第1節 第16話 Extraordinary Assembly of Positive Axisorders (枢軸叙階一覧あり)
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https://ncode.syosetu.com/n8731hf/
陽階枢軸、準中枢臨時議会。
神階では、世界の運営に関する陽階枢軸と呼ばれる上位10名、準中枢と呼ばれ審議権を持つ10から20位までの神々が一堂に会する会議が開かれようとしていた。
主神として崇められる極陽を中心に、螺旋状にぐるりと取り巻く枢軸神の議席は水晶の石のような素材でできており、空中に浮いて固定されている。
その軌道はまるで衛星のように周回している。
宇宙の闇に配座された太陽系の惑星のように無機質な、しかしどこか懐かしい構造だ。
上位神ほどその軌道は極陽から近く、下位神ほど遠い。
とはいえ、ここに参集することのできる神々は陽階の主軸であり中枢である。
出席してきた神から順に議席に備え付けられたシアン色の鮮やかなランプを点す。
会議場は厳粛な闇に包まれている。
定時になってもユージーンの席には出席を知らせるランプが点かず、誰もが空席を見ていた。
会議場に一番にやってきて熱心に資料に目を通し、先輩神たちを出迎えてくれたユージーンが定時になっても来ない理由は周知のところだ。
GL-ネットワークというウェブサイトのニュースヘッドラインに、軍神ユージーン=マズロー逮捕との見出しがでかでかと踊っていた。
新聞のない神階では、オンラインニュースが主な情報源であったため、殆どの神々が閲覧していたのだ。
ユージーンは史上最年少枢軸神であり、枢軸はもちろん準中枢のうちでも最も若い。
優秀であり温和な性格だからこその枢軸神への抜擢だったが、精神面の未熟さを指摘する神もいた。
やはりこうなったかと溜息をつく神々も多い一方、陰ではほくそえむ者もいる。
陽階には政党などはないが、派閥はある。
穏健派である極陽、ヴィブレ=スミス(Vible Smith) 、置換名 新未 黎明を支持する神々と、急進派の第2位神である比企 寛三郎を支持する神々とに二分され、勢力はほぼ拮抗している。
陽階神第2位、比企 寛三郎は本置一致(通名と置換名が一致する神)の名を持ち、立法を司る神である。
若手の部類に入るのだが、次期極陽の器とも噂されており、その名に恥じぬ圧倒的な力を持つ。
この強さを手にした背景には、荻号の影響が多分にある。
また荻号の名が出てきたが、陰陽階神のうち直接にも間接にも荻号と関わった神は、大出世を果たす傾向にある。
枢軸を語る際には荻号を抜きにしては語れない。
荻号は比企を弟子として育てていたが、何しろ荻号は天才であるがゆえに、全てにおいて異端であった。
弟子は師の思想についてゆけず、また罪を重ね続ける事に耐えかねた末、陽階神として転階し、荻号と袂を分かった。
陽階に入った比企は頭角をあらわし、荻号譲りの能力と力で最下位から第2位まで上り詰め、100年を経ずして極陽を脅かすまでになった。
比企は陽階神による生物階の絶対法治を掲げていた。
陰階神を認めず陽階神のみで生物階を統治するという発想だ。
現代の極陽が主神として即位して以来、神の存在を生物階から隠しありのままの営みを見守るという政策をとってからというもの、生物階では長らく神なき時代が続いていた。
近年の生物階の科学の進歩は目覚ましく、人は神を必要としなくなり高度な文明が発展する一方で飢えや貧困はよりいっそう加速され、いつまでたっても公平な幸福はやってこなかった。
比企は神が姿を顕す事で生物階を直接統治し、誰もが平等な幸福を分かち合う社会を実現させようとしたのである。
この政策は急進的でもあり、古典的でもあった。
だが構成要員の個々の能力では陰階に劣り、生物階に対する断固とした権力も示せず消極的だった陽階神を奮い立たせたのは事実だった。
陽階神の間で比企を極陽に推す勢力がしだいに拡大し遂に半数を占めるようになった頃、比企は極位をかけ位申戦で主神に挑んだ。
結果、比企は重力操作系神具、懐柔扇を以ってしても極陽に敗北した。
敗因は極陽の精神攪乱性生体神具、FC2‐Mindcube(FC2-マインドキューブ:心層立方体)の性能と極位たる者が重ねてきた経験の差だった。
