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【完結済】INVISIBLE-インヴィジブル-(EP1)  作者: 高山 理図
第一節  The mystery of INVISIBLE and the story of Ground Zero
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第1節 第19話 Dialogue of Ultimate Positive and Negative

 全ての仮定や推測は、所詮推測の域を出ない。

 恒はこれから織図の言葉、つまり荻号の目論見どおりに、陽階神としての道を歩み始めてよいのかを考える必要があった。

 一体誰が敵で味方なのかわからない。


「織図様、首刈峠はしばらく大丈夫ですか?」

「ああ、今のところはだな。簡単な時空間解析の結果、異常はなかったぜ」

「では今は、時計職人は動いていないということですね」

「そういうことになるな」


 そこへメファイストフェレスが割り込む。


「どうして何もないところに、死神様が出張ってくるわけ? 恒に何をさせようとしているの。恒の父親も恒を利用して何かをさせようとしているのでしょう。お前たちの目的は何なの」


 メファイストフェレスは恒の母親の心情を慮り、織図をにらみつけた。

 自身の母親を幼い頃に亡くしたメファイストフェレスは、母親の心理というものに非常に興味があった。

 母親はもう口を差し挟めずに、黙り込んでいる。

 彼女を神々の駒として利用されてはならない、メファイストフェレスは警戒心をあらわにする。


「荻号さんの頼みで来ただけで、俺は何も知らないんだ」

「お前も利用されているかもしれないとは、どうして考えられないの!」

「荻号さんは、そんなんじゃねえよ」


 織図は視覚障碍者であるというハンデを克服し血のにじむような努力をして枢軸神となった。

 枢軸となっても、死神という職務ゆえの差別と偏見は続いていた。

 神々すらも死から逃れられないという恐怖、その恐怖は死神を忌まわしきものとして遠ざける。

 彼のありのままを評価し何の拘泥もなく付き合っていたのは、荻号だけだ。

 織図が荻号と親交を持ってからもう何百年にもなる。

 織図は唯一荻号が友として接する神でもあったので、その事が彼に対する差別や偏見から守る盾となっていた。

 最初から織図に利用価値があると踏んで荻号が近づいてきたとはどうしても考えられなかった。


「次にINVISIBLEの介入が入る時に備えて、どうして荻号も極陽という神も恒を利用しようとしているのか聞いているの。いい? 神とはいえ、恒はまだ子供なのよ?」


 織図は煙草が吸いたくなったらしく、煙管を用意して口にくわえたが、火をつけず引っ込めた。

 神の煙草は人にとっては猛毒となる。

 荻号のように麻薬を仕込んではいないが、恒の母親には危険だ。


「普通に考えたら、使えない、だろうな。だが、極陽は創造神だ。故意に能力を上げてやることもできたってわけさ。多分お前は何百年も努力をしなくても、俺らのようになれる。お前の親父がお前を、そうデザインしたからだ」


 あまりに感情の欠落したやりとりに、恒は背筋が寒くなる。

 恒は織図に悪気があってそう言っているわけではないという事を重々承知していた。

 しかしそれは、自分にはともかく、母親に聞かせる言葉ではない。

 彼女はお腹をいためて恒を産んだのだ、神々に利用されるためだけに、堕胎をすることもなく、周囲の反対を押し切り、強い意志で子供を産んだわけではなかった。

 病魔と闘いながら、病床でいつも恒を愛してくれていた。

 志帆梨はいたたまれなくなって、ぽろぽろと涙をこぼしながら部屋を出て行った。

 恒は中座して、母親を追う。

 織図の話を聞かなければいけないと思ったが、母親の気持ちを踏みにじるような事はできなかった。


「なるほど、そんなことで傷ついたのか」


 志帆梨と恒の心を読んだ織図は、まいったとばかり頭をかいた。


「お前の話には配慮がなさすぎるわ」

「一般人に聞かせる話ではなかったな。俺はあまり生身の人間に姿を見せたり話した事がないんでね。次から口には気を付けよう」

「ところで、恒はINVISIBLEとの戦いの戦力になるような子供なの? 神々の長は何の目的があってこの子を創ったの。戯れに創ったとは言わせないわよ。お前たちのせっつき方は、この10歳の子供が、ただの神の子というだけではない何かを持っていると、大声で暴露しているようなものじゃない」

