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【完結済】INVISIBLE-インヴィジブル-(EP1)  作者: 高山 理図
第一節  The mystery of INVISIBLE and the story of Ground Zero
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第1節 第25話 Apply to the Ultimate

 皐月は職員室のデスクの上に置かれた二通の手紙と、採点の終わったテストを見つけた。

 一通は風岳小学校の封筒、もう一通の封筒は真っ白で赤い蝋の封、それぞれメファイストフェレスとユージーンから皐月に宛てた手紙だ。

 まずはメファイストフェレスの手紙を開く。


”実家に帰らせてもらうわ。また戻ってくるから、あとはよろしくね”


 皐月は封筒の中をごそごそまさぐって、中を覗いてみた。

 ひとりで思い詰めて家出したのではなく帰省をしただけだから、心配ないか、と思い直す。

 そういえばユージーンはどうしたのだろう。

 彼が戻って来たから交代でメファイストフェレスが実家に帰ったのかもしれない。


 彼は一体どこにいったのだろう、と皐月は二通目の手紙を広げる。

 ユージーンの手紙は簡潔で、味気なかった。

 どうしてもやり遂げなくてはならない事があって、学校にはもう戻れないということ。

 わずかな時間ではあったが世話になったということ。

 子供たちと別れなくてはならないのは辛く、彼等の教師としてつとめを果たせなかった事が心のこりだということ。

 クラスの子供達、恒と朱音を頼むとのこと、風岳に起こる異変はもうじき解決するだろうということ。

 皆が幸福になってほしいということ。それだけだ。


「え、それだけ?」


 そして恒も先ほどの混乱に紛れて消えていた。

 皐月はたった一人取り残されてしまったような気になる。

 彼等は特別な存在で、すれ違ってゆくのだと心のどこかで理解していた。

 所詮は彼等に何の期待もされていなかったのだな、と思い知らされた気分だ。



「明日と明後日、学校休みだろ? 今日明日はここに泊まっていけ。母親には電話をかければいいから」

「それで、ここはどこですか」

「陰階にある俺の部屋だ。お前を家に配達してやるのも手間だったんでそのまま連れてきた。そこは俺のベッドだがもう何百年も寝ていないのでな。使わんから遠慮はいらんよ」


 翌日が土曜なので、荻号はそんな事を言う。

 何百年寝ていない……という部分にはつっこまないことにした。

 ユージーンは死体にも等しいので、回復するまでは面会謝絶だという。

 恒は今回の経験と反省から、神々から学べる事はできるだけ吸収しておきたいと考えた。


 見聞を拡げておけば、いつかそれらの経験をきっと活かせる時がくる。

 とりわけ荻号に学ぶことは収穫が大きい。

 恒はたとえ帰れと言われてもここに留まるつもりだ。

 あんなに情けない思いをするのは、今回かぎりでいい。

 これ以上大切な誰かを守れないであたふたするのは、もうたくさんだ。


「ユージーンさんはいつになったら回復しますか」


 恒の最大の関心事はそれだ。


「まあ、そう急くなよ」


 荻号はそういうが、何しろ頭のない彼の姿しか恒の記憶にないのだから、彼の容態が心配だった。

 彼らはそんなことより煙草を吸いたいのを我慢しているようで、荻号の前の灰皿には前日あたりに吸った大量の吸い殻が小山を作っていた。


 織図は色艶のよい木の煙管を持っているが、恒の家ではそれをペン廻しのようにして持て余すばかりで、決して吸おうとしない。