その潜在能力はほぼ同格……比企は一度は諦めたそぶりをしながら、機をうかがっていた。
さて、このような背景のなかでユージーンがどちらの派閥に属していたかというと、極陽派だと見なされていた。
ユージーンは神が生物階を支配するという思想に迎合できはしなかった。極陽についていたというわけではないが、神が生物階に介入するということ自体を受け入れられないと打ち明けた時から、極陽派だと見なされていた。
比企にとってこの度のユージーンの失態はこのうえなく好都合だった。
若いユージーンを手駒にして極秘に生物階に降下させ、不穏な動きをさせて利用していたとわかれば、今回の件で神々の支持は極陽から離れてゆくことだろう。
ユージーンの失態を責める者はなく、未熟な彼を生物階降下させた極陽の責任を問う声が大きくなるだろう。
極陽、新未 黎明は人間でいえば壮年の顔付きをしていて、焦げ茶色の毛と瞳をしている。
深く刻まれた細かい皺には積年の労苦がこびりついていた。
人間でいうと50歳ほどの年齢だ。
複雑な模様のある白いジャケットとパンツに身を包み、しなやかな革靴を履いていた。
極陽の周囲は青い光の環がふたつフラフープのように取り巻いている。
この環は極陽のアトモスフィアを安定化システムに転送するものであり、転送されたアトモスフィアは宇宙空間に浮遊する陽階を一箇所に繋ぎ止めておくアンカーの役割を果たすのだった。
極陽は常にアトモスフィアを奪い取られているため使徒数は少なく、わずか8000名である。
ただし極位となる際に数十万名いた使徒はリストラされ厳選されて、スーパーエリートだけが残っている。
陽階の支配者たる証の二つの光の環、それで在位中かたときも休まず拘束され続ける事は、極陽が神々の長として絶対の権限を誇示するために今も昔も変わらない事だ。
彼の身は陽階の化身であり、彼に叛意を抱く事は陽階全体に対する謀反だと、神々は否応なく認識させられていた。
全ての神々が着席した後に、極陽は中央の最も高い席に座し、傍らには比企が控えた。
定時が来て、極陽が議長から開会の合図を受けて立ち上がった。
「それでは開会する」
「諸君、多忙の中での参集、大儀である」
極陽、ヴィブレ=スミスは厳かに開会を告げた。
遥か下方では、書記官が律義に速記をはじめる。
機密会議の様子は通常の会議と異なり、録画されてはならなかった。
「本会の議案が提出されておらぬのだが、予想はついておる。比企の要請にもとづき開会の運びとなった事より察するに、7位軍神ユージーン=マズローの犯罪に関するものであろう。彼は生物階降下中に陽階神の自覚を忘れ、重罪を犯した。その罪は正当に断罪されておる」
「しかし未熟なユージーンを生物階降下させ、かような事態を招いたその責任は極陽、あなたにあるのではないか?」
第3位智神、叡智を司る女神、リジー=ノーチェス(Lizzy Norches)、置換名 彌月 天鵬が舌鋒鋭く弾劾した。
淡いクリームティー色の髪の毛と瞳で、肌は真っ白、人形のようにあどけない容貌をしていながら、食えない才女だ。
美しい装飾のついた白衣を丁寧に着付けている。
言うまでもなく彼女は比企を信奉する女神だった。
先制をかけたリジー=ノーチェスに比企が続いた。
「極陽、我々は懸念致しております。あなたが隠密に、なんぞ不穏な動きをしているのではないかと。生物階への介入は極位の一存にて決められるものではありません。あなたが生物階にてユージーンにさせようとしていた任務、その内容を説明する義務があるのではないですか」
比企は話し口調も静かで艶のある白髪と灰色の瞳が儚げだが、したたかな策士だ。
比企は強い眼差しを極陽に向けた。
極陽は受けて立つといわんばかりにその冷徹なまなざしを全身で受け止め、よく通る低い声でこう答弁した。
「軍神たるユージーンが彼の職責に遵いて生物階降下を行った上での不祥事だ、関知するところのものではない」
この言葉には4位音楽神、ケイルディシャー=ムジカ(Kaldisher Musica)、置換名 安佐 春輔も耳を疑った。
彼ひとりに罪を押し付けようというのだろうか、と。
ムジカは極陽と親しい神であり、今度のユージーンの生物階降下の件は、極陽の勅令に遵ったものだと知っていた。
このとき彼は極陽を卑怯だと感じた。