「まあ俺は陰階神なんでそんな事情は知った事じゃないんだが、ただの子供じゃないんだろうな。だが極陽はある程度使えるようにしてきたみたいだせ……ADAMに閉じ込めて、強制的に知識を詰め込んだ」

「その使える、使えないという言葉が彼女を泣かせたのに、どうしてわからないの。お前には妾の”人類心理学特論”という講義を100時間ほど聴講してもらう必要があるわね」

「悪かったって」

「無神経といえば、恒の父は最悪だわ。ADAMに閉じ込めたのもそうだけど、あの子の親友が使徒だったの……本人は知らないけど。恒に仕えさせるために、父親がそうしたのよ。恒は力をつけなければ、親友を殺してしまうことになるわ。恒のアトモスフィアは、もうじき成熟した彼女を養うには不足しはじめる。恒がごく普通の人間として生きる道を、最初からつぶす狙いだったの。神として利用するために、10年前から周到に計画されていたことよ」


 母親を慰めて戻ってきた恒は、襖の陰から漏れてきた声に足をとめた。

 朱音が、自分に仕えさせるために極陽により宛がわれた使徒、だと? 

 恒にとって、受け入れらる情報量を超えていた。

 しかし恒の進むべき道は、恒ひとりのものではなくなった。

 使徒は神のアトモスフィアを糧として生きる生物だ。

 恒は自分にアトモスフィアがあったなどとはついぞ知らなかったが、ユージーンがこの村に来るまでの間、朱音の命をつないでいたのは自分だったと判明した。

 恒が神として十分なアトモスフィアを身につけなければ、朱音を殺してしまう事になると、メファイストフェレスはそう言っている。

 ユージーンほどのアトモスフィアがあればよいのだろうが、彼の安否は知れない。


 いつも明るく優しい朱音の笑顔が、ぽうっと恒のまぶたの裏に浮かんだ。

 彼女を使徒として使役する事などできはしない。

 だが他の神々の使徒として彼女を、神々の奴隷として貶める事もしたくはなかった。

 自分と供に、朱音は歩んでくれるのだろうか。主従などという関係ではなく、いつまでも彼女とは親友でいたい、それはもう叶えられない事なのだろうか……。

 そして朱音を想う豊迫巧を置き去りにしてしまわなければならない時が、いつかやってくるのだろうか。

 神となり、朱音が使徒になるとはそういうことだ。

 恒はたまらなくなってうつむいた。


”ユージーンさん、もう一度あなたに会いたい……あなたなら、何と言ってくれるだろう”


 恒は夜の深まる窓の外に向かって、ぽつりとそう漏らした。



「おい、廿日はつか。これは何て山だ?」


 男の目の前には、今の今運び込まれてきた大量の書類が、高々と積み上げられていた。

 もう少し積み重ねれば荷崩れがおきそうだ。


「そうですね、クレームの山、標高は1mというところです」

「さすがの俺でも、この山にばかりは登れない」


 軍神のみが座することを許された執務室の大きな椅子には、ブロンドを肩までのばした、紫の瞳の伊達男が無愛想に座っている。

 応じているのは青いキャミソールを身にまとった上品な女性だ。

 軍神下第一使徒、ひびき 以御いおんと第二使徒、川模かも 廿日はつかである。

 響のやる気を取り戻させるため、廿日は澄み切った美声で、Climb Ev'ry Mountain (全ての山に登れ)という生物階のミュージカルの挿入歌を歌う。

 そのあまりの美声に以御は一瞬、怒りを忘れたが、彼女が歌い終えるとまた沸々と怒りがこみ上げてくる。


「お前の歌はなかなかだ、だがユージーンの奴ときたら……」

「主には深いお考えがあったのでしょう」

「お前はいつもそれだ、二言目には主は深いお考えが~だ。奴が深いお考えをしていたためしがあったか? ねーよ。人間の蘇生だなんてばからしい、俺たちがどれだけの人間を犠牲にしてきたと思っている。身体罰50日というのが分かっていて、なんでやるかね」


