもさり気ない目印であるために誰も気付かなかったようだが、赤、青、白、黒、茶、緑、銀、他にどんな色があろうとも、確かに神階にはユージーンを除いて金髪の神、女神は存在しなかった。

 ノーボディはなかなかプライマリーの細胞から神を誕生させたがらなかった。

 それは彼の傑作が、二度も絶対不及者としてINVISIBLEの器に選ばれてしまったからだ。

 INVISIBLEは、劣化コピーには目もくれない。本物志向でお目が高いというわけだ。

 自身も金色の毛髪を持ち、ノーボディの傑作であるプライマリーコピーとされるユージーンは、金髪翠眼であるレイアがどういう存在なのかすぐにわかった。

 また、ノーボディはプライマリーの細胞から神を誕生させることよりなお、禁忌としている事があった。


 それは、神々に生殖能力を持たせること。

 これは、仮に生殖能力を持つ者がINVISIBLEに選ばれて絶対不及者とされてしまった場合、生殖能力を利用して絶対不及者を量産しようとするものだと、アルティメイト・オブ・ノーボディにはわかりきっていたからだ。

 どうしたことか、INVISIBLEはノーボディのように生命を生み出すことができない。

 できないのか、やらないのか……とにかくINVISIBLEには”器”が必要だった。

 そしてINVISIBLEは、生殖能力のある”器”を選ぶに違いない。

 まるで癌細胞のように制限なく増殖を繰り返す絶対不及者……世界の終末は目に見えている。


 そこでアルティメイト・オブ・ノーボディは厳密に神々の個体数を管理し、彼の子らに生殖能力を持たせないと決めて徹底していた。

 そのために彼自身が、神々を生み出す為に生命力ともいえる原始のエネルギーを削り続け、INVISIBLEに力劣る事になろうとも……。


 プライマリーコピーであり、なおかつ生殖能力を持つ女神……。


 彼女には二つの禁忌が揃っている。

 ノーボディは彼女を最後に神を創らない。

 彼女が成体となって充分に成熟したら、INVISIBLEは生殖能力のないユージーンより彼女を器として選びたいに決まっている。

 ノーボディはみすみすそんなことを許しはしない。

 つまり3年後に全ての決着をつけるつもりなのだ。

 彼女は”器”としてではなく、INVISIBLEとの戦いに勝利した後に新たなる神と人の世を築き上げてゆくべき存在として残されるのだろう。

 ユージーンは以御が執務室を出ていったのを確認して、また瞑目をして彼に呼びかけてみた。


”彼女はわたしが去った後の世界を導く希望となるのでしょうか”


 今も傍にいるはずのノーボディは、今度は何も答えてはくれなかった。

 それでよいと彼は思った。



 メファイストフェレスは電話口に出たのが恒ではなく織図だった事に少々驚いたようだったが、気を取り直す。


「何? お前は遂に電話番までしてるの?」


 枢軸神である織図をお前呼ばわりするのも彼女ぐらいだ。

 しかも織図は7位であるユージーンよりたった1階位しか格下ではないというのに、メファイストフェレスは断固としてユージーンにしか敬意を表さない。

 彼女はユージーン個神に仕えているからだ。


「あいにくだが恒は寝ている」

「へぇ、そう。恒は明日広岡市内で主とお会いする事になったの、主が恒にお話ししたい事があるんですって。妾は恒の付き添いなのだけれど。お前も来るかしら? ランチぐらいなら、おごってやらないでもないわよ」

「何で俺が! ユージーンごときにだ! ″お会い″しなきゃなんねぇんだよ! 俺ぁ奴とは神階でいつでも会えるんだ、冗談じゃねえ」


 織図は機嫌が悪くなった。


「そ、じゃあ来ないのね? 別に構わないけれど。お昼の夏会席御膳、一人前の予約を取り消すだけよ」


 しかし織図はわざわざユージーンが生物階に降りてまで恒に話したいという内容を、聞いておくべきなのかもしれないと思った。

 それに恒は先ほどのメールで錯乱状態になっている。

 織図が持っていた鎮静剤のアンプルを打って、布団を敷いて寝かしつけてやったので起きたら少しは落ちついているとは思うが、ついて行ってやった方が心強かろう。

 あのメールが届いた直後、先ほど恒とともに見た一連のメールは全て受信メールフォルダの中から消えていたのだ……気味の悪い現象だった。

 それとも自分達は、白昼夢を見せられていたのだろうか――。


「待て、やはり俺も行く」

「あきれた! 会席料理に目がくらんだってわけ?」

「違っげーよ!」


 受話器の向こうから、鼻で笑われている。

 さすがの織図も、この女と空山にはかなわない。

 織図は破顔しかけて、ふと思った。

 電話で話しているこいつ、確かにメファイストフェレスなんだろうな? 

 また荻号の言葉がリフレインのようにフィードバックする。


 存在を疑え。

 それらは果たして『在る』のか、と……。


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