比企はユージーンに同情を寄せるそぶりをしてこう付け加えた。
「ユージーンは法務局に断罪され、49日間の身体罰に服役しているそうです。死すら希望のように感ぜられる不断の苦痛に苛まれ続けている」
「それもユージーンが降下していた場所というのが、グラウンド・ゼロ(Ground 0)だったというではないか。あなたはひた隠していたようだが、法務局がユージーンの拘束場所を発表したので明らかになったのだ。ユージーンがグラウンド・ゼロをわざわざ選んで降下したとはとても思えん」
「三位殿、グラウンド・ゼロとは一体?」
リジー=ノーチェスの言葉に、神々は動揺する。
それまで頑ななまでの無表情だった極陽は、僅かな困惑の色を見せ、立ち上がりリジーを黙らせようとした。
「まて三位。それはならん! ならんぞ」
「陽階神のうちグラウンド・ゼロとその座標を知る神々は現在4柱。私と、極陽、そして比企殿、師崎殿のみだ。極陽がそれを禁忌としてきた深慮はお察しする。しかしあなたが無知なユージーンを極秘に降下させた事により、賽は投げられた。グラウンド・ゼロへの干渉と知れば、陽階神として黙っておくわけにもいかん」
リジー=ノーチェスは着実に極陽の逃げ道を塞ぐ。
神々は静かに耳を傾けていた。
静まり返る中、今にもリジーが話し出そうとした時、静かな声がそれを妨げた。
「待つのだ。それを告げて汝はなんとする、その知識が我々に何の利をもたらすというのか。幾千年にもわたり代々の極位のみに口承されてきた門外不出の口伝を不当に暴いた上それを公にすること、甚だ罪深き事だ。智神としての職務を取り違えた汝が不徳を恥じよ」
艶のある声で厳しく語りかけたのは、茶色の優しげな髪と瞳を持つ壮年の神、第10位倫理神、ジーザス=クライスト(Jesus Christ)、置換名 師崎 灯陽だ。
現在三大宗教として生物階で多数の信者を持つ、キリスト教創始者イエス・キリストそのひとである。
彼が2000年前にキリスト教を創始した頃には、極陽として在位していた。
つまり彼は先代極陽であり、その在任中に生物階にて新たな倫理観を説くため生物階降下し人々を教え導き、最期に十字架に磔られるという壮絶な生涯を遂げた。
彼は葬られて3日の後、再び人々の前に姿を顕しよく教えを守るようにと言い残して神階に戻った。
死者復活のからくりは単純だ。
神は十字架にかけられたり脇腹を槍で突かれたぐらいでは死なない。
先代極陽という経歴からか、彼は極陽派でも比企派でもないにも関わらず、現代極陽に譲位してからもあらゆる陽階神に一目置かれている。
リジー=ノーチェスは先代極陽に叱責され、真っ白な顔を赤らめた。
怒りからなのか、恥じ入っているからなのかはわからない。
ジーザスはそれにも構わず言葉を重ねた。
「グラウンド・ゼロとは、禁忌の地区だ。ユージーンをそこに遣わせた事については極陽に非がある。だがかの座標に関する一切の情報を我々に与える必要はない」
「ではどうせよとおっしゃるのですか」
「今までの如く、グラウンド・ゼロは不可侵であるべきだ。今後、ユージーンを含めあらゆる神々の降下を禁ずる。この度のユージーンの件に関して、若き彼を巧みに欺いて陥れた事、よくよく心に留め置くがよい」
「では以後、わたしの命によりかの地区に神を遣わす事は自粛する」
極陽はジーザス=クライストの仲裁で、風岳には以後神を降下させないという誓いを立てさせられた。
こう締め括られてはもうどうしようもない。
極陽と比企の泥仕合になるところを、まるでジーザスは鮮やかな手並みで一件落着にしてしまった。
極陽は神々の顔を見渡した。
ユージーンへの同情と、極陽への不信感を与えたという事はわかりきっていた。
5位 光神 レディラム=アンリニア(Redirum Unlinear)、宮本 系瞑はまた眠っているのか起きているのか分からないような顔で腕組みをしていた。
どんな形で決着したとはいっても、グラウンド・ゼロにまつわるやりとりは、神々の間に禍根を残した。
「以上で閉会を宣言する」
極陽派である9位数学神、女神ファティナ=マセマティカ( Fatina Mathematica )、置換名 栗栖 寄蘭は閉会の宣言を受けながら、ファティナの神具であるスーパーコンピュータールーム、 ヘクス・カリキュレーション・フィールド( Hex Caluclulaton Field:六方魔方陣演算空間)に荻号が以前より居座っていて、しかも昨日からはユージーンの神具 G-CAMを持ってなにやら演算を続けているという事は、ここで告げない方がいいし、極陽にも知らせない方がいいと思った。