 以御は彼の行動の理解に苦しむ。

 どうして彼はこう、ありえない問題をいつも引っさげてくるのか。

 以御と廿日の声は、寂しく反響した。


 執務室はおよそ数百ヘクタールはあり、ふたりで使うには広すぎる。

 ここは日常生活もできるほか、軍神が執務するのに必要なありとあらゆる機能が集約している。

 最先端の端末が何台も設置されており、各地で起こる紛争をモニターするための巨大スクリーンもある。内装も凝っている。高価な調度品がセンスよく備え付けられ、執務室の中央には室内だというのに小さな噴水があり、丁寧に手入れをされた涼しげな観葉植物が揺れていた。

 噴水の下の小さな泉には、赤や青の観賞魚が泳いでいる。

 キッチンも冷蔵庫もあり、風呂やサウナもあるし、ソファーやベッドも上質で贅沢なつくりだ。

 ここにはユージーンと以御のそれぞれの部屋と繋がっていて、普段はふたりで使っている。


 以御はこの何十年来、ここでユージーンの執務を支えてきたが、彼の考えや哲学に至るまで、まったく解っていなかったということだ。

 それは腹も立つだろうな、と廿日も同情する。


「でも人を殺したのは、任務のためだったでしょう。戦争とは関係のないところで、不条理に人が死ぬのは許せないと主は仰せでした」

「そのセリフは、お前の旦那にそっくりそのまま言ってきかせてやれ」

「毎日申しておりますのに」

「まあ紫檀は今日もどこかで元気に殺人をしているだろうからな。問題はユージーンだ。お前はいつもユージーンを信じているが、俺は奴が何を考えているのか、さっぱり分からない」