 今も煙管でペン廻しをして、小指から人差し指にひょいっと飛ばした。

 なかなか器用だ、……などと思っている場合ではない。

 荻号も喫煙を遠慮している。

 彼の手製の煙草には麻薬が仕込まれているそうだ。

 荻号はだらりと腰をソファーに落としてインターホンで二岐という第一使徒を呼び、恒にティーセットを持ってくるよう命じた。


 不機嫌そうにやってきた二岐を見て、名前は誰だったか忘れたが、恒が最近見た映画に出てきた女優によく似ていると思った。


「ユージーンかあ、さあなあ。明日治るのかもしれん、十年以上かかるかもしれん」

「そんな。あなたは何だってご存知かと!」

「荻号さんにもわからん事もあるさ」


 荻号とは一緒にいるというが、恒が想像していたより親しい間柄だったようだ。

 恒は二岐によい香りのする紅茶と、クッキーを出してもらったので会釈をした。

 二岐は気取って微笑むと、何も言わず退出する。

 恒は食欲もないが、荻号に勧められたので一口だけ口をつけた。

 飲んだから、質問をしていいだろう、と言わんばかりに恒は荻号に尋ねる。


「ユージーンさんは本当に、死んでいないんですね?」

「ふ、そん…簡単に死…ようなら、俺も…っくに死ん…いる」

「え? 何ですか?」


 荻号は皮肉な薄い笑いを浮かべながら口の中で何かぶつぶつと呟いていたが、恒には聞き取れなかった。

 初めてADAMで遭遇したときと同じだ。

 この神はやはりどこか変わっている。

 天才と変人は紙一重、という言葉もあるが、まさにそれを地でいっている。

 彼が最強で全能に最も近いという実力を持っていなかったらただの変態だ。

 だがこんなどうしようもない変態でも、学ぶ事は山ほどある。

 彼のマインドギャップは33層、他の神々の追随を許さず、恒の11倍もあるのだから。


「信じても、いいんですね?」

「俺を信じられても困る。奴が蘇るまでの間、奴を匿ってやることはできる。情報を漏らさないことも含めてだ。だが復活に時間がかかるようなら軍神は崩御したと見なされる。すみやかに次期軍神が任命され奴は神階での居場所を失うだろう。居留守を使う以御の手腕次第だな。以御の姉貴あたりが気付くかもしれんが、うまくやれば全て元通り、運が悪ければユージーンは根無し草だ」


 恒は以御という使徒に会った事がないので、姉貴の話をされてもわからない。

 織図はソファーにぐったりと伸びていた。

 このふたりは、もう、だらしないな! ちゃんと起きて話をしてくれよ、と恒は少々イラっとくる。


「神階を出た神ってのは、聞いた事がないんだがなあ……そうならざるをえんかもしれんな。不死身であるという事は神にとっては脅威だ。神じゃないんだからな。必ず追放されるだろう」

「神じゃないって! ユージーンさんはどうして不死身なんですか? ユージーンさんは誰なんですか!」


 答えにくい質問だからか、これには荻号が答えず、織図が答える。


「俺が地上で話したろう。神はどうやって誕生したのかを知らない。神の中には、稀にそういう不死身の身体を持つのが生まれてくるんだ。ユージーンが誰なのか、それは誰にもわからない。だが俺達神とは異質な存在だ。彼はそれを知らなかったんだけどな」

「……どうして、俺にそんな話をしてくれるんですか? ユージーンさんが復活したら、マインドブレイクでユージーンさんにバレてしまいますよ?」

「お前がマインドギャップを最低限にでも備えたからだ。じゃなかったら話さんよ。そういう話をしても、他の神に筒抜けにはならないだろう? 3層あれば、ユージーン程度にマインドギャップが破られることはない」