神々の退席を示すランプがひとつ、またひとつと消えゆく。
深い闇が議場を満たしていった。
*
藤堂 志帆梨は家に帰ってケーキを冷蔵庫に入れると、今度は自転車に乗って風岳警察署に滑り込んだ。
すっかり日差しもきつくなってきて、ハンドタオルで拭っても拭っても、汗がじっとりと浮かんでくる。
警察署の扇風機に向かって顎を突き出しながら、受付に警官が戻ってくるのを待っていた。
婦警が一人、麦茶をふるまってくれる。
まだ若い婦警で、新谷という名前のプレートをつけている。
「どうも、こんにちは」
「こんにちは。何か御用ですか?」
「ちょっとどこの課にご相談したらいいのか分からないんですが……」
「私がお聞きしますよ」
志帆梨はありがたくお茶をいただいて、婦警に話し始めた。
「よかった。私、長い間入院していまして、このたびやっと退院したんです。それで、長期間銀行のお金を預けっぱなしにしていたんですが……今日、身に覚えのないお金が振り込まれているのが分かりまして……2000万円もなんです」
「入金してくる相手の名前は分かりますか?」
「株式会社レイメイという会社です。私は聞いた事がなくて……」
「レイメイですか? もしかして、あの会社じゃないですか? 製薬会社ですよ、ほら、CMでも時々出てますよ。朝のCMとかでよく出てますよ。ちょっとお待ちくださいね、調べてきますので。その会社だったらいいんですが……」
婦警はメモをとりながら聞いていたが、会社に聞き覚えがあったらしく、鼻歌を歌いながら志帆梨の通帳を奥に持っていってしばらく帰ってこなかった。
志帆梨はいつまで待てばよいのかと思いながらも、扇風機に当たりながら麦茶を飲んでいた。
すると、何やら騒がしい話し声が聞こえて二人の刑事が通りかかった。
ユージーンを逮捕した二人の刑事だが、志帆梨とは面識がない。
二人は志帆梨に会釈をすると、そのまま通り過ぎて行った。
志帆梨はこれでよかったのだ、と思った。
自分のお金でもないのに貯め込んでしまっては、いつか暴かれて手が後ろに回る。
この2000万のお金が、落し物だったら自分にも何割かもらえたかもしれないのに、と思いかけて首を振る。真っ当な生き方をしていないと、神様は全てをご存知だわ、と。
志帆梨が寝こけかけたとき、婦警が戻ってきた。
志帆梨は気がはやって立ち上がる。
「私が振込みをして、お返しした方がいいんでしょうか」
「違うんですよ。レイメイ側と連絡がとれまして、その入金はどうやら正当なお金のようですよ。その会社の会長が以前あなたと婚外子をもうけたそうですね、名前を恒君というんですって。そうですね? でも理由あって結婚できなかった、……あなたを深く傷つけてしまったから、といってその慰謝料と養育費を振り込んでいたらしいんです。ですから全てあなたのお金ですって、社長がそう仰っていましたよ。会長はあなたを驚かせたくなくて名前を明かさず会社の名義で振り込んでいたらしいんですが」
「レイメイという会社の会長が、私の夫?」
「そうですよ! 忘れたんですか?」
「……その会社の連絡先、教えていただけますでしょうか」
「よかったですね、養育費を振り込んでいただいて。これからも月はじめに振り込んでくださるそうですよ」
志帆梨には切れかけた細い糸が見えた。
とっくに切れていたと思っていた糸が、繋がっていたのだ。
彼女と夫、そして恒を結ぶ謎の糸が……。
ユージーンですら見抜けなかった謎の糸でもあった。
レイメイという会社の会長が夫だと? 2000万の大金を手にした事よりも、夫を名乗る者が現われたという事の方が衝撃だった。
帰り道は、色々考えていたおかげであっという間だった。
空は気持ちいいほど晴れて、畦の向日葵も咲き始めたところだったが、志帆梨はうわのそらだった。
家に帰ると丁度恒が帰ってきたので、紅茶を入れ、ケーキを食べた。
恒がどんな学校生活を送っているのかも、どんな友達がいるのかも、志帆梨は知らなかった。
昨日だって突然社務所に泊まってくるといったきり、帰ってこなかった。
親子のコミュニケーションは、うまくいっているのだろうか?