 悪態をつきながらも、以御はクレーム処理の判をついていた。

 この判は以御しか押せないのだ。手伝ってやることもできず、廿日はせっせと判を押した書類を仕分けしてくれている。


「陰陽階の全神が、風岳村に介入禁止になったな。ユージーンは何をやらかしてきたんだ?」

「さあ、私には何も……調べてまいりましょうか。私は一度あの村に降下したことがありますから」

「神が介入禁止なのに、使徒が行くってのか? お前なあ、神の違反と違って使徒の量刑は容赦ないぞ。いきなり死刑なんて出たらどうする」


 廿日は早々に諦める。

 同じ轍を踏むような事だけはしてはならない。

 廿日もわかりきっていた。

 それにしても以御のいい草は酷い、どうして何か事情があってそうせざるをえなかったと、考えてはみないのだろうと思う。

 廿日は以御に書類を渡しながら、ふと電報が届いているのを見つけた。

 文面をみると、とんでもない内容だった。


「あ、これ、弔電ですね。このたびの訃報に際しまして……間違えて、陰階神が送って来られたようです」

「おいおい、縁起でもねえな」


 以御はぺたんぺたんと判をつきながら、忌々しそうに書類をさばいていった。

 しかし第一使徒である以御だけは知っていた。

 軍神 ユージーン=マズローの神体はどんな危険に見舞われても、決して死ぬ事はない。


 いや、死ぬ事ができないのだ、と――。

 それはユージーンが、神階にもふた柱とはいない特別な神だからだ。



「こんな処に呼び出して、何のつもりだ」

「それが陽階の長に対する口の利き方か……まったく、お前は変わらんな」


 荻号は跪いて敬意を示すこともなく、軽く腰に手をあてがって、玉座の極陽を見上げた。

 謁見をする荻号の足元は一枚のクリスタル製の板が中空に浮いているだけでその下は空洞になっている。

 その遥か底からは大樹のような質感の柱が一本通って、荻号の立っている場所を通り越して20メートルほど上に伸びている。


 神々の叡智を授けるユグドラシルの樹とも呼ばれる大樹は黒く硬質で、その頂上に極陽はいる。

 幹は陰階に通じ、その双極には陰陽の極位が座しているという構図だ。

 頂上にいる極陽の上からは、木漏れ日のような窓がひとつあり、そこから光が一筋、暗闇に向かって投げかけられている。

 下から見上げる者は逆光で極陽の顔を見る事はできない。

 しかし荻号は二つの吸収環にアトモスフィアを奪われながら座する、陽階の長の姿がしっかりと見えていた。


「あいにく俺は、権威に敬意を払うたちではなくてね」


 わかっているだろう、といわんばかりの開き直りだ。


「まあよい、お前が最近何かと怪しい動きを見せているというので呼び出したのだ」

「怪しい動きならお互いさまだと思うがね」

「お前に下手に動かれては、うまくいくものもうまくいかなくなってしまう。隠匿するよりは、協力を請う方が得策だと考えたまでだ」

「内容によるな。煙草を吸っても?」

「構わんさ」


 荻号はシザーケースから煙草入れとライターを取り出すと、そのうち1本を軽く口に咥え、荻号の御璽、真空斑(Vacuum Supergranules)のついた黒いライターに火をつけ、それを宙に放って、再び手に落ちてくる間に火をつけた。

 明るい光跡が、闇を切り裂いて弧を描いて闇の中の荻号の姿を浮かび上がらせた。

 ファティナの六方魔方陣演算空間に引き籠って演算を続けていると、極陽から呼び出しがあったのだ。

 しかも連絡先は誰にも知らせていないにも関わらず、ファティナのところに来た。

 演算を中止させることが目的だったのか、何だったのか。

 ファティナに迷惑をかけるわけにもいかず、荻号は仕方なく出頭したというわけだ。


「それで、何の相談だ」

「INVISIBLE、空間創世者を拘束したい」


 荻号は折角火をつけた煙草を吸うのも忘れて、反射的にはるか上空の極陽を仰いだ。


「何だと……INVISIBLEを天帝として公認したのは、陽階だろうが。それに拘束など不可能だ」

「間接的にという方が正しいな。絶対不及者を拘束する」


 INVISIBLEはエネルギーであるため普遍の存在なのだが、絶対不及者の存在は固有のものだ。

 INVISIBLEが神に宿った姿、物理的に不死で無敵の存在、それが絶対不及者として知られている。


「INVISIBLEは絶対不及者から離脱してまた空間を漂い続ける。無敵を誇った過去2柱の絶対不及者は、INVISIBLEに殺され、INVISIBLEはまた不可視者へと戻っていった。その歴史を学ばなかったのか? INVISIBLEを捕らえる事も、そして目には見えないエネルギーを捕捉する事も不可能なんだ。あんたが、分かっていないはずはない」


 荻号はできの悪い学生に言ってきかせるように、主神に向かって何度も彼が確認したであろうINVISIBLEの性質と行動について説明する。

 しかし極陽は荻号を馬鹿にしたように眉を眇めて、睥睨している。

 その態度を見て今度ばかりは荻号も、マインドブレイクを試みようと決めた。

 荻号要をして、思考看破のできない者はない。

 極陽の玉座は他神からの思考看破をはじくよう、つまり目が合わせられないよう逆光から強い光が差し込んでいるのだが、荻号にとってはあまり意味を成さない。

 荻号は瞑目している極陽の視線を、瞼を貫通して的確にとらえた。


「全て話すつもりだ。お前のいう事は理解している、だがINVISIBLEが絶対不及者から離脱できなくなるとしたらどうだ。INVISIBLEはエネルギーだ。拡散と収束を繰り返す。その収束期にあたるとき、それは絶対不及者の中に宿る事がわかっている。……絶対不及者はINVISIBLEの宿った肉体だ、拘束できる。以前もそれができたしな」