 最低限必要な事というのはそういう意味だったのか、と恒はがっくりと肩を落とした。


 神階は伏魔殿のような場所だ。

 壁に耳あり、障子に目あり、情報が命を握り、権謀術数に長けた者のみが生き残る。

 マインドギャップを備えていなければ、相手に考えが筒抜けで蹴落とされるのだ。

 荻号はそれ以上は口を閉ざした。

 彼は恒にこんな話をするために、地上に戻るのを引き止めた訳ではなさそうだった。


「恒。お前は全神具適合性を持っていたようだな」


 荻号は唐突に話を変える。

 荻号が話題を変えると決めた以上、いくら駆け引きをして話を聞きだそうとしても、彼はそれ以上を喋ってくれる気配はないだろう。

 恒はとりあえずは引き下がることにした。

 荻号は首にかかっているネックレスのチェーンをたぐりよせて胸元から相転星を取り出す。

 チェーンを首から外し、掌に載せている。

 三環の中の鈍色の月が、ぎょろりと恒を睨んでいた。


「触れてみろ」


 荻号がとんでもない事を言いだした。

 神階最強の神具を目の前にして、更にそれに触れてみろというのだ。


「全神具適合性がなければどうなるんですっけ」

「死ぬ」


 恒は困って織図に助け舟を出して欲しいと思って彼の顔をちらちらと見た。

 織図は大げさにぎょっとした顔をしていたが、押し黙ってしまって、フォローをしてくれようとしない。

 織図でも荻号には敵わないのか……と、恒はますます警戒心を強める。


「い、嫌です。できません」

「G-CAMならできて、これはできないのか?」

「G-CAMは火傷ぐらいで済むと思っていました。でもこれは、即死するって……織図さんもそう仰っていたじゃないですか」

「継嗣や他の神々が触れれば死ぬだろうさ。だが、お前ならできる」


 何の確信があってそんなことを。

 荻号のその声はとてつもない強制力を持っていた。

 恒は指先だけを出しかけてひっこめた。

 こんなところで無駄死にをしたくない。

 もしも死んでしまったら母親に何と弁解すればよいのか、こんな事で死にたくない。

 恒は無理無理、と首を横に振って拒絶する。

 荻号は恒の行動をつぶさに観察している。

 荻号は勇気を試しているのではないか、と恒は気付いた。


 ここで触れられなければ、荻号に見放されてしまうのかもしれない。

 はったりでもいいから、触れるふりはするべきだ。

 もし本当に危険なものならば寸前で止めてもらえる。

 荻号は恒の緊張の糸で張り詰めてしまった恒に、優しく語りかけた。


「やってみろ」


 恒はその言葉に暗示にかけられたように、指先だけ触れてみようとした。

 相転星の中の月は、恒の指先を流し目で見守っていた。

 気がつくと震える指先が、星のレリーフの部分に触れていた。


「あっ!」

「できただろ」

「おー、すげー。お前、本物だな」


 恒は荻号から相転星を受け取って両手に包み込んでみる。

 最強の神具と呼ばれるそれはほんのりと温かく感じられた。

 噛み付かれるかもしれないとは思ったが、触れられたことが嬉しくてそれを目の前に近づけてみる。

 相転星の月は、ぱちぱちと瞬きをして、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔をしていて愛嬌がある。

 荻号以外の持ち主の手に触れて、驚いてあっけに取られているようにも見える。


 得体の知れない凶器として怖れられているが、こうして手にしてみるとかわいいもんだ。と恒は思わず顔を綻ばせた。そんな恒の様子を見ていた荻号は……


「お前に、神具をかしてやろうと思うんだが……お前、ルービックキューブはしたことがあるか?」


 ルービックキューブ? おもちゃ屋でたまに見かけるぐらいの80年代の香りがする、一世を風靡したおもちゃだ。

 恒は朱音が手こずっているのを一回だけ解いたことがある。

 朱音は恒ができてしまったので急に面白くなくなって、そのまま部屋に放っているのだそうな。


「やったことはあります。一回だけでしたけど」

「解けたか?」

「はい」

「じゃ、やってみせろ」


 荻号はポケットからごそごそと小さなルービックキューブを取り出した。

 織図は横で興味深そうにそれを見ていたが、手にとってみようとはしなかった。

 オーソドックスな配色ではなく、白、黒、銀色、赤、灰色、銅色の6色の面を持ち、10cmほどの大きさだ。

 荻号は面の揃ったそれを一瞬でばらばらに崩し、恒に渡すのである。

 恒は仕方なく受け取ると、真面目にコチコチと面を合わせはじめた。

 1分後には全ての面が揃った。

 完成したキューブを荻号に返すと、荻号はずいっと恒の手に戻した。

 いらないんですけど、と困ったように荻号を見上げる。


「それを使ってみろ。それは俺がずっと以前に当時の極陽より献呈された神具でな。珍しい機能がついていて、アトモスフィアの充電ができる。つまり駆動をするたびにアトモスフィアを奪われるという事がない。お前ごときでも楽に駆動ができるだろう。俺が満タンまで充電しておいてやったから、どんなに酷使しても10年はもつ」

「……神具はあれば便利だと思いますけど、俺なんかにも扱える練習用ですか?」


 恒は抹茶茶碗をあらためるように手の中で回して様々な面を見ながら尋ねた。

 荻号は鼻で笑う。

 明らかに馬鹿にされているが、嫌な気にはならない。


「神具に練習用などあるものか。それはな、FC2(Fundamental Control Double)-メタフィジカル・キューブ(形而立方体)。お前の父親の持つ神具FC2-マインドキューブ(心層立方体)の、プロトタイプだよ。それをお前にやる」