志帆梨はあまりにも恒のことを知らなすぎた。
志帆梨は息子への無関心を反省し、子供だからと見くびらずに、今日の一連の出来事を恒には言っておくべきだと思った。
「あの」
「ねえ」
二人が同時に声をかけてしまった。
恒は恒で、実の母親にだけは言わなくてはならないことがあった。
昨夜外泊した間にユージーンが逮捕され、受刑中だという事ではない。
それよりももっと、根本的なことだ。自分の人生に関わる……。
「なあに?」
「母さんから言ってよ」
「恒の話を聞きたいわ」
恒は少しのけぞり、紅茶を飲み込んだ。
志帆梨は特にせかす様子もなく、またいそいそとカップに紅茶を注ぐ。
夕方のニュースが流れていたテレビの電源を、恒は切った。
「母さん。今から言う事は受け入れ難いと思う、でも本当の事だ。……俺は母さんに、迷惑ばかりかけてきたよね。俺の周りではいつもおかしな事ばかり起こって……。母さんも病気になって」
「そんなの、お前のせいじゃ……」
「俺のせいだったんだ、全て! 母さんを病気にしたのも俺だったんだ」
「ど、どういう事なの? ユージーン様はそんなこと、仰せにならなかったじゃない」
志帆梨の反論はもっともだ。
ユージーンが見破れなかった事なのだから、とそれにしがみ付いているようだった。
「母さん……俺の半分は母さんの息子なんだ。それは間違いない、でも同時に……残りの半分は神様でもあるんだ」
「な、何を言っているの?」
「本当なんだよ……」
「違うわ。今日、母さんの口座に2000万が振り込まれていたの。レイメイという製薬会社。そ、そこの会長さんがお前の父よ。会長さんがそう言っているのよ、わ、私には身に覚えがないけど、会社がそう言っているの。本当じゃなくて2000万も振り込んでくる? お前の父は神様なんかじゃないわ。どうしてそんなことを思いつめてしまったの?」
母親も自分の息子が神であったと聞いて動揺しているのだろうが、母親が言い訳のように吐き出したその言葉に恒は耳を疑った。
「……レイメイ? 会社? 会長? その会長の名前は?」
「え? 新未 黎明、だそうよ」
母親の口から、彼女が絶対に知りえない筈の名前……陽階極位、主神ヴィブレ=スミスの置換名が出てきた。
恒は衝撃のあまり絶句してしまった。
「母さん……確かに、そのヒトは俺の父さん、そして母さんの夫なのかもしれない」
「そうでしょ?」
「陽階神第1位、主神、ヴィブレ=スミス。創造を司る神様であり、別名を新未 黎明という……。しかも、最高位の神格を持つ神様だ……そのヒトが、俺の父さん……だったなんて……」
恒の頭には、覚えようと思わなくともヴィブレ=スミスの置換名、新未 黎明という名が刻み込まれていた。
陽階主神の名だ。
忘れるわけがない。
神である恒を志帆梨を媒介に生物階へと降下させ、志帆梨を病ませ、恒をADAMへと監禁した神は主神、ヴィブレ=スミス。
恒はこれから父親に会うとしたら、その歩むべき道のりの遠さに眩暈がし、卒倒しそうになった。
天上の玉座で、神の視点から蔑むようにほくそえんでは恒と母親を見下ろす、忌むべき姿が見えたような気がした。
恒は少しも彼が慈悲深き父親のようには思えなかった。
恒にとって彼はまるで帝国に君臨するヒールのようだ。
「母さん、俺は天上に上がる。そして、父さんを引きずってきてでもここに連れてくる。母さんと俺をこんな目に遭わせたこと、これまでの事を全部謝らせてやるんだ! そうしなきゃ気がすまない!」
しかし同時に、恒はそう言いながら気づいていた。
極陽に会える身分になるには、何十年も修行をして最難関と呼ばれる第一種公務員試験を受験し、少なくとも準中枢と呼ばれる上位20名までには入らなければならない。
それ以外の神々はいかな例外があろうとも謁見はかなわない。
つまり自分が神として力をつけ、20位までに入らなければ、実の父親にさえも会う事が赦されないのだ。
母親に父親を引き合わせる事ができるのだろうか?