「絶対不及者の中に、INVISIBLEはひとつの空間を成して彼の神体に宿る。絶対不及者は神体の中に宇宙を持っているんだ、そう単純なものではない」


 INVISIBLEのエネルギーは、一つの神体の体積の中に格納できるものではない。

 だとすると、絶対不及者を動かしているのがINBISIBLEのうちほんの一部のエネルギーだという事なのか、それか絶対不及者自身の中に極小の宇宙を創っているかのどちらかだ。

 神々は絶対不及者が確認された期間中、宇宙空間に設置された全ての観測所からエネルギー下降が観測されていたので、後者が正しく、絶対不及者の中には空間創世に使われる全てのエネルギーが収束されているのだろうという仮説をたてていた。


「それでも構わん。いかに内部に宇宙がひとつあろうと、肉体の中に宿ったままINVISIBLEは身動きがとれなくなる。そうなれば、老いず、死なぬ絶対不及者を永遠に拘束する事ができよう」


 荻号はすぐさま反論にうって出る。


「だからどうやってINVISIBLEを絶対不及者の中に閉じ込めて外に出さないようにする。そこが問題だろう、そんなことができるなら俺ら陰階神がとっくにやっている」


 前回の絶対不及者の出現時には、神々は絶対不及者を拘束することに成功している。

 しかしそれは一時的な事であってすぐに逃れ、INVISIBLEは絶対不及者を殺し彼の神体から離脱した。

 つまりこういうことだ。

 拘束の方法は技術開発によりいくらでも可能となるだろう。

 だが、INVISIBLEは絶対不及者から脱離するので、いつまでたっても捕まえる事ができない。

 INVISIBLEを絶対不及者の神体から脱離させないようにさえできれば、それを拘束しておくことはそれほど難しい事ではない。

 例えば分子運動を許さない絶対零度で永久凍結しておく、そんなことでもいい。

 方法はないわけではなかった。

 INVISIBLEが絶対不及者の中に留まっていてくれるならば。

 それができないから、INVISIBLEの支配に甘んじている。


「それを明かすわけにはいかん……だが、お前には傍観を決め込んでもらいたい」

「傍観しているだけでいいのか?」

「お前が手出しをしないということほど、重要な事はない」


 これはまさにその通りだった。

 荻号は罪を犯すことを躊躇しないし、彼が一度こうしようと決めたことはかならず遂行してしまう。

 荻号が計画を阻止しようとすれば、どんな方法を用いてでも阻止されてしまうだろう。


「計算によると、収束期と予想されるのは今からざっと1万年後というところだ。つまり絶対不及者となる受け皿はまだ現われていない。今の話だとまるで、絶対不及者の目星がついているというような言い草だな」

「目星ならとっくについている」

「ほう、それはまた勝気な発言だな」


 荻号は盛大に煙を吐いた。

 極陽はさきほどから軽く手を組んだまま、玉座の上で微動だにしない。


「私がそれを確信したのは1945年のことだ。日本の広島、長崎に原子爆弾が投下されたな」

「ああ、間違いない」

「その時、生物階降下を乞い原子爆弾炸裂点にまで行って、放射能の拡散を身をもってとめようとした大うつけ者がいただろう」

「ああ、いたな」


 1945年、敗戦の濃厚だった日本は、一億総玉砕の覚悟で本土決戦の準備へと突入していた。

 長期化する戦争を早期終結させるため、連合軍は広島、長崎に原子爆弾の投下を行った。

 話はそこにさかのぼる。


「彼は核爆発に生身でぶつかっていったのだ、熱線と放射能被害から人々を守ろうとして……」


 荻号はあたかも卑近から見ていたかのように過去を語る。


「結果的に奴のとった行動は、成功ともいえるし失敗ともいえる。奴は原爆を不発弾にするつもりだったが、間に合わなかった。神具で核分裂エネルギーを80%ほどはカットしていたようだが、残りのエネルギー量は、奴の未熟な力では吸収できなかった。原子爆弾には60kgものウランを使用したってのに、実際に核分裂反応を起こしたのは1~2%だったようだ。アメリカの科学者たちは失望した事だろうが、それこそが奴の仕業だ。だがそれでも大勢の人間を殺してしまったな」