 恒はただのルービックキューブにしか見えなかったこのサイコロのような物体が、まさか極陽の神具の兄貴分だったと知り、あやうく放り投げそうになった。



 上島はユージーンから受け取った血液パックを冷凍庫に保管し終えた。

 そろそろ入院患者の回診に行かなければならないが、放心状態になっていた。

 血液の保管は厳重に行わなければならなかった。

 神の血が実在すると知れたら、この病院がどうなってしまうのか目に見えている。

 彼から譲り受けた血液は一滴も無駄にしてはならない。

 そんな覚悟だ。


 上島はひとパックだけ、上島の大学時代の親友である相模原 紀夫(さがみはら のりお)という男に送ってみようと思った。

 相模原は信用のできる男で、今は理学研究科の化学科の教授だ。

 錯体研究室で、分析にも慣れている。

 それが神の血だということさえバレなければ、よい薬が見つかったといって、化合物の組成を論文に発表してもいい。

 世界中にいる難病患者の灯火となり、相模原の退官前の最大業績になるだろう。

 その組成が完全に再現できれば、あらゆる動物モデルの疾患を癒す事ができ、業績は科学雑誌の権威に掲載されてもまだ足らない。


 上島は跳ね起きて、梱包と発送の準備にとりかかる。



 極陽、ヴィブレ=スミスは闇の中の玉座で、ユージーンが帰還報告に来ない事を訝しんでいた。

 彼の性格なら真っ先に報告にくる。

 正式な書類にて嘆願書提出の礼を述べてはいるが、それは彼の第一使徒の仕事だろう。

 ユージーンが直接報告にこないのは、あるいは……


”まさか、もう荻号の手が伸びたわけではあるまい”


 そんなことを考えていると、静寂の中から無機質な足音が聞こえ、一般には知られていない極陽の第一使徒、灰嵜 傑(かいざき すぐる)が参内した事に気付いた。

 極位の第一使徒はその姿が公の目に触れてはならないという理由で陰陽問わず仮面の着用を義務づけるしきたりが以前はあったが、極陽はとある一件から旧習を廃し素顔で執務させることを法務局に求め、灰嵜は初の条項改正により素顔のまま執務していた。

 とある一件とは、音楽神であるケイルディシャー=ムジカを第一使徒として20年間も伺候させていたという珍事件だ。

 ムジカはアトモスフィアを体内に蓄積してしまう体質だったので、極陽といえども彼が神だと気付かなかった。


 仮面をつけた第一使徒は、極陽が位申戦に敗れて降格した場合、降格と同時に殺される習わしがあったが、現在では違う。

 使徒の基本的権利の確立は極陽が打ち立てた業績だ。

 彼は神と使徒は生物学的な見地から、本来対等な立場にあってしかるべきだと考えており、使徒たちからは絶大なる支持を得ていた。


 しかし極位の警護を一身に預かる第一使徒は、テロリストや造反者に標的とされないよう極力露出を控えるべきだという声は根強く残っていて、灰嵜はまだ他の位神の前に姿を現した事はなかった。

 極位神の秘書官の役割は第二使徒の八雲 青華(やくも せいか)という女使徒が担っており、こちらは通常の位神の第一使徒と同じく極位の代理者として対外的に露出していた。

 灰嵜がわざわざ顔を見せにきたところを見ると、非常時なのだろう。


 灰嵜は一礼すると、早速本題に入る。

 竹を割ったような性格の彼は前置きというものが苦手だった。


「極陽、本日の受付であなたに位申戦(いしんせん)を申し込んだ方がおられます」


 位神の上位階級申請手続きである、位申戦という言葉を極陽は久しぶりに聞いた。


 陽階では数十年前に、第11位 ナターシャ=サンドラがユージーンやレディラム=アンリニアに挑んでいた以外は、最近では位申戦などとんと行われていなかったからだ。


 あるいは荻号に手を打たれたか? 