母の墓前に連れてくる事になるのだろうか?
恒には後者のように思えた。
いや、第一種公務員だって一生かかったって受からないかもしれない。
何しろ恒は全てが神というわけではないのだ。
人間の血が混じっている、力も知力も純血の神からすれば劣ることだろう。
その恒が上位20位のうちに入る事など、絵空事にも等しい。
でも……だとしたら、母の人生とは、何だったのだろう? 神によって狂わされた人生。
好きな人と結ばれる事もなく、レイプまがいの妊娠をさせられ、産みたくもない子供を身ごもり、出産直後から10年もの間病床に臥す。
一体何の権利があって神がこのように人を苦しめるのだろう?
ユージーンは、そして荻号は言っていた。
神はいつだって、人々の幸福のために生きている――と。
恒はそんな神々に憧れ、尊敬だってした。
それでもよりによって父親たる神、主神として崇められている彼が、最も踏み外してはならない道を違えてしまっているらしい。
殴ってやるとしたら、1発や2発では済まされない。
たとえ彼のフィジカルギャップで恒の拳が粉砕されたとしても、恒は極陽、ヴィブレ=スミスを殴らなければ気がすまないと歯を食いしばった。
「そんなこと、どうだっていいわ!」
恒が決意を新たにした時、志帆梨は恒の憎悪を遮った。
志帆梨は震えていた。
怒りからなのか、不安からなのかはわからない。
「お前がたとえ神様だったとしても、天上に上がるとか、父さんを連れてくるとか、父さんが誰だとか、母さんちっともそんなこと興味がないの。それよりもお前が人間らしく、まっとうな人間になって大きくなってくれる方がいい。そんなこと、考えないで!」
「母さん……」
「お前はどうしたいの? お前は本当は何になりたいの! じっくり考えてみなさい」
「何になりたいのって……」
「お前の中には何もないのよ。じゃあお前は何の神様になりたいのか言ってみなさい」
「……そんなの」
「馬鹿な事は言わないで。お前の言っている事が本当なのか嘘なのか分からないけれど、母さんはお前が復讐のために神様になるなんてこと、少しも望んでなんてない。ユージーン様は立派だわ。とてもお優しくて、大変なお力を持っていらして……、でも生まれつきそうだったとは思えない。想像を絶する苦労をされているのよ、お前があの方のようになれるとは思えない」
恒は答えられなかった。
一体何のために神になりたいのか、目的がない。
そうだ、実際自分は父への怒りや、風岳村で起こっている不条理に飲み込まれる事への拒絶だけで、神を目指すと言っていたのだ。
ユージーンや荻号のように自分を犠牲にしてまで人々を救い導く、その使命を微塵も考えてはいなかった。
自己中心的な考えだけで口走った言葉は、稚拙で、薄っぺらだ。
「それに、私にはユージーン様が幸せだとは思えない。いい、恒。親はどうやってでも、子供を幸福にしてあげたいものなの」
「でも! 母さんだって父さんに、会いたいだろ? そりゃ、憎い奴だけど……」
「会いに行ってはならないわ、恒」
「どうして!」
「お前は、新未 黎明 という神様に、おびき寄せられているのよ……そんな気がするわ」
「おびき寄せられている? そんな! 確かにそうかもしれないけど、それは自分の息子だからであって……」
「まるで気にしてくださいと言わんばかりの入金、新未黎明という名前をあっさり出す事。それをお前が知っている事も推測済み。それらが全て計算ずくだったら? お前は利用されようとしているのよ」
恒はそれを聞いて、自分の警戒心のなさにぞっとした。
怒りで頭が沸騰してしまっていたが、志帆梨の言うとおりだ。
”、ンポーン、ピ、ンポーン”
二人の会話が途切れたときを見計らったかのように、インターホンが控えめに鳴った。
このインターホンも壊れかけていて、壊れた玩具のような音がする。
恒は母親に、自分が出るからと目で合図をして、玄関の鍵をあけにいった。