 極陽はため息をつく。


「私はそれを見たとき、彼の行動が到底理解できなかった。核という禁断の力は彼が人間に与えたものだ。戦争の抑止力として用いさせようとしていたのだが、まさか同じ人間相手に使うとは思っていなかったので焦ったのだろうな。それにしてもだ、彼は私達神の考え方とはまったく違う思考回路を持っている。INVISIBLEは過去2度にわたって、そのような自己犠牲的思考回路を持つ者を選んできたのだ。陰陽階では位神になった者に適性テストという名目で定期的に性格判断を行ってきた。お前も100年ごとに受けておろうな。彼は若くして叙階されたため、100年ごとに行われるこのテストを受けていなかったのだ。最新のテストは15年前に試行された。その結果だ、彼の絶対不及者としての適性率はなんと99.53%。他の神々がどうだったかを教えてやろうか? この何万年集めてきたデータの平均値といってもいい。わずかに3%、エラーバーを読んでもわずか±1%だ」

「統計上の話か?」


 荻号は苦笑する。

 たったそれだけでは決め手になどなりようがない。


「それだけではない。私は陽階全神の背を確認した」

「背中に、何があるってんだ」

「INVISIBLEは、憑依しようとする神に目印をつけておる。陽階極位にのみ口承されてきたことだ。その神の背部には、確かに徴があったよ。存在確率の鍵と呼ばれる、特殊な聖痕(Stigma)だ」


 極陽はそこで話を止めて、荻号の意見を聞きたがった。

 極陽が黙ってしまったので、荻号は仕方なく結論を口に出した。


「あんたが言いたいのはつまり、ユージーン=マズローが、絶対不及者になると……?」

「これは私の直感であり、賭けだ。私はINVISIBLEの介入が見込まれるグラウンド・ゼロに彼を送り、彼の中にINVISIBLEが収束するのを待っていた。ところがこのたびの奴の失態とお前の余計な手出しで、陽階にこれが明らかとなり、迷惑している」

「俺が空間異常を矯正したからな。INVISIBLEが現われるための足場を消し去ってやった、そしてユージーンもグラウンド・ゼロを離れた。あんたの計画は振り出しに戻ったというわけか」

「いかにも。また体制を建て直し、グラウンド・ゼロへの戒厳令が解除されるのを待たねばならなくなった。今度は手出しは無用のことだ」


 すぐにではないが、これ以上は荻号に動かれてはならなかった。

 極陽は全ての計画を明かし、荻号の動きを牽制してきたのだ。

 陰階神はINVISIBLEを滅ぼすために日夜研究を続けている。

 その目的が一緒だと理解できたなら、荻号もこれ以上妨害してくることはないと考えたからだ。

 荻号はしばらく煙草の灰を携帯灰皿に押し付けながら、沈黙していた。


”どうだ、荻号。これならお前の目的にかなう筈だ、お前の返事はわかっている”


 返事は絶対にひとつだ、と極陽はほくそえんでいた。


「断る」


 荻号は即断した。


「何だと?」

「ぺらぺらと喋ってくれたから聞いていたが、俺はその計画には賛成しかねるし、手を貸してやるつもりもない。むしろ妨害する」

「何故だ、次に絶対不及者が現われたなら、神々の滅亡は避けられんぞ。それはひいては人類の滅亡にもかかってくる。それを防ぐのが陰階神の使命だった筈だ」

「INVISIBLEの奴の目的は何だ? そこをよく考えるんだな。奴の目的は空間を維持し続ける事だ、つまり住処が大切なのだろう。家族のことなど気にしてはいない。前回の出現時も、前々回の出現時も、神々は住処に手を出しはじめていた。リフォームだか改築だかわからんがな。だから粛清をしたんだろうと思うぜ。今回、神々は空間に手を出すことなく慎ましやかに暮らしている。粛清する必要はない」


 荻号の言い草は、INVISIBLEをあたかも意志ある存在として擬人化しているようなものだ。

 荻号はINVISIBLEの何を知っているのか? 