 と勘繰ったがそれにしては陽階で駒にできる刺客が思い浮かばない。

 独自の判断で動いている者がいるのだろう。だとしたら……彼しかいない。


「比企か」


 灰嵜は畏まって一礼をした。

 比企がこのタイミングで仕掛けてくるとは想定外だった。

 比企と荻号は反目している。

 荻号が比企に通じる事はない、となると何の思惑があっての事か。


 極陽は玉座の上で足組みをし、半伽思惟のような体勢で溜息をついた。

 極位獲りは神階を二分する下剋上の様相となる。

 天下を二分する大戦を敢えて起こすか、などと比企を恨んでも詮無きこと。

 位申戦は慶日、忌日がない限り必ず受けて立たなければならないという取り決めがある。

 位申戦を延期するだけで支持率を落とす結果となる。

 極陽は果たし状を受け取った。


「いずれにしろ拒否権はないのだ、位申戦の要請を受諾する」

「は、畏まりました。ではかよう総務局に返答し、開示いたします。主にご武運のあらんことを」

「もう少し待っておれば譲位したものを。今退くわけにはならんのだ」


 極陽は彼の神具を確かめるように、頚部をゆっくりとまさぐった。

 生体神具、FC2-マインドキューブは彼の頚椎に埋め込まれて、その存在を主張している。



「あー?! 比企が極陽に位申戦を挑んだー!?」


 織図は荻号の部屋に居座って、GL-ネットワークのヘッドラインニュースを見ていた。

 極陽という言葉を聞いて、恒もそちらに気を取られて顔を向けた。

 恒は神具を使って何かをする前に、おもちゃの5×5×5のルービックキューブを荻号から貸してもらって、神具を扱う際のコツををつかんでいた。

 一面一面の色、模様がコマンドを意味する神具を、ガチャガチャと下手に組み替える事は危険なのだというので、まずはこちらで練習だ。

 恒は赤い面の中に白いダイヤを作る練習をしていた。

 荻号は本物のFC2-メタフィジカル・キューブをいじくりまわしている。

 恒はそっとおもちゃのルービックキューブを置いて、織図の見ている画面を覗き込む。


「お前のパパが、位申戦を挑まれているって話だ。こんなお日柄の悪い時に、何でやるかね」


 織図が記事を要約する。

 さすがにまだ神語は読めなかったので、些細な事だが配慮が嬉しかった。

 恒には位申戦のありがたみというのがよくわからない。

 そんなに織図が大声を上げて驚くような事なのか、ということも。


「それは、どのくらいの事件なんですか?」

「暗黒面におちたダースベイダーが暗黒卿に……」

「いや、そういう喩えじゃなくて」


 織図はもう少しそのくだりをやりたかったらしいが、恒はすぐさま話の腰を折った。


「比企と極陽は300年前に一回、やり合ったっきりだ。結果はパパの辛勝、比企はNo,2に落ち着いた。リベンジマッチに負ければばパパは降格だ」

「父が……」


 織図はその言葉を聞き逃さずに、恒の背中をばしっと叩いた。


「お、お前初めて父って言ったな。殴りたいほど憎んでいるんじゃなかったのか?」

「……よくわかりません。父は酷いと思います。それでも、認めなければいけないのかもしれません。どんなに酷くても、父が俺を創って母を不幸にしたとしても、父がいなければ俺は生まれてこなかったから」

「俺らには、よくわからん感覚だな」


 織図は荻号の同意を求めたが、彼は全くの無関心だ。

 織図は相手にしてもらえなかったので肩を大げさに上げ下げすると、貧乏ゆすりをはじめた。

 神はそれ自身で生まれてくる。

 親も兄弟も子供もいない。

 親子関係に悩むこともない。

 神はすべてが孤立個体であり、親族がいないことで世襲制度がなく、完全実力制であることもまた、神階の異常なまでの安定性の一助となっていた。

 織図は思い出したように付け加える。


「位申戦は、中継が入るぞ。陽階の頂上決戦だからな、リアルタイム動画が放映される。来週あたりにおっぱじめるだろうから、パパの勇姿を拝めるかもしれないぜ」

「え! 本当ですか? でも俺んち、ネットないから……見れないかも」

「端末をかしてやるから、差し支えなければ母親にも見せてやれ」

「ありがとうございます! いいんですか!」


 荻号の配慮が恒には嬉しかった。

 彼の弟子の位申戦のニュースを受けても、彼は無反応だった。

 弟子が華々しく……というときに師匠は何を考えているのだろうな、と織図はちらりと荻号を見やった。


 父親が勝っても負けても、恒にはどちらでもいい。

 会えなくなっては困るから、命を落としてしまわなければいい。

 その程度だ。

 それより極陽がどんな姿をしていて、どんな戦略で荻号の一番弟子に挑むのかを、しっかりと目に焼き付けておきたかった。

 父親は自分に、似ているのだろうか? 

 いや逆だ、自分は父親に、似ているのかだ。

 織図は似ているというが、自分で確認するまでは認められない。


 恒はまたソファーに戻ってコチコチとルービックキューブの組み換えに勤しんだ。

 父親は恒が手にする神具と同じ種類の神具を持っていて、それを扱うのだ、と意識しながら。



「じゃあ、忘れ物ない? 何か忘れても財布と切符だけあれば、大丈夫だからね」

「大丈夫よー。博多通りもんを5箱ね? ちゃんと買ってくるから」

「ひよこも1箱よ」


 さりげなく要求する母親に、彼女は引き笑いを浮かべる。


「はは、持てるかなあ。じゃあね、父さん、母さん、明後日には帰るから」


 石沢 朱音はその頃、何日旅行に行くのかと思うぐらいの大荷物を大きなリュックに背負って、JR新幹線口のプラットホームで、両親の見送りを受けていた。

 福岡に滞在するのはたった2日だけだ。

 それでも、小学生の朱音にとっては初めての旅行だった。


 朱音はこの日のためだけに携帯電話を買ってもらって、ご機嫌だ。

 朱音の背中に骨ができていた件で、朱音が随分悩んでいるようだったので、普段は厳格な両親もたまにはいいだろう、ということで甘やかしてやったのかもしれない。


 出発まであとわずかとなった新幹線に、朱音は後ろの乗客に押し込まれるようにして乗り込んでいった。


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