夜間の客は来ないので、そういえば外灯もつけていなかった。
パチンと外灯をつけると、ぽっと大きな影が玄関扉のガラスに映った。
どうしよう、大男の影が映っている。
恒は開けるべきかこのまま開けるべきでないか迷ったが、こじ開けてこられても困る。
仕方なく半分だけ開けて顔を出すと、彼は真っ黒な装束を身に纏っていた。
目の前には真っ黒な手が見えた。
その色は恒が初めて目にする色だ。
日本人のそれではない、明らかに黒人の手だ。
上を見上げると、やはり予想通り背の高い黒人の顔があった。
彼は恒が目の前にいるにも関わらず、何故かずっと目を閉じている。
首をすくめながら恐る恐る会釈をした頃には、メファイストフェレスに電話でもなんでもSOSを送ってから、ドアを開けるべきだったと後悔し始めていた。
「こんばんは。あの、どちら様でしょう」
彼はようやく開眼して恒を見下ろした。
まったく瞬きをしない。
恒はちょっとしたことでも不気味で、腰が引けてしまった。
藤堂家はインターナショナルな係累はない。
志帆梨がホームステイ先でお世話になった気のいい黒人の兄さんでも、街に行ったときに知り合ったクラブのDJでもない。
「夜分に突然すまんな。怪しいもんじゃないんだ」
「藤堂 恒といいます。あなたのお名前は?」
「俺は織図 継嗣っていうんだ。はじめまして、だな」
また瞬きをせずに、低い声で答える。
怯えさせまいとしておっとりと話してくれているようだが、恒は震えが止まらない。
陰陽階叙階表を、上位20柱までは暗記しておいてよかったと思った。
そうでなくては、とても心構えができなかっただろう。
生きながらにして、死神と見えることとなるとは……!
「陰階神第9位、死神、ダグラス=ニーヴァー(Daglass Niever)、置換名 織図 継嗣……様。何故……?」
「おっ、知ってんのか」
「もちろんです」
「なら話が早い。荻号さんの頼みで来た。以後、この村に降下できる神は、日常的に生物階降下を繰り返し、生物階での生と死を司る死神、つまり俺しかいなくなったのでな……」
――満天の星ふる夜の藤堂家に、闇を纏った死神が訪問した。
枢軸叙階一覧です。二回クリックすると高解像度版が見られます。
また、以前各章頭にあった有償依頼分の扉絵は、
章の改変に伴い、PC目次ページの下部にまとめて設置しました。
【通名】 生物階での通り名のようなものです。
【置換名】 神語での本名を表意文字である漢字に置換して表意したものであって、漢字の名が本名というわけではありません。
神々は神語での本名を呼び合う事は滅多になく、多くは通名や置換名を使います。
公文書にのみ神語での本名が記載されています。
【S.D】 Standard Deviation(偏差値)です。陰陽を含む全位神(第一種公務員)の中央値を50とした場合の偏差値です。
【P.Lv】 Physical Levelです。特殊な装置により測定された純粋な力の潜在量であり、そのまま神そのものの強さを示します。
陰階4位の荻号要だけは装置の測定許容量を超えたため、実際の測定数値ではありません。
【M.G】 Mind Gapの層数
【P.G】 Physical Gapの層数です。例によって荻号のP.G 99層というのは測定不能なので仮想値です。
【A.O】 Apostle Occupationで、使徒数です
【特記】 特殊身分。陰陽間が全面戦争になった場合を想定して置かれた役職です。
執権は全軍の指揮権を持ち、参謀は幕僚部を統監して戦術を立て、兵力を動かすのは司令です。目付は停戦監視役です。
【A.R.】 approval rateで支持率。Pは陽階神からの支持率、Nは陰階神からの支持率です。
↑は前年度と比較して5%以上の上昇
↓は前年度と比較して5%以上の下降
―は±5%内の横ばい状態です
【O.B】 Official bird。光獣の種と名前を示しています。