 目的などない、彼は物理学的な現象であり、意思疎通などできる筈もない、

 ……これは神階、いや解階においても通説だ。


「INVISIBLEは振動を繰り返すエネルギーの集塊だ。それだけでしかない、物理学的で無機質なものだ。INVISIBLEは収縮した後、急速に放散を必要とする。物理学的には当然の事だろう。それだけのことで神々の総個体数は1/1000にまで削り込まれたのだ、違うか。奴に目的などない! 奴はいかなる交渉や譲歩にも応じない、だから恐るべき敵なのだ」

「へえ。まあそりゃそうだ、だがあんたのさっきの言葉と矛盾するな。ではINVISIBLEは物理学的現象の範疇において、存在確率の鍵とやらの目印を気に入った神の背中につけるものなのか?」


 荻号は煙草をしまうと、今度は自身の腕についた紐をいじくった。

 荻号の神体に13本も巻かれている白い紐は、制紐せいちゅうと言って、彼の力を押さえつけるためのものだ。

 それは直径4mmほどの単なる白い紐でありながら、荻号の腕や胴に巻かれて彼の力を制御している。

 遥か昔に、自分でそうしたのだということだ。

 ただ巻いているだけだと紐がよれて落ちてしまうので、荻号はそれで自らを縛る際に、皮下に紐の一部を縫いこんでいた。

 この状態で彼は毎年フィジカル・レベルを測定しており、毎回のようにカウンターストップで測定不能と出る。

 力を解放するときには、その紐を一本ずつ切ってゆくだけでいい。 

 彼が自らに課した13本の紐を解ききったとき、そのスペックは誰も知れない。

 極陽が最も恐れているのは極陰でも陰階神でもなく、事実陰階神の中でも彼一柱だけだ。


「奴は曲がりなりにもこの空間というゆりかごを創り、その中で様々な生命を育んできたんだぞ。こちらから干渉して、寝た子を起こすな。まあ……、今はあんたも動けんだろう。あんたの計画は、他言しない。これで満足だろう、俺のマインドギャップを破る奴はいないだろうしな。じゃあな、もう帰るぜ」


 極陽は、彼にこの話をすべきではなかったかと後悔しはじめた。

 彼は一度決めたことを、覆したことはない。

 どんなに言葉巧みに説得をしても、それが効果があったためしはない。

 荻号は踵を返して、もう話すことはないと考えたらしく、そのまま退出しようとした。

 意見は決裂をしたままだ。


「お前はグラウンド・ゼロで、観測データの詰まったG-CAMを譲渡されたそうだな。中には何が入っていたんだ?」

「それは言えないな。ユージーンとの約束でね」


 極陽は荻号の足を止めさせるために、わざと挑発的な言葉を背後から投げかけたが、鮮やかにかわされてしまった。


「食えん奴だ」

「食えないというなら、あんたもたいがいだな。藤堂恒という少年神と出会った、あんたの息子にな。彼を使って絶対不及者を拘束するつもりなのだとしたらあんたは最低の外道だ」

「何とでも言え」

「恒を、あんたの駒にさせるつもりはない。誰がそうしようとしても、俺が許さない。よく覚えておけ。それから、ユージーンは自分が絶対不及者になるぐらいなら、自ら命を絶つだろう。あいつはそういう奴だ」

「自殺などさせんさ……彼には永遠に生きながらえてもらわねばならん」


 極陽はユージーンを生身のまま、彼の意識を残したままなんとしてでもINVISIBLEに憑依させるつもりでいる。

 彼はその意識を持って神体を拘束されたまま永遠を生きることとなるのだ。

 INVISIBLEはごく僅かの間、定期的にだが絶対不及者の神体を支配していない時がある。

 その間、憑依された神の元の意識が蘇るそうだ。

 絶対不及者は言葉を話さない。

 だが、言葉を失ったその神は涙を流しながら殺してくれと声にならない叫びをあげたそうだ。

 荻号は耐えられなかった。


「絶対不及者となったまま永遠にか。神々に裏切られ、INVISIBLEをその身に宿し、永遠に拘束したまま生きながらえさせるのか、それが陽階の長のすることか」


 博愛と慈悲を至上とする極陽が、だ。


「それで三階が救われるのならば、むしろ光栄と思ってもらわねばならん。救世主となるのだろう、彼には過ぎた栄誉だ」


 荻号は心底蔑んだように極陽を一瞥すると、今度は振り返りもせず至聖所、天奧てんのうの間から退出していった。



「石沢さん、石沢朱音さーん」


 ユージーンがいなくなって、女教師メリーがやってきてから数日後、朱音は看護師に呼ばれ、母親とともに診察室に入っていった。

 土曜の朝から上島医院にやってきて、レントゲン写真を3枚も撮った。

 上島は鼈甲のメガネをはずしたりかけたりしながら、レントゲン写真をペン先で示す。

 朱音が背中にゴリゴリとした突起があることを母親に打ち明けたので、母親は朱音の学校と自分のバイトが休みの土曜日に、上島医院を受診させた。

 病院の待合は10人ほどの患者が待っていた。

 診察室に入るなり、母親はすがるように上島に尋ねた。


「先生、娘の背中はどうなってしまったのでしょう」

「娘さんのいうとおりですよ。ここと、ほらここに、2cmほどの長さの骨ができています。スリガラス状の形状ではなく、しっかりとしたものですから、骨棘とでもいいましょうか。これからも伸びてゆくかもしれませんし、このまま伸びないかもしれません。もし伸びてゆくようなら手術をした方がいいでしょうな」


 母親は娘が何という病気にかかってしまったのかと、気が気でないようだった。

 朱音の母、石沢いしざわ 嘉子よしこは、美人で品のよい婦人だった。

 週に3回、村の花屋でバイトをしており、夕方からは華道の先生をしている。

 朱音はそんな母が大好きだった。


「これは何という病気ですの?」

「病名はつかないでしょうな。成長期に、間違った骨が出来てしまうものです。こういうのは膝に出来ることが多いんですがね。一度にふたつも出来るのは珍しいですが、日常生活に支障がない限り、深刻なものではありません。身体の筋肉が骨になってゆくような難病があって、10歳ごろから発症するんで、それかと疑ったのですが。でもこれは筋肉に沿ってできているわけではないようなので、それでもないようです。この形を見ると骨肉腫でもないですし……成長期に稀に起こる症例でしょうな」

「そうですか、大病ではないということなら安心ですが……ランドセルを背負うのに、痛いと言っておりまして」

「でも、手術は怖いです……」


 朱音は首を横に振る。

 骨が伸びるのは困る、だが手術となると遠慮したいところだ。

 5年生からは、ランドセルではなく手提げかばんに荷物を入れて登校していいということになっていた。

 バレエをしている朱音は、どちらか片方の肩に負荷がかかることで姿勢が悪くなってはいけないと思ってランドセルにしていただけだ。

 これからは手提げかばんにすればいいことだ。


「そうでしょうな、差し当たり、経過観察ということでいかがですか? もし手術をするようなら、この病院にはオペの設備がありませんから、隣村の病院に紹介状を書きますが」


 上島はメガネをはずし、カルテをつけた。

 上島の専門は循環器外科だ。

 整形外科には明るくない。

 だが、一般病院にも勤務していた事があるので、ある程度整形外科領域の勉強もしている。悪性所見はないと思うのだが……朱音はがっくりとうなだれている。

 母親の首もがっくりと、朱音と同じ角度で傾いている。

 その姿を見て、上島は励ますように優しい声をかけた。


「そう怖がる事でもないよ、このままずっと伸びなければ、手術はしなくても大丈夫だ。なんだったら、遺伝子検査でもやってみるかい?」

「うーん」

「じゃ、神様にお聞きしてみるといい。それで安心だろう」

「ユージーン先生、いえ、神様、帰ってきませんね……」

「恒君は天国に帰ったと言っとるがね、まあそのうちお戻りになるだろう」


 上島も、朱音も彼女の母も、彼の帰りが待ち遠しかった。


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